声なき声
「彼女」に捧ぐ
緑色のカーテンが大きく膨らんだ。それと共に茶色の短い毛がふわりと揺れ、彼女に触れていた手が優しく包まれる。しかしカーテンが外へ吸い込まれていくと、その短い毛も手から少し離れていった。
「じゃあね、もう行くね……」
か細い声が彼女にささやいた。そして目を細めて立ち上がろうとすると、一瞬止まって目を見開いた。そして寂しそうな瞳をしながら、彼女から離れていった。
俺はその姿を見送り、彼女に再び視線を戻した。彼女は窓際で暖かな日を浴びながら、床に横たえている。彼女はいつもの鋭い瞳を細めて、どこかを見つめていた。
玄関から呼ばれる声がして、俺は慌ててそちらへ向かった。背中で重い扉が閉まる音がする。聞き慣れたその音がその時はとても苦しく感じた。
◆ ◆ ◆
二〇〇二年、春――俺たちが彼女に初めて会った時である。当時俺は七歳、妹は五歳だった。
その頃、地域では野良猫を減らそうという動きが出始めていた。俺の両親は動物関係の仕事をしていたことから、その春に生まれた野良猫を保護してほしいと頼まれた。その野良猫はうちの庭にもよく遊びに来ており、母猫は四匹の子猫を連れていた。
子猫たちが乳離れしたと思われた頃、両親は動き始めた。猫、人共に無事に事が終えられるように、様々な策略が練られた。餌を食べに檻に入ると入口が閉まる仕掛けを作ったり、少し乱暴だが網で捕まえたりしていた。それでも捕まえられない子猫は俺の親が直接手で捕まえていた。やはり手で捕まえると、子猫は我が身を守ろうと容赦なく手に牙を立て、親の手には痛々しい傷が深く刻まれていた。
そして捕らえられた四匹の子猫は天井なしの大きなゲージに入れられた。子猫であってもやはり野良猫、人が来ると毛を逆立てて威嚇をしていた。それでも何日も餌を与え続けていると、徐々に慣れてくる子も多かった。しかしどうしても慣れない子が一匹いた。その子は餌を近くに置いても、猫砂から一歩も出ようとしない。いわゆる人見知りのトイレ猫である。どれだけ餌を与えたり、触れ合ったりしても、その子が人に慣れることはなかった。
子猫を捕まえたはいいが、このまま四匹ともうちで飼うことはできない。そこで近所や知り合いで子猫が欲しい家がないか聞いて回った。数週間ほどで三匹の貰い手は決まったが、一匹の貰い手が決まらずにいた。その子が先程のトイレ猫である。それに両親は頭を悩ませ、ネズミがいて困ると言っていた祖母の家に貰ってもらうかと話していたところに、俺の妹がこう言った。
「この子、うちで飼いたい」
その言葉に両親はまた頭を悩ませた。その理由は、もうすでにうちには猫が一匹いたからである。その三毛猫は四匹の子猫が来た時機嫌を損ね、数週間家出をしていた。このまま子猫がうちに居続けると、こいつがどうなるかわかったものじゃなかった。
両親が頭を抱えていると、さすがは末っ子、「うちで飼うのー!」と親が折れるまで駄々をこねた。そして結局トイレ猫はうちで飼うことになった。
妹は駄々をこねたものの、彼女を抱くことは愚か、触ることさえできなかった。彼女がうちに慣れるまで、もともとうちにいる三毛猫が彼女に慣れるまで、彼女はゲージの中で飼っていた。妹が彼女を抱こうとゲージの中に恐る恐る手を入れると、彼女は怯えて威嚇をした。妹はそれにビビり一度手を引っ込めるも、また恐る恐る手を伸ばす、の繰り返しだった。それを見兼ねた母は彼女をひょいとゲージから出し、妹の腕の中に預けた。
「そんなに怖がりながら触ろうとするから、この子も怖がっちゃうんだよ。あんただって恐る恐る頭撫でられようとしたら、その人のこと怖いって思うでしょ?」
先程まで怯えていた彼女は、妹の腕の中で少し怯えた顔をしながらも、喉を鳴らしていた。
それから数週間後、彼女はゲージ生活を卒業していた。以前に比べれば彼女は家族にも慣れ、トイレの中に居続けることがなくなった。三毛猫もそれなりに彼女に慣れたが、近くに寄ってくると怒っていた。それでも彼女はめげず――逆に面白がってか――よく三毛猫に近づいてちょっかいを出していた。三毛猫はその度に怒り、しかし手は上げず、こたつの中など彼女が見えない場所に移動した。それで終わればまだ良いのだが、こたつの中に二匹同時に入ると、あの狭い天国のような空間がとんでもない地獄へと変わるのだった。
それからまた数週間後、彼女は外に出してもらえるようになった。家の匂いを覚えていない状態で外に出したら家に戻れなくなってしまうから、今まで外には出さなかった、と親が言っていた。
彼女は外に出してもらうと、楽しそうに走っていった。無邪気に遊んでいると思ったら、彼女は三毛猫を見つけ、追いかけていった。三毛猫はすぐさま逃げ出し、軽々と屋根の上まで上っていった。初めの頃は、彼女はそこで三毛猫を追いかけることを諦めていたが、月日が経つと彼女も屋根まで上れるようになっていた。しかし上ったはいいが、下りれなくなって右往左往するということが少しの間あった。そこで鳴けば俺たちも気づいてベランダから入れてやることができるのに、彼女は滅多に鳴かなかった。というよりも、鳴いていたがその声が聞こえなかった。彼女は大声で鳴くことが得意ではないらしく、「入れて」と鳴いているところを窓越しに見たことがあるが、口を開いているだけで全く声が聞こえなかった。それでも目が合ったら無視することもできないので、気づいた時は重い腰を上げて窓を開けていた。
