第43話 圧倒する者、縁を掴む者
「……意外ですね。貴方が大人しくしてるなんて」
リオンとノアの激突。ぶつかり合う魔力を眺めながら傍で刃を首元に向けるクレオメが静かに言葉を零した。
「お得意の転移魔法で抜け出したり、『権能』による重力で私を叩き潰すことも出来るのではないですか」
「少しでも魔力の揺らぎを感じ取れば、転移するより速く私の首を穿つ。それが出来るだけの力が貴方にはある。そうでしょ?」
「………………」
肯定はしない。かといって否定もしない。
クレオメが問いたいことはそうではないことをアリシアは知っていた。
「それが分かっていながらなぜ私の接近を許したのですか。貴方の持つ『権能』の力なら、こうなる前に対処出来たはずです」
シルヴェスター王すら認めたアリシアの持つ直感。それを以てすればクレオメの接近を許す前に転移魔法による回避や『空間支配の権能』より繰り出される重力での制圧も行えた。クレオメが問いたいのは、なぜそれをしなかったのかということ。なぜあえて人質になる道を選んだのかということだ。
「……すぐ傍でじっくりと、貴方を観察したかったのよ。貴方はリオンみたいにずっと一緒にいる人でもないし、魔道具による補助がない状態だと限界があるから」
「観察……?」
「そうよ」
クレオメの瞳が揺れる。迷いに。否――――。
「私の推測が正しいのかそうでないのか、確かめるために」
――――怯えに。
☆
あの『四葉の塔』での事件において、俺は様々な相手と戦ってきた。
マリア、デレク様、黒マント、ナイジェル……彼らはいずれもそれぞれの強さを持っていた。無数の暗器でもなく、獣闘衣によるパワーでもなく、変化の魔法でもなく、竜人による邪悪な力でもない。『団結』の属性を持つ『権能』によって増幅させた魔力で身体能力を強化し、鍛えた技を以て刃を振るっている。
ノア様の強さは、それらのような分かりやすい『特徴』とは違う。
基本に忠実。シンプル故に尖った部分がない代わりに、致命的な弱みがない。
近い所でいうとデレク様だろうか。彼のようなパワーはなないが、技の冴えは上。隙も見当たらない。ましてや『魔法支配』の『権能』を持つ俺を相手にしているのから、魔法も抑えてこれだ。
(分かってはいたけど……)
閃く刃。その軌道は揺らぎ揺らめき、予測を困難にさせている。
(強い……!)
躱しきれない。なんとか、強引に、無理やりに、焔に刃を掠めることでダメージを最小限に抑える。この紅蓮の焔は『権能』の力によって生み出されたもの。これは矛であり盾でもある。全身に纏うことでいわば鎧となる。この鎧がなければ、もう何度切り刻まれていたことか分からない。
基本的な能力がとにかく高い。いつも冷静で涼しい顔をしているノア様だったが、その内には血の滲むような鍛錬の結晶を秘めていたことが伺える。
それだけじゃない。身体や魔力の使い方が抜群に上手い。
クレオメさんが使っていた技術。いや、熟練度でいえば彼女を遥かに上回る。加えて、刃の繰り出される方向は基本から外れている。こちらの裏をかくような軌道は、同じ『団結の権能』を持つクレオメさんとは違う。
クレオメさんを王道とするなら、ノア様はまさに邪道。
清濁併せ持つ恐るべき剣士。
強さというよりも厄介さ。それで言えば、この『楽園島』で戦った相手の中で最も手ごわい。
「くっ……!」
焔のカーテンをまき散らしての牽制。迫りくる無数の連撃を相手にし続ける現状をリセットするだけでなく、視界を塞ぐことも目的としたもの。ここで間髪入れずに凝縮した焔を拳に乗せ、迸る紅蓮の一閃が焔のカーテンを穿ち突き進むが――――、
「ッ!?」
狙った先にノア様の姿がない。反撃の一閃は虚しく夜の闇を貫いたのみ。
「君の焔は確かに私の視界を塞ぎましたが、それは同時に君の視界を塞ぐこともである」
声は後ろから。首が動くよりも先に全身を捻じるように半回転。迫りくる刃をかろうじて両腕の焔で受け止める。それを見越していたように刃に魔力を乗せることで生み出された斬撃が殺到。衝撃を殺しきれず俺の身体は僅かに宙を浮き、地面に叩きつけられながら転がっていく。
