第3話 お姫様は手繋ぎデートがしたい
物心ついた時から、リオンはわたしの……アリシア・アークライトの隣にいた。
わたしの生まれた日に魔界で拾われた、人間の男の子。
彼と一緒にいることが当たり前になっていたし、それが普通だった。
わたしの隣には常にリオンがいたし、リオンの隣には常にわたしがいた。
魔王であるお父様がもっとも信頼する部下たち、魔王軍四天王の役に立つために、リオンは努力していた。残念ながら彼は生まれつき体に宿る魔力の量は、人間基準でも多いとは言えない。ましてや魔王軍の一員として所属するには絶望的だ。
だからなのかは分からないけど、彼はひたすらに努力していた。
必死になってがんばって、四天王のみんなの役に立つんだと息巻いて、努力していた。
毎日ボロボロになるまで鍛錬や勉学に勤しんでいて。
魔族という、生まれながらにして人間とは能力差のある者たちに追いつきたくて、必死になっていた。わたしの目にはいつも必死にがんばるリオンの姿が映っていた。そのせいかもしれないけれど、種族を問わず言い寄ってくる男の子たちには見向きもしなかった。
だって、すぐ傍に誰よりもかっこいい男の子がいたんだから仕方がない。
自然とリオンのことを目で追うようになったし、気がつけばわたしの心の中には彼がいた。一番決定的だったのは、五歳の時に起きた事件だ。
たまたま旅行で訪れていた人間界で、わたしは迷子になってしまった。
わたしは空間を操る魔法に長けた才能を持っていて、今でこそ転移魔法を得意としているけれど、幼少の頃はその力をうまく扱うことができていなかった。無意識のうちに短距離転移魔法が発動してしまい、よく迷子になっていた。人間界で迷子になったのは、そのせいだ。
暗い森で一人、怖い思いをしていたのを今でもよく覚えているし、リオンが探し出してくれたこともよく覚えている。
あの時、お姫様抱っこをしてもらったわたしは彼に聞いた。
「どうして……わたしがここにいるってわかったの?」
「勘です。まあ、普段から姫様に振り回されていますからね。なんとなーくわかるんです」
そう言って、リオンは笑った。
「あなたがどこにいたって、絶対に見つけ出してみせますよ」
それはリオンにとって何でもない言葉だったんだと思う。
でもわたしにとっては忘れられない言葉で……だから、あの時だったんだと思う。
彼への気持ちを自覚したのは。
「…………そう、なのね」
とくん、とくんという心地良い胸の鼓動を感じながら、当時のわたしはこう言った。
「なら……絶対に、何があっても――――リオンが、わたしのことを見つけてね」
「はい。どこにいようと、必ず見つけてみせますよ」
それがわたしの、大切な思い出。
☆
――――楽園島。
それが魔界、人間界、獣人界、妖精界の狭間の海域に浮かぶ島の名前だ。
あらゆる種族が分け隔てなく暮らすことのできる楽園を生み出す目的で創られた島であり、創立には魔王軍四天王の皆さんも関わっていると聞いている。
俺の任務は、島主となった姫様を護衛すること。
魔界にいた頃も姫様の護衛は俺の任務の一つだったので、いつもと変わらないといえば変わらない。
島主となった姫様がこれから新しく住むのは、代々魔界側の『島主』が利用してきたお屋敷だ。
荷物も運びこみ、島主として関わっていく者たちにもあらかた挨拶を済ませたその翌日。真新しいベッドの上で、俺は気配を感じて目が覚めた。
窓の傍で椅子に座りながら優雅に読書をしている少女がいる。
穏やかな表情をしていて、窓の隙間から入ってくる風に金色の美しい髪が揺れていた。
「…………姫様?」
「あら、おはよう。目が覚めたのね」
「…………なんで俺の部屋にいるんです?」
「目が覚めたんだけど、暇だったから本を読むことにしたの」
「それはいいんですけど、だからなぜ俺の部屋に?」
「あと、あなたの寝顔を眺めているのも楽しいかなーって思ったの」
「そっちが本音じゃないですよね?」
俺がため息をつくと、姫様は嬉しそうに微笑んだ。
この人の気まぐれは今に始まったことじゃないし、それに振り回されるのも今更だ。……まあ、姫様の気まぐれは嫌じゃないし、むしろどこか嬉しいと思っている俺がいる。
「俺、一応あなたの護衛として来ているからあんまり好き勝手にフラフラされると困るんですよ」
「大丈夫よ。この部屋には転移魔法で移動してきたから。わたしは一歩たりとも外に出ていないわ」
「またホイホイとそんな超高等魔法を使って」
ちなみにだが、転移魔法というものは誰でも簡単に使えるものではない。
世界トップクラスの実力者である四天王の方々でようやく使えるレベルだ。
