File:03 軍兵
――輸送機が墜落する二時間前のユートピアにて。
チェ・スンホはユートピアの"軍"に所属していた。どういういきさつで軍に所属したのかはスンホ本人もあまりはっきりとは覚えていない。階級は中尉。何を成し遂げこの階級に就いたのかも覚えていない。それぐらいスンホにとって軍の仕事は暇かつ過酷なものであった。
パトロールがてらの市街でのランニング、まる1日以上にも及ぶ警備、こんなことを毎日のようにさせられるのが普通の軍では休息など許されたものではなかった。スンホだけでなく他の同僚も自身の肉体から漏れる悲鳴を抑えつつ働くのが精一杯だった。
今日この時間、スンホはユートピアのある市街地での行事の警備担当に当たっていた。その行事の名前は"ナティヴィタス・フェスト"――降誕祭、つまりクリスマスイベントというわけだ。人々がイベント用に街の広場に植えられた巨大なクリスマスツリーを見ている中、雪がこんこんと降り始めたエデンには天然の雲がないため、人工の雲から雪を降らせている。本当の雪ではないが、その漂う姿は見る者を魅了した。クリスマスの雰囲気をより一層濃くしている。
このクリスマスというイベントは、世界が二度滅ぶ前から存在しているのだと人々は聞かされている。実際そうであった。前回世界が滅んだ年から二万年前の穢界――地球のある地域に生まれた素晴らしき人間の誕生を祝う祭り、それが降誕祭であった。
このイベントには色んなおまじないの噂があった。"この祭りを始終楽しんだカップルは永遠の幸せに巡り会える"など、いかにもメルヘンチックな噂が多かった。それ故か若者の参加者が多く祭りは毎年賑わっていた。
スンホにはクリスマスの楽しさがわからなかった。無理もない、何年もスンホこの軍に所属している間クリスマスだろうとなんだろうと遊ぶことは許されなかったのだから。勿論そんなだから恋愛なんてものなど縁が無いに等しい。
広場のツリーに群がる人達を見て羨ましく思っていると、そこにスンホの上司であるニコライ・カラシニコフ大尉が現れた。厳つい顔ではあるが軍の中では珍しく面倒見が良く部下のことを尊重してくれるという人柄から、非常に人気のある人間であった。
「チェ中尉、ここで何をしている?」
ニコライの質問に対しスンホは敬礼を行いつつ答えた。
「広場の警備と監視でございます、カラシニコフ大尉」
「そうかそうか、自分の仕事をしっかり理解できてるようで何よりだ」
そう言ってニコライが大きく笑うとスンホは昔の自分を思いだして恥ずかしくなった。スンホがまだ軍の二等兵だった時、自身に課せられた任務の内容を理解できず上司に怒られる日々を送っていた。あの時と違い、スンホは今ではしっかりした人間になっている。
「あ、あの時はですね…その…」
「いいんだ。人間は成長し進歩する生き物だ。お前さんも二等兵だったころに比べれば立派な人間になっているぞ。自信を持てばな、人は手柄ぐらいとれるんだよ」
「ありがたきお言葉です、大尉」
礼を述べつつスンホは再び敬礼した。するとニコライはまた大きく笑ってスンホの肩をぽんぽん、と叩きながら喋り始めた。
「ところでチェ中尉、お前さんクリスマスの最大の伝説を知っているか?」
「何ですかそれは?」
「知らないようだな。よおし、聞いて驚け。クリスマスというのはな、善良な人間にとって一番の幸せな日なのだ」
「善良な…人間…ですか。しかし、それが一体どうしたのです?」
「そこに伝説が関わってくる。善良な心を持ったまま穢れなき一年を過ごした人間には――神からの贈り物があるそうだ。それも深夜に、その人間の枕元に。どうだい、素晴らしい伝説だろう?」
「馬鹿馬鹿しいですよ大尉。そもそも神だなんて――ぐえっ」
突如スンホはニコライに背中を大きく叩かれた。力が強く、いきなり飛んできたので一瞬スンホの意識は飛びかけた。
「バカモン、お前さんそんなこと言ってたら世の中つまらんぞ?」
「軍にいる時点でつまらないも同然なんですが」
「そう言うんなら尚更こういう幻想を楽しまなきゃな。でなきゃお前さん、将来彼女すら作れんぞ?」
「独身じゃないですか大尉は」
「はっはっは、痛い所を突いてくるなぁお前さんは!」
――そんな二人が談笑している中、悲劇は彼らの近くで起ころうとしていた。ましてやこんな聖なる幸せな夜に恐ろしいことが起ころうとは誰一人思ってなかっただろう。
