第36話 人間界の王、見せつける姫様
王族専用魔導船は、その威光をしらしめるかのように堂々と港に停泊していた。
周りは、有名な『団結の騎士団』の面々を一目見ようと集まった生徒達で賑わっている。
「あれは、魔導船ですか。確か風の力を必要とせず、魔力で動き海を進む……限られた数しか配備されていないと聞いています。王族専用船に採用されるならば頷ける話ですね……これを見れただけでも、今日はここに来てよかったです」
魔導船も一種の魔道具。数々の暗器を操るマリアからすれば、興味を惹きつけるにたる代物だったのだろう。
「ねぇ、リオン。あれって、そんなに珍しいものなの? 魔王城に来ればいつでも見れるものだけど」
「姫様は知らなかったかもしれませんが、実は珍しいものだったんですよ」
「そうだったの……解体したり改良したり、オモチャにしてたから気づかなかったわ」
「アレド兄さんが苦い顔をしてた時点で気づいてほしかったです」
まずあの船を一人で解体してしまう時点で姫様がおかしいのだが、そこは触れずにおこう。
「魔導船を……解体、ですか……」
マリアが凄く複雑そうな顔をしている。武器マニアのこいつからしたら色々と思うところがあるのだろう。
「ま、そのうち魔界に帰ることもあるだろうし、その時は存分に見学していくといいわ。楽しみにしていなさい」
「はい。その時を心待ちにしております」
武器マニアな一面をのぞかせたマリアは、姫様に笑いかけた後に真剣なまなざしで魔導船を観察し始めた。……珍しくマトモだな。いつもならここで……いや、よそう。こいつだって成長しているし、学習もしているんだろう。むしろ俺も、そろそろコイツに対する偏見を棄てる時なのかもしれない。
「…………潮風にあたりながら椅子になるというのも……いいかもしれませんね」
ぼそっと聞こえてきた言葉は無視するものとする。
「……っ」
ほんの僅かではあるが、空気の流れが乱れた。……人の動きではありえない、どことなく荒々しい獣のような乱れ方……魔界で覚えがある。楽園島に来る前に戦った、暴走したコカトリスと同じ感覚だ。
「姫様、何か来ます!」
そんな俺の嫌な予感を示すかのように、咆哮が響き渡る。
俺は咄嗟に聞こえてきた咆哮から姫様を護るように立ちはだかり、その『何か』に備える。隣では同じくマリアも服の隙間から取り出したであろう暗器を構えて姫様のガードを固めていた。
次の瞬間、海が蠢き、水柱がぶち上がった。咄嗟に姫様を庇いつつ、脅威と思われる方向に視線を向ける。そこに姿を現したのは――――深海にすら耐えうる強靭な鱗を纏う、無数の海竜。一体や二体どころではない。ざっと見たところ数十体の海竜が、この港を取り囲んでいた。
周囲の生徒達は慄き、港から避難しようと一斉に走り出す。理解できる行動だが、俺にとっては不都合だ。人混みが急激に動き出したせいで、流されそうになり動きが制限される。それはつまり、姫様を護りにくくなるということだ。
「姫様!」
この状況を想定していないわけではない。俺は迷いもなく姫様の身体をこの手で抱き寄せる。最も避けたいのは姫様とはぐれてしまうこと。それを避けるための行動をとるのがこの状況における正解の一つだろう。幸いにして、この場にはマリアがいる。彼女の暗器ならば柔軟に敵の攻撃に対応できるはずだ。俺は姫様を離さないことに専念していればいい。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
咆哮と共に、海竜の一体が口から巨大な水の魔力の塊を吐き出した。
マリアが暗器の一つであろうクナイを放ち、結界を構築するが――――結界に触れる前に、水の塊が消滅した。
「今のは…………」
俺が視線を向けたのは、王族専用魔導船。
その甲板に現れた、『団結』の権能を与えられし精鋭たちの魔力。
「もしかして、あれが?」
マリアの問いに、俺は静かに頷いた。
