第47階層 煩悶
龍村は休日の土日、昼から軽音のメンバーと合わせる練習に参加している。平日の夜にひとり練習をすることもあるが、やはり四人で音を合わせると自分の未熟さが浮き彫りになって、空いている時間はベースギターをいじるようになった。
そして今日は、なぜか見学で彩羽が付いてきている。隅っこでニコニコしながらベースを鳴らす龍村を眺めていた。ほかの三人は休憩がてら、菓子をつまみながらケラケラと話している。
「アチシのクラスの多友ちゃんの彼ぴが小説家目指してるんだけド」
「冒険者で小説家ってすごーい☆ 二刀流☆」
「え~、それすぐ別れたほうがいいよ~」
「えーなんで? 陰キャ☆だから?」
「アチシも言ったのヨ。ソイツ彼女っていうものをネタにしたいだけジャネ?って」
「ちがうちがう~。作家っていうのは孤独の中でしか真の文学は生まれないんだよ~」
「深い☆」
「ナニソレ、深イイ」
こんな感じで延々と喋っていられるギャルという人種。猿顔の藤木藤乃は骨折している手を包帯でぐるぐる巻きにしている。ちんまい岩成緒流流はドワーフ族でロリ体型と呼ばれる幼い姿である。背中に蝙蝠羽根を生やした古森夜蘭は、目の下に星をくっつけて、いつだって三人でこんな話を続けている。
「……話していて疲れることはないのだろうか?」
「疲れる? どゆこと~?」
「つまり、大事な喉を痛めちまうよ、お嬢さん方☆! という気遣いだと思うよ、藤のん☆」
「やべぇ、紳士的な言葉に濡れル」
「まったく違う……」
というよりギャルの集まりに武士道女という異物が混ざり合うはずもないのだった。特に目的のない会話を一刀両断すると、ケラケラと笑われるのはなぜだろうと龍村は思った。侮辱されているとかではないから嫌ではないのだが、会話をだらだら続けることが目的で、そこに意味はあるのかと考えてしまう。
「頭を使わないで喋るんだよ。ノリとテンション☆」
「だけど言いたいことを言ってれば良いって訳じゃないんだよ~? ちゃんとTPOを弁えてないとNG~」
「会話が止まらないことが重要ヨ。あとは面白ければ尚ヨシ」
昔祖父に連れて行ってもらった大喜利をなぜか思い出した龍村だったが、慣れていないと想像以上に難しいことがわかった。祖父に言われたことがある。「芸人ほど頭をつかう連中はおらん。高尚な笑いとは、無知からは生まれぬものじゃ」と。当時言っている意味は良くわからなかったが、おどけて笑いを取る人たちに祖父は敬意を払っていた。龍村が緒流流たちに抱く思いも、きっと祖父と似ていると思う。
「彩羽は歌を歌わないのか? 歌うところを見たことがないが」
「歌は好きですよ。でもね、エルメスが、人前で二度と歌うなって言うんです。乙女心を傷つけられました」
「……そうか。なら触れないでおく」
「そうしてそうして」
きっとそれは人魚姫の歌声には魅了の効果があるというから、エルメスが余計な気を利かせたのだろう。彩羽に関しては、エルメスも身内扱いで心配するところがあるのを龍村は知っていた。
彩羽は楽器に関しても造詣が深く、ギターの夜蘭やドラムの緒流流が彩羽に質問をすると、それに笑顔で専門用語を交えながら答えていた。龍村は表面上の演奏を教えてもらっただけなので、彩羽からしたら及第点に届くかどうからしい。「素人に毛が生えた程度で、聴いてられない演奏ですね」と笑われる。言われてムッとしたので、音楽に情熱を持っているわけではないが、及第点までは頑張ろうと龍村は思った。
一曲通して練習を行い、冬の学祭に向けて完成度を上げていく。歌う曲はコピー曲というメジャーで発表されているアーティストの曲らしい。自分たちで作詞作曲したオリジナル曲もあるのだが、音楽方面に詳しくない龍村は違いがわからない。ただ、知られている曲は観客受けがいいらしく、自分たちの演奏を知ってもらい興味を持ってもらったところで、オリジナル曲を挟むのだ。わたしたちはここにいる――そうやって自分の存在証明を叫ぶ。わたしたちを知れ。そういう強い思いが実は隠れていることを、龍村は彼女らと一緒に過ごすことで知ることができた。