◆ ◆ ◆
俺は玄関横にある駐車場に向かうと、妹はすでに俺の車のドアを開けていた。妹は助手席と後部座席の間に自身のキャリーケースを滑り込ませ、忘れ物がないか、指を折りながら確認していた。その間に俺は車にエンジンをかけた。エンジン音がした少し後に音楽が大音量で流れ出した。帰ってくる時、居眠りしないために大音量で聞いていたことを忘れていた。俺は慌てて音量を下げ、助手席のドアが開いた音を横目で確認した。案の定、妹は顔をしかめながら助手席に乗り込んできた。俺は素知らぬ顔でナビを設定し、シートベルトをした。
運転席の窓を叩く音が聞こえ、窓を開けた。そこには母が立っていた。
「今回はみんな揃って楽しかったよ。二人ともあの子にはちゃんと会えたし……。気をつけて帰るんだよ。安全運転でね」
母はかがみながら窓を覗き、手をひらひらと振った。妹は「安全運転で、ね」と、ニヤニヤしながら言った。俺が高速道路ですごいスピードを出すことを知ってのことだろう。俺は一抹の怒りを飲み込み、母に別れを告げてゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
◆ ◆ ◆
二〇〇五年、夏――あれは一通のメールが始まりだった。当時俺は十一歳、妹は八歳だった。
夕飯の支度をしていた母の携帯にメールが届いた。それは仕事帰りの父からだった。
〈小さくて白い毛むくじゃらを連れて帰る〉
そんな的を射ないメールを三人で覗いた。三人で何だこれ、と思うものの、何かしらの動物を連れて帰ってくることはわかった。
それから数十分後、外で車が停まる音がした後、玄関が開く音がした。三人で帰ってきた、とソワソワしていると、父は段ボールを抱えて居間に入ってきた。皆でその段ボールの中を覗くと、一瞬固まった。そこには一匹の小さな猫がいた。しかしその子の右前肢は後ろへ折れ、顔はぐしゃぐしゃに潰れていた。顔を上げると、父は口を開いた。
「山道を走っていたら、こいつが倒れててな。おそらく車に轢かれたんだろう。近くの動物病院に連れて行ったんだけど、足は治らない可能性が高いだろうって。このまま生きられるかどうかも怪しいだろうな」
それを聞いた妹は悲しげな顔をしていた。
父が猫を拾ってくるのはこれが初めてではなかった。一回目は両親の結婚前だったという。雨の中、駐車場に停めてあった車に戻ろうとしたら、猫の声が聞こえてきたそうだ。そこで出会ったのが三毛猫だ。雨に濡れてかわいそうだからと、連れて帰ってきたそうだ。首輪はしていなかったそうだが、飼い猫ではなかったどうかは定かではない。
白猫が入った段ボールが床に置かれると、三毛猫と彼女はソワソワし出した。いつもと違う匂いがして落ち着かないのであろう。それでも彼女の三毛猫に対するちょっかいは健在であった。
それからというもの、子猫は皆の心配など露知らず、元気になっていく一方であった。毎日よく食べ、食べながらもよく鳴いていた。何もない時も鳴き、一日中子猫の声が家に響いていた。
白猫の右前肢は治らなかったものの、顔は綺麗に治り、元気に走り回っていた。白猫は三毛猫と彼女にちょっかいを出し、よく怒られていた。そのせいか、彼女は三毛猫にあまりちょっかいを出さなくなった。
それから約二年後、三毛猫がよく家に帰ってこなくなった。三毛猫は何か気に食わないことがあると家出していたが、こんなにも頻繁に家出することは珍しかった。
月日は流れ、冬になった。暖房が焚かれ、皆でこたつを囲んでテレビを観ていた。近頃、三毛猫は家出をしなくなり、その代わりよく人の膝の上で丸まっていた。三毛猫は人に馴れ合うことを好まず、よく専用の座布団で寝ており、人の膝の上にいるなんて珍しいことだった。しかしそんなことは人間には関係なく、寒い冬には猫はもってこいだった。座椅子に座っているところに猫が乗ってくると、周りから羨ましがられる声が聞こえてくるのが常だった。しかしご飯を食べ終え、動こうとすると、三毛猫は鬼の形相で怒った。冬の暖となるのはありがたいことだが、好きな時に動けないのが難である。
猫が膝に乗ってくると言えば、その時猫たち(あいつら)は時折顔を近づけてきた。顔をなめられると思い、俺はいつも顔を背けていた。あいつらはなぜそんなことをしてくるのか母に聞いたことがある。その時、母はこう言っていた。
「猫は鼻と鼻をくっつけるのが挨拶なのよ。つまり相手を信頼しているって意味」
それを聞いた時、俺はただ曖昧に返事をしていたと思う。その後に母は「顔はまだいいけど、口は舐められちゃダメだからね。汚いから」と、付け加えていた。