しかし、姫様だけは特別だ。彼女は空間を操る魔法を得意としている。今みたいな転移魔法なんて彼女の得意技だ。これは姫様の持つ特別な才能の一つと言っていいだろう。
幼少の頃はこの力をまだイマイチ制御できなくて迷子になったこともあり、色んな所に無意識のうちに短距離転移していた(そのたびに俺が探しに行ったわけだが)。今はもうそんなことは起こらないが、懐かしいな。
「島に来ても姫様は姫様ですねぇ」
親元から離れた場所で新しい生活を始めるとなれば彼女も多少は寂しがったり落ち着くかと思ったが、そんなことはなかったようだ。俺がこうして姫様の気まぐれに振り回される日々も、まだまだ続きそうだ。
「不安とかないんですか。魔王城と違って、ここには四天王の方々もおりませんし」
「一人だったら不安だったかもしれないけれど、リオンがいるじゃない」
「そりゃそうですけど……まあ、こう言っちゃなんですが、魔王軍四天王の方々のほうがよっぽど頼りになるでしょう?」
「力がどうとかじゃないの。わたしはあなたが傍に居てくれるだけで嬉しいの」
くすっと優しい笑みを漏らす姫様。時たま、彼女は俺にはよく分からないことを言う。だけどそこを深く突っ込むつもりはない。どうせはぐらかされるに決まっているのだから。
「せっかくだし、お散歩に行きましょう」
「……今日は朝から来客が一件あったはずですが」
「約束の時間までまだ全然余裕があるじゃない。朝の空気も素敵だし、楽しまないのは勿体ないわ」
姫様の言う通り、時間帯的にはまだ早朝だ。ゆっくりと散歩をする余裕があるにはある。
「分かりました。俺としても、周辺の地形や構造も再確認できてありがたいですしね」
頷くと、姫様はやや残念そうにため息をついた。
「…………そういうことじゃないのだけれど……まあ、今はそれで構わないわ」
姫様に促され、屋敷を出ると、眼前に飛び込んでくるのは街を一望できる景色と外に広がる海の青。屋敷そのものは高い場所にあるためこうして綺麗な景色をいつでも眺めることができるのは役得というものだろう。
「んー。気持ちいいわ。たまには早起きも良いものね」
「毎日これぐらいの時間に起きてくださると、俺としても助かるんですけどね。いつも研究ばかりで夜更かしされていると、体に毒ですよ」
「だって、夢中になってしまうものは仕方がないじゃない。好奇心を抑えておけるほど、わたしは理知的でもなければ大人でもないわ」
ああ言えばこう言うとはまさにこのことだ。あまり小うるさくすると拗ねてしまうので、この辺りで止めておくとしよう。
俺が小言を止めると、姫様は機嫌よく前に踏み出した。そんな彼女の背中を追いかけるようにして、俺たちは街へと降りる。石畳の上をステップを踏むかのように優雅な足取りを魅せる姫様は、周囲をゆったりと眺めている。
「ふふっ。こうして二人きりで歩いていると、デートみたいね。リオンもそう思わない?」
「まさか。恐れ多いですよ。俺のような矮小な存在が、姫様のような高貴かつ壮大なお方とデートなど」
「むー。リオン、あなたのそーいうところが、わたしは嫌いよ」
「き、きらっ……!?」
いきなり頭をぶん殴られた気分だ。事実ちょっとだけ頭がクラクラする。
姫様に『嫌い』と言われるのは、どんな魔法よりも強力な一撃だ。
「…………嫌いっていうのは、嘘だけど……」
「そ、そうですか」
ぷくっと頬を膨らませながら訂正した姫様。俺はひそかにホッとする。よ、よかった……嫌われていなくて。……ここは話題を変えるとしよう。
「と、ところで姫様。この街のご感想はいかがですか」
「ん。いい街ね、ここ」
「どうしてそう思われたのですか?」
「生命が住んでるって感じがするわ。空気も魔力も澄んでいて綺麗……住んでいる人たちの思いが籠ってる。きっと、この街はとても大切にされているのね」
俺にはよく分からない感覚だが、それはきっと、とても素敵なコトなのだろう。
きっと……姫様の眼には、この街が、この世界が輝いて見えているのだ。
それは魔王様譲りの感覚の鋭さが為せるものでもある。
「それより……。ねぇ、リオン」
「はい。なんでしょう?」
「あの、ね……? あなたがよければ、なんだけど」
珍しく姫様にしては歯切れが悪い。たいてい、何かを切り出そうとしている時に姫様はこうなるのだが……。
「わたしと…………手を、繋いでくれる?」
「手を? 別に構いませんが……」
「ほ、ホント?」
頷くと、姫様がぱっと嬉しそうな表情を浮かべている。
「え、ええ。というか姫様、やけに嬉しそうにしてますが……どうしました?」
「ちょっと、この島について調べた時に知ったんだけど――――」
(…………ん?)