「藤のんはもう怪我治るよね☆ 十階まで到達したらまたパーティ組む?」
「ふたりには悪いケド、モウ入るクラン決めちゃったノヨ」
「え~、どこにしたの~?」
「全然知らなかった☆ なんで言ってくれなかったのー?」
練習五割、雑談五割の空気感に最初は戸惑っていた龍村だが、それにも慣れてきた。彩羽から手渡されたスポーツ飲料を喉を鳴らして飲む。もう冬だというのに、一曲通すと額が汗ばんでいる。
「アレは忘れもしない、学校近くの接骨院の待合室での出来事だったノヨ」
「もう結論から言っちゃいなよ~」
「はしょっちゃえ☆」
「面倒くさがらないで聞きなさいヨ! 待合室のベンチで待ってたら、一匹の猫人族がトコトコやってきたノヨ。茶虎のバンカラ猫だったワ」
「猫可愛いよね~」
「白猫の太刀丸ちゃん可愛いよね☆」
「番長猫は真っ直ぐアチシに向かってきて、膝に飛び乗ってきたノサ。膝の上で勝手に丸まって昼寝を始めた茶虎番長に、アチシは心を打ち抜かれちまっタ」
「いいないいな~」
「夜蘭ちゃんはすぐ構っちゃうから☆ 猫ちゃんも休めないんだよね☆」
ぷくっと膨れた夜蘭の頬を、緒流流がつつく。
「アチシは怪我をして触れないから、安心して休める座布団だと思ったのかも知れないワ」
「座布団~ww」
「それでいいのか藤のん☆」
「それでもイイと思わせる猫人の魔力ヨ。アチシは猫人族を見守る会のクラン『猫股股旅団』に入るワ」
「応援するよ~」
「推しを一途に思うのすごい☆」
「でもあのクラン~、猫人族五匹に対して~、サポートが五十人くらいいるらしいよ~。あたしも入ろうと思って調べたから~」
「うわー、狭き門だ。頑張れー☆」
猫人族は気まぐれだから、一度に五人全員迷宮に潜ることはない。多くて半分、六名のパーティでサポート要員が三から四名付く。移動だって背中のリュックに収まって楽をし、昼寝のために休憩は多め。猫人用の食事をその場で調理する甲斐甲斐しさ。戦闘は猫人族が得意なため、盾役のタンクがいれば安定した迷宮攻略になる。だからクラン『猫又股旅団』はイメージ先行のイロモノクランかと思いきや、しっかり実力はある。むしろサポート役の世話係たちが猫人を守るためにそこらの戦士より強くなることで、『猫又股旅団』が維持されていると聞く。全部他クランを調べていたリーダーの受け売りだが。
「オルルたちどこ入ル?」
「クラン新設するっていうリーダーのとこは~?」
「たっつんのとこだ☆」
「クランも一緒~」
緒流流たちの目が龍村に集まる。
「私からリーダーに話を付けてもいいが、こと迷宮に関しては冗談が通じないほどスパルタだぞ」
「一緒に十階層まで攻略した仲だよ~」
「あのときはいっぱいお世話になったね☆」
「一度のアタックで三ヶ月滞在することになるが、まあ過ごしてみれば慣れるだろうか」
「三ヶ月ゥゥ!!??」
藤乃が飛び上がってそのまま椅子からひっくり返った。緒流流や夜蘭がそれを見て腹を抱えて笑う。
「一週間でもしんどいのにね~」
「サバイバルを三ヶ月もしたら文明忘れそう☆」
「そこはリーダーが快適さを提供してくれているが、現実の一週間の間に一年以上の体感時間を迷宮で過ごす覚悟は必要だろうな」
「そんな時間があったら~、演奏うまくなっちゃうんじゃない~?」
「一個楽器持って行ってプロになって帰ってくるみたいな☆」
「それアリだワ」
「面白い考え方ですね。貴重なアイテムボックスの枠を使うことに抵抗がなければやってみたいかもしれません」