そろそろ春になろうとする頃、また三毛猫が家に帰ってこなくなった。家族の全員がまたいつもの家出だろうと思っていた。しかし何週間、何ヶ月と経っても、三毛猫は一向に帰ってこなかった。妹は学校から帰ってくると窓を開けて三毛猫の名前を呼んだ。返ってくるのはいつも風の音と白猫の声だった。白猫が返事をする度に妹は「お前じゃないよ」と、苦笑した。
木が葉で青々と茂り、枯葉に変わっても三毛猫が家に姿を見せることはなかった。季節が廻りゆく中、窓を開けてじっと外を見つめる妹に父が言った。
「あいつはどこか死に場所を見つけて、そこに行ったんだろうね」
妹も「あいつのことだからそうだろうね」と小さく頷いた。
三毛猫がいなくなった年の春、あいつは二十歳を迎えるはずだった。
◆ ◆ ◆
窓から大量の風が流れ込んできた。母と別れを告げるために全開にしていた窓を半分閉めた。それと同時に、風の音でかき消されていた雑音が音楽へと戻っていった。
助手席に座っている妹は窓を十センチ程開け、窓の縁に肘をついて外をぼーっと眺めていた。何を見ているのか、何を考えているのか俺には見当もつかなかった。ただ妹の前髪だけが風になびき、それを鬱陶しそうに時折それに視線を移していることだけ知っていた。
俺は案内板に書かれたインターチェンジの方角へハンドルを切った。料金所の「ETC」と書かれた隙間を潜り抜け、スピードを上げて合流した。エンジン音がうるさくなり、音楽がそれにまたかき消された。俺は左手をナビに伸ばし、音量を上げた。
◆ ◆ ◆
二〇〇九年、春――妹が中学校に入学した。俺は当時中学三年で、この夏が中学最後の大会だった。
ここは田舎であったため、他校と交わることなく小学校のメンバーがそのまま中学校に移動しただけである。
初め、妹は友達と楽しげにし、小学校とは変わった生活に心躍らせているようであった。しかしいつの日からか妹の顔から笑顔が消えていることに俺は気づかなかった。
俺は野球部で暗くなるまで練習していたが、妹はどの部活にも所属せず、いわゆる帰宅部であった。
五月になった頃、帰宅部である妹は放課後にロータリーに集められた、らしい。その時間、俺は最後の大会に向けて練習している最中であるので、どういう状況であったかは詳しくは知らない。だが、なんとなく想像はつく。なぜかと言うと、野球部の一年生は帰宅部を集めて野球の応援練習をするのが毎年恒例だからである。そして帰宅部は野球の夏の大会に強制的に連れて行かれ、応援させられる。地区大会は吹奏楽部を連れて行かないので、太鼓の音だけが響くとても寂しい応援である。
そして練習させられるその応援だが、手拍子だけならまだしも、年頃の中学生にとって恥ずかしい振り付けもやらなくてはならない。右へ左へ移動して手を振り上げ、「ワッショイ!」と叫ぶ応援に、妹は心底うんざりしていたようだ。
「応援する気のない人に応援されたって、選手も嬉しくないでしょ? だったら、うちらがわざわざ炎天下の球場に行って応援する意味ないと思うんだけど」
練習でくたびれて帰ってきた俺に、妹は鬱陶しいハエを見るような目をしながら言ってきた。大会前でピリピリしていた俺はその時、「そんなこと知らねぇよ」とだけ言ったような気がする。
その最後の大会の結果は二回戦敗退であった。うちの学校は一回戦敗退常連校であったため、いつもより良い成績で終わることができた。この結果に妹は、「応援してあげたうちらのおかげだね」と、なぜか威張っていた。
部活を引退した俺は、高校受験に向けて本格的に勉強し始めた。とは言っても、俺たちは中学では成績優秀な兄妹として名が通っていた。中間、期末、長期休暇明けテスト、すべてにおいて俺たちは総合順位一位を取っていた。
しかし田舎の中学であるため、レベルは知れていた。五〇〇満点中四六〇点以下を取ったことはないが、テストでは特に難しい問題は出ず、四六〇点台であっても一位を取ったことがある程強豪の敵と呼べる相手がいなかった。初め妹は一位を取ることを喜び、奮闘していたが、いつからかテスト前後になるといつも以上にペンを放り投げるようになった。
「テスト前なんだから、勉強しないと点数下がるぞ」
それを見兼ねた俺が妹に声をかけると、妹は何かから目を逸らすようにしてぼそりと呟いた。
「もう一位なんか取りたくないもん」
その時俺はその言葉を特に気にも留めず、「馬鹿なこと言ってないでさっさと勉強しろ」と、適当に流したような気がする。今思えば、あれは妹のSOSだったのかもしれない。俺はそれを見て見ぬふりをしたのだった。
中学は全校生徒数が二〇〇人弱であったため、廊下などで妹を見かけることは日常茶飯事だった。その時友人といると、彼らに「お前の妹がいるじゃん」とよく茶化された。妹も同じような状況だったのだろう。妹が俺の存在に気づくとわざとらしく顔を背け、どこかへ姿を消していった。
