ニンゲン・フォビア~Kei.ThaWest式精神糜爛人造恐怖譚~
一抹の不安
久々にホラー短編書いてみました!
後半の展開は少し捻っていて自信作です。
楽しめたらポイント評価や感想など是非お願いしますね!
では、開幕です。
今年の春から私の人生で初めての、そして念願の一人暮らしが始まった。大学は実家から通えないほどの距離ではなかったけれど、毎朝片道一時間半の道程はめんどくさがり屋の私にはかなりキツく、そこへ来て突如親戚から賃貸物件の提供を打診されたわけだからこれに飛び付かない手は無かったのである。
築30年経ったほどよく薄汚い鉄筋コンクリート造2LDKマンションは外観こそパッとしないものの、中は一人暮らしとしては贅沢すぎるほど広く、快適そうだった。二部屋あるうちの一つは板張りの洋間、もう一つは畳張りの和室だった。
なぜ親戚がわざわざこんな物件を用意してくれたのかと言うと……。
引っ越し当日。
荷物が少なかったこともあり午前中で引っ越しは完了していた。玄関でニコニコしながら中年夫婦が帰っていく引っ越し屋を見送っていた。彼らが、私の母親の姉にあたるおばさんとその旦那さんである。今回私は彼らから、毎月の賃料の一切を肩代わりするという破格の条件で大学まで徒歩10分のこの物件に住めることに相成ったのであった。
「お昼買ってきましたよー!」
コンビニの袋をブラブラさせて私は言った。
「春菜さんお帰りなさい」
おばさんはだいたいいつも笑顔である。春の日溜まりのような穏やかそうな表情。
「テーブルセットも入ったぞ」
おじさんが言った。大工をしているこの人は筋肉質で日焼けした肌にうっすらと汗をかいていた。きっとテーブルを組み立てていたのだろう。
「ホントですか!?じゃあ中で早速お昼にしましょ」
私はそう言って玄関で靴を脱いだ。チラチラと各部屋を見ながらリビングへ。袋を木製のテーブルの上に置く。
「素敵なお部屋ですね!」
率直な感想を言った。貧乏学生の一人暮らしとは思えないくらい立派な居城だ。
「あらそう?喜んでもらえておばさんも嬉しいわ」
「そうだな、きっと芳恵も喜んでいるぞ」
言っておじさんは和室の方を見た。
その時、私は少し困ったような表情をしていたと思う。そう、この“芳恵”こそがこの夫婦が家賃を払う代わりに提示してきた条件だった。
私は和室を覗き見る。この部屋は少し、暗い。大形の桐製の洋服タンスが壁際にあって、その上に同じく桐製のローボードが置かれていた。この和室のレイアウトは夫婦が決めたものだった。
ローボードは透明製の高いガラス張りの外開き扉がついていて、中に一体の市松人形が収められていた。
それが芳恵だった。
鮮やかな赤色に金の刺繍をあしらった和服姿の女児の人形だ。おかっぱ頭の髪が少し不揃いになっている。瞳が薄闇の中で光っている気がして、そこに妙な生々しさを感じて、私は市松人形から目を逸らした。
「芳恵ももうお年頃ですものね」
「お姉ちゃんと一緒に暮らせて楽しそうだな」
私は、夫婦の会話に参加できない。どういう言葉をかけていいかわからなかったから。芳恵とはこの夫婦の、18年前に亡くなった娘の名前なのである。
芳恵は夫婦にとって待望の子供だった。なかなか子宝に恵まれず、不妊治療を行い、あやしげな宗教団体に寄進もし、夫婦は念願の娘を授かった。高齢出産かつ帝王切開による難産の後に産まれてきた娘は、数ヵ月後に呆気なくこの世を去った。乳幼児突然死症候群と呼ばれる原因不明の疾患であった。