おどかすつもりで言った龍村の言葉を前向きに取るガールズである。彩羽までノリノリだった。
宿題を持って行くと、全部解答を埋めても迷宮から出ると白紙に戻るという難点はあったが、逆に同じ教材を使ってわかるまで勉強会をやらされた身としては、リーダーが楽しいことばかり容認してくれるとはかぎらないと言っておく。闇音はゲーム機を持ち込んで夜な夜な進めていたみたいだが、迷宮から出るとセーブデータが戻っている現象に襲われ、真っ白に燃え尽きたというようなこともあった。だからRPGよりパズル系を選んでやっているようだ。
知識だけ溜めるのであれば読みたい本を持ち込めばいいし、迷宮内で時間を掛けて伸ばすスキル系の〈調合〉や〈錬金〉、〈細工〉や〈工作〉はオススメである。それもこれも、リーダーが《荷役》のジョブを持っていて、持ち込める荷物の量が三ヶ月分余裕であるためだ。パーティにひとりは《荷役》がほしいところだが、最初の頃は探索時間が短くあまり恩恵を感じられない。探索時間が長くなればなるほど、持ち込める荷物量が是非を分けるのだ。だがそれぞれ所有する〈アイテムボックス〉だけでは容量不足を感じ、本格的に《荷役》を欲する頃になると、自分に馴染んだジョブや昇級したジョブを消すことの抵抗感や、これまでのコスト投資を惜しんでしまうものが圧倒的に多い。そうなってくると、最初に〈アイテムボックス〉を生徒全員に給付するのも、《荷役》を最初から必要に思わせないやり方が見方によってはズルいと思う。リーダーのように戦闘に不向きでサポート向きであるか、ひとりで野良迷宮を極めようと思っていないと取ることはないだろう。
「音源持って行けば歌の練習も余裕~」
「男女迷宮で一日会わざれば刮目して見よ☆」
「ともあれ三ヶ月はズルレベルだと思うワ」
練習には確かにもってこいの時間である。音を出すということで周辺への危険がかぎりなく高いことや、他の仲間に見られることが前提だった。リーダーに要相談だ。
「どんなに歌の練習をしても納得のいく仕上がりにならないのだが」
「音程はばっちりだから、あとは感情を歌声に乗せるのさ☆」
「歌詞に共感するくらいが最高~」
「あとは表情が出てるといいヨ。作ろうとするんじゃなくテ、勝手ににじみ出てくる感じガベスト」
難しいことを言われているわけではないが、とても曖昧なものを求められているのはわかる。耳で聞いた音楽を自分の声で再現するだけならば、うまいと言われる。しかし点数を競っているわけではないし、歌う場所はカラオケ屋ではなくステージ上だ。観客の心を揺さぶってこそのパフォーマーだった。
「好きなひといるでしょ? 思いよ届けー! って歌うの☆ そうすれば感情ダダ漏れ☆」
「たっつんに好きなひとおる~?」
「あの高慢エルフはうまそうヨ。ふふ、今度糞猿と入れ替わって乳首舐めてやろうかしラ」
「藤のんのそれは恋とは違うゾ☆」
「藤のんにかかれば古代エルフが狩られる側に思えてくるよ~」
「アチシがエルフの乳首のひとつやふたつペロペロしてやんヨ……ぐふふ」
これは恋ではないだろう。捕食、という言葉が的確に思えてくる。
つまるところ、観客の感情を揺さぶる歌声は、感情を込めるのが近道だと言う。自分に込められるだけの感情があるだろうかと、龍村は自分に自信がなかった。顔には決して出さないが、揺れている自分が龍村の中にはいた。彩羽だけには筒抜けなのか、目が合うとぐっと拳を作って応援された。
〇〇〇〇
『兄しゅき』のネギ頭の先輩から、「六人とも調教完了してどうにでもできるよ」とメールが入っていた。「二度と人様に迷惑かけないようになっていればいいです」と返信すると、「ツメが甘いなあ」と返ってきた。自分でもそう思う。しかしこうも思うのだ。「先輩たちの手にかかって廃人コースになるのが甘いですか?」と。「そりゃそうか」と。この一件はそれで片が付いた。残りのひとりを探すのは自分ひとりでやればいい。襲ってきたら容赦しないと周囲に示すのが目的だったから、九割は達成できているのだ。