キャアアアアアアアアアアア
誰かの悲鳴が突如市街地に響き渡った。それを聞いた民間人がパニックになり逃げ出そうとするがこの祭りの中だ。混雑して思うように動けない。
「大尉、一体何が!?」
「分からん、殺人か窃盗か…ともかく現場に急行するぞ、中尉!」
そういうとニコライは背中に担いでいた機関銃を構えながら悲鳴のした方向へと走っていった。それにならって他の軍の兵士も武器を構えつつ走り出した。
「ったく、一体何が起こったんだ?」
慌ててスンホも腰に帯刀していた軍刀を抜き、大尉の行った方向へ向かった。
暫く走っているとスンホは一人の女性に会った。酷く怯えている。
「あっちに…怪物が…!」
どうやら悲鳴をあげたのはこの女性らしいとスンホは見た。だが気になる点がある。"怪物"とは一体どういう事なのか。
「怪物?どういう事ですか?」
「ええ、正真正銘の"怪物"、化け物がいたのよ!そいつが私の息子を殺したのよ!」
「ちっ、すでに被害者が出ていたか…一体何が起きている…!?」
「…私にもわからないわよ!」
「仕方ない、とにかく貴女は逃げて下さい!ここは危険です!」
スンホはそう叫んで女性を逃がすと再び走り始めた。
――その時、路地裏から謎の生き物が現れた。人型ではあるが腕は長く、いささかよろけながら歩いている。その顔は縦に裂け目が入っており巨大な口になっていた。見るに堪えないその不気味な怪物はスンホを見つけるとすぐさま腕を振り上げ彼に襲いかかった。
「ちっ!」
振られた怪物の腕を軍刀で弾くとスンホは踏み込んで怪物の腹に向かって斬り込みにかかった。刀身が若干当たっただけだったので脇腹に大きな裂傷を作っただけで怪物は未だに敵意を露わにしている。
「なんなんだこいつは!死ね化け物!」
今度は心臓があるかと思われる怪物の胸に一突き入れた。軍刀が怪物の胸にざっくり刺さっている。そのまま刀を全力で上に振り上げ、怪物の上半身を縦に切り裂いた。鮮血が辺りに飛び散った。
「これで終わりか?」
血で汚れた軍刀をハンカチで拭おうとした矢先に、路地裏から再び似たような怪物がのそのそとでてきた。だが今度は一体じゃない。何体も何体も、怪物は市街地のストリートを闊歩していた。
「嘘だろ、まさかこいつらって…」
その刹那、スンホに新たな敵が襲いかかってきた。それに気付いたスンホは素早く敵を蹴り付け吹き飛ばした。敵はやはり人型。でも先ほどの個体と違い、"本来腕がある場所から脚が生えており、本来脚はある場所から腕が生えていた"。
「なんだ、こいつら!気持ち悪いったらありゃしないな!」
すぐさまスンホが斬りつけようとすると怪物はその奇怪な腕――もとい肩から生えた脚で高く跳躍した。逆関節になっているその脚は怪物本体を軽々とビルより高く跳ばせた。そして上空から襲いかかろうと怪物は降ってきた。
「やばい」
――その瞬間、銃声が鳴った。
ズガガガガガガガガガ
ぐええええええええええええ
怪物の断末魔らしきものも聞こえた。どうやら誰かが助けてくれたようだ。その助太刀した人間は機関銃を構えたニコライだった。
「中尉、ケガはないか?」
「大尉!ありがとうございます、助かりました!大尉の方こそご無事ですか?」
するとそこで急にニコライが黙った。いつもの彼らしくない表情だった。
「――噛まれた」
「はい?」
「化け物に…"右腕"を噛まれた。まだ痛むな」
「大変ですよ大尉!今すぐ治療しないと!」
「安心しろ、俺はまだ戦える。今の俺を見てただろ?だから大丈――」
その瞬間、ニコライの体が痙攣し始めた。銃を落とし、彼はもがきながらその場に倒れこんだ。口から泡も吹いている。
「大尉!?」
その時だった。ニコライの顔に縦の裂け目が表れ、その断面には牙が付いていた。軍服が破れ、"右腕"が膨張し始めた。
「嘘だろ…大尉…!」
気がつくとスンホの目の前には大きな鎌状の右腕をした口が横に裂けた怪物が立っていた。怪物はスンホを見るとのっそりのっそり近づいてきた。地面に捨てられた機関銃が踏まれて壊れ、使い物にならなくなった。
「そんな…こんなことがあってたまるか…!」
それっきり、スンホは気を失った。
スンホは病院の一室にあるベッドの上で目を覚ました。視界に映る天井の蛍光灯が眩しい。体の節々が痛い。喉がカラカラだ。
「気がついたみたいだな」