夫婦は嘆き悲しみ、そして少し、壊れてしまったのだろう。程無くして彼らは一体の市松人形を購入し、それに芳恵という名前をつけた。死んでしまった自分達の娘の名前だった。
その日から“芳恵”は彼らの娘になった。夫婦は市松人形を溺愛し、毎年誕生日をお祝いし、部屋を与えおもちゃを与え食事を与え、そして私の一人暮らしに合わせてここへ連れてきたのだった。私の、同居人として。
「芳恵も春菜さんがいてくれたら安心ね」
「いつまでも実家にいたら親離れ出来なくなるからな」
「そんなこと言って、ほんとはアナタの方が子離れ出来ていないんじゃ無いですか?昨日はあんなに泣いてたじゃないですか」
「ははっ、そうだったかな」
「そうですよ」
夫婦は、ただの人形を実の子供みたいに話している。おかしなことだが、私にはそれを咎めることは出来ない。きっと彼らは娘を失ったときに、耐えがたい苦痛と絶望に襲われたのだ。心が本当に壊れてしまう前に、人形を娘だと考えることでギリギリ踏みとどまったのだ。
歪んでいても、親の愛情はそこに確かに存在している。
私にとっては、人形を置いておくだけでタダでこの部屋に住めるのだから、これを僥倖と言わずしてなんと言おう。市松人形ははっきり言って気持ち悪いが、この際目を瞑ろう。素晴らしい新生活が待っているのだ。
お昼ご飯を一緒に食べて、そのあとしばらく会話して、夕方になったので夫婦は帰っていった。たまにはここへやってきて芳恵の様子を見せてほしいと、そう言い残して。
御安いご用だ。別に芳恵のブラッシングをしたりしなくてはならないわけじゃない。ただ、あの飾りダンスの上に放置しておけばいいだけなのだ。
そうして私の新生活は一抹の不安を伴いつつも、ここにスタートを切ったのだった。
毎朝大学へ行き、夕方には帰ってきてテレビを見たり、ソーシャルゲームをしたり、友達と会話をしたり。ささいな日常が過ぎていった。何の問題もない、ごくごく平凡かつありきたりな大学生活……に思われた。
しかし厄介な問題が一つ持ち上がってきた。
おばさん夫婦がしょっちゅうやってくることだ。
二週間に一回は必ずやってくる。
私は家賃を払ってもらっている手前、彼女らを無碍にもできない。招き入れて、適当に相手をし相槌を打ち、彼女らが満足して帰ったのち、大きなため息をつくのだった。
原因はやはりあの━━市松人形。
“芳恵”だ。
夫婦は事あるごとに芳恵の様子を見にやってくるのだ。
ただの人形をそんなに頻繁に見に来ても、なーんにも変化なんかないと私は思うが。
幾許かの窮屈さを私が覚え始めたのは、季節がいよいよ梅雨に入ろうとするころだった。雨の日が続いて、重たい空模様と同じく私の心も暗く沈んでいった。
夫婦はいつも満面の笑みだったがそれが逆に、気味悪かった。
なんで、この人達はあんな不気味な人形相手に、ずっと笑って話しかけてるんだろう。
いくらなんでも執着が、酷過ぎる。
「あの……そこまで気掛かりでしたらお家に引き取られた方が」
ある日、そう切り出してみた。
「あら、私達は心配なんかしていませんよ。
芳恵も毎日お姉ちゃんと一緒に暮らせて楽しいって言っているから」
「え?」
「ごめんなさいね、私達がお邪魔かしら。
そうね、若い女性のお家にこんなに入り浸ってたんじゃ」
「あぁ、そうだぞ母さん。
春奈さんのカレシだって、遊びに来にくいじゃないか」
寒気が、した。
何かがおかしかった。
芳恵はただの人形だ。何もしゃべるはずがない。
それに私に彼氏が出来たのはほんの一週間前のことだ。この夫婦にはもちろん、話していない。
「あらもうこんな時間!?
