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第23話 空虚な少年は立ち上がる

 自室に戻ったアリシアはベッドに入ってもあまり眠ることが出来ず、いけないことだとは思いつつも机に向かって考え事に耽っていた。世界に対する感覚の鋭いアリシアは、この学院に来てからある違和感を抱いていた。それがあと少しというところで形に出来ず、こうして睡眠を阻害する。

 そうして考え事に耽っている最中だった。

 空間を支配する権能を持つアリシアは、数舜早く空間の歪を感知する。

 黒マントの男がローラに化けて姿を現したのと同じように、空間の一部が割れていく。

 中からは有無を言わさぬ速度で黒い影のようなものが噴き出し、アリシアの体を捉えんと向かってくる。


(この屋敷に強制的に介入できるレベルの空間干渉系の魔法……!)


 屋敷には様々な防衛用の高度な魔法や結界が幾重にも張り巡らされている。もちろん、空間系への対策もあるのだが、おそらく敵が発動させているであろうこの空間干渉系の魔法はその高度な魔法をも上回る力を有しているということだ。

 だが、同時にこの屋敷はアリシアの領域でもある。屋敷の術式リソースを利用し、自身を引きずり込もうとしている先の空間を強引に解析する。


(ああ、やっぱりそういうこと…………!)


 アリシアは咄嗟に机の中に収めていた『鍵』を掴み、そして――――、


 ☆


 俺が異変に気付いたのは、今朝になってからだ。

 屋敷の中から姫様の気配が消えていた。部屋に入ってみると、そこに姫様の姿はなかった。


「姫様……?」


 背筋を冷たいものが駆け抜けた。

 最悪の想像だけが際限なく膨らみ続けていく。

 急いで居間に向かう。そこではマリアが朝食の準備を整えていた。


「おはようございますリオン様。……顔が青いですが、どうかされましたか?」


「マリア。お前、姫様を見なかったか」


「いえ……そういえば、今日はまだ姿を見せていませんね」


「…………ッ! くそっ!」


「リオン様!?」


 嫌な予感を抱きながら屋敷を飛び出し、急いで学院まで走った。

 教室にも、講堂にも、庭園にも、どこにも――――姫様の姿が見当たらない。どこにもいない。俺が護ると誓ったお方が。

 不安に締め付けられそうになりながら俺はひたすら学院の中を駆け回り、今度は治安部の本部へと転がり込んだ。そこには書類仕事をしているノア様がいて、彼は俺の存在に気づくと顔を上げた。


「おやリオンくん。どうしましたか、こんな朝早く」


「はぁ、はぁ……あの、ノア様…………姫様を見かけませんでしたか?」


「アリシア姫ですか? いや……今日はまだ姿を見ていませんが」


「そう、ですか……」


 治安部の本部にもいない。

 学院に来るまでの道中、街にもあの広場にも姫様の姿は見当たらなかった。

 デレク様の屋敷を除けば、この島に来てから姫様と一緒に回ったところはこれで全部だ。


「すみません……お邪魔しました」


 それから俺はデレク様の屋敷にも向かってみたが、結局何の成果も得られなかった。念のためにローラ様の屋敷もダメ元で尋ねてみたが、やはりいない。


「どこだ……どこにいるんですか、姫様……!」


 焦りが募り、時間だけが経っていく。

 気がつけば辺りは夜になっていた。俺の足は自然と屋敷に向かっていた。心の中ではありえないと思いつつも、いつものように悪戯っ子のような表情で姫様が出迎えてくれることを願っていた。


 ――――お帰りなさい、リオン。ふふっ。ちょっと驚かせてみたかったんだけど、その様子なら大成功みたいね?


 屋敷に入った途端、そんなことを言いながら姫様が出迎えてくれる……ことはなかった。やはりそこには姫様の姿なんてどこにもなく、ただ主のいない空っぽの屋敷だけがあった。


「リオン様、おかえりなさいませ。……アリシア様は…………」


「いや……探し回ったけど…………」


 力無く首を横に振る。マリアはそれだけで察したのだろう。目を伏せて、ポケットから二つの鍵を取り出した。


「これが姫様の部屋の床に落ちていました」


 一つは獅子の意匠が施された金色の鍵。もう一つは妖精の意匠が施された銀色の鍵。

 姫様が集めた二つの鍵だ。あの姫様が、この鍵を無造作に床に落とすような管理をするだろうか。ありえない。だとすれば、


「…………落とした、のか?」


 この冷たい二つの鍵は、もはや逃れようのない現実を俺に突きつけてくる。


「リオン様……もしかすると、アリシア様は…………」


「何者かに、攫われた…………」


 結論は自然と言葉として滑り落ちた。

 ああ、やっぱりそうだ。

 俺は護ることが出来なかった。姫様を――――大切な人を、護ることができなかったのだ。


 ☆


 姫様の姿が消えてから一日が経ち、あらためて部屋を調べてみたが痕跡らしいものは何も見つからなかった。

 治安部の人たちも捜索を手伝ってくれたが、一向に手がかりは見つからない。更に、『楽園島』を防衛している騎士たちから連絡が入った。捉えていた『黒マント』が牢獄から抜け出したというのだ。鍵を開けられたり侵入者が入ったような痕跡は一切なく、忽然と牢から消えたらしい。状況は姫様とまったく同じだった。