風の揺らぎでノア様の動きを察知できなかった。身体から発する魔力で風の流れをかき乱し、自らの動きを隠蔽したのか。
「その『焔』……見たところ魔王軍四天王、火のイストール様と風のネモイ様の力を融合させたもののようですね」
ノア様の眼は俺の内に在る何かを見透かしているような、そんな得体の知れなさを感じる。
「いわば二つの『権能』を融合させた『権能』。元々魔力の少ない君が獣闘衣に対抗できるパワーを身に着けたのも納得です。しかし……」
ノア様は地面を蹴り、弾丸の如き速度での接近を仕掛けてきた。カウンターとばかりに拳を振るうが、目の前から一瞬にして白銀の光が消失する。拳は虚空を穿つのみ。
「力押しが過ぎる」
反射的に背中へと焔を集めた直後、鋭く重い刃の一撃が背後から襲い掛かった。
「がはっ……!」
地面に叩きつけられる直前、今度は脚部に焔を集約。
「ぐっ……この……!」
強引に蹴り払うが、それすらも予見していたかのようにノア様は後方への僅かなステップで簡単に躱してみせた。
「確かにその『焔』は凄まじい力を有しています。まともにぶつかれば力負けするのは私の方でしょう。ですが……ただ闇雲に振るわれるだけの力など、脅威に値しませんよ」
さっきからそうだが、俺の攻撃が全く当たらない。対して向こうは着実にダメージを重ねている。
(この人を倒すために必要なのは力じゃない……ただの力じゃ、この人には通じない……!)
このままだとジリ貧だ。遠からず俺はノア様の刃によってこの身を引き裂かれてしまうだろう。活路を開く必要がある。
「君がこれまで歩み、培ってきたものがこの程度だとするならば……期待外れにも程がある。あまり私を失望させないでください」
たったの一歩で距離を零にされた。魔力を炸裂させることで地面を蹴る力をより大きくしている。繊細な魔力コントロールの為せる技か。
真っすぐに振り下ろされた刃を拳で受け止め、鍔競り合う。
剣に宿る白銀の煌めきは焔を断ち斬らんと徐々に食い込み始めていた。
「只の虚ろに興味はなく、夢無き骸は斬って捨てる。此処で果てるか、輝きを示すか。選びなさい。それが今の君に許された、なけなしの自由だ」
「っ……!」
肌にまとわりつく殺気は冷たく、凍てつくようで。
考えろ。どうすればこの人に勝てるのか。
勝つことが出来なければ、俺は此処で死ぬ。それだけならいい。でもこの戦いは、それだけじゃない。
死ぬわけにはいかない。俺には守らなければならない方がいる。だから……!
「ぐっ……う……! おぉおおおおおおおおおおおッ!」
強引に焔の力を引き上げ、荒れ狂う紅蓮を周囲にまき散らしていく。
負荷を無視した爆発的な火力にノア様を後退させることに成功するものの、こちらの消耗は激しい。まともなダメージを与えられたわけでもない。
自らの寿命を縮めるにも等しい行為だ。このほんの僅かな隙間に活路を見出す何かを掴むしかない。
(とはいえどうしたもんかな……最近は魔力量も増えてきたとはいえ、ここまでの戦闘で余力はそんなに残っていない。なのにこっちはボロボロで、あっちはピンピンしてるときた。このままだと……!)
じわじわと仄暗い闇に心が蝕まれていきそうになる。だから考えろ。思考を止めるな。
(俺の強みは『権能』由来で発現したと思われる『焔』……だけどこれは消耗が激しい。躱されるばかりでまともなダメージも与えられていない以上、頼り続けてもいたずらに魔力を浪費するだけだが……これがないとノア様の刃を防げない)
生半可な焔では、集約させ研ぎ澄ませた刃に防御を斬り裂かれる。
(もう一つの力。姫様から与えられた『魔法支配の権能』は相手が魔法を使ってこない以上、意味がない……クレオメさんとの模擬戦と同じ状況だ――――)
クレオメさんとの模擬戦。
頭に何かが引っかかる。
思い出せ。掴んだはずだ。あの時、俺は……何かを掴んでいた!
(そうだ。俺にはまだ、残っていた。表に出していない力……いや、『縁』が……!)