同時進行でパーティメンバーの調整も行う必要があった。
闇音のレベル上げと、《調教師》の試運転だ。姫叉羅・龍村はそれぞれなんだか晴れない様子が続いていた。動きに問題があるわけではない。内面の悩みが解決していないのが、表情やわずかな動きに出ているだけだ。それでも順調に階層を更新し、レベルアップしている。
四人で挑んだ二十一階層は、ゴロゴロと黒い空が不機嫌そうに唸る、薄暗い霧のかかった平地だった。
空は黒雲に覆われていて日が差す気配がない。ずっと雨が降り続くエリアもあるから、ここもそういう類いの固定環境なのだろう。ときどきというか、三分に一回は稲妻が地面に突き刺さるような危険地帯だった。そして雷雲の中に、数百、数千に届くほどの鳥類が飛んでいるのがけたたましい鳴き声とともにうっすらと見えた。雷雲に稲妻が迸ったときに、小さく発光する鳥の魔物が星空のようにちらつくのだ。
サンダーバードという名前が相応しいだろう。雷雲の中に生息する危険度A級の魔物だ。周りは低い灌木ばかりで、まばらに立つ樹木も避雷針となって焦げ付いているものが多い。いままさに落雷を受けたばかりといった燃える木もあった。
感電対策にゴム手袋とゴム長靴である。見た目は戦う清掃員といった感じでシュールだが、このエリアの大半が帯電する魔物なので、対策としては至極まっとうだった。格好を付けてプレートアーマーで闊歩した日には、三分に一度落雷に襲われることは間違いない。命がいくつあっても足りない。なんなら魔物に遭遇する前に死に戻りするものが多く、ハズレエリア認定された『仄暗い雷霆の階層』であった。
食糧はいつも通り豊富に用意し、数ヶ月分の滞在を視野に入れているが、滞在予定ギリギリまでいられるかはエリア環境にどれだけ馴染めるかだろう。どんな環境でも生き抜くことができれば、この先の攻略への経験値になる。いまは苦労を買ってでも得るべきだ。闇音が怠けて動かないのがネックだが、これも《調教師》のスキルで少しずつ意識を変えさせる訓練と思うしかない。
〇〇〇〇〇〇
バチバチと放電現象が辺りに立ちこめる中で、姫叉羅は得物を振るい続ける。
頭を真っ白にして、迫り来る魔物を屠り続けた。手に残るずしりとした重み、体の至る所からあがる筋肉の悲鳴、呼吸すら忘れてしまいそうになる一瞬一瞬の戦闘の判断に、考えることが億劫になる。それでよかった。龍村が勢いを止めた魔物を瞬時に始末する。受けるところを間違えれば痺れてしまう。いまも右肩に攻撃が掠めた所為で、二の腕から先の感覚がなくなっていた。
紫電を纏った狼の群れをあらかた屠ったところで、リーダーがある一点を指差す。そこには崖の上からこちらを見下ろす一本角の虎がいた。
「あれは雷虎だね」
「雷狼だの雷狐だの、とりあえず雷系にすれば良いってもんじゃないんだよ、ぷんぷん」
「パイセンはなにに憤ってんだよ」
「静電気で髪の毛が逆立つしパチパチするしで安心して寝れないよ!」
「戦闘中だよ! 起きて戦え!」
「だるー」
雷虎は二十二階層のエリアボスだったようで、周囲の魔物とは一線を画す強さだった。だが、単体であれば龍村がうまく足を止めてくれる。その安心感は要塞のようにすら見えてくる。意識が龍村に向いている敵を両断するのは容易かった。こちらに向かってきたところで、龍村が言葉通りの横槍を入れて弱らせてくれる。無駄のない戦い方をする龍村だったが、雷虎を討ち取った後も晴れない顔をしていた。
「龍村さんは全員の立ち位置を忘れてたでしょ。闇音と僕の位置が入れ替わっても気づいてなかったよ」
「……頭ではわかっているのだが」
