第37階層 過去の清算
二話連続投稿の一話目。(1/2)
解散は店の前で済まされた。姫叉羅と黒づくめの少女は寮に直帰し、ギャル三人組は駅前のカラオケに繰り出すという。龍村も誘われたが、旧パーティのふたりと話したい気持ちがあったので遠慮した。彼女らは手を振り去っていく。
一方、なんだかんだで仲が良いのか、サル顔♂と白猫、黒髪少年はいつの間にか連れ立ってどこかへ消えた。龍村は声をかけようと思っていたが、ギャルたちに話しかけられて応対しているうちにいなくなってしまったのだ。もっと別れを惜しむべきだと憤慨する。
みな思い思いに行動しすぎる。まあ、そういう連中が集まった『打ち上げ』だった。こうやって集まって賑やかしく楽しむことを打ち上げというのだろう。夜の街に溶け込んだ黒髪を龍村は首を回して探したが、もうどこにも見えなかった。
「落ち着きないですね、龍村さん」
「女トカゲの、便所済んでおきます、早く」
「トイレではない。ただ、少し……」
喉につかえたように言葉を濁した。黒髪のパーティには入りたいから探していたと言ったら、ふたりはどんな反応をするだろうか。そもそも因縁のある相手だから、良い顔はしないだろう。
「あの召喚士の男子を探してるんですか?」
「……なぜに探すをするのだからですか?」
彩羽とエルメスに目を向けられると、隠し事ができない。諦めように息を吐いた。
「あの黒髪のパーティに入れてもらいたいと思っている」
反対されるだろうか? やめろと引き留められるだろうか? しかしそうなっても、自分はすでに黒髪に頭を下げるつもりでいた。唇が、知らず強く結ばれている。
「今はなんだか楽しそうです。私が龍村さんに自分でパーティメンバーを探すようにと言ったときには、とってもつまらなそうな顔でした。見ていて面白かったですよ。貴女に見えていなくて、私だけに見えるものがあったから」
「いまなら私にもわかると思う。あのときの私は右も左もわからなかったからな。いまは、少し楽しんでいる」
顔が熱くなるのを感じ、そっぽを向いた。心情を吐露するのは慣れていない。
「なにの話をしますか。わからないことの話はするものと違います」
エルメスの不機嫌はいまに始まったことではない。人の話を聞かないのもだ。彩羽が手を繋ぎ、両手でエルメスの手のひらを包み込むと、それだけで機嫌を直した。根は単純なのだ。
「いまも見ていて楽しいですよ。まるで恋する乙女みたいで」
「こ、恋などしていない。どこにそんなものがあった?」
声がちょっと上ずった。恋愛など、いまの瞬間まで本当に脳裏になかったからだ。だが龍村もこう見えて十六歳の少女。人並みより少し低めだが、少女たちが浮足立つような恋愛を理解できないわけではなかった。
「そんなこと言って、龍村さん、召喚士の子をずっと目で追ってましたよ?」
「追ってなどいない。話しかけるタイミングを見計らっていただけだ」
「そうですか? 身構える異性というだけで十分に可能性はあると思いますけどね。相手にどう思われるか勝手に想像して、話しかけるだけでも悩んじゃいますからね」
彩羽が茶化してくる。ただ、的を射ている部分もなくはない。というか否定したいのに妙に確信を突いてくるのだ。そのため「くっ……」と言葉に詰まり、断じて捨てるような反論ができなくなる。そうなるともう彩羽の掌の上で転がされてしまう。もう「いっそ殺せ!」と開き直った方が楽な気がしてきた。それほどまでに彩羽の攻めは龍村の心の深いところに踏み込んでくるのだ。
「うふふ、ごめんなさい。でも、思ったことをスパッと言うのが龍村さんの長所でもありますから。好きなら好き、ほしいならほしいとはっきり言う龍村さんが私は好きですよ」
「単細胞と言っているようにしか聞こえないぞ」
「うふふ……」
言っているのだ、遠回しに。それでも腹が立たないのは、彩羽には人間的な経験値が圧倒的に負けているという自覚があるからか。
「よい分からない話、するは嫌です。私には知ることどうでもよい話です」
「はいはい、エルは興味ありませんよね。私は好きなんですけどね、こういう話」
龍村とエルメス、完全に彩羽の手玉に取られている。小悪魔系と呼ぶにふさわしい姿だと思う。だというのに、周囲の評価は大和撫子だ。そういう一面もある、ということなのだろう。