 つまり――――姫様は、『黒マント』の依頼主の手によって攫われた可能性が高い。

 最初に俺たちの前に姿を現した時、『黒マント』はマジックアイテムによる空間転移を行っていた。つまり相手は空間転移を可能にするだけの技術を持っている。牢屋から『黒マント』を助け出し、姫様を屋敷から攫ったのもおそらくソレを用いたのだろう。


 だが、それだけだ。こちらからは肝心の居場所が掴めない。


 俺は当てもなくフラフラと街を彷徨っていた。当然、姫様が見つかるわけがない。

 どうすればいいのか分からない自分に苛立ちが募る。糸口を見つけ出すことも、解決のための方向性を見出すことも出来ない自分が情けなかった。


「ここは…………」


 噴水のある広場。この島に来たばかりの頃。姫様と一緒に散歩をして、ここでデレク様とローラ様の諍いを目撃した。


 ――――それより……。ねぇ、リオン。

 ――――あの、ね……? あなたがよければ、なんだけど。

 ――――わたしと…………手を、繋いでくれる?


 あの時は結局、ローラ様の魔法が飛んできたから手を繋ぐことは出来なかった。

 今もそうだ。姫様の手を掴んであげることができなかった。


「こんなことなら……手ぐらい繋いでおけばよかった」


 何も掴めていない掌を見つめていると、ポツリ、と雫が落ちた。

 いつの間にか空を雨雲が覆いつくしていたらしい。あっという間に無数の雨粒が降り注ぎ、身体を濡らしていく。


「ちくしょう…………」


 悔しい。むざむざ連れ去られてしまったこともそうだが、居場所が掴めないまま、手をこまねいていることしか出来ない自分が何よりも悔しい。


「きっと姫様なら……こんな状況でも、どうにかしちゃうんだろうなぁ……」


 その姫様はここにはいない。俺が護り切れなかったからだ。

 心の中を無理やり抉り取られたかのような痛みが全身を支配して、体がこれ以上動いてくれない。前に進んでくれない。姫様を探すために少しでも足掻かなければならないのに。


「……情けない。姫様がいなくちゃ何にも出来ないのか、俺は」


 この島に来てからもずっとそうだ。

 兄貴たちから任務を受けたのに、方針や作戦は全て姫様が考えてくれて、姫様が俺を引っ張ってくれていた。

 俺が自分から行動したことといえば、デレク様と戦ったことだけ。それにしたって、姫様がデレク様との話し合いの場を設けなければ実現することもなかった。

 俺はずっと姫様に甘えていた。そして、彼女のいなくなってしまった自分がいかに無力で空っぽの存在であるのかを思い知らされる。


 考えたことがなかった。

 姫様が俺の傍からいなくなるなんて。手の届かない場所にいなくなってしまうなんて。

 だからだろうか。こんなにも、身を引き裂かれるような思いをしているのは。


「風邪をひきますよ」


 頭上の雨が遮られた。傍に現れた人が、傘をさしてくれたらしい。


「ノア様…………」


「君にとってアリシア姫がどれほど大きな存在だったのか。今の君を見れば、それがよく分かりますね」


「…………姫様の居場所、何か手がかりは」


 縋るような俺の質問に対して、ノア様は静かに首を横に振った。


「残念ながら何も。治安部の部下たちも懸命に捜索はしてくれているのですが、未だ何一つ手がかりを掴めていません」


「そうですか…………」


 雨音がやけに大きく聞こえてくる。視界の全てが灰色で、世界から一切の色が消えうせてしまったかのような気さえしてきた。

 そんな中、ノア様はただ黙って傘をさしてくれていた。自分の肩が濡れてしまっていることなど、一切意に介さずに。


「…………気づかされました。俺は、姫様がいなければなにもできない……空っぽの、役に立たない人間だって」


 口から零れた言葉は、ただの甘えだ。でも今の俺はなぜか、ノア様に対して甘えたくなってしまった。そんな俺を叱ることも軽蔑することもせず、ノア様はただ黙って俺の言葉に耳を傾けてくれていた。


「こんなにも……こんなにも悔しいのに。何もできないんです、俺。どうすればいいのか分からない。どうやって姫様を探せばいいのか分からない。姫様を取り戻すための手立てが何一つ浮かばない……情けないですよ。こんな役立たず、親から捨てられて当然だ」


 頬を雫が伝う。これは雨じゃない。俺の瞳から零れ落ちた、涙だと分かった。

 一度流れ出せば、もう止まらなかった。ボロボロと涙が溢れてくる。


「リオンくん」


 そんな俺の涙を、ノア様の指が拭った。


「大切な人のために涙を流すことが出来るあなたを、四天王の方々は誇りに思うでしょう。それは君の中に優しさが育まれている証であり、君が虚ろの存在ではないという何よりの証拠です」