ほんの微かだが、魔力の乱れを感じる……いや、魔力だけじゃない。周辺の空気も震えているのか? 何かが起ころうとしている。ネモイ姉さんからよく風や空気の流れを察知する感覚は仕込まれたからな。この感覚は信じていい。いつ、何が起きてもいいように感覚を研ぎ澄ませ。
「この先の、噴水のある広場って、よく……こ、恋人たちが手を繋いで過ごす場所らしくて――――」
…………来る!
「ッ! 姫様!」
反射的に姫様の前に出る。次の瞬間、魔力で構成された風の塊が飛び出してきた。その軌道は姫様への直撃コース。それを黙って見ていることなど当然せず、俺は咄嗟に腰から剣を引き抜いて風の魔法を叩き斬る。両断された風は儚い魔力の欠片となって霧散した。
「ご無事ですか?」
「…………助かったわ。ありがと、リオン。それにしても、今のは風の魔法かしら? でもなんでこんなところで……というか、どうして今のタイミングで…………もうちょっとだったのに…………」
無事を確認してホッとしていると、姫様は一人悔し気な表情を見せながらブツブツと何かを呟いている。
俺はその間に軌道を辿って、魔法が飛び出してきた方向に視線を向ける。
そこにあったのは、中央に清純な彫刻が施された噴水のある広場だ。
透き通った水を流している噴水の目の前で、俺たちと同じぐらいの年頃の少年少女の小さな集団が二つ。互いに睨みあっている。
各集団にはそれぞれ一人ずつ、中心的な人物であろう者がいる。
片方は獣人族の男性だ。武骨ながらも野性的な相貌。ライオンの獣耳と尻尾が生えている。身長は百八十センチ程だろうか。筋肉のついた、ガッシリとした体格。身に着けている魔法学院の制服の上からでも、相当な鍛錬を積んでいることが分かる。
彼は集団よりも数歩前に立っており、背後でしりもちをついている獣人の男子学生を庇うかのように佇んでいる。腕からは魔力を強引に叩きつけたかのような痕跡が残っているのを見るに、風の魔法を肉体で弾き飛ばしたのだろうか。
もう片方は、エルフ族の女性だ。白い肌と、姫様とは対照的な長い銀色の髪。どことなく気品のある雰囲気をまとっており、整った顔立ちをしている。まさに美女といったところだろうか。身体には獣人の男子学生と同じく魔法学院の制服を身に着けている。
彼女もまた集団よりも数歩前に立っており、地面にしりもちをついたかのように倒れている女子生徒を庇うように佇んでいる。手からは魔力の残り香を感じる。さっきの風の魔法は、彼女が飛ばしたものだろう。
両方とも、資料で目にしたことがある。
獣人側の『島主』、デレク・ギャロウェイ。
妖精側の『島主』、ローラ・スウィフト。
「状況を推測すると…………ローラ様が放った風の魔法を、デレク様が弾き飛ばして、こっちに飛んできたって感じですかね」
とりあえず敵意はない、が。危ないにもほどがある。というかもうちょっとで姫様に当たるところだった。いくら『島主』とはいえ、とうてい看過出来ることではない。抗議の一つぐらいは入れておかないと。
「姫様。俺、ちょっとアイツらに一言あるんで…………」
と、姫様の方を向いたところで、肝心の本人がいないことに気づく。
「ねぇ、ちょっと」
かと思えば、あの二つの集団の前に堂々と佇んでいる。どうやら短距離転移を使ったらしい。問題は、姫様が明らかにご立腹な様子である点だ。間違いなくあれは文句の一つや二つを言うつもりだ。
「あー、もうっ! またあの人は……!」
俺はガシガシと頭を掻きながら、急いで護衛対象の元へと駆け出した。