久しぶりの三人だった。気づけば、三人とも違う道を歩いている。龍村は一抹の寂しさと、明るい眩しさを感じた。入学からずっと固まっていた三人だ。休みの日ですら、エルメスは問答無用で龍村を呼びつけた。龍村も自分の時間を持つのが苦手だから、喜んで迎えに行った。そんな日々が過去のものになろうとしている。
「女トカゲはそれのまま冒険は続けるとよきです。それで、彩羽はいるべきです、ずっと、ここに」
「エルメスはもっと大変な目に遭うべきですよ。それまでは一緒にパーティ組みません」
「そんなことが言わないです。それがないです」
手を振りほどかれて、子どものように手を求めるエルメスの姿は幼く見えた。龍村と同じくらいのすらりとした涼しげな美男子だというのに、彩羽相手だと子どものように転がされる。集まりの中で睥睨して語る姿もエルメス、幼馴染に突き放されて慌てる姿もエルメス。そういう多様性を、龍村は受け入れている。
不意に花の香りで満たされた。龍村より頭一個分背の低い彩羽が身を寄せてきたのだ。そして初めて手を繋いだ。
「私はひどい友だちだから、龍村さんを突き放してしまいます。それが見ていて面白いっていうのもあるんですけど、私の友だちの成長になるとも思ってるんですよ?」
「言わんとしていることはわかる。彩羽には散々腹を立ててきたが、憎むことはなかった。それが友だちのひとつの形なんだと思う」
「言葉にすると恥ずかしいですね。でも……そう、一緒に頑張りましょうね」
道は違っている。それでも彩羽は、一緒に、という言葉を使った。
繋いだ手を離し、腕を絡めてくる。見ればエルメスとも腕を組んでいた。三人、共に歩いているのだ。それぞれにどこへ向かおうとも。
彩羽の密着した温かさは、とても心地が良かった。
翌日の昼間、龍村はそわそわしていた。慣れないことをしようとしている。授業の合間の十分ほどでは目的に時間が足りないかもしれないから、秒針の進む遅さに落ち着きなくしながら、昼休みを耐えて待っている。
授業の終鈴と共に席を立ち、意を決して廊下に出る。途中ですれ違った彩羽が微笑みかけてきた。頑張れ、ということだろう。友の声援を受け、龍村は他クラスの教室を目指す。
昼休みとあって破けた水袋のように教室から生徒が溢れ出してくる。廊下を歩く足取りはふわふわしていて覚束ない。緊張しているのだと思う。
行き交う生徒を避けながら歩いていると、女子三人組とすれ違った。そのうちのふたりは以前パーティを組んだ女子だ。龍村を見るなり顔を強張らせた。龍村は口を固く結んで、目を逸らした。すれ違う一瞬だったが、ふたりは避けるように俯いていた。
うまくいかない相手はごまんといるだろう。それとは逆に、気の合うものもまたいる。
龍村の中に、彼女たちと仲良くなろうという気持ちが湧いてこなかった。たぶん、向こうも同じだ。避けるのはそういうことで、つまりお互いの歩調が違うのだ。そういう相手は一緒にいて苦痛になりかねない。だから、このまま距離を取り続けるしかなかった。
気持ちを切り替え、到着した黒髪男子のクラスを覗き込んだ。ざっと眺め、そこに見知った顔がないことを見て取った。ちょうど教室を出ようとしていた男子を引き留める。探している人物の名前を言おうとして、急に言葉が出なくなった。黒髪男子の名前を知らないのだ。
「えーと……黒髪の……」
黒髪といったって、目の前の男子もほぼ黒い髪だ。浅黒い肌に、少し尖った耳。ダークエルフのハーフかもしれない。
「召喚士で……」
これは彩羽の黒髪男子の呼び名だ。まだ要領を得ない。
「白猫のパーティだったヒト種の……」
この説明が一番しっくりくる。猫人族は数が少ないし、白猫ともなれば特定は容易だ。白猫のパーティから白猫とサルを引いた余りが探し人である。
満足気な龍村と対照的に、クラスの男子は顔をしかめた。
「知らないよ、自分で探せば?」
突き放した言い方が気になったが、横を通り過ぎてさっさと行ってしまい途方に暮れるしかなかった。
教室に昨日話した姫叉羅はいなかった。代わりに机にべちゃっと張り付いて寝ている黒づくめの少女を窓際の席に見つけた。