 ノア様の顔はとても穏やかで、優しくて。

 まるですべてを包み込んでくれるかのようで。


「進みなさい。君の進むべき道へ。君に行くべきところへと」


「でも……分からないんです。俺は今、どこに進めばいいのか……」


「恐怖、焦り、喪失感、無力感……君は今、様々な雑念に苛まれています。ですがそれらは全て余計なものです。前に話してくれたじゃないですか。君は魔界でよく、アリシア姫を探す役目を引き受けていたと。同じようにすればいいんです。余計なことは考えず、ただ純粋に彼女のことを想えばいい。その想いに従って歩みを進めなさい」


 ノア様の言葉は不思議と俺の心の中に染み込んできた。

 魔界にいた頃はどうやって探してたか。いつもは、姫様が行きそうな場所を回ったり、その場の閃きだったり。だけどこの『楽園島』は魔界とは違う。心当たりはもう全部探した。ましてや木の上で子猫と一緒にお昼寝しているなんてこともないだろうし。あの時は、なぜわざわざ木の上でお昼寝なんてしてたのかを問うてみたら、高い所が気持ち良かったからだなんて言って…………。


「高いところ…………」


 ふと、頭の中で何かが引っかかった。

 心当たりは全部探した――――本当にそうだろうか。

 感じた違和感を逃さず掴む。そのか細い糸のようなものをひたすら手繰り寄せていく。

 その先に浮かんだのは、『鍵』だ。

 姫様の部屋に鍵が落ちていた。アレは姫様が攫われる瞬間、鍵を落としたんだと思っていた。意図したものではなく、偶然落としたのだと。でも、本当にそうだろうか。

 偶然ではないとしたら、故意に落としたか。

 仮に故意に落としたとして……それはなぜか。何を意味しているのか。


 ――――なら……絶対に、何があっても。

 ――――リオンが、わたしのことを見つけてね。


「そっか……そういうことか…………」


 姫様は手がかりを残してくれていた。

 俺が見つけ出すと信じて。


「ノア様……姫様の居場所が分かりました」


「本当ですか?」


「はい。心当たりは全部探したと思ってましたけど……まだこの島で、探していない場所がありました」


 視線を向けた先。そこには、降りしきる雨の中に燦然と君臨する塔があった。

 それだけでノア様は察したらしい。


「なるほど。『四葉の塔』……これは盲点でしたね。確かに閉鎖中のあそこはまだ捜索の手が及んでいませんでした」


 姫様は鍵を落としたんじゃない。わざと落としていったんだ。

 それが咄嗟のことだったのかもしれない。その咄嗟の判断で、姫様は精一杯の手がかりを残してくれていた。このチャンスを無駄にするわけにはいかない。


「……ノア様。治安部の皆さんに、頼みたいことがあります」


 ☆


 拳を握る。魔力の流れに淀みがないことを確認する。

 問題ない。あの塔の中で何が待っていようとも、戦える。

 姫様を助け出すために動くことが出来る。

 屋敷に戻り、準備を整えている間に外の雨はいつの間にか止んでいたらしい。ポケットの中にある四つの鍵を握り締め、俺は目の前に聳え立つ『四葉の塔』を睨みつける。


「今行きます」


 決意の言葉を告げ、一歩前に踏み出す。


「お待ちください、リオン様」


 聞こえてきた声の方に向かって振り向くと、そこにはマリアとノア様が佇んでいた。


「二人とも……どうして」


「アリシア様を救いたいという気持ちは私も同じです。私の命は貴方と、アリシア様に救って頂いたものですから」


「囚われのお姫様の救出に騎士が一人というのはいささか寂しいと思いましてね。私でよければお供させていただきましょう。……本来ならば治安部も総動員したいところですが、君から頼まれた例の件で皆手一杯でしてね。私が代表して駆けつけたというわけです」


 治安部には俺から頼んだ作業があったり、もしもの時のために姫様の捜索に人員を割いている(何しろここに姫様がいるという確固たる証拠はない)。デレク様やローラ様にも応援は頼めない。今は獣人族と妖精族側は黒マントの一件があってデリケートな時期だ。下手な行動はとらせて刺激を与えたくなかった。

 だから俺が一人で助けに行くつもりだったが……ありがたい。頼もしい助っ人が二人もついている。


「感謝します」


「お礼はアリシア様を助け出した後で構いません」


「フッ……そうですね。今はとにかく踏み込むとしましょう。囚われのお姫様が、リオン君を持っているでしょうから」


 俺は頷き、ポケットから四つの鍵を取り出した。

 扉の鍵穴にそれぞれの鍵を差し込むと、確かな手ごたえを感じる。

 重厚な扉はゆっくりと開き、『四葉の塔』を解放した。

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