第53話 姫様の囁き
調査……もとい、バカンス当日が訪れた。
天候は気持ちのいいぐらいの晴れ渡った青空。
朝に出発し、ノア様が手配してくれた帆船に揺られて数時間ほどで無人島に到着した。
点在している無人島は人こそ住んではいないが、定期的に管理自体は行われている。特に今回俺たちが訪れているところは歴代の王族たちがバカンス用に使ってきた場所だけあって宿泊用の小さな屋敷まで備えている。内装はあらかじめ清掃がされていたとあって埃一つないので、すぐにでも泊ることが出来る。
集合時間は朝の早い時間帯だったので前日の内から姫様には夜更かしをしないように言いつけておこうとしたが、自主的に布団に潜り込んでいたので感心してしまった。
もしかすると、恥ずかしかったのかもしれないという可能性もあるが。
なにしろ水着を買いに行った日、試着室での時間を過ごした後二人して顔を真っ赤にして、しばらく互いの顔を見ることが出来なくなった時があった。
今思えばかなり大胆なことをしてしまったという自覚はある。が、元を辿れば姫様にも責任がある……と思う。いや、どっちが悪いとかそういう話はしてないのだけれども……それどころかむしろ、甘い思い出になったんだけど。
「……む。リオン君。顔が赤いが……熱でもあるのか? ローラに言えば症状を和らげる薬を貰えるはずだが、どうする?」
屋敷には一人一部屋分の数が揃っていたので、それぞれの部屋に荷物を置いてから広間に集合することになった。この後すぐ海へ遊びに出かける予定になっていたので、女性陣は着替えやらで時間がかかるらしい。
対する俺たち男性陣はというと、準備にそう時間はかからないので先に浜辺で待っておくことになったのだが、水着を買いに行った日のことを思い出した瞬間、デレク様から鋭い指摘が飛んできたのだ。
「そ、そんなことないですよ!? 赤くないです、全っ然ッ!」
「そうか……すまない。心配し過ぎだったようだな」
「こちらこそ……心配おかけして申し訳ありません」
反射的にごまかそうとしてしまったのか、つい顔を逸らしてしまう。
鏡を見なくても分かる。俺の顔は今真っ赤だろう。
(あー……ダメだ。思いだしただけで顔が熱くなってくる)
このままでは本当に熱が出てしまいそうだ。顔から火が出ても驚かないぐらいに真っ赤で……赤……赤か……そういえば姫様の水着の色も、綺麗な赤色で……。
(ってダメだダメだ! こんなことばっかり考えてたらいざという時に何もできないぞ! しっかりしろ、俺!)
俺は姫様の恋人でもあるが、護衛の立場も変わってはいない。彼女の身にもしものことがあってはならないし、そうならないように護るのが俺の仕事。浮かれるばかりではいられない。
(水着っていうのも慣れないよな)
俺もデレク様もノア様も各々上に一枚シャツをはおっているものの、普段身に着けている魔法学院の制服に比べると防御の面では心許ない。
「落ち着かないようですね、リオン君」
「ノア様……あ、いや。水を差すわけではないのですが、護衛の身からすると、この格好は色々と心許なくなるなと」
「確かに、警戒するに越したことはありません。護衛の立場ということを考慮するとその気持ちは分かります。加えて、ここのところは大きな事件が続きましたからね。ですが張りつめたままではそのうち君自身がもたなくなってしまうというものです」
理屈を並べ立てた後、ノア様はふっと微笑み、
「つまり、今は素直に楽しみましょう、ということですね。せっかくの海なんですから」
ノア様が向けた先は、目の前にある海――――ではなく。その逆の方向から聞こえてきた、足音の主。
姫様、マリア、クレオメさん、ローラ様は各々の水着を身に着けており、さながら浜辺の美しき女神達といった装いだ。
「海でバカンス……あぁ。ワタクシ、楽園島に来てほんっっっとーに良かったですわ……!」
感激に目を輝かせているのはローラ様だ。
頭には上品な花の装飾が施されたストローハットを被っている。
妖精族は元々内向的で、森の中に住んでいるという。王族ともなるとしきたりや伝統を重んじる立場になるだろう。が、当のローラ様本人はというと外の世界に対する憧れが強いようなので、この反応も仕方がないと言えば仕方がない。
「う……こういう格好は慣れないので、少し……恥ずかしい、です……」
恥ずかし気に自分の体を隠そうとしてもじもじとしているのはクレオメさんだ。
腰にはいつも持ち歩いている剣をさげており、己が武器を手放そうとしないその在り方には感心させられてしまう。本職はお姫様で表向きのこととはいえ、ノア様の護衛を二年以上も務めてきたのだ。癖が抜けていないのだろうか。
「申し訳ありません、アリシア様。私の水着までご用意して頂いて……」
戸惑いがちな表情を浮かべて姫様の傍に控えているのはマリアだ。
いつものメイド服や学院の制服から装いを一変させて水着となったわけだが、こういった服を着るのは初めてなのだろう。今回は珍しくいつものどうしようもない言葉が出てきていない。
「気にしないで。いつも頑張ってくれてるんだもの。たまには主らしいことをさせなさい。それに……」
