第2話 お姫様はワガママを言いたい
邪神との戦争があって以降、人間をはじめとする他の種族と和解してからは魔界も随分とイメージが変わったらしい。昔は魔界という場所を聞くと人々は皆裸足で逃げ出すほど恐れられていたらしいが、今や各地に観光スポットまで出来ているし、他種族の移住者も珍しくはない。
人間が住むには厳しい環境であることには違いないが、全ての場所がそうというわけでもない。中にはあえて険しい環境に身を置くことで修行するなんていう者もいる。
だからこそというべきか、様々なトラブルも増えてきたというのがここ最近の魔界の現状だ。
「――――見つけた」
俺の視線の先にいるのは蛇の胴体を持つ鶏の姿をした、コカトリスという名の魔物。
触れた生物を石化してしまうという能力を有した厄介な魔物であり、ここ最近なぜか魔界の街に現れたりしているので、駆除しに来たというわけである。
「リオンさん!」
「来てくださったのですか!」
現場に駆け付けると、既に対応にあたっていた魔王軍の兵士たちが安堵のような笑みを浮かべている。魔族である彼らは、外見は人間とはさほど違いがないが、魔力や身体能力は人間の基本スペックを上回る。そんな彼らでさえ、全身の鎧がボロボロになるぐらいコカトリスには手間取っている。それほどの相手ということだ。
「あとは俺がやります。皆さんは下がっていてください」
大地を蹴って跳躍し、暴れ狂うコカトリスのもとへと加速する。
「――――――――ッッッッッ!」
コカトリスの鋭い嘴が飛んでくる。空中で身を捻り方向転換。
真横に躱して着地と同時に再度、跳躍。そのままコカトリスの頭上をとった。
「近所迷惑だ。大人しくしてろ」
腰から剣を抜き、そのまま脳天へと叩きつけると、コカトリスの意識を一瞬で刈り取ることに成功した。白目をむいた魔物は糸が切れた人形のように巨体の制御を失い、地面に倒れ込む。巨体が微かな地響きを起こした後、静寂が辺りを支配する。
「おお、さすがはリオン様ですね!」
「相変わらず手際が鮮やかだなぁ」
言いながら、魔王軍の兵士は深く頷いている。
「どうも。さて、任務完了っと。兄貴たちに報告だな」
沈黙したコカトリスを特殊な鋼糸で拘束。
現場の後処理を兵士たちに任せながら、魔王城に使い魔を飛ばす。
倒れ伏した魔物と、仲間である魔王軍の兵士たち。
目の前に広がるこの光景こそが、俺が魔界で織りなす日常だ。
☆
残りの処理を魔王軍の者たちに任せ、俺は魔王城へと戻った。魔界を護る魔王軍の本部とも呼べるここは俺が育った家だ。
俺は赤ん坊の頃に親に捨てられ、この魔界で魔王軍四天王に拾ってもらった。
人間である俺だが、あの四人には愛されて育ったと思う。
だから俺も恩返しがしたくて魔王軍に入り、魔界の平和に微力ながら貢献している。
「リオンです。魔物鎮圧任務よりただいま帰還いたしました」
四天王の皆さんがいる魔王城『四天の間』を開くと、
「おかえりなさい、リオン~~~~!」
豊かで柔らかい胸の感触が俺の顔に直撃した。
「転んでない? ケガはない? 大丈夫だった? お腹減ってない? 減ってたらいってね? アタシ、すぐにごはん作るから!」
「姉貴、姉貴。レイラ姉貴。苦しいです」
窒息死しそうになったところで、レイラ姉貴は離してくれた。助かった。
魔族でありながら女神のような美貌を持つ彼女はレイラ姉貴だ。『水』のエレメントを司る魔王軍四天王の一人で、何かと俺のことを可愛がってくれる方だ。特に料理の腕なんかは、店を持てば魔界全土を食で支配できるのではと噂されるほどだ。俺がこうして魔界で健康的にすくすくと成長することができたのも、この方の愛がこもった手料理が為した技だといえよう。
「おっかえりー、リオン! ねぇねぇ、今日はもうお仕事ないんでしょ? だったらボクと一緒に遊ぼうよ!」
「はい、喜んでお供させていただきます。ネモイ姉さん」
ニカッと笑う、俺とあまり歳の変わらない見た目の少女は『風』のエレメントを司るネモイ姉さんだ。いつもこうして俺を遊びに誘ってくれており、俺は幼少の頃から寂しい思いをすることなく過ごすことができた。
「待ちなさい、ネモイ。リオンは任務を終えて帰ってきたばかりなのですよ。少しは休息を取らせてあげようとは思わないのですか」
「大丈夫ですよアレド兄さん。大した敵じゃなかったんで、休息が必要なほど疲れちゃいません。あんな雑魚よりも、ネモイ姉さんとの遊びの約束の方が大事ですから」