ある日、体育館から教室に戻るために妹の教室の横を通り過ぎた。教室の扉は開いており、一瞬だが妹の姿が見えた。妹はクラスメートに囲まれながら何か話していた。妹は何かに指をさしながら話し、クラスメートはそれに相づちを打っていた。妹は時折笑っていたが、一瞬だけ顔を暗くしたのが見えた。それが何を意味していたか俺にはわからない。ただその頃の中学生活は妹にとって楽しいものではなかったのだと思う。
中学時代はお笑いブームで、テレビでは週三日程度の頻度でお笑い番組が放送されていた。俺は受験期だったが、面接だけの前期試験で受かるつもりだったので、今まで通りよくテレビを観ていた。テレビのチャンネルは常に俺が持っており、野球かお笑い番組、バラエティー番組しか点けなかった。
お笑い番組を点けている時はいつも家族全員で笑いながら観ていた。妹もまた然りである。しかしある日から妹だけが笑っていないことに気づいた。初めはお笑いに飽きてきただけかと思っていた。しかしそういうわけではないことにだんだん気づいてきた。家族との他愛のない話でも、友人との会話でも妹は笑顔を見せなくなってきた。それはなぜなのか、何を意味しているのか横目で妹を見た。そう気づいていながらも、この時俺は妹を見て見ぬふりをした。
◆ ◆ ◆
高速道路に乗ると同時に、妹は助手席の窓を閉めた。風でなびいて崩れた前髪を手で軽く直し、妹はフーと小さくため息を吐いた。
車は大きなカーブをいくつも曲がり、トンネルに差し掛かった。俺は右手を伸ばし、ライトを点けた。辺りは一気に暗くなり、いくつものオレンジ色のライトがものすごいスピードで横を通り過ぎていった。外を走っていた時と違って、どこか耳の奥が圧迫されているように感じる。トンネル内に木霊するエンジン音が車内の音楽をかき消した。
オレンジ色に照らされた暗闇をぼーっと眺めていた妹は、このまま黙っているのも申し訳ないと思ったのか、突然口を開いた。
「ねえ、お兄ちゃんは今日この後バイトなの?」
トンネル内を走行中の会話はとてもしづらいことは二人とも知っていた。それなのに、なぜこのタイミングで話しかけてきたのかと思うも、居眠り運転しないために会話してくれることはありがたいと、俺は複雑な思いを抱いた。声が通りづらいこの車内で運転中の俺は横を向くことができないので、大声で答えた。
「ああ、そうだよ。五時から深夜の三時までだ。お前は?」
横目でちらりと妹を見ると、顔がライトに照らされては闇に包まれ、どんな顔をしているのかさっぱりわからなかった。妹は少し俺に顔を向けて大声で言った。
「まあ、同じようなもん。私も〆までだし」
前に聞いたことがあるが、妹のバイト先は〆までやると帰りが日付を越える辺りになるらしい。
「そっか。気をつけて帰れよ」
「うん」
その言葉を最後に妹はまた口を閉じた。目の前に白い光が見えた。辺りはだんだん明るくなり、青い空が広がった。と思った矢先、車はすぐに再び暗闇に包まれた。何キロにも続くこのトンネルは俺の気など知りもしないのだろう。俺は横のホルダーに置いておいたコーヒーを手に取り、一口飲んだ。
◆ ◆ ◆
二〇一〇年、春――俺は無事、第一志望校に入学した。
俺は早々に野球部に入部することを決め、五月いっぱいまではほとんど応援練習と走り込みしかさせてもらえなかった。勉強も中学と比べ物にならないくらい覚えることが多く、文武両道とはこんなにも大変なのだとこの時初めて思った。
新生活に慣れることでいっぱいいっぱいであった俺は、周りのことを気に留めている余裕などなかった。この時妹が何を抱えているか俺が知る由もなかった。
部活は夜の八時頃まで練習するのが常であったが、定期試験三日前から定期試験終了までは休みになっていた。
俺は珍しく夕方に帰って、階段を上って自分の部屋でテスト勉強しようとした。自分の部屋は、そこに行く前に妹の部屋の前を必ず通る。そこを通りかかった時だった。妹の部屋の扉が開いており、そこから西日が差し込んでいた。俺は目を細めながらそこを覗くと、妹と彼女がいた。妹は彼女に顔をそっと近づけ、鼻と鼻をくっつけていた。彼女は嬉しそうに妹に頬ずりをし、喉を鳴らしていた。彼女は何度も何度も妹に体を寄せ、妹を見上げた。妹は再び彼女に顔を近づけ、額と額をくっつけ、彼女の体を優しく撫でた。西日に照らされた彼女たちの瞳はどこか悲しげに輝き、光に当たりながらも影を濃くしていった。妹はすっくと立ち上がり、「下に行こうか……」と小さく呟いた。すると彼女はか細く鳴き、妹の後ろをついて行った。そこで妹は俺の存在に気づき、驚いた顔をした。
「……なんでいるの?」
俺は呆然としながら、妹を見下ろして言った。
「いや、テスト前だから……」
妹はそんな俺の気など知らず、「あの野球部でも休みってものがあるんだね」と、小馬鹿にしてきた。妹は彼女を連れて下に下りていったが、俺は少しの間そこから動けなかった。
その年の秋、俺たち一年でも試合に出させてもらえるようになった。夏までは、試合ではボールボーイしかやらせてもらえなかったので、俺たち一年はとてもやる気に満ち溢れていた。試合で良い成績を残そうと、俺たちはいつも以上に遅くまで居残り練習をしていた。
