第24話 少年は塔を駆け上がる
塔の中は薄暗く、静けさに満ちていた。奥には上に続いている階段が見えている。
この『楽園島』に来てからノア様の依頼を受けて以降、ひとまず俺と姫様は『四葉の塔』の解放を目指してきた。遂にその『ひとまずの目的』が果たされたわけだが、
「ふむ。あまりにもアッサリとしていたせいでしょうか。あまり感慨深くはなりませんね」
さながら俺の率直な意見を代弁したかのようなノア様の一言に、思わず苦笑する。きっとこの場に姫様がいたとしたら、同じようなことを言っていただろうから。
「ですがそれで正解のようです。……感慨に浸る暇など、与えてはくれないようですから」
マリアが発した言葉のすぐあと。俺たちが入ってきた扉は独りでに閉まり、鍵がかかった。いかにも閉じ込めましたといった感じだ。
更に周囲の空間が歪み始めた。先程まで冷たい石に覆われていた空間が、瞬く間に観客のいない闘技場に早変わりする。
「空間の制御……なるほど。アリシア姫を攫い、黒マントの男を牢から解放した何者かがこの塔にいる確率はより高くなりましたね」
やはり姫様は塔のどこかにいる。その確信に近い事実を得られただけでも十分だ。
だが問題はここから。まさか周囲の空間を変換し、拡張しただけで終わりではないだろう。
「おや。どうやら向こうは私たちを歓迎してくれているようですよ」
ノア様が視線を向けた先。地面から魔力が蠢き、全身を土で構成された人形が幾つも地面から湧き出てきた。
「ゴーレム……魔法で作り出した人形ですか。素材や術式によって性能が左右されるものですが、その点で言うと実に素晴らしいゴーレムたちです。上質な魔力を元に高価な素材が惜しげもなく投入されています。よほど私たちを先に行かせたくないらしいですね」
生み出されるゴーレムたちはあっという間にこの闘技場のような異空間を埋め尽くしていき、気がつけば俺たちは完全に包囲されていた。禍々しい光に覆われたゴーレムたちは、強靭な土の躰を以て威嚇するように俺たちを睨みつけてくる。
「呑気に仰っているようですが、つまるところそのようなゴーレムに包囲されている現状は、かなり不味いのでは?」
短剣を構えながら言うマリアに、ノア様はくつくつと笑う。
「仰る通り。しかし、同時にこれは希望でもあります。この先にアリシア姫がいる可能性は、今や確信に限りなく近いものとなりました。よってここは、手分けしていきましょう」
言うや否やノア様は腰から剣を引き抜くと、一閃。
まさに目にもとまらぬという速度で振るわれた剣から魔力の刃が奔り、ゴーレムの包囲網にいともたやすく穴を空けた。いや、こじ開けたというべきか。
膨大にして苛烈な魔力の刃はゴーレムが持つ強靭な躰を喰らい、蹂躙した。
「リオンくんとマリアさんは先に行ってください。この場は私が引き受けます」
「ノア様……さすがにこの数を一人で相手するのは無茶です」
「リオン様の仰る通り。わざわざ相手をしなくとも、三人で強引に上の階に上がればよいだけのこと。私も加勢いたします」
拳を構え、マリアと共に加勢しようとしたが、俺たちの動きをノア様の手が制した。
「アリシア姫が姿を消してから既に一日以上が経過しています。彼女がそう簡単に倒れるとは思っていませんが……どうであれ急いだ方が良いことは確かです。それに、仮にここで強引に進んでも、最悪の場合背後からゴーレムの軍団に挟み撃ちにされる可能性があります。よってこの場は、君たちが先に行き、私がこのゴーレムの軍勢を駆逐するのが得策といえるでしょう」
それに、と。ノア様は言葉を付け加えながら剣を振るう。
白銀の魔力が煌めき、刃が躍る。
周囲で蠢くゴーレムたちが有象無象の如く切り刻まれ、爆ぜていく。
「この程度のゴーレムなど、私にとってはさしたる脅威でもありません。それに、たまには先輩らしいことをさせてください」
言いながら微笑んでくれたノア様に、俺とマリアは静かに頷いた。
「必ず姫様を助け出します」
「君たちがアリシア姫と共に戻ってくるのを、私も楽しみに待っていますよ」
これ以上の言葉はいらない。俺たちはノア様の切り拓いてくれた道を駆け抜け、奥にある階段を使って上の階層に急いだ。
☆
「さて…………」
リオンとマリアを見送った後、ノアは周囲に展開されているゴーレムの軍勢に目を向ける。どうやらこの空間には特別な術式を張り巡らせているらしい。破壊した傍から新たなゴーレムが精製されていく。それらのゴーレムは階段に向けて迷いなく歩みを進めており、どうやら侵入者をどこまでも追いかけていくように命令が組み込まれているようだ。
しかし、それを許すつもりはない。
刃を振るい、リオンたちが駆け上がった階段に向かうゴーレムを片っ端から斬り裂いていく。
「申し訳ありませんが、通行止めです」
磨き上げ、鍛え上げた剣技と魔力。その前には目の前で展開されるゴーレムの装甲など紙にも等しい。触れることさえ許さないとばかりに蹴散らしている内に、ノアはこの空間に張り巡らせている術式の変動に気づく。
「――――『脅威判定』『完了』……『危険度』『最大』『危険』『危険』『危険』」
「…………おや」
