第42話 燃え盛る紅蓮、煌めく白銀
デートをしてからというもの、姫様がいつもの姫様に戻ってきたように感じる。
彼女が胸の内に抱えている『何か』。その正体を未だ掴めていないけれど、それでも前のような笑顔が戻ってきてくれたのは喜ばしいことだ。
デレク様が残していった資料にも手早く目を通し、残りの仕事もすぐさま片付けていく。まるで姫様とは思えない働きっぷりだ。優秀な方なのでやる気さえだしてくれれば百人分ぐらいの働きをされる。いつもこうだったら俺も口酸っぱく言わなくてもいいんだけどなぁ。
「溜まってた書類は今ので最後?」
「はい。お疲れ様でした」
がんばった姫様に一息ついてもらおうと、淹れたての紅茶とケーキをお出しする。
「ありがと。明日のスケジュールを教えてもらっていい?」
「午前から午後にかけて魔法学院。放課後はローラ様と共に森林区の視察、その後はシルヴェスター王を交えた島主会議が入っております。加えて、『楽園島』魔道具研究開発室からの監修依頼が三件入っています」
「分かったわ。必要な資料をまとめておいてくれるかしら?」
「承知しました」
やり取りを済ませると、姫様はふっと身体の力を抜いて執務用の机からソファーに移り、温かい紅茶に口をつけた。
「……リオン」
姫様が何を言いたいのか言葉にしなくとも理解した。彼女はソファーに腰かける際、隣にもう一人分のスペースを空けて座っている。つまりそれは隣に座ってほしいということ。
今はもう、恋人として甘えたいという合図。
「分かってますよ」
苦笑交じりに恋人の頼みを聞き入れ、彼女の隣に腰かける。
あのデートがきっかけなのか姫様は手を繋ぎたがるようになった。言葉には出さないが、自分から手を近づけて指を絡めようとしてくる。無言でそれに応じると、姫様は満足そうに、幸せそうに顔を綻ばせて……それがまた、随分とカワイイ。
「わたし……手を繋ぐの、好きみたい」
姫様はどちらかというと自分から引っ張っていくタイプだ。俺はそれに振り回されてばかりだし、それは今も変わっていない。だけど、姫様がこうして恋人として甘えてくるようになったのは、ささやかだけどとても大きく幸せな変化だ。
「どうしてですか?」
「んー……一緒にいる感じが強くなるから、かもしれないわ」
委ね切ったような表情。肩に寄り掛かってくる微かな重み。
生まれてからほとんどの時間を姫様と一緒に過ごしてきて、彼女のこんな姿は初めて見る。恋人になってからの彼女は、俺の知らない色々な顔を見せてくれる。
(その度にこっちはドキドキしてるなんて……姫様、分かってるのかな)
心臓の鼓動を聞かれていても不思議じゃない。それぐらい近い距離にいる。委ねてもらっているのだから。
一緒に隣同士に座って特に何をするわけでもなく、ただ同じ時間を過ごす。
とても平凡だけど、俺にとってはとても特別な時間……だけど姫様にとっては、俺以上に特別な時間になっているらしい。まるで今と言う時間を噛み締めるようで、慈しむようで。
「……姫様」
大丈夫ですよ、と言おうとしたのかもしれない。今となっては分からない。
開きかけた口は言葉を紡ぐことをせず。代わりに、しんとした部屋に軽いノックの音が響き渡った。姫様は名残惜しむように手を離し、立ち上がる。
「入っていいわよ、マリア」
「失礼します」
気配からノック音の主を感じ取っていたらしい。姫様の言葉に応じるかのように扉が開き、マリアが部屋の中に楚々とした所作で入ってきた。
「客人です。アリシア様とお会いになりたいと申しておりますが……いかがいたしましょう?」
「会うのは別に構わないけど……一体誰かしら?」
「ノア様です。どうも急ぎの要件があるとかで」
「……ノアが?」
姫様はノア様のことを苦手としているところがある。なので、てっきり苦々しい顔をするかと思ったのだが、意外にも普通に反応している。
「…………そう……分かったわ。客間に案内して頂戴」
「それが……外の方がいいとかで、お庭の方でお待ちになられています」
☆
時間帯は既に夜に入っており、周囲は暗闇に包まれている。その中で一人、庭で佇みながら夜空を眺めるノア様の姿があった。その表情は見えなかったものの俺と姫様、そしてマリアが近づいたことを感じ取ったのか、ノア様は振り向くと歓迎するように微笑んだ。
「すみませんね。夜分遅くに押しかけてしまって」
「構わないわ。急ぎの用事なんでしょ。それに……わたしからも確かめたいことがあったし」
「ほう。貴方が私に確かめたいことがあると。それは実に興味深いですが……まずはこちらの用事を済ませて頂いてもよろしいですか?」
「勿論よ。先に訪ねてきたのはそっちだし」
「感謝します」
瞬間――――白刃が、姫様の首元に向けて放たれた。
風の流れから予兆を感じ取っていた俺の身体は反射的に動いた。全身に焔を纏い、加速し、腕に纏った焔で……最愛の人に向けて解き放たれた白刃を防ぎきる。
時間にしてはほんの数秒にも満たない。瞬きの間に起きた出来事。
だけど確かに、確実に、確然に。