家に帰ってくると、九時を過ぎていた。練習の合間におにぎりをいくつか頬張っているが、それだけじゃ足りるわけもなく、家で茶碗山盛り二杯に、その後マズいプロテインを胃に流し込んだ。そのプロテインのせいで何度か吐いたことがあるが、この際その話は置いておく。風呂に入り、授業の予習を当てられそうな箇所だけ適当にノートに書き込み、ストレッチをしてから布団に潜りこんだ。この時点で日付が変わっていることは言うまでもない。朝練もあるので、朝は遅くても六時半までには家を出なくてはならない。それほどギリギリの生活を俺はしていた。
しかしその頃からあることが続いていた。俺と妹の部屋はもともと一つの大きな子供部屋で、それをただタンスなどの家具で仕切っているだけだった。つまり、隣の音は丸聞こえである。俺が疲れて布団に入っていると、ほぼ毎晩のように隣から鼻をすする音が聞こえた。そして時折しゃくり声が微かに聞こえた。最初のうちは黙ったままでいたが、それが連日連夜続いたので俺はついに言ってしまった。
「うるせえ!」
それからそれらの音は消え、毎晩ただ静かな夜が訪れた。この時俺はただ怒りばかりが募っていたが、妹の最後の声を握り潰したのだ。これを最後に妹は口を開かなくなった。
◆ ◆ ◆
長いトンネルはやっと終わり、俺は車のライトを消した。やっと見えた空は雲に覆われ、時折太陽が顔を覗かせる程度であった。風はとても強く、「横風注意」の標識が目に入った。
俺は横目で妹の様子を窺った。寝ていると思いきや、妹はスマホもいじらずただ外を眺めていた。俺はコーヒーをくるりと揺らし、口に含んで一間置いてから妹に訊ねた。
「なあ」
「……何?」
「お前、俺を恨んでいるか?」
「……」
妹は外を眺めたまま口を閉ざしてしまった。時さえも流れようとしない無風の車内に居心地の悪さを感じた俺は、バツが悪そうに言葉を濁した。
「ああ、なんだ。別に答えたくなかったらいいんだけど――」
「――たら」
言いかけた言葉に妹の声が重なった。それに驚いた俺は口を半開きにしたまま固まってしまった。少し暗くなったナビ画面に妹の歪んだ顔が映り、目が合った。
「恨んでたら、どうする?」
急に風が強くなり、ハンドルがとられそうになった。俺はハンドルをより強く握りしめ、「車間距離注意」という看板を目で追った。
◆ ◆ ◆
二〇一一年三月十一日――この時はまだ俺は高一、妹は中二だった。
高校は、卒業式は終え、補講期間という名のただの授業日だった。中学は卒業式に向けて準備を進めているところだったらしい。
午後二時四十五分頃、その時は突然訪れた。授業中の教室に今まで聞いたことのないけたたましい音が溢れかえった。そこにいた誰もが何が起きたかわからず、静かな授業がざわめきへと変わった。次の瞬間、俺の景色が歪んだ。一瞬、俺はクラクラになる程疲れているんだと思った。しかしそうではなかった。吊るされているものはすべて揺れ、立っている先生は教卓に手をついた。
「机の下に隠れて!」
言われるよりも早く、生徒たちは机の下で身を屈めていた。その揺れはとても長く、一、二分、いやそれ以上だったかもしれない。
この時妹は中学の掃除時間中であり、どこにも隠れる場所がなかったという。掃除用具を片付けに小部屋に入っていった時に揺れ始めたので、慌ててそこから出たらしい。しかしその頭上には蛍光灯が並んでおり、どこに逃げたらいいのかわからず、廊下の隅に体を寄せて屈んでいたそうだ。
ここは中部地方であったため、津波などの心配はなかった。しかし、地盤が固くて滅多に揺れないここが震度三と報道されていたことから、震源付近の東北の被害は俺たちが想像できない程悲惨なものだったと思われる。
その日は部活動は中止され、早々に家に帰ってきた。家にはすでに妹がおり、テレビを点けていた。妹は恐る恐る俺を見て、テレビを指差した。
「ねえ、これ……」
俺はテレビに視線を移した。その画面には左端に所々赤く塗られた日本地図が表示され、画面全体には波に飲み込まれていく街の映像が映っていた。
「は……?」
この時初めてこの地震の脅威を目の当たりにした。そうは言っても、これが今日本で起こっていることだとすぐに飲み込めなかった。
親の帰宅を待つ中、そのままテレビを点けたままにしていた。地震が起きた時のテレビ局の映像が何度も繰り返し映し出され、アナウンサーは何度も注意喚起していた。
翌日、この日も部活動は中止され、早めに家に帰ってきた。この日は妹の方が後に帰ってきて、俺がテレビを点けて妹の帰りを待っていた。何度も同じコマーシャルが流れることにうんざりしていた俺は一時の間テレビから目を離していた。ふと意識をテレビに戻すと、そこには何かの建物が映し出されていた。それまでのニュースを観ていないため、どういう状況なのかわからなかった。画面右上の文字を読むと、「中継」と書かれていた。アナウンサーの言葉に意識を向けると、「福島第一原発」という言葉が聞こえた。そしてその建物から大きな煙が立ち上っていた。それを俺の背後から見た妹は顔をしかめた。