任務を終えたばかりの俺を心配してくれているのは、『土』のエレメントを司るアレド兄さん。俺の勉強の面倒を見てくれた方で、様々な知識を授けてくれた。俺は生まれつき魔力が少ない為に色々と苦労してきたが、それをカバーするための術を授けてくれた方の一人が、このアレド兄さんだ。
「へっへー! どうだアレド!」
「なに勝ち誇っているんですか。リオンの優しさに甘えるのもいい加減にしなさい」
「そうよネモイ。リオンはこれから、アタシの愛情がたっぷりとこもったごはんを食べさせてあげるんだから。邪魔しないでくれるかしら」
次第に三人が言い争いを始めたが、俺にとっては安心する光景だ。
ここにいない一人を含めた、四天王の方々の明るさと優しさが俺を育ててくれた。
生まれ持った魔力が少ないばかりに親から見捨てられてしまった、才能のない人間である俺をここまで育ててくれた。
「騒がしいな」
扉が開き、『四天の間』に赤いローブを身に着けた大柄な男が入ってきた。
燃えるような赤い髪に極限まで鍛え上げられた肉体。
俺に戦闘技術を叩き込んでくれた方。
魔王軍四天王において『火』のエレメントを司る――――、
「イストール兄貴、戻られたんですね。お帰りなさい」
「うむ。お前も任務ご苦労だったな、リオン。報告は受けている。暴走したコカトリスを一撃で無力化するとは……成長したな」
「俺の力ではありません。大した魔力も持てず、役立たずだった俺に力を授けてくれた、兄貴をはじめとする四天王の方々や姫様のおかげです」
「謙遜は相変わらずだな。己の努力で掴んだ力だろうに」
「お言葉ですが、俺はやるべきことをやっているだけです」
本心を淡々と口にすると、イストール兄貴は苦笑する。
「フッ……まあ、いい。……リオンよ。帰還してきたところ悪いが、次の任務だ」
「はい。例の件ですよね?」
次の任務については、以前から話は聞いていた。
「ウム。大変かと思うが、お前が適任だからな」
「お任せください。このリオン、必ずや任務を果たしてみせます。魔王軍……ひいては、魔界の為にも!」
兄貴たちから重要な仕事を任せてもらえる。それだけで俺の心は歓喜に打ち震えていた。
だから次の任務もしっかりと果しますという俺の決意を現してみたのだが、四天王の方々はため息をついている。
「……うーん。イストールが言った適任って言葉の意味、伝わってなさそうねぇ」
「だねぇ……リオンって鈍いから」
「鈍いに加えて疎いというのもありますね」
「姫様も苦労なされているようだ……」
イストール兄貴の言葉に、残りのお三方も深く頷いた。
やはり、俺ではこの任務を果たすのに実力不足なのだろうか。
俺は所詮、脆弱な人間だ。ましてや、俺は人間の中でも生まれつき体に宿る魔力が少ない。
これは魔王軍の兵としては致命的だ。それをカバーするための術を姫様が作ってくれたおかげで、俺はこうして魔王軍の一員としてなんとかやっていけている状況だ。
……兄貴たちが不安がるのも無理はない。
くそっ。俺にもっと力があれば、恩人である四天王の方々に不安な気持ちを抱かせずに済んだのに。せめて魔族として生まれていれば……。
「かわいいリオン。あなた、多分またヘンな勘違いしてるわよ」
「勘違い? ですがレイラ姉貴、俺が生まれつき魔力が少ないこと、人間という脆弱な種族であることは勘違いのしようもない事実で……」
「だーかーらー、そーいうことじゃないのよー。はぁ……姫様も先が長そうね……」
「リオン。私たちは、あなたのことはとても信頼しています。今回の任務とて、立派に果たしてくれると思っていますよ」
たとえお世辞とはいえ、アレド兄さんからそう言ってもらえるのは嬉しい。
「私たちが同情しているのは姫様のことで……こほん。それは置いておくとして、そろそろ定例会議の時間です。姫様は?」
「そういえば姫様……さっきまでここにいたけど、いつの間にかいなくなっちゃったよね」
「リオンがいないと分かるとどっかに行っちゃったわよ」
「ならばリオンよ。お前に姫様捜索の任務を言い渡す。頼んだぞ。あの方を見つけるのは、お前が一番上手いからな」
「了解です! 兄貴直々の任務、必ずや果たしてみせます!」
☆
「姫様ぁ、どこですかぁ~」
魔王城の中を歩き回り、声をかけ続ける。もう定例会議の時間まであまりない。