「……『団結の騎士団』だ」
ここからでは姿を見ることは出来ないが、魔力だけは感じ取ることが出来る。だから分かる。彼らの魔力がいかに膨大であるか。そして、一人だけ別格の魔力を持つ者がいるということ。……なぜかは分からないが、俺はその別格の魔力にどことなく惹きつけられる。
「……リオン。わたしのリオン」
姫様の声で我に返り、気づく。周囲の人だかりはすでに緩和されており、そうなってもなお、俺は姫様の身体を強く抱きしめたままだったということに。
「す、すみません姫様っ!」
「気にしないで。むしろ嬉しかったもの。こんなにも強く抱きしめてもらうなんて……ちょっと、ドキッてしちゃった」
嬉しそうに微笑む姫様。逆に俺の方がドキッとしてしまいそうになるが、今は非常時だ。
「…………リオン」
魔導船に目を向けた姫様が、ポツリと呟く。
「気になるなら、あの船に乗り込んでみましょう」
彼女の言葉は、まるで俺が魔力に惹かれていることを見透かしたようなものだった。
「わたしはここの島主なんだもの。あの海竜たちの相手をする必要もあるでしょうし……あの騎士団と合流して連携をとった方が、効率がいいでしょ?」
「…………分かりました」
それっぽい理屈までつけてくれる姫様に甘えて、マリアと視線を交わす。
「承知しました。私もお供いたします」
意思を統一とした俺たちは魔導船を一気に駆け上がり、甲板に到着する。まるで俺たちを歓迎するかのように容易く駆け上ることが出来た。
そんな俺たちの先にいるのは、白銀の魔力を纏いし聖なる騎士たち。
彼らは無数の海竜を前に臆することもないまま、冷静に敵と相対している。
そんな彼らの中に一人、別格の魔力を持つ者が一人。
年齢は四十代前半といったところだろうか。黒い髪に鋭い眼光。高貴かつ荘厳な雰囲気を漂わせた、一人の男。この人だ。なぜか惹きつけられてしまう、質の違う魔力の持ち主は。
「……ッ!」
海竜たちが一斉に咆哮をあげ、一度に膨大な魔力を秘めた水の塊を構築する。
(あんなものを一斉に撃ち込まれれば、港が吹き飛ぶぞ……!)
傍で姫様が魔力を練り上げるのを感じた。おそらく『空間支配』の『権能』によってこの場を制圧しようというのだろう。
「――――討ち落とせ」
姫様が動き出すより早く、黒髪の男が告げる。騎士団が一斉に行動を開始した。
それぞれが『団結』の権能によって増幅された魔力を解放し、巨大なエネルギーの刃を構築。それを斬撃として、一斉に解き放った。水の塊は全て斬撃によって霧散したかと思うと、その時には既に騎士たちは動き出し、全ての海竜に飛び掛かっていた。
流れるように強化魔法をかけられ、更には魔法攻撃による援護も始まる。すべてが一致し、噛み合ったタイミングで為された連携攻撃は見事に海竜たちを開幕から圧倒していた。その隙に後方に待機していた騎士たちが発動に時間を要する高位魔法の準備に入っている。
「……っ。凄まじいですね。これほど強大な魔力の使い手が集まれば、いくら訓練されているとはいえ多少なりとも綻びや波が生まれるものですが……そういったものを一切感じません。『完璧』という言葉がこれほど嵌る集団があるとは……」
「同感だ。俺もこうして生で見るのは初めてだけど……敵には回したくないってのが率直な感想だ」
恐ろしいまでに統率された嵐。圧倒的な攻撃力が完全に制御されている。数の暴力とはまさに彼らのことを指すのだろう。
攻撃も防御も兼ね備えた集団。
最後に高位魔法による広範囲攻撃によってとどめを刺し、ものの数分もしないうちに海竜を全滅させてしまったことを確認すると、黒髪の男は何事もなかったかのように俺たちの方に振り向いた。
「待たせてしまったな。客人に対し、背を向けたままであったことを詫びよう……魔界の姫。アリシア・アークライト」
「いいえ。こちらこそ、勝手に船に乗り込むようなご無礼をお許しください……シルヴェスター・ハイランド王」