「何これ……、CGじゃない、よね?」
俺もそう思ってしまう程、日本で起こっていることだとは信じられなかった。
それから数週間、ここでも震度二~四の地震が続いた。というのも、十二日深夜に長野県の北部にある栄村付近を震源とするマグニチュード六.七の地震が起きたからである。両親は毎晩テレビの前におり、寝室に向かうところを見なかった。
それから一年が経つのは早かった。テレビで流れる内容はしょうもない政治問題から震災復興に関するものに変わり、またこんな中予定通り完全地デジ化が行われた。その翌年では、氷上で復興支援ソングが流れ、それが世界中に響き渡った。
そんな世間が目まぐるしく動いていく中で、妹の顔の影が薄くなったような気がした。笑顔が戻ったわけではないが、暗い表情をあまり見なくなった。日本全体が大変なことになっている時にこんなことを思ってしまって悪いと思ったが、この妹の変化に安堵していた。
二〇一二年、春――妹が俺の高校に入学してきた。
妹は別の高校に通いたかったらしいが、田舎では選べる高校が少なく、行きたいと思えたところがここしかなかったようだ。
この高校は通っていた中学に比べ倍の部活数があり、妹はこれを機に帰宅部から卒業した。生徒数も全校で七二〇人と中学とは比べ物にならない程多く、中学の同窓生はいないに等しかった。
この初めての状況に妹は刺激されたようだった。徐々に妹に笑顔が戻ってきたのだ。
今思うと、あの中学は妹にとって小さすぎたのかもしれない。いついかなる時も知っている目に見張られ、何かをしようとしても視線という檻に閉じ込められていた。しかしこの時はその檻から解放され、九年間その檻に閉じ込められていた妹は自由に生きようと不器用ながらにも一生懸命になっているように思えた。
その年の秋、妹の部活で問題が起こったらしい。どういう経緯があったのか知らないが、妹の腕の広範囲に痛々しい擦り傷があった。しかし妹は泣くことも怒ることもせず、ただ「問題が起こることは仕方がないことだから」と、どこか諦めたような目をしていた。妹は笑うようにはなったが、泣くことも怒ることもできなくなったのだとこの時俺は気づいたのだった。
しかしこの時俺は大学受験生で、今までにない程勉強に追い込まれていた。この時もまた俺は妹に一言だけ声をかけ、自分の部屋にこもっていた。
二〇一三年、春――俺は無事埼玉の大学に合格した。
実家から通うのは面倒だったため、大学近くのアパートを借りた。入学手続きに引っ越し、水道、電気、ガスの契約手続きなどなど数週間のうちにすべてを行い、それに加えて中学の友人に会ったり、卒業旅行に行ったりと大忙しだった。
三月下旬、家族四人で俺の引っ越しをした。一人で住む場所に四人も入ってきたので、荷物を入れるだけでも大変だった。
荷物をすべて運び入れ、買い出しもすべて終わると、三人は乗ってきた車の前で俺に振り返った。
「火の元には気をつけるんだぞ」
「ちゃんとご飯食べてね」
両親は心配そうな顔で俺を見た。その横で妹は真顔で俺をじっと見ていた。それに気づいた俺が眉をしかめると、妹はフッと笑った。
「これでやっと私の部屋が広くなるね」
それを聞いた俺は苦笑し、大きくため息を吐いた。
「最後に言う言葉がそれかよ。勝手にしろ」
全く帰ろうとしない両親を車に押し込み、窓越しに再び別れを言った。すると後部座席の窓が急に開き、妹が顔を出した。妹は窓の縁に肘をついて言った。
「変な宗教には気をつけなよ」
俺を茶化す声はコンクリートとタイヤの擦れる音でかき消されていった。
それから俺は三、四ヶ月程度の頻度で帰省した。それでも昼間は、両親は仕事、妹は部活のため、家には誰もいなかった。その間、友人と遊んでいたこともあったが、そう毎回人が捕まえられるわけでもない。
家でダラダラしていると、窓辺で彼女が外を眺めている姿が目に入った。この時なぜか数年前の彼女と妹の夕方の光景が思い浮かんだ。彼女が完全な飼い猫になったとはいえ、確か彼女が呼ばれて返事をしたところをあの時以外見たことがなかったような気がする。
そこで彼女名前を呼んでみた。彼女は一度振り返るも俺から顔を背け、再び外を眺めた。俺は諦め切れず、何度も彼女の名前を読んだ。しかし彼女は耳をこちらに向けるだけで、うんともすんとも言わなかった。すると、どこからか白猫が鳴きながら走ってきた。じっと俺を見つめる白猫に「お前じゃねぇよ」とツッコんだ。
二〇一五年、春――妹は東京の大学に進学した。
母は家から通うことを勧めたが、妹はすぐに家を出ることを決めていた。母の気持ちもわからなくないが、かわいい子ほど旅に出させた方がいいと、俺は妹に賛成した。
二年前同様、家は慌ただしかった。妹も二年前のオレの状況を見てか、その状況に様々な予定を組み込んでいた。