彼女の傍に居続けてわかったことなのだが、あの人はなんというか、マイペースなお方だ。だからこうしてすぐに思いつきでふらふらとどこかに行ってしまう。
だからこうして今日も今日とて俺が足で探し回っているというわけだ。
この前なんか庭園にある木の上で子猫と一緒にお昼寝していたこともあり、驚かされたと同時にあきれ果てたものだ。
「…………もしかして」
ふと、思いついて庭園の方へと向かう。色鮮やかな花々が植えられた美しい光景。
その中に一本だけ植えられた大きな木に近寄ってみる。すると、目的の人を見つけることができた。
長い金色の髪。太陽の光を受けてキラキラと輝いている血を彷彿とさせる赤い瞳。漆黒のドレスの下から主張する豊かな胸はいつも魔族以外の種族を交えたパーティーの場において種族を問わない男たちの視線を釘付けにしていることを俺は知っている。
――――アリシア・アークライト。
魔王様の一人の娘であり、俺や魔王軍四天王の方々が仕えているお方だ。
俺とは同い年……というか、彼女が生まれた日に俺が拾われた。
つまるところ俺は、彼女と共にこの魔界での生活を歩んできたと言っても過言ではない。幼少の頃から遊び相手にもなっていたおかげか、彼女とは仲良くできている……と思う。
何しろ、俺のような下っ端からすれば姫様は雲の上のようなお方だ。勝手な思い込みをしてしまうのはよくないだろう。
「姫様」
俺が声をかけると、姫様は顔を向けてきて、
「あら、リオンじゃない。そんなに慌ててどうしたの?」
「どうしたもなにも、もうすぐ定例会議の時間なのに消えたから、探しに来たんです」
「また『任務』かしら?」
「はいっ! イストール兄貴直々の任務ですっ!」
胸を張り、喜び混じりの声で言うと姫様は「ふーん。任務で……そう」と言いながら……やや不機嫌そうに頬を膨らませた。
「心配はしてくれなかったの?」
「しましたよ。するにきまってるじゃないですか」
素直な気持ちを零すと、姫様は機嫌を取り戻してくれたのか「そう」と言いながら嬉しそうに笑みを浮かべた。
「色々と言いたいことはあるけれど、あなたのそういうところ……わたしは好きよ」
「光栄です」
よく分からないがとにかく褒められたのでよし。
うん……俺、とりあえず姫様に嫌われてはないよな?
一緒に育った幼馴染みたいなものだし、嫌われていたらショックだ。
「ん」
両手を差し出してくるこの仕草は、姫様が出す『ワガママ』の合図だ。
「だっこ」
「はいはい」
姫様を両手で抱きかかえると、姫様は満足げに頷いた。
「割と満足したわ」
割とですか。そうですか。
「これぐらいで満足できるのなら、できる時にやってあげるんで勝手にフラフラいなくなるのはやめてください」
「それはとても魅力的な提案ね。考えておくわ」
できれば控えていただけるとありがたい、とは言えない雰囲気だ。
「ってこんなことしてる場合じゃないですよ姫様。早く会議に行かないと」
「それもそうね。リオン、このまま運んでくれる?」
「自分で歩いてください」
「けち」
「けちじゃないです」
これが俺と姫様とのいつものやり取り。いつだって彼女はワガママで気ままだけど……俺の目にはそんな彼女がとても魅力的に映っている。
「んー。じゃあ、エスコートをお願いできるかしら」
断る理由なんてどこにもない。
俺は彼女の護衛であり、仕えている人なのだから。
「俺でいいなら、喜んで」
彼女の柔らかくて温かい手をとり、俺たちは共に歩き出した。
☆
姫様を『四天の間』に連れ戻したあと、定例会議がはじまった。
普段は魔界の現状や任務についての会議が行われるが、今回の議題は最重要案件としてここ数回にわたって話し合われている。
「リオンよ、『楽園島』のことは知っているな?」
「魔界、人間界、獣人界、妖精界の狭間の海域に浮かぶ島のことですよね。創立には四天王の皆さんも関わっていると聞いています」
楽園島はあらゆる種族が分け隔てなく暮らすことのできる楽園を生み出す目的で、世界中で生きる種族が協力して創られた島である。中では様々な種族の者たちが集まって共に暮らしているという。
「もうじき姫様は『楽園島』にある魔法学院に入学される。そこで、お前も姫様の護衛として入学してもらうことになっているが……ここに、新たな任務を追加したい」
「兄貴からの追加任務ですか!? 光栄です! 是非! なんなりと!」