呼吸を整える。
己が鎧として機能させていた全身の焔を、解除する。
「ほう……何か見せてくれるようですね」
ノア様の反応をよそに自分の内に在るものを探っていく。
あの時、クレオメさんは言っていた。
――――紡いだ『縁』が、一人では到達しえない領域に自分を導く……こんな風に。
俺が紡いだ『縁』。
それはイストールの兄貴やネモイ姉さんだけじゃない。
ただの脆弱な人間である俺にたくさんの愛情を注いでくれた方は、他にもいる。
(レイラの姉貴……アレド兄さん……)
手繰り寄せる。絡め合わせる。
今までは無自覚にしていたけれど、こうして意識的に使おうとしているせいだろうか。
この力が何なのか……分かってきた気がした。
俺の中には、四天王の方々の持つ『権能』。その力の欠片が眠っている。あの方々と過ごすうちに紡がれた縁が、絆が。愛情と共に俺の中に刻み込まれている。
二つの力。二つの『権能』。その欠片を今、『支配』しているんだ。
(俺に力を貸してください……!)
生まれ出でるは麗しき蒼の輝き。
形状は水。
汚れなき流水を全身に纏い、新たな奇跡を顕現させる。
「失望するには些か早過ぎましたか……いいですね。好きですよ、君のそういうところは」
不敵な笑みと共に、剣を構えたノア様が駆け出してきた。
対する俺は慌てず冷静に刃を迎え撃つための構えをとる。
まずは右腕。纏いし水を形状変化。創り上げしは盾。
振り下ろされた白銀の刃は、鋼鉄に斬り付けたかのような音を奏でた。
「伝わる感触は、さながら鋼鉄の如く……ただの水ではないようですね」
続いて左腕。纏いし水を形状変化。創り上げしは剛腕。
「はぁああああああああああッ!」
一回り二回りも大きさを増した水の腕を解き放つ。
ノア様は魔力を集め、剣を防御に回すことで直撃を防いだが、その身体は大きく後ろに吹き飛んでいく。
「水属性の流動性と、土属性の構築力。なるほど……水のレイラ様と土のアレド様の『権能』を融合させた力ですか」
「ただの力じゃない。四天王の方々が俺にくれた、たくさんの愛情……想いの結晶だ!」
この隙を逃すつもりはない。更に水を形状変化。今度は背後に水の大砲を創り上げ発射。放たれた巨大な水の砲弾を、ノア様は動ずることなく斬撃を以て迎撃した。
「先ほどの腕もそうでしたが、あの『焔』に比べると見た目ほどのパワーはありませんよ?」
「パワーがなくても、出来ることはあります」
斬撃で破壊された水の砲弾が弾け、空中で液体が新たな形を構築する。あらかじめ仕組んでおいた術式が起動したことによって水は無数の矢となって、ノア様に殺到した。
「まさに変幻自在。無窮の流動……厄介ですね」
されど。舞い踊るように振るわれた剣は、的確に、己に降りかかる最小限の矢を叩き落していく。それどころかノア様は身を捻る動きを利用し、スムーズに地面を蹴った。無駄のない身体の使い方と精密な魔力コントロールによって実現させている超起動。
動きに隙が無いが故に、体感では姫様の転移魔法に匹敵する速度で距離を詰められる。
(勝負だ……!)
腕に水の盾を創り出し、ノア様の刃を真正面から受け止める。
「ぐっ……!」
脚が沈む。下がる。魔力を集約させた剣の出力は想像以上に重く、徐々に圧倒されていく。
「その水の盾。いつまでもちますか?」
見抜かれている。俺の残り魔力がもう、限界を迎えつつあることに。
それにさっき指摘された通りこの『水』の力は『焔』に比べるとパワーで劣る。『団結』の『権能』によって強化されたノア様の剣をいつまでも受け止められはしないだろう。
「いつまでも付き合う気はありませんよ……!」
刹那。俺の意思に従い……足元から大量の水が吹きあがり、迸った。
「……! これは――――!?」
そのまま大量の水は俺とノア様を覆い、飲み込んでいく。形成されていく水のドームに、俺たち二人を強引に閉じ込める。
「ぐっ……!」
ノア様の動きが鈍る。刃の勢いも衰える。ここは今や水中にも等しい環境となっている。
いかに身体の使い方、魔力の使い方に恐ろしく長けているノア様とはいえ、いきなり水中に引きずり込まれては普段通りのパフォーマンスは難しいはずだ。
だが、今の俺は違う。水の力を纏う今、水中という環境は俺に制約を与えない。
呼吸も出来る。動きも軽い。
右腕に水の魔力をかき集め、集約させ、高速回転させる。不足しているパワーを少しでも補う為の、一点集中型の一撃を準備する。
もう魔力がない。これを逃せば勝機はない。だから、
「これでッ……! 倒れろぉおおおおおおおおおおおおおッ!」
最後の力を振り絞った一撃がノア様へと繰り出され、そして――――、