「できるようになるまで頑張ろう」
龍村は後衛の護衛も兼任しているから、全員の立ち位置から敵との距離まで、認識していなければならないことが多い。いままでは目の前の敵を防ぎ、暴れるだけで済んでいた。だが、それでは足りないと龍村からどうしたらいいかとリーダーに相談したのだ。リーダーは上級生の龍村がお手本になりそうなジョブ持ちに聞きに行ったみたいで、龍村のやるべきことをノートにまとめて、それを確認しながら示していた。それは理に適っていたので、姫叉羅も言うことはない。混戦状態だと射線とか範囲攻撃とか、先にわかっていないと致命的なことが多い。目の前の敵とだけ戦っていられれば満足だが、脳に負荷を掛けることでいまの自分から成長するのだと思えば、やらないわけにはいかなかった。いまの自分に満足できないのだ。胸を張って、強いと言いたい。
二十五階層。
二週間掛けてここまで進み、雷系の魔獣を徹底的に蹂躙し尽くした。そして景色はがらりと変化する。暗雲は変わらずだが、平地やら丘陵だったエリアから、木々の乏しい山岳地帯になっていた。そして探索していくうちに、遺跡のような場所を見つける。山の斜面の窪地に突然現れた石造りの遺跡には、柱のひとつひとつにまで彫刻が彫られていた。文様や動物、あるいは魔物の類いだ。
「こういう景色に巡り会えるから迷宮探索はやめられないよね」
「祖父について世界を回っていたときに、こういう遺跡は何度か見たな。荘厳と言おうか、歴史の重みを感じる」
迷宮内にあるのだから、実在の歴史上の建築物ではないのだが、迷宮は異世界の景色を写し取り、切り取ってかぎられた箱庭を作っているのではないかというのがリーダーの考えだった。だから中央アジアの遺跡のようなこの光景も、どこかの世界で実在した遺跡をコピーしたものかもしれないのだ。
「旅行しなくても観光できるってことか」
「観光の醍醐味はうまい飯でしょーよぅ」
「パイセンは花より団子って言葉知ってるか?」
「団子ならみたらしが好き」
「そういうことじゃねえ」
姫叉羅が小脇に抱えた闇音が、脳天気な顔をして言う。歩く気配がないのでもう掴んで移動しているのだった。
「でもさ、こういう意味深な場所ってさ、やっぱさー、いるよねーリーダー」
「RPGじゃまあ鉄板だけどね」
「ゲームやらないけど、アタシにもわかるわ」
「強者の気配を感じる」
奥へ進むが、途中にまったく魔物がいなかった。イベントが起こりそうな場所だというのは全員が肌で感じていた。そして屋根のない玉座のような広い場所に出る。一際異様な姿の人型魔物が中央の台座に鎮座していた。金糸の袈裟、金の装飾に身を包んだ赤肌の偉丈夫。目に瞳はなく真っ白で、顔つきは口が裂けて怪物寄りだ。
「なにあれ? インド系? 雷系だとインドラ?」
「その劣化版だね。神級がこんな浅い階に出てくるわけないし。シャクラって名前らしい」
「でもあの手に持った鉄アレイみたいな金ぴかって、金剛杵ってやつだよな。雷発生させる宝具」
「劣化は劣化でも属性は雷だから、雷打ってくる可能性は高いね」
リーダーの観察眼でとりあえずの情報が曝け出される。エリアボス、シャクラ。赤雷の僧兵。ゆっくりと立ち上がり、左手に金剛杵、右手にぐねぐねと鞭のような動きをする剣ウルミを持って構えた。
「シャシャシャ、シャシャシャ」
金糸の袈裟をまとい、僧侶のような佇まいである雷を纏う僧兵が、息を吐き出すように笑った。
「笑われてるよ、姫叉羅っち。図体ばっかりでかいってさ。あとその無駄にでっかいおっぱいをうちにも分けろって」
「まずパイセンから血祭りに上げるぞ」
「姫叉羅、くるぞ」
先手とばかりにシャクラが金剛杵を振り上げると、先端からいかずちが迸った。真っ直ぐ空気を焼いて突き刺さる雷撃を、龍村が槍先で斬る。周囲には、もはや嗅ぎ慣れたプラズマ臭が漂う。