――――ノア様は剣を抜き、姫様の首を断ち斬ろうとしていた。
「どういうことですか、ノア様……!」
信じたくない事実だけが俺の目の前に在り、どうか否定してほしい。今のは何かの間違いだと告げて欲しいと思うよりも先に……俺の中には、怒りの焔が燃え滾っていた。
「私は剣を抜いた。君はそれを止めた。ただそれだけのことですよ」
「……説明する気は、なにもないと」
「説明すれば、君は最愛の人を差し出してくれるのですか?」
「っ…………! ノア様……!」
強引に刃を弾き、そのまま全身に焔を漲らせ、拳を放つ。
燃え盛る焔が視界を埋め尽くし、ノア様の身体を大きく後ろに後退させた。
「君は甘い。甘ったるい。こちらがとろけてしまうほど。君のそんなところが、私は好きですが……今この場においては、叱りつけたい気分ですよ」
風の流れ。風の乱れ。新たな気配。
感知した時には既に遅く、白銀の閃光が夜の闇を引き裂いた。警戒していたマリアすらもすり抜けて、新たに参じた刃は姫様の喉元に突きつけられる。
「アリシア様…………!」
「主の身を案じるなら、その場から動かぬことです。……隠し持つ刃も押しとどめておきなさい」
「っ…………!」
暗器による不意打ちで剣を取り上げようとしていたであろうマリアは、己が狙いを看破され動きを止める。
「クレオメさん!? 貴方まで、どうして……!」
「…………」
クレオメさんは俺の問いかけに一切答えず、ただ淡々と姫様の喉元に刃を突き付けている。
今のスピードは、『団結』属性によって強化した魔力を脚部に集約させ、一瞬の加速力に全てをつぎ込んだからこそ実現したもの。俺やマリアが反応するよりも早く、手の届かぬ速度でターゲットへの到達を果たした。いや、正確にはこちらを混乱させることで反応を落としたというべきか。どちらにせよノア様の掌の上。
「まあ、そう怖い顔をしないでください。君も人質がいた方が、やる気が出るでしょう?」
「……狙いは俺だったんですか」
「ええ。君を殺すこと。それがシルヴェスター王直々のご命令です。とはいえ……ただ殺すだけでは芸がないでしょう? 君には持ちうる力全てを引き出してもらう。私はそれを全て蹂躙する。そういう遊戯にした方が、面白いではないですか」
これまでノア様とは何度も接してきた。接する機会は多かった。
治安部長として。人間界代表の王族として。だけど今、目の前にいるのは……そのどれでもない。ニコニコとした笑顔と共に冷たい殺気を漂わせた、まるで別人だ。
「姫様に刃を向けたのも、その遊戯の一環だと?」
「勿論です。アリシア姫を狙えば、君も本気になるでしょう?」
「……ならさっきの一撃は。もし俺が止められなかったら、貴方はどうしていたんですか」
「その時はただ、アリシア姫の首が転がっていただけのこと。そうならなくて私も安堵していますよ」
「っ…………!」
ノア様は全身に白銀の輝きを纏う。高まる魔力は『団結』の属性を持つ『権能』によるものだろう。
理由は定かではない。それでも、戦うしかない。
「では、始めましょうか?」
夜空の下、白銀が煌めく。
明確なる戦意。敵意。殺意。
否定したかった。拒絶したかった。だけど違うと、全身が告げている。
この人は、敵なのだと。
「――――リオン。わたしのリオン」
戸惑いと混乱の狭間を縫うように、その声は俺の耳に、心に届いた。
「ねぇ、何をそんなに慌てているの? マリアも、そんな険しい表情、しないで?」
「あ、アリシア様……!? いや、状況が状況ですし……」
「せっかくの美人さんが台無しよ?」
「あぁん。美人だなんてそんな……」
「おいコラ変態メイド! 今そんなトコに反応してる場合じゃないだろ! 姫様、ご自分の状況本当に分かってます!?」
「分かってるわよ。あなたがわたしを助けてくれるのよね?」
刃を突き付けられておきながら。
「たったそれだけじゃない。だからね、リオン……わたしのリオン」
堂々と佇みながら……信頼しきったように、委ね切ったように――――笑っていた。
「あの気取った面を、思いっきりぶっ飛ばしてやりなさい」
彼女がやっていることは俺に命を委ねることに等しい。それは恋人としての信頼であり、魔界の姫としての信頼でもあることが伝わってきた。裏切ることなどありえない。命に代えても応えたいと、心が叫んでいる。
「……それが、あなたの望みなら」
心が躍る。焔が滾る。
目の前の『敵』を見据える。集中する。研ぎ澄ます。
対するノア様は隙の無い構えを見せながら佇み、魔力を集中させていた。
「為すべきことを見つけましたか?」
「はい……姫様が教えてくれました」
身体から余計な力が抜けたような気がして、兄貴たちとの特訓で染み込んだ構えが自然と零れた。
「ノア様。俺は、貴方を倒します」
「リオン君。私は、君を殺します」
相対する拳と刃。
燃え盛る紅蓮。煌めく白銀。
夜の闇を引き裂く二つの光は横たわる静寂を突き破り、激突した。
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