美しくなる鏡
ぺちゃんこな鼻にでっぷりとした唇、開いているのかと怒られたことのある目、角ばった頬骨にエラの張った顔。私はこどもの頃からそんな自分が大嫌いだった。それが原因でいじめられたこともあったし、働き盛りの高校生であるというのにも関わらず、バイトの面接も一切受からなかった。一時は自殺を考えたこともある。でも死ぬのは怖いし、よくよく考えれば顔なんて化粧で大きく変われる、そう思っていた。
しかし、私の顔は何をやっても不細工なままだった。そんな私を励ましてくれるのが、唯一の家族、お母さんだけであった。パッチリとした茶色がかった目に、つるんとした卵肌、桃色のリップが似合う。母は本当に私の親なのかと疑うぐらいに綺麗な顔立ちをしていた。
――夏休み
6回ほどバイトの面接にいったが、案の定全て落とされたので、仕方なく自室にこもってゲームをしている。それがひと段落すると、宿題の読書感想文用の本を買いに、本当は出たくないのだが、本屋へと赴くことにした。本屋までの道のりは結構遠い。徒歩10分程度にある踏切を渡り、寂れた薄暗く長い商店街を通って、しわくちゃのおじいさんがやっている小さなタバコ屋さんの角を右に曲がり、ようやく見えたスーパーの中に書店がある。
黙々と下を向いて歩いていると、商店街のタイルにほんのわずかな輝きが見られた。思わず顔を上げると、目の前には見たことのない店があった。そこには、この商店街には似つかわしくなくオシャレな鏡が沢山並べられている。しかし、私は自分の顔が映る鏡を見るのが大嫌いだったので、その場をすぐに立ち去ろうとしたが、突然後ろから、「そこのお嬢さん」と声をかけられて驚きのあまりに足が止まってしまった。
「な、なんですかおばあさん。私急いでるんです」
「お嬢さんの顔、随分酷いねぇ。今まで辛くはなかったかい? この店にはお嬢さんの悩みを解消できる鏡があるよ。本当は二個で一つの商品を、あるお客さんが一個だけ買ってしまって在庫があまっているからお嬢さんに譲ってあげるよ。この鏡はね、見るたびに美しくなる鏡なんだよ。嘘だと思ってやってごらん」
「からかわないでください」
「大丈夫、本当のお嬢さんは美しいのだから」
そういうと、おばあさんは懐中時計のような大きさの手鏡を私に差し出した。反射的に受け取ってしまう私。ほんのちょっとだけ、覗き込んでみる。すると、目が少しだけ大きくなったような気がした。それでもまだ一重でぱっちりとしたものではない。
「あらあら少し綺麗になったわね。その調子」
「あの……この鏡を見ることで目の筋肉が鍛えられるとか、そういう効果があるんですか? 本当に見るだけで綺麗になるんですか」
「そうだとも、私にはわかる。お嬢さんは綺麗になれるよ」
「はぁ……そうですか」
半信半疑での返答。まぁ気休めにはなるか。そう思って、スーパーに着いたらトイレの個室に入り先ほどの手鏡をまじまじと見つめた。魚肉ソーセージみたいだった私の目頭や目じりは、パッチリ開いて瞳の色もなぜだか茶色くなった。なんだか楽しくなってきた私は、もっともっと鏡を見続けた。あんなに角ばっていた頬骨や出っ張っていたエラがなくなっていき、つるんとした卵肌になった。その顔を見て私は、
「お母さんとよく似てる。もしかして、この鏡は私を理想の顔にしてくれるのかもしれない!」
――コンコン
トイレのドアがノックされる。「大丈夫ですか?」と声をかけられたので、「大丈夫です、今出ます」と水を流して慌ててドアを開けると、目の前の女性が私を見て一瞬だけ目つきが変わった。なるほど、顔が変わるのはこの鏡の中だけか。
「今日は暑いねぇ。おつかいに来たの?変なおじさんにはついていっちゃ駄目だよ」
え?