しかし俺はどこか違和感を覚えていた。俺はここより少し都会である埼玉に行くことになった時さえ、どこか気持ちが浮わついていた。しかし妹はそれよりも都会の場所に行くというのに、そのような仕草が一つとしてない。そこで妹に直接訊いてみた。
「東京に行くの、怖かったり楽しみだったりしないのか?」
すると、妹は表情一つ変えずにこう言った。
「別に。人が多いってだけで、ここと大して変わらないでしょ」
随分と冷めているな。それが俺の感想だった。
引っ越しが終わって両親と別れる時も妹はあっさりと別れを告げ、両親はまた違う意味で寂しげな目をしていた。
◆ ◆ ◆
そして今、俺は埼玉の自宅の最寄り駅に向けて車を走らせている。妹が俺の車に乗っている理由は、その最寄り駅から電車に乗れば安くすむからである。
俺は案内板に従って高速道路を降りた。そこから約五分車を走らせると駅が見えてきた。ロータリーに車を停め、妹はキャリーケースを後部座席から下ろした。そして扉の閉め際に妹は車の中に顔を覗かせて言った。
「さっきの質問の答えだけど、お兄ちゃんは恨みの対象じゃないよ。私が恨んでるのはもっと別」
虚を突かれた俺は反応に時間がかかり、声をかけようとした時には妹は礼を言って去ってしまっていた。
「別ってなんだよ……」
恐怖だかなんだかわからない感情を抱いたまま、俺は自宅へ車を走らせた。
◆ ◆ ◆
二〇一七年五月四日――現在、俺は大学院一年、妹は大学三年である。
俺は研究実験も行うが、どちらかと言えば教授のパシりとなることの方が多い。妹に関しては、フィールドワークがどうだの言っていてよくわからない。つまりは忙しいようだった。
俺たち二人は学校生活とバイト、その他諸々に追われ、なかなか実家に顔を出さずにいた。そうしていると母から「寂しい」というメッセージが届くので、そこでやっと暇を作って帰省していた。そのようにしていると帰省する日が妹と滅多に合わず、実家で年に一回顔を合わせられたらいい方であった。
それで最近知ったことだが、妹はいつも実家から帰る時彼女に挨拶をしていた。荷物を用意し終えると彼女のもとへ行き、「じゃあ、またね」と彼女を撫でていた。
今回は久しぶりに実家で妹に会うことができた。しかしそうなったのは偶然帰省する日が重なったからではない。両親から彼女が亡くなりそうだと連絡が来たからである。
彼女は昔から気管が弱く、よく咳き込んでいた。白猫にちょっかいを出され怒り過ぎると咳き込み、白猫も少しオロオロしていた。
彼女の父親と思われる野良猫も気管が弱かったことから、遺伝的なものだろうと思われていた。
そしてここ最近彼女の体調が芳しくなく、危ないかもしれないから早めに会っておいた方がいいと一ヶ月程前に連絡が来たのだった。
そこで俺は色々な予定を調整し、やっと家に顔を出すことができたのが二〇一七年五月二日である。しかしその時そこにいた彼女の姿は変わり果てていた。青いペットシートの上に彼女は力なく横たわり、彼女の横にはリンゲルやアニビタン、レバチオニンと書かれたビニールパックや茶色の瓶が置かれていた。
俺はゆっくりと彼女に近づき、その茶色の毛にそっと触れた。毛は所々カピカピになり、いつもより身体が冷たく感じた。彼女は浅く苦しそうな呼吸を少しばかり荒げ、うっすらと目を開けて俺を見た。涙の溜まった瞳はどこに焦点が合っているのかわからず、しかし何かを探しているようであった。
昼間に実家に着いた俺はそのまま家で家族の帰りを待っていると、十八時頃に父が帰って来た。その数十分後、仕事帰りの母が妹を連れて帰って来た。
妹は彼女の姿を見るなり目を見開き、口を閉ざした。伏し目がちに彼女に近づき、いつものように、しかしいつもより優しく彼女に触れた。彼女の名前を耳元でそっと呟くと、彼女はゆっくりと顔を上げた。そして悲しげな二つの視線が重なった。
四人揃って夕食を摂った後、父は一本の小さな注射器を持ってきて、彼女の近くにあった瓶などの中身をそれに移した。妹は父に頼まれた通り彼女を押さえ、父が彼女の横腹に針を射した。彼女は力の限り抵抗しようとするが、妹が苦い顔をしながら彼女が動かないように押さえ込んだ。父は「うん、痛い……痛いな。ゴメンな」と彼女にささやいた。
それは毎日朝と晩に行われ、毎度彼女は抵抗する力を弱くしていった。
二〇一七年五月三日、夜――家族四人が揃っている時に父が口を開いた。
「二人とも気づいていると思うが、今こいつは延命治療をしている状態だ。それでもう……明日からそれを止めようと思っているが、それでもいいか?」
俺は一度息を呑み込んだ。昔に何度か家族で、自分の命が危険な状態になったらどうしてほしいのか話し合ったことがある。その度に四人口を揃えて「延命治療はしないでほしい」と言っていた。
そして今その状況が目の前にある。俺の胸の奥に鉛のようなものが沈みこんできたように感じた。しかしそれを握り潰し、俺は首を縦に振った。妹も真っ直ぐ父を見て頷いた。
「うん……いいよ」
