第40話 リオンの勘、デートのお誘い
この『楽園島』は四人の『島主』が管理している。それは四人全員が全域を管理しているのではなく、大まかに島を四つの区域に分け、それぞれの担当箇所を管理している。島の各所には種族ごとに配慮した環境が構築されているので、管理するには種族ごとに分けた方が何かと効率が良いということも関係している。とはいえ最近は、その管理体制を一部変更したことで仕事内容にも変化が起きている。
学院生活と島主の両立。普通は少年少女に任せるには荷が重いのだろうが、こなせてしまうのが王族だ。正確には、こなせるように教育を受けるというのが正しいか。島の祭りの件にしても、姫様も『島主』としての仕事もこなしながら学院での治安部として動いていたのだから恐れ入る。
魔導船から屋敷に戻ってきた姫様は、今も机の上に山積みにされている書類の束を高速で片付けている。中には『楽園島』に存在している研究機関から助言を求められており、それも島主の仕事のついでにこなしてしまっている。
ただ、
「姫様、何かありました?」
「……どうしてそう思ったの?」
「勘です」
サラッと言ってのけると姫様は一瞬虚を突かれたような表情を見せたあと、苦笑した。姫様のお株を奪う形になったが、勘は勘だ。仕方がない。
「以前から何か様子がおかしかったようですが、魔導船から戻ってきてから更に拍車がかかっています。……正直、これ以上は放っておけません」
自然と、姫様と見つめ合う形になった。いつもならここでどことなく甘い雰囲気になるのだけれど、今は違う。
「俺は、姫様にはいつも笑顔でいて欲しいと思っています。それが難しい時でも、せめて何があったのか教えてほしいです」
今の俺に出来ることは、気持ちを伝えるだけ。逆に言えばそれしか出来ない。それがもどかしく、歯がゆく。
「…………俺が頼りにならないことは分かっています。それでも俺は、姫様の力になりたいんです。護衛としてだけじゃなくて……あなたの恋人としても」
数秒か数十秒か、はたまた数分か。見つめ合って、どれほどの時間が経ったのか分からない。そんな沈黙の後、姫様はゆっくりと口を開く。
「あなたが頼りにならないなんて、そんなこと思ってないわ。ただ……わたしが弱いだけなの。わたしが弱くて、ずるくて……たまにそんな自分の弱さが、嫌になる。それだけなの」
そう言って、姫様は視線を逸らした。まるで何かから逃げるように。
まただ。前もこうして、何かを隠していた。
――――あの時は……取られたくないから、こうして抱きしめたいって思ってたけど。でも、リオンが選ぶ決断は……尊重してあげたいって思ってるから。だから、せめてそれまでの間だけでも……。
結局、クレオメさんとの戦いでは姫様に関する何かは掴むことが出来なかった。
だとすれば。俺が出来ることは。
「…………姫様」
逃がさない。
彼女の頬を手で添える。逃げられないように。見つめ合うこと以外許さないように。
「俺を見てください」
「り、リオン?」
お祭りの後、星空の下……二人だけで踊ったあの時間。
あの時の姫様と同じ言葉を、今度は俺が姫様にかける番だった。
「今だけでいいです……俺だけを見ていてください」
俺の突然の行動に驚いたのだろう。これまでにないぐらいに動揺している気がする。仕掛けるなら……勢いのままに動くなら、まさしく今だ。
「姫様」
「は、はい……」
呼吸を整え。勇気を出して。
「俺と……デートに行きましょう!」
☆
その日、アリシアの屋敷を一人の男が訪ねていた。
獣人族の王族、デレク・ギャロウェイ。
先日の『四葉の塔』事件においてローラと共に模造邪竜の討伐に尽力したことから、妖精族側にも一目置かれるようになった。とはいえまだ見えない溝は深いと感じていることから、王族としての責務に取り組みつつもどうにかして妖精族全体との和解の道はないか模索する日々を送っている。
アリシアとノアもその道を応援しておくれており、担当区域の管理を他の王族と共同で行うという新たな試みもこの二人が協力してくれたことで実現した。今日はその簡単な報告を兼ねて屋敷を訪問したというわけなのだが、出てきたのはアリシアの護衛であるリオンではなく、
「おや……デレク様」
「……む。ま、マリアさんか」
気持ちを整える前に、一目惚れした相手がいきなり現れた。デレクにとっていささか不意打ちを喰らった気分だが、ここで崩れてしまっては王族の名折れ。なんとか動揺を抑え込んだ。
「一体どうされたんですか? 今日は特に訪問の予定は入っていなかったと記憶しておりますが」
「……用事があって、『偶然』近くを通りかかってな……こちら側で作成した、共同視察の資料を共有しに来た」
偶然の部分を強調し、あくまでもここには用事のついでに来たことを念押ししておく。
実際はマリアに会うことが出来ればという下心がなければわざわざここまで来ない。
「偶然近くを通りかかったというのに、アリシア様に共有する資料が手元にあったんですか? それは幸運でしたね」
「そ、そうだな……オレも、そう思う」
己の詰めの甘さに恥ずかしくなった。とりあえず、口実としての要件に軌道を変える。
「……今日は、アリシア姫は留守か?」
「リオン様とデートに出かけておられます」