「…………非常に助かっているが、お前は本当に働き者だな」
苦笑する兄貴。見てみれば、他の四天王の方々も同じような表情を浮かべている。
「『楽園島』には魔界、人間界、獣人界、妖精界。各界を代表する王族がそれぞれ一人ずつ派遣され、島の『島主』となる。姫様はこれから学院に入学されると同時に魔界代表の『島主』となるわけだが……」
言葉を切り、険しい顔をするイストール兄貴。
「現在、獣人界と妖精界。この二人の『島主』との間で問題が生じていてな。人間界側の『島主』から相談を持ち掛けられている」
「相談? それに、獣人と妖精の間で問題ですか」
「簡単に言えば、獣人族と妖精族の『島主』間による対立だ。二人は魔法学院の生徒ということもあり、学院内の獣人族と妖精族の生徒たちの間で小競り合いが発生してしまっている」
「…………それは、かなりまずいですね」
思っていたよりも深刻な問題だ。『楽園島』は他種族が手を取り合い生きていくという目的をもって創られた島。そこの『島主』同士の対立というのは、島の存在そのものを脅かすものである。
「お前に頼みたいのは獣人族と妖精族の『島主』同士の和解。この状況の解決だ。難しい任務になると思うが……頼めるか?」
「勿論です。このリオン、魔王軍の一員として必ずや任務を果たしてみせます!」
「フッ……頼もしいな。さすがはオレの弟子だ」
「ちょっとちょっと! アンタだけの弟子じゃないでしょーが!」
「そうだよそうだよ! ずるいよ、イストールだけリオンを独り占めしてさ!」
「こらこら。二人とも、これじゃ話が前に進まないでしょう。ところでリオンは私の弟子でもありますよね?」
「あのねぇ、アナタたち。そろそろいい加減にしなさい?」
おお、これは珍しく姫様が四天王の方々を注意しようとしているのか? 普段は注意される側なのに。ようやく姫様も次期魔王として自覚ある行動をされるようになったということか。魔王様もきっとお喜びになられていることだろう。
「リオンはわたしのものよ」
ごめんなさい魔王様。俺の勘違いでした。
☆
会議を終え、リオンとアリシアが『四天の間』を出た後――――四天王の面々は雑談をする流れになった。会議後に四天王だけで行うこの雑談を彼らは『裏会議』と呼んでいる。内容自体は主にリオンのことなのだが。
「……そーいえば。例の件、リオンにはまだ伝えてないのよね?」
レイラの言葉に、イストールを含む四天王の面々は深いため息を漏らす。
「ああ。姫様から口止めされているからな……」
イストールがリオンに言い渡した、『獣人族と妖精族の島主同士の和解』という任務の裏には、魔王とその娘であるアリシアの間で交わされたある取り引きがあった。
「まさか――――『この任務が成功すれば、リオンと姫様の婚姻を認める』という条件をお出しされるとは」
ちなみにだが、二人は現時点で付き合っているわけではない。それどころかリオンは、アリシアからの好意に対して気づいていないという始末だ。
つまるところアリシアの片思いというわけだが、四天王からすれば「あれで付き合っていないのはおかしい」というレベルで、リオンもアリシアに対しては無自覚の好意を見せている。
それはさておき、なぜリオンの知らぬところで婚姻がどうのという話が出ているのかと言うと、
「アリシア。お前に見合いの話が幾つも届いているが……」
「私、お見合いなんてしないわよ」
「そうだな。お前が嫁に行くにはまだ早い! 断っておこう! フッ……大事な大事なアリシアを、そう簡単には嫁には出さな――――」
「だってわたし、結婚するならリオンとしたいもの」
「…………ちょっとその話、パパに詳しく聞かせてくれない?」
という流れがあり、三日間にも及ぶ議論と親子喧嘩によって『楽園島での任務を無事に終えられたのなら認める』という形に落ち着いたのだ。最終的には、アリシアに嫌われたくない魔王が渋々折れたというところだが。
「魔王様、姫様のことを溺愛してるもんね~。それにリオンは人間だから、色々と難しい問題があるのは分かんだけどさー」
「…………問題は、あの姫様のダダ洩れの好意にリオンが気づくのかどうかという点ですが」
「…………というか姫様も、その辺りを思い知っているからこそ外堀から埋めてんでしょうね」
アレドとレイラの言葉に、『四天の間』に沈黙が満ちた。
四天王の面々は、アリシアに心の中でエールを送った。