微かな涙声は芯のある確かな返事だった。
二〇一七年五月四日、朝――俺と妹は大きな荷物を玄関に置き、窓際に近寄った。
妹は彼女の目の前で膝をつき、彼女に優しく触れた。緑色のカーテンが大きく膨らみ、それと共に茶色の短い毛がふわりと揺れた。彼女に触れていた手が一瞬優しく包まれ、カーテンが外へ吸い込まれていくと、その短い毛も手から少し離れていった。
「じゃあね、もう行くね……」
か細い声が彼女にささやいた。そして妹は目を細めて立ち上がろうとすると、一瞬止まって目を見開いた。そして寂しそうな瞳をしながら、彼女から離れていった。
俺はその姿を見送り、彼女に再び視線を戻した。彼女は窓際で暖かな日を浴びながら、床に横たえている。彼女はいつもの鋭い瞳を細めて、どこかを見つめていた。
玄関から呼ばれる声がして、俺は慌ててそちらへ向かった。そうして俺たちはこの日家を後にした。
俺は妹を駅に送った後、一度アパートに戻り、それからバイトへ向かった。ゴールデンウィーク真っ只中であるため店はとても混み、他のことに気を向けている余裕などなかった。
深夜三時、バイトが終わり、スマホの画面を明るくした。すると、メッセージがいくつか入っていた。俺は何の気もなしに開くと、それは珍しく父からだった。
〈今日の夕方、彼女が息を引き取りました〉
俺はその言葉に頭が真っ白になった。彼女の死が近いことは頭ではわかっていた。しかし恐らく心のどこかで「きっと大丈夫だ」という気持ちがあったのだ。
メッセージの送信時間を確認すると、二十一時と表示されていた。メッセージは家族全員に一斉送信されており、その約三十分後の時間に母からのメッセージが届いていた。
〈お母さんが帰ってきた時にはもう亡くなってました。その時まだ死後硬直が始まってなかったので、恐らく夕方の五時頃に息を引き取ったと思われます〉
俺は微かに震える指で画面をスクロールし、すべての文に目を通した。目を軽く閉じ、大きく息を吐いてから親指を画面の上で何度も動かし、最後に「送信」を押した。
〈最後に彼女に会えてよかった。天国から家族のことを見守ってくれるでしょう〉
俺はアパートに戻り、静かな部屋で微かな光を横で感じながら眠りについた。
翌日、目を覚ますと妹からメッセージが送られていた。送信時間を確認すると、朝の六時頃であった。
〈そうだったんですね。本当に最後に会えてよかった。安らかに眠ってね〉
三人のうち誰よりも短い文章だった。しかしそれは恐らく妹にとって精一杯の言葉だったのだろう。
二〇一七年五月四日十七時頃 彼女 永眠 享年十五歳
車内に音楽が大音量で流れている。強い風が俺の頭をかすめ、日差しで火照った頬を少し冷ましてくれた。俺は埼玉から実家に向けて車を走らせていた。ナビの端には「二〇一八年五月四日」と表示されていた。
妹とは昨年の秋頃に東京で再会した。俺が東京にいる友人に会いに行き、夜は妹のアパートに泊めさせてもらったのだ。その時彼女の話になり、五月四日の日のことを聞いた。
俺が妹を駅に送り、妹のアパートの最寄り駅から帰るまでの間で、妹はなぜか涙が止まらなくなったという。バイトへ行く前なので、十七時よりも前のことだ。その時は特別彼女のことを考えていたわけでもなかったらしい。それでも涙が止まらず、アパートに着いてバイトへ行くまでの間布団に突っ伏していたようだ。
そしてバイトが終わり、あのメッセージを見て再び涙が零れ落ちた。それは彼女と別れる時のことを思い出したからである。妹が彼女に別れを告げその場を去ろうとした時、彼女は妹だけに聞こえる声で鳴いたのだ。もう息をするだけでも精一杯であるはずの彼女はか細い声で鳴き、妹に別れを告げた。その姿が脳裏に何度も浮かび、もうあの声が聞こえないんだと、もう彼女に触れられないんだと思うと、涙が止まらなくなってしまったという。
人前で泣かなくなった、泣けなくなってしまった妹が東京の道端で泣いたと聞いて俺は胸を締め付けられた。妹はそれほど大切な存在を失ったのだと思うと同時に、ここまで妹を近くで見守り続けてくれてありがとう、と彼女に感謝した。
そして気持ちを言葉にできなかった妹はその日のうちにメッセージを返すことができず、翌日に返信したらしい。
その話ができるまで妹は回復していたので、俺は妹のことを特に気にすることもせず、次の日東京を去った。
俺は無事実家にたどり着き、砂利の駐車場に車を停めた。重い玄関を乱暴に開き、車のキーを棚に放り込んでから居間に入った。すると庭へと続く窓が開いており、暖かな風が部屋に流れ込んできた。カーテンが大きく膨らみ、光が揺らめく。光をかき分け、庭へと視線を移すと、木の下で屈み、手を合わせている妹の姿があった。
風が吹き、草木が揺れる。木の下に置かれていたピンクのチューリップは小さく揺れては、日の光に優しく照らされていた。
最後までご覧いただきありがとうございます。
「彼女」の一周忌ということで書かせていただきました。
「彼女」がいつまでも幸せでありますように――。