「相手は一体だが、遠近使い分けるぞ」
「きっともっと上の階層では何体も出てくるパターンなんだろうね。あるいは神級のインドラになるのかも」
「リーダー、そういう考察はいまはいいんだよ。目の前の敵に集中しろ」
「まず私が隙を作る」
「おう」
龍村が姿勢を低くして人型ボスのシャクラ相手に距離を詰める。
いつもなら闇音の尻を蹴飛ばしてでも戦うように仕向けるところだが、直接触れると感電する敵が多いこのステージでは、近接戦闘向きの闇音は不利である。戦闘の形も、闇音が先鋒でひと当てして、そこに姫叉羅がフォローに入るという形が理想だった。龍村は後衛を守る壁役で、混戦となれば的確に攻守の状況判断をする要となる。全員アタッカーなので、役割分担ということだ。
闇音は今回に限り自分の役割が少ないので、四六時中雷雲がゴロゴロとうるさくなければこの環境を気に入っていたかもしれない。できることといえば《影魔術》でのサポートが主な仕事になっているが、繊細な操作が得意ではないのでフレンドリーファイアの恐れがいつもつきまとった。動きたくないマンの闇音を出しにくいところだが、それで何も成長しないのはリーダーが許さない。いまも影縛りや影の囮を闇音に指示して生み出させ、シャクラの気を逸らす方向で魔術を使わせまくっている。
リーダーはリーダーで、《調教師》のジョブを育てるために闇音への指示出しを細かくしているのだ。
つまり、戦闘経験に無駄なところなどなにひとつない状態にする。姫叉羅は龍村との連携に集中できたし、呼吸がわかってくると、だんだんと龍村がここで決定打を打ち込んでほしいというのがなんとなく見えてくる。そこに誘導する龍村の技術が高いのももちろんだが、姫叉羅の一撃の破壊力のポテンシャルを龍村もわかっているからこそできる阿吽の呼吸だ。
パーティとして戦っていると思っている。ただ、姫叉羅は自分が楽をしているような気になってしまい、もやついていた。強い攻撃を繰り出すためのお膳立て。そう思えてしまうのは連携を組み立ててくれる龍村に申し訳ないのだが、自分にも何か、無駄なことを考えている暇がないくらいの頭脳プレイをしていたい。
「姫叉羅は電撃に慣れたか?」
「戦闘中に雑談なんて、龍村も余裕じゃん」
「いやなに、雪山で身動き取れなくなることに比べれば、少しくらい痺れる程度、逆に目が覚めるというものだ」
「アタシはあんまり好きじゃねえな。感覚がなくなるのが気持ち悪い」
「ならば私が正面から受けよう」
赤銅の腕が金剛杵を掲げると、瞬く間に雷撃が走る。それを正面から龍村が盾で受けて、そのまま突っ込んだ。シャクラは鞭のような細い剣を振り回すと、龍村の盾と腕をかすめた。それでも龍村の足は止まらない。スパスパと縦横から打ち付けられるウルミ剣を受け続け、ついに近接の間合いに入った。囮となっている龍村の背後から、姫叉羅は飛び出して脇腹に一撃を加えるつもりだった。しかし間髪置かずに振り上げられた鞭剣に嫌なものを感じ、咄嗟に手にした鉄棍を投げつける。真っ直ぐに飛んでいった鉄棍はシャクラの肩口を打った。ウルミ剣が手から離れて飛んでいく。
「姫叉羅、これ!」
リーダーの声とともに飛んできたのは戦斧だった。空中で掴み、駆け出す。よろめいたシャクラにひと断ち浴びせようと振り上げたところで、シャクラは金剛杵を掲げた。カッと光ったと思った。お構いなしに戦斧を振り下ろし、金剛杵を持った左腕を叩き斬るが、シャクラが呼び寄せた落雷が四人全員に狙ったように降り注いだ。
「ぐぅぅぅぅ!」「あぐっっ!」「あばばばば!」
「――――――ッ!」
全身を貫く激痛に身動きが取れなくなる。だが、あと一歩だった。強引に痺れて感覚がなくなる体を動かし、膝を突くシャクラを見下ろす。