初めてのことだった。自分をこどもとしてみてくれたり、気遣って言葉をかけてくれることは。私はワクワクしながらトイレの化粧室で鏡をチラッと見てみた。そこには以前の私とは全くの別人が映っていた。よくファッション雑誌とかで見られるモデルのような顔立ちだった。おばあさんの言っていたことは本当だったんだ!
「この顔だったら割引券、くれるかな……」
いつも通っている書店では、500円以上買ったら割引券を一枚くれることになっているのだけれど、私はそんなもの貰ったことはない。むしろ立ち読みをしていて笑われたことや咳払いをされたことなら多々ある。フードコートでもそうだ、いつもトイレに近い席に案内される。でも、今の顔なら私を特別視してくれるかもしれない。いや、普通の人間として扱ってくれるかもしれない。
ドキドキしながら読書感想文用の本を選んでいた。突然の変化に動揺していたのか、ふらふらしていた私は高校生だと思われる三人組にぶつかってしまう。
「ご、ごめんなさい!」
最悪だ。これは流石にアウトだ。というのも、手元に持っていた本の角が一人のすねに当たってしまったからだ。相当痛がっている。分厚い本なんか選ぶんじゃなかった……。しかし、相手は怒ってこない。むしろこちらを見て、落ちた本を拾って私に差し出してくれたのだ。
「けがはない?」
「は、はい! そちらは大丈夫ですか」
「全然平気」
そう言うと、男子高校生らは少し頬を赤らめてその場から立ち去った。いつもなら、「うわー不細工菌がうつる~!」と逃げられたり罵詈雑言を浴びせられたりするのに。そして会計のときも、店員は笑顔で割引券をくれたり、「またお越しください」と丁寧に接客をしてくれた。気分がいいのでフードコートで今まで決して頼んだことのない小難しい名前の甘いドリンクを飲んでボーっとしていた。ガラス越しの良い席だった。
そうこうしているうちに夕方になってしまった。あのおばあさんにお礼を言わなくては。そう思った私は急いで商店街の中へ入ったが、それらしい店はどこにもなかった。仕方がないので、そのまま家に帰ることにする。
「ただいまー」
気分が良かったので、声も弾み気味だ。しかし、お母さんからの返事がない。今日は仕事は休みのはず。寝室で寝ていたりするのだろうか。すると、洗面台の方からなにやらブツブツ声が聴こえる。不気味に思いながらも、私はそろりとその様子を覗き込んだ。
「きゃーーー!!!」
私は叫んだ。鏡に映り込んだお母さんの顔が以前の私と同じ顔だったからである。私の大きな声に気づいたのか、お母さんは綺麗になった私の顔を見て、
「あぁ、私の顔が! 顔が!!」
そう言って、見覚えがある色違いの手鏡を見つめながら、「綺麗になーれ」「綺麗になーれ」そう呟いていた。しかし、お母さんは前のような美しい顔には戻らなかった。そこで私は商店街のおばあさんの話を思い出した。確か、私が貰った手鏡は二個で一つのセット商品であったことを。
「ねぇお母さん。その手鏡、どこで買ったの?」
「……商店街の鏡屋さんよ」
「実はね、私も美しくなれる鏡っていうのをその店のおばあさんから貰ったの。もしかして、お母さんもその効果で美しさを保ってたの?」
「違うわ」
お母さんは私の方を振り向くと、綺麗になった私の顔を撫で回して、恨めしそうに答えた。
「私はもともと不細工で顔にコンプレックスを抱えて生きてた。それなのに産まれてきたあんたは端正な顔立ちで私とは大違い。絶対将来美人になる。そう思った私は商店街の隅にあんたを捨ててやろうとしたら、あのババアが急に現われて私にあんたの美貌を奪う鏡を勧めてきた。もう一つの鏡はそれを元に戻す鏡だって言われたから買わなかったのに……」
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