第59話 地下通路
魚人族の少女に連れられて、アリシアとノアが辿り着いたのは廃墟と化した民家の内部。
少女は慣れた様子で床の一部を外す。
「隠し階段? ああ、なるほど。貴方、ここから出てきたのね」
「はい……どうぞっ」
少女に促されるまま隠し階段を降りる。その先は地下通路となっており、人の手で掘り薦められたトンネルのような形をしていた。
「……ここまでくれば、大丈夫だと思いますっ」
「確かに……あの入り口、気配を遮断する術式が刻まれてたし、少なくともあの兵隊たちには見つからなさそうね」
魚人族の少女はアリシアの言葉に見るからに安堵の息を漏らした。
「あ、あのっ……私、ヴェロニカといいますっ。助けていただき、ありがとうございましたっ!」
「どういたしまして。わたしはアリシア。アリシア・アークライトよ」
「私はノア・ハイランドと申します。ところでヴェロニカさん、貴方はなぜこんな危険なところに? いえ……そもそも上の廃墟は一体……」
ノアの問いにヴェロニカはじっと二人の顔を眺める。
「二人はもしかして……地上からやってきた方たちなのですか?」
「そうね。ヘンな光に巻き込まれた後、気がついたらここにいたの」
「そうですか……だとしたら、知らないのも無理はありませんね」
ヴェロニカの瞳が悲しみに揺れる。
天井を見上げた後ゆっくりと言葉を紡ぎ説明したのは、数週間前にこの魚人界の首都が、裏の権能の使い手であるローガンという男に制圧されてしまったというものだった。
「生き残った者たちは二つに分かれました。一つは反撃の体勢を整えるべく、首都の外へと脱出した者たち。そして脱出が叶わず首都に残り、隠れ潜む者たち……」
「……分断せざるを得ないぐらい追いつめられてたってわけね」
「はい……怪我をしても動ける者たちは脱出しましたが、動くこともままならない者たちは首都に残らざるを得なかったんです」
「ふむ。なるほど、貴方がわざわざ危険を冒して上の廃墟に出ていたのは、怪我人たちのために薬草を集めることが目的だったというわけですか」
ノアが目敏く見つけたのは、ヴェロニカの服のポケットにねじ込まれている多数の薬草だ。
「ヴェロニカ!」
トンネルの奥から駆け寄ってきたのは一人の女性。
(あら?)
その女性は魚人族ではなかった。その絹の如き美しい髪と長い耳は妖精族だ。
「また上に出ていたのですね! あの兵隊たちに襲われたらどうするつもりですか!」
「うっ。ご、ごめんなさいっ……! で、でもほら、薬草を見つけてきたの! それに、お姉ちゃんたちが助けてくれたからっ!」
「えっ……?」
言われてようやく、妖精族の女性はようやくアリシアとノアの存在に気づいたらしい。
驚いたように目を丸くしている。
「あ、貴方たちは……」
アリシアとノアはそれからまた自己紹介と、自分たちがこの魚人界に来た経緯や、ヴェロニカを見つけ、助け出したことを説明した。
「そうでしたか……地上から……」
事情を聞いた妖精族の女性は、軽く頭を下げる。
その所作は一つ一つに気品と教養があり、アリシアに魔王城で働く侍女を彷彿とさせた。
「私はセルマ。魚人界の王子、メイナード様に仕える者です」
「そう。よろしく」
「…………」
「どうしたの?」
「いえ……こう言うのも何ですが、私がメイナード様に仕えていることを話すと、たいていの方には驚かれるので……動じない貴方の反応に、逆に驚いてしましました」
「お気になさらず。アリシア姫は魔族ではありますが、侍女は妖精族ですし、護衛は人間なんですよ」
「そういうこと。だからまあ、貴方が魚人界の王子に仕えていても特に気にしないから」
立ち話をここで続けてばかりでもいられないので、四人はそのまま移動を始める。
「ねぇ。この地下通路は一体何なのかしら?」
「王家に代々伝わる隠し通路です。有事への備えですが……まさか役立つ日が本当に来るとは思いませんでした」
「とすれば、これは王宮へと繋がっているのですか?」
「王宮へと繋がる道もありますが、その他にも街の至るところに繋がっています。民がいつでも、どこからでも利用できるように……今は、避難用の広大な隠し部屋に生き残った民が集まっています」
地下通路は迷宮のように入り組んでいる。セルマの案内がなければ、普通なら迷い込んでしまうだろう。
辿り着いた避難用の隠し部屋には多くの魚人たちがいた。特に目立つのは起き上がれぬほどの重傷を負っている者。その数が異様に多い。下手をすれば動ける者よりも。
「皆、あのモーガンや骸の兵士たちに立ち向かっていった者たちです。彼らを見捨てていくことなど、私にはできませんでした」
「動ける人の方が少なそうだけど、これまでよく回してこれたわね」
「セルマ様がみんなをまとめてくれてますからっ!」
「大したことではありません。メイナード様にお仕えする者として、これぐらいのことは当然ですから」
セルマの表情には誇りのようなものが感じられた。メイナードという者に仕えていることに対する誇り……否、それだけではない。
(ふーん……? もしかして……)
アリシアの勘が囁いている。だが、それをこの場で指摘するほど野暮でもなかった。
とにかく今すべきことは、
「ねぇ。ここ、魔道具用の道具や材料は無いかしら」
「大したものではありませんが……避難時に民の誰かが持ち込んできたものなら、幾つか」
「そう。ならそれを貸してもらえるかしら。使わない魔道具が他にもあれば、使わせてくれると嬉しいのだけれど」
「それは構いませんが……一体、何を?」
「ん。ちょっとした工作をね」