第48話 成り損ないの力、王を討つ力
かつては灰色の世界に生きていた。
親はいない。いたのかもしれないが、顔も名前も知らない。
分かっているのは、ノアがはした金と引き換えに、どこぞの実験好きの魔法使いに売られてしまったということ。
薄汚いボロ雑巾のような人間だったノアは、魔力に恵まれていた。素材としては上質だった。たいていの痛みは身体に刻まれただろうし、時には魔力を限界間際まで絞りつくされもした。生きていたのは恵まれた魔力のおかげであり、生きた苦しみが続いたのも、魔力のせいでもあった。しかし、結果的にはこれは幸せなことだったのだろう。
王族に匹敵する魔力を持つが故に、王族に見出されたのだから。
たまたま向こうが、条件に合う人形を探していて。
たまたまノアが、向こうの条件に合っていたのだ。
「打算と企み。その上で、私は君のような人材を欲している」
工房に乗り込んできた騎士たちを率いていた一人の男……シルヴェスター・ハイランド。
彼の眼は、当時五歳だった子供に向けるようなものではなく、かける言葉も、五歳児の子供に向けるようなものでもなかった。
「私の依頼をのめば、ある程度の富は約束しよう。しかし、君は紛い物の人生を送ることになるだろう。王家に全てを捧げ、動くだけの……人形としての生を送ることになるだろう」
彼はたぶん、ノアを一人の対等な人間として、見てくれていたと思う。
「断ってくれても構わない。君を保護した後、人並みの生活を送ることが出来るように最大限の努力はさせてもらう」
人並の生活を送ったところで、今更胸の中に空いた『穴』は埋まらない。
それよりも目の前にいる『王』が眩しかった。
この灰色の世界を照らす光に焦がれた。
何より――――ほしいものが、手に入ると思った。
「構いませんよ。私の人生でよければ、差し上げます」
その時、その瞬間。
――――ノア・ハイランドという名の紛い物が生まれた。
王より依頼された仕事は、『やがて王座につく娘の影武者になること』。
つまりは王族を騙り、演じること。
本物なんてどこにもない。中身のない偽物だ。
ハイランド王家が神より与えられた『団結』の属性は、人との繋がりを力に変える権能。
それ故に、王族たる『クラウン』が権能を他者に与える際は、人選を慎重にする必要がある。
まだ判断能力が培われていない、幼い王族を誑かそうとする者は後を絶たないだろうし、当時のハイランド家は王族を狙った事件が続いていた。
それ故に王は娘を案じ、影武者を用意することを考えた。
少し前までただの奴隷であり、魔法使いの実験用素材でしかなかった、薄汚い少年が王家の衣を纏い騙ることを許されたのもそのため。
「傍から見れば、滑稽でしょうね」
空っぽの人形になってまで、欲しいものがあった。
空っぽの偽物になってまで、憧れるものがあった。
地位などいらない。名誉などいらない。
ましてや王家の肩書など、必要としていない。
富だとか、名声だとか、そんなものが欲しいのではない。
そんなものではこの胸に空いている穴は埋まらない。
……そう。
ノアは、人形になる前から空っぽだった。
物心ついた時から、自分の中には何もなかった。
「私は……私が、欲しいのは――――」
☆
糸が切れた人形のようだった。
膝をつくノア様から、ずるりと刃が引き抜かれる。
王は冷酷な瞳を以て見下しながら、聖剣の刃を振り上げた。
「させません!」
殺戮の輝きをクレオメさんの白刃が阻む。
「邪魔をするか。我が娘でありながら」
「しますとも。貴方にこれ以上、過ちを重ねさせないためにも……!」
「……『楽園島』で過ごす内に腑抜けたらしいな」
容赦なく振り下ろされた一閃は、クレオメさんの持つ剣を容易く両断する。
「うっ……!?」
魔力、魔法による防御を固めていたはず。『レベル2』の力の前では、薄紙も同然と言わんばかりの破壊力を見せつけてきた。
「たかが人形。壊れた程度で喚くな。王たる者、些事を斬り捨てることが道と知れ」
「っ…………!」
有無を言わさぬ二撃目。躊躇いも無い。選別し、断ち切るためのモノ。
されど振るわれた刃が届くその前に、クレオメさんの姿が消える。
代わりに揺れる金色の髪。漆黒の焔を纏いし鋭い蹴りが、シルヴェスター王の横から入った。聖剣によって防がれたものの、王を大きく後ろまで吹き飛ばすことに成功する。
「間一髪、ってところかしらね」
「姫様……!」
駆けつけたと同時に、クレオメさんを転移魔法で他の場所に飛ばしたのか!