姫様は優雅に一礼してみせた。それに対し、シルヴェスター王は微かに首を横に振る。
「構わんさ。一体だけでも街を消し飛ばしかねない海竜共の群れが、突如としてこの港に現れたのだ。君は『権能』を授かった王族……この島の主の一人でもある。迎撃のため、我らとの連携を試みるのは正しい判断といえる。何より、君の『権能』を発動するために敵を一望するには、この甲板が最も適していただろうからな」
そしてシルヴェスター王は、俺に視線を向ける。途端に、どこか居心地が悪くなってきた。というのも、彼の視線はなぜか俺のことをじっくりと観察するようなものに感じたからだ。
「君は…………」
「も、申し遅れました。姫様の護衛を務めさせていただいております。リオンという者です」
「そうか。君が…………」
「…………?」
な、なんだろう。この沈黙。どことなく、気まずい。姫様も姫様で何も言わないし……いや、むしろこれは……。
「…………『四葉の塔』の一件は既に報告を受けている。君の活躍には、いつか礼を述べねばと思っていた」
「自分はただ、すべきことをしただけですので……礼を述べられるようなことなど」
「何を言う。君たちは敵の企みを暴き、『楽園島』の平和を護った。当然のことだ」
「――――シルヴェスター王」
不意に、姫様の声がシルヴェスター王の言葉を遮った。
「ご歓談は、脅威を完全に退けてからにいたしましょう……どうやら、悪足掻きが始まるようです」
次の瞬間、海に巨大な水柱がぶち上がった。
「――――オオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
中から現れたのは、先ほどまでの海竜より一回りも大きく、全身の鱗が漆黒に染まった海竜だった。さながら邪竜の海竜版とでもいうべきか。
「なんだアレは? 見慣れぬ個体だな」
「……不自然な海竜の大量発生に、この邪竜に似た個体。おそらくは先日の祭りの際に現れた『敵』が仕向けたものでしょう」
「成程な……であれば、ここは我が威光を示さねばなるまい。この『楽園島』は……種族間で築き上げた平和は、決して崩させぬとな」
「それには及びません」
姫様の視線を感じた俺は、それを合図として既に飛び出していた。
「――――あの程度の敵ならば、わたしのリオンが片付けますから」
焔を纏わせた拳を、漆黒の海竜の頭部にへと一気に叩き込む。
水の力を有しているであろう鱗は、紅蓮の焔によって焼き尽くされ、灰となっていく。
そのまま力尽きたのだろう。漆黒の海竜は、燃え尽きたように倒れこんだ。
空中でそれを見届けた後、俺は自分の手をじっと見つめる。
(……『四葉の塔』での一件以来、少しずつだけどパワーが上がってる)
姫様の期待に応えられたことに嬉しく思いながら、自分の力が少しずつでもついていることに喜びを感じる。
……問題は、ここからどうするかだが。現在俺は海に落下している最中である。残念ながら俺は空を飛ぶことが出来ないのでどうしたものかと考えていると、急に身体が後ろに引っ張られていく。為すがままにされていると、途中で身体の向きが変わり、甲板の上で両手を広げて俺を迎えようとしている姫様の姿が視界に入ってきた。どうやら、彼女の『権能』による空間操作……重力を操ったことによって、空中で自由落下している俺をここまで引っ張ってきてくれたらしい。
「わぶっ」
姫様の胸に飛び込む形となった俺は、彼女に優しく抱きしめられた。
「ん。おかえりなさい、リオン……わたしのリオン」
「た、ただいま戻りました。姫様」
俺を抱きしめてくる姫様だが、心なしかいつもより力が強い。
しかも、既に俺は甲板に着地しているというのに離してくれない。
「あのー……姫様? そ、そろそろ離して頂けると…………し、シルヴェスター王も見てますし」
「いいのよ。むしろ……見せつけてるんだから」