声に気付き彼は部屋を見回すと、ベッドの横に一人の女性がいた。服装から察するに軍の人間のようだ。
「お前は都市部でのゼーヴァ急襲で負傷していた。私がいなかったらお前はあいつらのお仲間になってたぞ」
そう言われ、スンホは自身の腹部に目を向けた。腹に巻かれた包帯に血がにじんでる。
「僕は…死んでないのか…」
「安心しろ、死ぬ程度の傷じゃない。それに"ゼーヴァ胞子"が体内に残留していたがそれも全部抜いている」
ゼーヴァ胞子、というのは読んで字の如くゼーヴァのばらまく胞子――いわばウィルスのようなものだ。ゼーヴァの肉体を構成する主な物質でもあり、ヒトの体内に入り込んでは細胞をどんどんゼーヴァの細胞に変えていく。摘出が間に合わなければ感染者の人間はそのままゼーヴァになる。
「ところであなたは誰ですか…?」
「あぁ、私か。私はリー・チェンシー中佐。階級はお前より上だがリーだけで構わん。…にしても大尉が亡くなってしまったことは私も…非常に悲しく思っている。こんな平和な世の中で警備しかしてなかった我々にいきなり穢界にしかいないはずの天敵のゼーヴァが現れたんだ。こんなことがあってたまるかよ…!」
スンホの目の前で彼女は悲嘆の叫び声を挙げた。中佐であるとはいえ彼女は感情的になりやすい性格のようだ。
「リー中佐…大尉のこともそうなんですが、都市部のゼーヴァは一体どうなったんでしょうか…?」
するとチェンシーは一度静かになった。そして再び声を挙げた。
「ああ、あいつらか。全部まとめてぶっ殺してやったさ!憎い憎い憎い憎い憎いクソ共なんかさっさと死んじまうがいいってな!…でもそんなことしたって死んだ住民は生き返らないしゼーヴァからヒトに戻ったりもしない。命っつーのはなんか…儚いもんだな」
「鎮圧はしてる、ということですね?」
「当たり前だ、それができなきゃ軍として機能してねえぞ。んであの一帯は隔離されてあとは"AXIS"の連中が全て指揮をとるらしい」
AXIS――Anti Xeva Interception Soldiersの略称。対ゼーヴァ用の戦力としてユートピア内にゼーヴァが出現した場合に出動する特殊部隊のことだ。
「面倒なのが介入してきましたね」
「ああ。連中は打倒ゼーヴァの為なら住民の命など惜しくない血も涙もない奴ばっかだからな。人間の姿をした単なる戦闘兵器だよあいつらは」
「住民が避難しているとはいえ、どういう対処をするんでしょうか」
「連中のことだ、軍が隔離した区域内全てを滅却するんだろうな」
スンホは怒りを覚えた。奴らは住民のことを一切考えていない。もし隔離区域の中に避難できてない人間がいたらどうするのか。仮にゼーヴァしかいなくても滅却による環境被害などは考慮しないのか。ゼーヴァの残滓でもある胞子が煙などによって雲に混ざったりしたら手がつけられなくなるかもしれないのに!
「脳筋の考えてることなんざ私は知らん。裏で解決策があるとしてもどうせ信用できん」
「なんとかできないんでしょうか…?」
「中佐の私ではAXISの動きには干渉すら不可能だ。それこそ大佐クラスでないとな」
「ちっ、今の僕が無傷であれば…!」
「馬鹿かお前は。自分の心配を先にしろ。安心しな、私が何とかしてやる」
「そんなこと言われて『はいそうですか』なんか言えませんよ!」
「じゃあこれでどうだ?」
急にチェンシーは振り返り、スンホに自身のうなじを見せた。
「こいつが何かわかるか?」
蜘蛛のような模様をしたタトゥーがそこにあった。だがただのタトゥーには見えない。それはもっと異質な何かだった。
「知らねえなら教えてやる。こいつはなぁ、"烙印"っていうんだ」
烙印なら存在ぐらいならスンホも学校で習った。だが実物がこんなものだとは彼は知らなかった。
「こいつは"インフェルノの烙印"っていうんだ。"地獄"の烙印、つーわけだ」
烙印には7種類ある。蜘蛛型のインフェルノ、鍵型のエンピレオ、龍型のリンボ、時計型のパライソ、結晶型のプルガトリオ、家紋型のエデン、翼型のヴァルハラの烙印と形状は様々である。
そもそも烙印というのは全能なるアヴァロンから刻印される、という知識はあながち間違ってはいない。だが実際はアヴァロンの下僕である演算補助AIの七基によって刻まれる。彼らの名こそそれぞれの烙印の名前である。
烙印は子供にも刻印される。だから刻印された子供はフォールクアッドにてドラグーンとしての知識などを学ぶこととなる。