「魔力が尽きたはずじゃ……」
「前に魔力がなくなって痛い目を見たんだもの。対策ぐらいしてるわよ」
言いつつ、姫様は俺に小瓶を放り投げた。
中に入ったどろっとした液体は、ローラ様が作ってくれたあの秘薬だ。
『四葉の塔』事件の際、姫様はナイジェルの罠にはまり魔力が枯渇した状態にあった。
その時の反省をいかし、あらかじめ予備をいくつか持っていたのだろう。姫様の桁外れの回復力と合わせればごく短時間で魔力をある程度回復させることも不可能ではない。
「クレオメ。貴方、回復魔法は使える?」
シルヴェスター王を睨みながら、姫様が問う。
クレオメさんは俺たちのすぐ後ろに転移させられていたらしい……はっとしながら、「はい。少しですが……」と、静かに頷いた。
「だったらすぐに治療を始めて。急げばまだ命は繋げるはず……ある程度回復させたら、ノアを連れてリオンと一緒に遠くへ逃げなさい」
「アリシア姫……ですが、貴方は…………」
「わたしはここであいつを食い止める」
「無茶です、姫様! 俺も……!」
「これは命令よ」
言葉はどこか刺々しい。だけどそんなの、嘘だ。
無理を言おうとする俺を押しとどめようとしている優しさが込められていることぐらい、分かる。
「あなたはノアとクレオメの傍にいてあげなさい。だって……」
きゅっと拳を握り締める姫様の後ろ姿は、何かを決意するかのようで。
「……家族なんだもの。あなたの家族を、支えてあげて」
「っ…………!」
姫様は、前から知ってたんだ。
俺がハイランド王家の子供であることを。
それからずっと……ずっとずっと、俺のことを考えてくれていた。
俺の幸せを考えていてくれた。
それが分かる。分かってしまう。分かってしまうからこそ、彼女の言葉を無理に振り払うことが出来なかった。
「大丈夫よ。死ぬつもりなんかないし……一応、アテもあるから」
言いつつ、姫様はノア様へと視線を向ける。
「くだばるんじゃないわよ」
姫様なりの応援を残して。彼女は単身、シルヴェスター王のもとへと向かっていく。
☆
呼吸を整える。エルフ族の秘薬による効果だろう。体内の魔力もかなり回復してきた。
自身の状態を確かめつつ、アリシアはシルヴェスター王と向かい合う。
「精神操作で意思を歪められて……哀れなものね」
「王を哀れむか。小娘如きが」
「それすらも、所詮は台詞。貴方自身の言葉じゃない。ましてや王としての言葉ですらない。そんな言葉に誰もついていかないわ」
アリシアは強く、意志を込めて言葉を紡ぐ。
「ノアが人形ですって? 冗談でしょ。中身のない言葉を並べている今の貴方こそ、ただの人形じゃない」
静かに。だけど激しく、魔力を練り上げていく。
「さっさとぶん殴って、目ぇ覚まさせてあげるわ」
膨れ上がった膨大な魔力を権能に注ぐ。
「っ……! レベル……2――――!」
爆誕する漆黒の力。その奔流がアリシアを包み込む。
「くっ……あぁっ……!」
もはや自分自身ですら制御が難しいじゃじゃ馬を、力づくで抑え込み、なんとか形に仕上げてみせる。
「はぁああああああああああああっ!」
掴む。そして、振り抜く。
歪で力強い、悲鳴にも似た音と共に――――暴れ狂う漆黒の魔力が顕現する。
(っ……! やっぱり今は……これが、限界みたいね……!)