「そうか…………ん?」
マリアの言葉に思わず頷きそうになったものの、デレクはすぐに顔を上げる。
「で、デート?」
「はい。デートでございます」
「そ、そうか……」
予想外の理由につい動揺を漏らしてしまった。いや、予想出来ない理由というわけでもなかった。そもそもリオンとアリシアは恋人同士。休日はデートをしていてもおかしくはない。デレクが動揺した理由は、マリアの口から「デート」という言葉が出てきたことによるものだ。
「タイミングが悪かったようだな……今日は失礼させてもらおう」
「お待ちください」
マリアに引き留められては、歩みを止めない理由はない。
「時間があるのでしたらどうぞあがっていってください」
「……いいのか? アリシア姫の許可は」
「デレク様が来た時はお茶の一つでも出してもてなすよう、アリシア様から言われておりますので」
「……それなら……お言葉に、甘えさせて頂こう」
断る理由はない。表面上は涼しい顔をしているが、内心では緊張爆発状態である。
アリシアに自分の行動が読まれていることに苦い顔をしながらも、そのお節介に感謝することにした。客間に案内され、ソファーに座って待っているとマリアが丁寧な所作でお茶と小皿に乗ったケーキを出してくれた。
「どうぞ」
「……感謝する」
既に口実の書類はマリアに渡してしまった。特にすることもなく、ましてや話題も特にない。今のデレクに出来ることは、ただ出されたお茶に手をつけ、ケーキを口に運ぶことぐらいであった。一目惚れした相手と同じ空間にいられることは喜ばしいが、こういう時に口下手な自分を恨めしく思うデレク。
おそらくローラ辺りならばケーキを喜んで、それはもう美味しそうに頬張っていたであろうが、生憎とそんなキャラではないことは本人が一番よく分かっている。せめてもう少し、愛想よく出来ないものかと頭を悩ませていると、対面のソファーにマリアが座った。
「申し訳ありません。目障りでしたら、すぐに席を外しますので」
「い、いや、オレは構わない。そこにいてくれていい」
慌てて否定し、そこでふと気づく。
「……もしや、アリシア姫から?」
「はい。『一緒にお茶でもして、のんびりお喋りしてあげて』とのことでしたので」
どうやらデレクが口下手なことも愛想がないことも、そしてこの沈黙が支配するだけの状況になる事はアリシアもあらかじめ予測していたらしい。丁寧すぎるほどのアシストに苦笑いせざるを得ない。アリシアも恋する乙女……否、恋を成就させた乙女であるので、同じ恋心を持つ者には優しいらしい。
「そうか……彼女には色々と気を遣わせてしまったようだな。いや、流石というべきか」
「デレク様をも唸らせるアリシア様……ああ、素敵でございます」
マリアの瞳はキラキラと輝き、ここにはいない己の主に対して向けられる。そのことにますます苦い顔をしつつも、緊張がほぐれたことを感じた。
「……アリシア姫は、リオン君とデートに行っているんだったな。今頃、こうしてお茶でもしているのだろうか」
緊張がほぐれたとはいえ話題に困っている状況は変わらない。せっかくなので、話の種に二人を使わせてもらった。
「そうかもしれませんね。リオン様によると、今日はお二人で甘い物を食べに行くとのことでしたので。アリシア様を楽しませようと色々とお調べになったようです」
「ふむ…………」
どうやらリオンは恋愛ごとに対して敏い方ではないらしい……ということにデレクが気づいたのは、つい最近だ。そんなリオンでさえプランを練ってアリシアをデートに誘ったのだ。彼の行動にどことなくデレクも勇気を貰った……ような気がした。
はしたないと分かっていながらも、改めて込み上げてきた緊張を無理やり抑えるために、カップの中に残っている紅茶を胃に流し込んだ。
「マリアさん……その、貴方がよければなんだが」
「はい?」
こてん、と首を傾げるマリア。その愛くるしい姿に心奪われつつも、デレクは己の勇気を振り絞る。
「今度、共に甘い物を食べに行かないか」
「私と、ですか……? それは構いませんが……なぜ急に?」
「それは…………」
細かい口実、もとい理由までは考えていなかった。己の詰めの甘さをここでも発揮してしまい頭を抱えそうになるが、動揺を顔には出さないように努める。
「…………今日は、アリシア姫とリオン君二人だけで、甘い物を食べに行っているのだろう? だったら……君も、食べるべきだ。その方が、いいと思う。疲れも取れるだろうし」
咄嗟のことだったせいか、それともアドリブ力がないせいか。やがて王となる身としては不安になる欠点を自覚しつつも、なんとか言いきれたことに、デレクは内心で自分を褒めた。
返事がくるまでの時間はデレクにとってあまりにも長く、心臓の鼓動が激しく胸を打っているのを感じた。獣人界での修業時代、アクシデントで護衛と離れ、周囲を魔物に囲まれ単独で夜明けまで戦い抜いた時ですら、これほどの緊張はしなかった。
断られた時に備えて心の準備をしておくべきか……そんな情けないことを考え始めた直後、
「ありがとうございます。私でよろしければ、お供させて頂きますね」
今なら邪竜の大軍も一人で何とかできるかもしれない。デレクはマリアに見えないところで、小さく拳を握った。