瞳のない白目に、怯えのような陰が差した気がした。
「終わひら!」
口が痺れて回らなかったことにちょっとだけ恥ずかしさを感じつつ、斧を振り上げ、断頭台のごとく振り下ろす。うなだれるシャクラの体を半分ほど断ち割った。次の瞬間には光の粒になって消え去る。後には金剛杵が残されていた。
振り返ると、闇音とリーダーがひっくり返って動かない。龍村は立っているが、槍に寄りかかっている。
どうやら動けるのは姫叉羅だけのようだ。姫叉羅だって全身が痺れてピリピリして気持ち悪いが、高い抵抗力のおかげで動けないほどではない。
全員が動けるようになった後、リーダーに言われた「姫叉羅は耐久値が高いから頼もしいね」の言葉に、なんとなく自分の求める道があるような気がした。だからといって、攻撃をすべて敵と相打ち覚悟の戦闘を繰り返すつもりはないが。
エリアボスを倒した後も、休憩と移動、戦闘を繰り返していく。およそ三ヶ月に渡る迷宮探索によって、三十層までのフロアは隅々まで踏破していった。フロアボスは出現しなかったが、レアアイテムや素材をリーダーは回収してほくほく顔だった。
しかも一年にして、二年の合格ラインである三十階層のフロアボスまでやってきてしまっている。そのボスもシャクラと比べて見劣りするようなレベルで、雷系でなかったことで闇音が解禁される。むしろいままでの鬱憤を押しつけるように、龍村とアイコンタクトを取って闇音に戦わせるよう仕向けた。泣き言漏らそうが糞を漏らそうがお構いなしにボスへとけしかけた。リーダーが震え上がっていたが、いままで楽をした分苦労をすべきなのだ。この瞬間、言葉を交わさずに龍村と意思疎通ができたと思えた。ボスなので体力オバケだったが、半日ほど削り続けてついに突破した。突破するように龍村と姫叉羅でお膳立てしたのが正しいか。リーダーは最後の方、言われるままに闇音をケアするサポーター人形と化していた。
気づけば一年のパーティではトップを独走している。古代エルフのパーティよりも先んじているのだ。リーダーに到っては前回のパーティ壊滅で、単独で三十階層を突破していた。翼蛇の力に頼っているところが大きいが、慌てず焦らず、難なく到達するポテンシャルは備わっている。
階層を更新して現実世界に戻ったときは、ちょっとした自信になる。死に戻りして喪失感と敗北感に塗れて無機質な寝台から起き上がることに比べたら、生きて帰ってきたことだけでも十二分に満足感があった。
人工的な建物の匂いが懐かしいと思ってしまうくらい、迷宮での時間が長かったのを体感する。
「もう帰って寝る……おつだん……」
「おつだん?」
「お疲れダンジョンの略」
「闇音のレベル更新は明日でもいいよ。明日僕と一緒に行こう」
「ならば私も明日に一緒させてもらおう。この黒まんじゅうの頑張りに免じて、部屋まで送っていく」
「でもうち、男子寮だよ?」
「なんで男子寮なのだ。女子寮の部屋はどうした?」
「えー、焼けて住めなくなっちゃってー」
「そういうのは寮母に相談すべきだろう」
「あ、やば……」
「ほら行くぞ」
闇音が逃げ出そうとするのを捕まえた龍村は、姫叉羅に構うなと手を振った。その目は姫叉羅を見ており、何かを託されたような気になる。ふらふらと歩く闇音を後ろで監視しながら、龍村は行ってしまった。
それよりも明日龍村とリーダーが(闇音も)一緒に迷宮に入ることを決定事項にした気がするが、それはまた今度考えるとして。
迷宮エントランスに並んだタッチパネルでジョブやスキルの設定ができる。迷宮内では変更ができないので、ここでステータスを確認するのだ。レベル更新の画面に触れ、姫叉羅のレベルが目標に到達したことが表示される。
ジョブツリーのスキル合計レベル値が五十を超えたため、《鬼戦士》から《鬼闘士》へ昇格が可能だった。
「ランクアップだね」
