第34話 水の来訪者、小さな伝言
二人だけの密かな思い出作りを終えた俺と姫様は名残惜しさがありつつも、屋敷に戻った。帰り道は姫様が差し出してきた手をとり、俺たちは手を繋ぎながら歩いた。少しでもこの時間が続けばいいと願いながら。
「着いちゃったわね」
「そう、ですね」
なんだろう。別に着いたからといって離ればなれになるわけでもない。なんなら同じ屋根の下で一緒に暮らしているのに。今から姫様の手を離してしまうことが惜しくてたまらない。とはいえ、手を離さないわけにはいかないのもまた事実だ。
「ふふっ。嬉しいわ。リオンがこうして、手を離すのを惜しんでくれて。お付き合いする前のリオンなら、『ダメですよ姫様』なんて言いながら離してたもの」
「そ、そんなことありませんよ!……たぶん」
「いいのよ。かわいいリオン。わたしは今、あなたとこうしているだけでとても幸せだから。でも……そうね。ほんのちょっとだけ贅沢を言うのなら、今度は手を繋ぐのも、キスも。あなたの方からしてくれると、嬉しいわ」
からかい交じりの笑みと共に、耳元で囁いてくる姫様。
くすぐったく、甘く。それでいて俺は、自分が少し情けなくなってきた。
思えば婚約者になってからというのも、アクションはだいたい姫様の方からとっている。キスにしたって、俺からしたことは一度もない。全部姫様からだ。……ああやってちょっと強引に引き寄せてくるのもそれはそれで姫様らしくて俺は好きだ…………なんて思っている場合ではない。
このまま姫様に頼り切りというわけにもいかない。俺の方からするぐらいの気概は持っておかなければ。…………とはいえ。とはいえ、だ。意気込んではみたものの、俺の中では未だに遠慮のようなものがあるのかもしれない。何しろ相手は魔界のお姫様。やがては魔王になるお方。そんなお方とこうしてお付き合いさせて頂いている状況と言うのがまず奇跡といっても過言ではなく、それでいて俺のような人間が彼女に触れてもいいのだろうかという考えも働いてしまう。だから彼女からの分かりやすいお許しに甘えてしまう。
でも……このままじゃいけない。彼女に甘えっぱなしなのは嫌だ。
「が、頑張りますっ!」
決意表明をかねてぐっと拳を握ると、姫様はくすっと笑ってくれた。
そのことにちょっとだけ安堵しながら、名残惜しくも手を離し、屋敷の扉を開ける。
先に屋敷に戻ったマリアが既に色々と支度をしてくれているはず――――、
「リ――――オ――――ン――――!」
華やかな香りのする何者かが、顔に直撃した。反射的に構えようとしたが、それが見知った人と知り思わずされるがままになってしまう。
「れ、レイラ姉貴⁉」
「そうよ、リオン! アタシよ、レイラよ! ちょっと見ない間に逞しくなっちゃんじゃない⁉ あー、カワイイー! なんてカワイイのかしら! ていうか寂しかった! アタシ、チョー寂しかったんだから! 『四葉の塔』の事件の時って、そんなに話せる時間がなかったじゃない⁉ 今日だって色々あってゆっくりお話しすることも出来なかったし、リオンが帰ってくるのをずっとずーっと待ってたんだから!」
俺のことを抱きしめながら心配のお言葉をかけてくれるレイラ姉貴。
あまりの勢いに戸惑ってしまうものの、こうして真っすぐな愛情を向けてきてくれるこのお方がいたからこそ、魔界での生活に寂しさを覚えることもなかった。
「お帰りなさいませ、アリシア様。リオン様」
「ただいま、マリア。遅くなってごめんなさいね」
「お気になさらず。レイラ様が色々なお話をしてくださってたので、退屈はしませんでした」
「どんなお話だったの?」
「ざっくりまとめますと、『リオンが可愛くてアタシがヤバい』とのことです」
「ああ、いつものね」
マリアからの報告を聞き、姫様は手慣れた様子で肩をすくめる。
確かに魔界だと毎日がこんな調子だった気がする……。
「そうだレイラ。知り合いに貴方のファンがいるから、後でサイン貰えるかしら」
「構いませんよ~。それより……リオン~。今日はアタシと一緒に寝ましょうね~」
「いや、レイラ姉貴。流石にそれは」
「あら~。なぁに? 恥ずかしがってるの? ちょっと前まで一緒に寝てたじゃない」
「それはもっと小さな頃の話で…………」
「アタシからすれば、今でも可愛いリオンなんだから。ふふっ。楽しみね~」
……くっ。ダメだ。レイラ姉貴の、この嬉しそうな表情…………。こ、断り切れない。
「ふぅ~ん? リオン。あなた、レイラとは一緒に寝るの。わたしとは寝てくれないのに?」
姫様からの視線が冷たい……。
口には出していないのに心を読まれたかのようだ。姫様の勘の良さがここにきて俺に牙を剥いている。
かと思うと、姫様はレイラ姉貴から引きはがすように俺の腕をとり、抱き寄せる。
「……レイラ。もう聞いているでしょ。リオンはわたしの婚約者になったんだから」
「ええ、聞いてますよ。いやー、ホントおめでとうございます! あの時はもう四天王の皆でこっそりお祝いしてたんですから」
そんなことしてたの⁉
「ありがと」
「いえいえ。嬉しいのはアタシたちも同じですから」
「だったら分かるでしょ? リオンはわたしと寝るのよ」
「いっそのこと三人一緒はどうですか?」
「だめ。リオンはわたしのなんだから」
当事者である俺を放置してどんどん話が進んでいく……。
「魔界のアイドルをここまでデレデレにして、あまつさえ甘やかされるとは……リオン様。ファンの方々に八つ裂きにされないようにご注意ください」
「怖いこと言うなよ……」
「ではここで一つ豆知識。ローラ様の風魔法は、分厚い鉄板を二秒とかからず細切れにすることが出来るそうです」
「お前なんで今その豆知識を披露した⁉」
「特に他意はありません。ああ、これもまた特に他意はありませんが、レイラ様のサインは、明日の朝一でローラ様に取りに来て頂きましょうか?」
「俺に八つ裂きになれと⁉」
「特に他意は……フフッ……ありませんとも」
コイツ、面白がってやがる……!