姫様は、俯きがちなマリアの顎を指で軽く持ち上げ、視線を固定させる。
「申し訳なさそうな表情なんて、貴方に似合わないわ。いつもみたいにカワイイ顔を見せて頂戴。せっかく似合ってる水着も台無しになっちゃうわよ?」
「ひ、ひゃいぃっ……」
マリアは幸せそうに顔をとろけさせており、言語が乱れてしまっているようだ。
俺は一体何を見せられているんだろう……。
「………………………………」
そして俺の隣ではデレク様が固まっていた。まるで何かに見惚れ過ぎた結果、放心してしまったかのようだ。
「その……みっ……にっ……」
ようやく口を開いたかと思いきや、壊れた魔道具のような言葉しか漏れてこず、姫様とローラ様が揃って「ダメだコイツ」みたいな視線を送っているがいたたまれない。この二人、気が合うのかリアクションも似てきたな。
「ありがとうございます、デレク様。私には勿体ないお言葉です」
壊れた魔道具みたくなっているデレク様に対して丁寧に頭を下げたマリア。
「……お前、デレク様が何言ってるのかわかるのか?」
「『その水着、よく似合っている』と言ってくださっています」
「よくわかるな……」
「言葉を交わす機会がそれなりにありましたし、共に背中を合わせて戦った仲ですので」
「なるほど。お前にとっちゃ戦友みたいなもんか」
「そのようなものかもしれません」
イストール兄貴も言ってたな。拳を交えれば言葉はいらないって。
言葉を介する事が出来るのも納得だ。
自分なりに感心していると、姫様とローラ様は「まったく……なにやってるのかしら」「情けないですわね」と深いため息をついていた。
「もしかすると船の移動でお疲れになったのかもしれませんし、そこまでため息をつかれなくても……」
「あなたのそういう可愛らしい所、何度も言うけれど大好きよ」
「あ、ありがとうございます……?」
褒められているようなそうでないような……。
「それはそうと……リオン。わたしのリオン?」
姫様は一歩踏み出し、上目遣いで問いかける。
距離が近い。彼女の温もりが今にも届きそうなほどに。
安心して身を委ねてもらっていることに仄かな嬉しさと緊張が入り混じりつつ、彼女が言いたいことは解っていた。
「お、お似合いです」
「ふふっ。ありがと」
前回の買い物で俺が選んだ水着をそのまま身に着けているので、姫様の見た目的にはそんなに変わってない……はずなのだが、海というシチュエーションだからか店内で見た時よりも可愛らしい。
(いやいやいや。今は思いだすな、あの時のことは……!)
買い物の時、というか試着室での時間を思い出すとまた顔が赤くなる。
「…………?」
必死に自分を落ち着かせていると、目の前の姫様からやけに見つめられていることに気づく。
「…………」
「あの」
「……………………」
「姫様?」
見られている。それもなぜか、体を。
困惑している間に姫様が手を伸ばし、美しい白指が腹筋に触れる。そのままゆっくりと、堪能するように腹筋の上を彼女の手が滑る。
「あらためて触れて、思ったんだけど……リオンってちゃんと鍛えてるのね」
「そりゃまぁ……鍛えるのも仕事みたいなもんですから」
「男の子って感じがするわ」
言いながら、姫様はシャツの隙間を縫って俺の身体を撫でまわす。
くすぐったい。それ以上に、触れられると緊張する。
「ふふっ。リオンったら、ドキドキしてる」
胸に直接触れられているので、当然心臓の鼓動が筒抜けだ。
「ひ、姫様。あの、くすぐったいですし……それに、ちょっと、恥ずかしいです」
普段なら心臓の鼓動が筒抜けになるような場所に触れさせないし、仮に触れさせたとしても警戒心の方が勝る。だけどこうして完全に身を委ねてドキドキすることが出来るのは、相手が姫様だから。
それでもまあ、恥ずかしいものは恥ずかしい。
「リオンの肌って、今はそう見れるものじゃないし。もうちょっと、触ってたいんだけど……ダメ?」
「ダメです」
「わたしのも触らせてあげるから」
「さわっ!?」
ぎょっとしながらも思わず視線を注いでしまうのは、今は真紅の布地に包まれた、白くも柔らかく豊かに育った姫様の胸部。
「あ、悩んでる」
「悩んでませんっっっ!」
触ってみたいと一度も考えたことが無いといえば、嘘になる。いつも無遠慮に押し付けられもすれば、意識もする。ただ、姫様は俺のことを信頼してくれているからこそ、体を預けてくれるわけで……その信頼を裏切るわけにはいくまいと常に耐えてきた(あと魔王様に殺されかねないし)。
「……冗談よ」
くすっと笑いながら、姫様は手を離す。
「当然です」
危なかった。もう少しで俺の中にある何かが崩れかねなかった。
ただでさえ最近はキスをしたり、試着室というシチュエーションで頭がどうにかなったりしているのだから。
視線を逸らしながら安堵していると、姫様が流れるように俺の耳元に顔を寄せ、
「リオンなら、いつでも触らせてあげる」
最後に不意打ちのような囁き。耐え切れなくなった俺は、真っ赤に染まった顔を覆いながら一人浜辺にしゃがみこんだ。