「これがまだ最初の一歩だもんな。果てしねえな」
「姫叉羅もあと四回は変身を残してるからね」
「アタシはどっかの形態変化する宇宙人じゃないんだよ」
軽いやり口をしながら昇級を行う。リーダーが付いている必要はなかったが、少しでも自分の目で確かめたかったのだろう。周りも自分のジョブを変更したり、昇級やスキルの構成で一喜一憂している生徒が多い。
そこに現れたのは、ダンス部の先輩の大上真梨乃だった。
「姫叉羅、嬉しそうですね」
「真梨乃先輩! そうなんす。レベル上がってクラスアップしたんスよ」
「それはおめでとうございます。それで、そちらがパーティメンバーですか?」
「そうっス。アタシらのリーダーで――」
「大上真梨乃さんでしょ。噂はかねがね」
リーダーは言葉を被せるようにして、真梨乃先輩に挑むような態度で見ていた。なぜそうなるのかわからない。初対面の相手にリーダーがここまで強気なのは珍しい。むしろできるだけ目立たないように必要最低限で済ますところがあるから。
「どんな噂ですか? 姫叉羅の部活の先輩だというのは知っていたでしょうが」
「いやあ、迷宮では随分とご活躍されてるみたいですからね」
「戦乙女隊のクランはご存じですよね」
「クランの方じゃなくても知ってますよ。初対面じゃないですもんね」
「……ふうん、よく調べてるみたいですね」
「借りた分は熨斗つけて返す主義なんですよ。ほかのメンバーにはもう十分すぎるほどのお礼はさせていただきました」
「私はあんまり興味ないからどうでもいいですけど、でも連絡が付かないのはそういうことなんですね。この学園から追い出しましたか?」
「拷問趣味の方と仲良くさせてもらってて、その人の実験にちょっと付き合っていただいただけなんですよ。でもよっぽど記憶に刻み込まれたみたいで廃人みたいになったかもしれませんけどね」
不穏な空気なのは姫叉羅も察するところだった。リーダーは明らかに怒っていたし、真梨乃先輩はその怒りの出所を理解しているようで、受け止めた上で堂々と言い返している節がある。しかしリーダーの言葉はちょっと危ない。拷問趣味ってなんだ。
「ちょっと場所を変えましょうか」との真梨乃先輩の言葉で、冷たい風の吹く無人の屋上へ向かった。正直姫叉羅は蚊帳の外だったが、部活動の先輩とパーティーリーダーを放って置けるはずもなく、むしろ同席してほしいと両者に言われてしまれては知らんぷりはできまい。
「ここまで聞いて姫叉羅はどう思った?」
「なんかよくわかんないんスけど、真梨乃先輩が何かしたんですか?」
「何かした、ですか? あはは、まだわからないんですか?」
初めて見た真梨乃先輩の感情的な顔だった。いつもの優しい顔から一転して、目が鋭く剥き出しの刃を感じさせる気配だ。姫叉羅はいままでの話からなんとなく繋がるところを感じていたが、理解したくないと頭が拒絶しているのか、それ以上の答えを出せずにいる。
「それはですね、姫叉羅」
真梨乃先輩はポケットから何かを取り出した。すわナイフかと思いきや、それは革でできたものだった。真梨乃先輩はそれを自分の首回りに持って行き、肩に掛かる髪を払って巻き付け、締めていく。革には二メートルほどのチェーンが伸びており、それを手にリーダーへと突き出す。
「――この度は私を飼ってもらおうと思いまして。一匹も二匹も一緒でしょう? ご主人様」
姫叉羅は弾かれるようにリーダーを見る。リーダーは姫叉羅の視線に気づくと、全力で首をぶんぶんと横に振る。真梨乃先輩がリーダーに距離を詰めると、リーダーは一歩後ろに下がった。両手を前に翳してなおも首を振る姿に、リーダーのほうに本当に心当たりはなさそうだ。
姫叉羅は真梨乃先輩を指差し、次に自分の首を指差す。リーダーは知らないとばかりに首が千切れんばかりに横に振った。