おばさん達今日は帰るわね、春奈さん」
「えぇ……はい」
そそくさと、夫婦は去っていった。
何なのだ、あの人形は。
これではまるで、私の生活が人形に監視されているかのようではないか。
「まさか……」
独り言を。
和室に、闇の帳が下りている。
外は雨。
部屋は暗い。
リビングの電気をつけた。
ローボードの中で、人形の右目がやけに光って見えた。
異様な生々しさが、濡れたように光る瞳から感じられた。
今日の部屋は少し、臭う。
お肉が、腐った時のような。
「もう、寝よう」
その日は結局、ほとんど寝付けなかった。
程なくして、彼氏が家に泊まりに来ることになった。久しぶりの、わくわくするようなニュースだった。
陽人くんという名前の彼は、大学で私と同じ講義に出ている男の子である。遅刻してきた彼が偶然にも私の隣に座ったのが、馴れ初めだった。
「春奈っていうんだ。
じゃあ俺も陽人だし、ハルハルコンビだね」
そんな言葉を、彼が言っていたのをよく覚えている。名前に負けず劣らず、明るい男の子だった。
ちなみに我が家にベッドはない。少し前までは和室に布団を敷いて寝ていた。けれど芳恵に就寝中ずっと見つめられている気がして、場所を洋室へ移動した。
私たちは、一糸纏わぬ姿で一緒に布団にくるまっていた。幸せな時間だった。遂に、結ばれたのだ。
カタッ。
「愛してるよ、ハル」
「うん、私も」
他愛のない、愛のあるキャッチボール。
後ろから彼に抱きしめられて、本当に気持ちがよかった。嫌なことがすぅっと胸から消え去っていくような。
カタッ。
小さな物音はしばらくの間、鳴っていた。
私は気が付かなかった。惚けていたのだろう。
「あれ、何の音?」
彼が言った。
「えっ?」
カタッ。
今度は私の耳にもはっきり聞こえた。和室からだ。
すごく嫌な、厭な気分だった。
「ネズミでもいるのかな」
彼は立ち上がって、トランクスだけさっと履いて和室へ向かった。
「いっ……」
行っちゃダメと、言いかけた。でもうまく説明できない。なぜダメなのか。
そこには……その部屋には“芳恵”が。
カタッ。
カタッ。
カタカタカタッ。
音が、重なる。
明確に、何かが動いている。
蠢いている。
「ハルくん!」
私も起き上がって彼の後を追おうと、
PRRRRRRRRRRR……
スマホが、けたたましく鳴り出した。
「きゃあっ!!」
「うわっ!!」
二人の悲鳴が同期した。
「なっ……なんだよアレ!?」
彼は和室の一か所を指さして叫んでいる。
着信音に驚いたのではなかった。
私は表示された番号を見る。
そして素早く、通話ボタンを押した。
「春奈さん、何してらっしゃるの?」
無機質な……おばさんの声。
「そんなふしだらな事、嫁入り前の娘が」
「おばさん!どうしてわかるの!?
あの、あの人形は何なの!!?」
私は、捲し立てた。どうして私のプライベートが、筒抜けになっているんだ。
“芳恵”は、本当にただの人形なのか。
「ハル!」
彼が呼ぶ、焦燥感に満ちた声音。
「待って!」
スマホを強く耳に押し当てる、私。
「……ふふっ」
底冷えするような、おばさんの含み笑い。
カタカタカタカタッ。
ガタガタガタガタ。
私はスマホを床に叩きつけて和室へ。
彼の隣に並んで、彼の指さす場所を見た。
そして、声を失った。
“芳恵”は、ローボードのガラス扉へ体を擦り付けてこちらを睨んでいた。
激しく、全身を痙攣させながら。
人形なのに。
ただの市松人形なのに!
あの夫婦の妄執は、この市松人形に死んだ娘の魂を、降ろしたのだ。
何ということだろう。娘は、生きて私の生活をずっと、覗いていたのか。
人形の右目が、和室に差し込む微弱な光を反射して輝く。
その時、彼は予想外の行動に出た。恐怖に足がすくんでいる私にはとても出来ない勇気ある行動だった。
彼は人形へ近づき、ローボードからそれを掴み取り、思い切り畳へと叩き付けたのである。
ブチッ、と芳恵の衣装の下から延びていた“電源プラグ”が抜けた。そして落下の衝撃で破損した芳恵の中からは……大量の蟲たちが溢れだした。蛆虫が、蝿が、ゴキブリが。
私達は、悲鳴を上げて追い立てられるようにして部屋から外へ出るしかなかった。あまりにもおぞましい光景だった。
最後に一瞥した半分割れた芳恵の頭部には、小型カメラが仕込まれていた。そのレンズは人形の右目から私の部屋の様子を撮影していた。
和室のレイアウトは……あの夫婦が決めたんだ。市松人形も、カメラの仕掛けも、全部。
「芳恵、お姉ちゃんとの暮らしは楽しかったわねぇ」
床に転がったスマホからは、底冷えするような声音が漏れている……。
後日、夫婦は逮捕された。
司法解剖の結果、あの市松人形の内部からは、死後20年近く経過した乳幼児のミイラが発見された。
ミイラには防腐処理が施されていた形跡が確認されたが、梅雨の時期に入り高温多湿な空間に長時間置かれたことで蟲達が内部で発生し、それが人形を揺らしていたのだ。
あたかも、芳恵の怨念のように。
あるいは、あの夫婦の怨念だったのかもしれない。
あれから私は人形が嫌いになった。
ほんとうに、嫌いになった。
一抹の不安
了