新たに精製されたゴーレムは、周囲のゴーレムたちよりも明らかに性能が違う。人間に近いフォルムを有しており、内蔵されている術式も魔力も段違いだ。
相当なリソースが使用されていることが一目で分かるとなると、このゴーレム軍団の司令塔のような役割を果たしているのだろう。
「――――『リミッター』『解放』……『出力』『最大』……『排除』『行動』『を』『開始』『します』」
どうやらこのフロアは侵入者のレベルを測り、それに応じて性能を変化させる仕組みを持っていたらしい。ノアはその中でも最も高いレベルの脅威であると判断されたらしく、周囲のゴーレムたちの魔力も爆発的に増大していく。
しかし、
「張り切っているところ申し訳ありませんが、蹂躙させていただきましょう」
今のノアにとって、このゴーレムたちなど敵ではない。
彼の胸には今、熱い焔が燃え盛っている。この背の先には、護るべき者がいる。必ず護りたいと心から願う者がいるのだから。
「先輩として……いや、」
思わず笑みが零れる。きっとリオンは知らない。今は、それでいいと思っている。
ノアがここに立つ理由は、刃を振るう一番の理由は、
「奇跡的に出会えた、可愛い弟を護るためです。此処から先へは通しませんよ」
☆
音で分かる。下の階で戦闘が始まった。
ノア様の実力が相当なものであることは分かるが、不安が完全に消えるわけではない。
あのゴーレム軍団の戦力は未知数なのだから。
だがここで引き返してしまえばそれこそノア様の気持ちを無駄にすることになる。
今の俺たちに出来るのは、一刻も早く姫様を助け出すことだ。
「…………!」
マリアと共に階段を駆け上がっていると、またもや周囲の空間が歪み始める。
次の階層に辿り着くと、今度は緑が生い茂る森が広がっていた。下の階層とは違いゴーレム軍団が大量に現れる……なんてことにはなっていないが、この静けさが逆に怪しい。
「リオン様、あれを!」
マリアが指した先に、一人の少女が木にもたれかかるように倒れているのが見えた。
長い金色の髪に学院の制服に身を包んだ少女。
「アリシア様……! よかった、ご無事だったんですね……!」
ほっとしたような声を漏らし、マリアが気を失っている姫様のもとへと駆け寄っていく。
俺も同じようにするべきなのだろうが、直感とも呼ぶべき何かが足を止めた。
「――――ッ! 違う! マリア、止まれ!」
微弱な風の流れがそのアクションを俺に知らせてくれた。俺の声に反応したらしい姫様は、懐から取り出した刃をマリアに向けて振るう。その時には既に俺は地面を蹴っており、マリアを押しのけ、殺意に彩られた刃に焔を纏わせた拳を叩きつけた。
間違いない。コイツは、
「黒マント……!」
「フッ……その名で呼ばれるのも些か飽きてきたな」
「ッ……! 姫様の顔で、ペラペラ喋るんじゃねぇッ!」
怒りと共に焔を滾らせる。紅蓮の輝きが黒マントの身体を炙り、焼いていく。
姫様の姿をした化けの皮が瞬く間に溶けていく。俺はそのまま強引に拳を押し出し、刃ごと黒マントの身体を吹き飛ばした。が、空中で軽やかに体勢を整えた黒マントは、何事もなく地面に着地してのけた。
「しかし驚いたな。どうやって見破った?」
「さあな。なんとなく、姫様じゃないって思っただけだ」
「…………また直感か。まったく、そんなふざけた理屈で二度も見破られるとは腹立たしい」
「腹立たしいのは俺の方だ。よくも姫様に化けてくれやがったな。……ぶちのめしてやる」
怒りと共に焔を増大させ、体に纏う。
拳を握り、地を蹴ろうとした瞬間――――無数の短剣が、黒マントめがけて襲い掛かった。
黒マントは急な襲撃に対して咄嗟ながらも対応する。凄まじい反応速度を以て横っ飛びに全ての短剣を躱した。だが、まるでそれを予見していたかのように射出された鎖が黒マントの腕を捉え、巻き付くことで身動きを封じた。
「ッ……マリア」
「リオン様。貴方はここで立ち止まっている場合ではありません。その怒りも力に変え、今は先に進むべきです。この黒マントがいるということは、アリシア様が近くにいるはずですから」
黒マントを睨みつけるマリアの手には、暗器の一つであろう鎖が握られていた。先程の短剣もマリアが投げつけたものなのだろう。黒マントを的確に誘導し、狙いを的中させ拘束してのけたその技量は、数々の戦闘を積んできたことを感じさせる。
「ここは私にお任せを。……ご安心ください。アリシア様に化けられて腹が立っているのは私も同じ。この不届き者は、代わりに私がぶちのめしておきますので」
「…………分かった。任せたぞ!」
ここで留まるのは無粋だ。俺はマリアの言葉に頷き、森の奥へと走り出した。
「させると思うか?」
黒マントは脚から魔力と術式を解放する。地面から急成長した巨大な植物の蔦が迸り、俺に向かって襲い掛かった。その直後、マリアの暗器であろう棘付きの鉄球が、瞬く間に蔦を蹂躙していく。抉り取られた植物の蔦は、魔力の欠片となって砕け散った。
「――――させると思いますか?」
凛とした、頼もしい声を背中に受けて。
俺は森の中を突っ切り、上の階層に繋がる階段を見つけて駆け上がった。