己の右手に現れたソレは、剣と呼べるかもわからない、不安定な魔力の塊。
完全な『レベル2』には至っていない証拠。
「『レベル2』の成り損ないか。そんなモノで、この私を討てるとでも?」
「人形の貴方には、成り損ないで十分ってことよ」
互いの身体から溢れ出した魔力が爆ぜ、激突する。
「――――ほざくなよ、小娘」
「――――喚かないでよ、王様」
殺戮の白銀と、支配の漆黒。
剣を携えし二人は、互いの刃を激突させた。
☆
姫様が戦っている。
不完全ながらも『レベル2』の力を行使して。だけど……あの力がいつまでも持続するとは思えない。負担を強いられているはずだ。
本当なら今すぐにでも駆けつけたい。
「リオンさん……」
「……分かってます。今、俺がすべきことは……『家族』の傍にいることですから」
俺が王族だとか、それどころかノア様が王族じゃなかったとか。
いきなり色々な事実を知って混乱していることは事実だ。
でもノア様は、俺のことを『弟』だと言ってくれた。たとえ血が繋がっていなくても、王族じゃなかったとしても……その言葉一つあれば、想いがあれば……家族としての愛があれば、それだけで十分だ。
姫様も同じ気持ちだったからこそ、俺に残るように言ったのだ。
その想いを無駄にするわけにはいかない。
今の俺に出来ることはノア様の傍にいること。クレオメさんの回復魔法が上手くいってくれるように祈ること。
「…………っ……」
「ノアっ…………!」
まだ息も浅い。出血を止めただけの応急処置に過ぎないが、ノア様の意識が回復した。
「どうやら……ご迷惑を、おかけしてしまったようですね……」
「胸を裂かれ、腹に穴を空けられておきながら、開口一番がそれですか……!」
クレオメさんの言葉は「自分の身を案じろ」と言っているようにも聞こえる。
……きっとこの二人の中にも、見えない繋がりがあるのだろう。
「手厳しいですね。しかし、これが私でよかった……何しろ…………」
「自分が人形などと……そんなバカなことを口にしたら、その面をひっぱたきますよ!」
「とても怪我人にかける言葉とは思えませんね」
苦笑しつつ、ノア様は俺の方を見る。
「……驚かせてしまいましたか?」
「……少し」
小さく頷くと、ノア様は口元を微かに綻ばせた。
「リオン君……私はね、家族がほしかったんです」
「家族……」
クレオメさんは何も言わず、回復魔法に専念している。ノア様は独り夜空を見上げながら、ぽつぽつと語り始めた。
「私は親の顔を知りません。生まれてすぐ、少しのお金を引き換えに、売られてしまいましたから」
それはきっと、『ノア・ハイランド』となる前のこと。
「ですが幸いなことに、私には才能がありました。魔法にしても勉学にしても、剣技にしても。故に運よく、生き残ることが出来ました。運よく、王家に拾ってもらえることになりました。しかし……私の中には、常に何かが欠けていましたし、それらの才能があったとしても満ち足りることはありませんでした」
ノア様は静かに目を伏せる。少しの間を置いて、
「才能があっても、私には何もありません。ガワが良いだけの、ただの人形……だから私は、欲しいと手を伸ばしたんです」
……ああ、そうか。何となくだけど、分かった気がする。
「私は家族が欲しい。家族という名の繋がりが、欲しいと思いました。私には何もありません。何もない人形だからこそ、繋がりが欲しいと……そう、思ったんです」
「……ノア様は相変わらず、回りくどいですね」
「……回りくどい、とは?」
どうやら気づいていないらしい。
この人は器用なように見せかけているけど、実際はとても不器用なんだ。
「ノア様は、寂しかったんですね」
色々な言葉で包み込んでいたけれど、彼の素直な気持ちはきっとそこだ。
言葉を受けたノア様は目を丸くしていて。
「寂しかった……ああ、そうですか。そうだったんですね……」
その笑顔は、まるで彼の中で何かが腑に落ちたかのようだった。
「私は、寂しかったんですね」
噛み締めるような言葉。
それに、クレオメさんが小さく笑う。
「ふふっ……寂しがりやさんですか。貴方も意外と、可愛らしいところがあったんですね」
ノア様は肩をすくめると、
「リオン君……寂しがり屋で、繋がりを欲していた私からすれば。貴方も大切な、家族の一員です。少なくとも私は、そう思っています」
「…………はい」
ノア様は、戦闘が繰り広げられているであろう方向に視線を向けた。
「私が君を大切だと思っているように。君にも、大切にしている繋がりがあるはずです。だから、行きなさい。王を止め、愛する人を護りなさい」
「ノア様……ですが、俺の力で王を止めることは……」
真剣な力のこもった眼差しが、俺の瞳を捉える。
「王家と息子を天秤にかけて、王は追放を選びました。国と愛を天秤にかけて、王は国を選びました。それが正しいとも間違っているとも、私には言えません。ですが君には、拳を振るう資格があり、王を止める力がある」
「俺に、ですか?」
「そうです。彼は愛を選別し、斬り捨てた。故に――――」
ノア様の手が、俺の拳を優しく包み込む。
「――――愛を握った拳こそ、王を討つ力となる」