☆
「で、レイラ。貴方、一体何しに来たのよ」
レイラ姉貴を客間に案内した後、姫様は対面のソファーに腰かける。不機嫌そうにしながらも、その顔は既に何かを掴んでいることが俺には分かった。
「……まさか、ただお祭りでライブをするためだけに、島に来たってわけじゃないでしょう?」
「あ、やっぱ分かっちゃいます?」
「当然よ。でも、理由は知らないわ」
「言ってませんから」
「言わなくても当ててみせましょう。そうね……人間界の王様が、楽園島に来るんじゃないのかしら」
「…………相変わらず、おっそろしい勘ですねぇ……ちなみに、どうして分かったんですか?」
「魔界の姫にして島主の一人であるわたしにも秘密にしてるということは、それだけ大物に関わる何か。わたしたちより上といえば自然とどこかの種族の王様に関することに限られるわ。で、仮にお父様のことだとしたらまずわたしに連絡がいくはず。けどそれがないってことは、残りは人間族、獣人族、妖精族の三つ。『四葉の塔』の件のことを考えると、獣人族と妖精族側が今の時期に楽園島を訪れることは考えにくい。とすれば、残りは人間族側の王様に絞られるもの」
「お見事です。流石は姫様ですね」
「世辞はいらないわ」
「…………?」
あれ。なんだろ……。
今、姫様の顔がほんの一瞬、強張ったような。……気のせいだろうか?
俺が首を傾げていると、姉貴は苦笑しつつ、ティーカップをテーブルの上に置いた。
魔界のアイドルとしてのものではなく、魔王軍四天王としての顔つきを浮かべる。
「姫様の仰る通り。明日、人間界の王がこの楽園島を訪問することになっています。この情報は人間界側の島主……ノア・ハイランドとその護衛にのみ伝わっています。『四葉の塔』の一件もあってこのことはギリギリまで伏せておくことになっていました。アタシがお祭りのライブに参加したのも、人間界の王族の警護という本来の目的をカモフラージュするためです」
「で、わたしたちに情報を直に伝える役割を貴方が担っているというわけね。確かに、魔王軍四天王なら途中で誰かに捕まることもないだろうし、伝達役としてはうってつけね」
「伝える前に、姫様に当てられちゃいましたけど。ああ、それと獣人族側と妖精族側には、今日のライブの合間にお伝えしておきました。……いきなり目の前で倒れられた時には、どーしよーかと思いましたけどね。ローラ様って、面白い方なんですねぇ」
姫様と俺は思わず顔を見合わせ、「あのお姫様は……」と二人そろってため息をつく。
「……まあ、とりあえず人間族の王様の件は分かったわ。それで、その王様が島に来たら、わたしたちは何をすればいいのかしら? おもてなしなら、ノアがやるだろうし」
人間界の王様がいくら秘密裏に移動しようが、到着してしまえば隠しきれるものではない。何しろ『団結』の権能を持つ人間界の王には『アレ』もついてくるはずだ。『アレ』は嫌でも目立つ。
「『普段通りにしていてほしい』とのことです」
レイラ姉貴の伝言に、俺は思わず目を丸くする。
「…………あの、レイラ姉貴。それだけ、ですか?」
「ええ。それだけよ。アタシにもサッパリなんだけど」
どうやら何かを隠しているわけでも何でもなく、本当にそれだけらしい。
「………………………………」
頭の中にハテナマークを浮かべている俺をよそに、姫様は何かを考え込んでいる。
この伝言に姫様は何か心当たりでもあるのだろうか。
「姫様?」
「ん……なんでもないわ。大丈夫よ、リオン」
考え事を中断し、笑顔を見せてくれる姫様。だけどその笑顔は、いつもと比べるとどこかぎこちない。ここは何か話をして流しておくか。
「でも、急な話ですね。今の時期、いきなり楽園島に来るだなんて」
「……今の時期だからこそ、かもしれないわよ。『四葉の塔』の一件は、『楽園島』を揺るがすには十分だったわ。偽物とはいえ、邪竜だって現れたんだもの。だからこそ、王の威光を外の敵に対して知らしめる必要があるのよ。そのためには、あの人間族の王様の『権能』と『アレ』は派手で目立って分かりやすいし」
と、姫様は俺に説明してくれた後、
「…………もしかすると、それだってただの口実かもしれないけど」
俺には知りえない『何か』を抱えたその一言が、やけに耳に残った。