教室を横切って向かう。途中、ねちゃっとした視線に気づき、そちらを何気なく見やると、青白い顔をした眼鏡男子がいた。眼鏡の奥に陰鬱な感情を垣間見たが、龍村には身に覚えがない。彼の席の近くを通っても話しかけてくることはなかったので、無視して黒づくめの少女の前までやってきた。
「ちょっといいか?」
「…………」
反応がない。むしろ教室内の生徒から好奇の目を向けられた。なぜだ。そして、眼鏡男子のねちっこい視線もずっと続いている。意味がわからない。一向に起きる様子がないので肩を揺すってみた。たっぷり三十秒ほど続けて、ようやくむくりと起きた。
「われの眠りを妨げるものは誰だぁぁ……」
地の底から湧き出すような声だった。恨めしさがにじみ出ている。
「起こしてすまない。聞きたいことがあるのだが」
「うちでなくてもいいだろうがぁぁ……ここにどれだけ暇人がいると思ってんだよぉぉ……」
寝ぼけ眼で目を擦りつつ、起き抜けの不機嫌な子どもみたいに怒ったように言う。いまの発言は間違いなく周囲の好感度を下げたが、本人は気にもしていない。
「あなたとパーティを組んでいる男子に用件があったのだがいないのだ。どこにいるのか知らないか?」
「うちが知ってるとどうして思うんだコラぁぁ……鬼さんにこちらしてもらえよぉぉ……手の鳴る方にいるよぉぉ……」
眠そうに欠伸を漏らし、寝ぼけたようなことを言う。姫叉羅もいないから彼女に声をかけたのだが、アテが外れた。このまま待っていてもいいが、次の授業までに時間がないかもしれない。ならば放課後に改めるべきか。
「起こして悪かった。他を当たる」
「そうしてぇぇぇ……」
「すまなかった。また頼む」
「二度目があると思うなよぉぉぉぉ……すぴー」
黒いお餅のように丸まって、寝入ってしまった。そういえば彼女の名前も知らなかった。聞こうにもさらに不機嫌にさせては悪いと思い、次の機会にして教室を出る。最後まで眼鏡男子の視線を感じたが、本当になんなのだろう。黒づくめの少女に話しかけたときがいちばん感情的な視線だったのも引っかかる。
廊下に出ると、ふたり連れで歩いていた男子が突然背中を見せ、走り出した。驚いたがよく見れば見覚えのある顔で、しかも龍村から逃げようとする二人組など心当たりはひとつしかない。龍村は片足に力を込めた。思い切り床を蹴り上げ、廊下に溢れる生徒にぶつからないようにするすると距離を縮める。
襟首を掴み、仰向けにふたり同時に引き倒した。這ってでも逃げようとしたので、蹴り飛ばしたらちょうど前方からやってきた八ツ俣先生の足元まで転がった。
「きゃっ! なにしてるの!」
存外可愛らしい声を出して、八ツ俣先生は廊下に寝そべるふたりを見下ろした。髪と同化した八ツ俣先生の蛇たちは、シャーッと威嚇している。男子たちはそれだけでビビった様子だ。
「八ツ俣先生、すみません。迷宮内で女子を襲う輩についてご存知ですか?」
「……いえ、知りませんけど?」
「そこに転がる輩はその犯人です。私を手篭めにしようとして返り討ちに遭ったというのに、己の罪を認めずのうのうと学生生活を過ごす愚か者たちです」
八ツ俣先生の柳眉が顰められる。たったそれだけなのに、男子生徒は恐怖に顔をひきつらせた。腰が抜けたように四つん這いで逃げ出そうとするふたりに、八ツ俣先生の蛇たちの目がピカリと光る。
「あぁっ!」
「動かな……っ」
男子ふたりの下半身が石のように石化し、その場から動かなくなった。涙目で八ツ俣先生を見上げるが、龍村には彼らに情状酌量の余地はないと思っている。
「事情を伺う前に逃げるなんて、自らの非を認めるものですよ?」
「ひぃぃぃ!」
「本当に悪いことをしたんですか? 女の子に暴力を振るうなんて犯罪ですよ?」
犯罪と言えば迷宮内での殺人はどうなるのだと思うが、それはそれ、これはこれなのだろう。迷宮では死ぬことも経験のうちという学校方針である。教育委員会がハエのようにうるさいが、いまのところ世界的な人材を育成するためという建前のもとに抑え込んでいる状態だ。事実、野良迷宮を潰す冒険者の数がいまより減じれば、近い将来、魔物の大暴走が起きることも考えられた。
龍村はこれまでに四度、死を味わっているが、何度経験しようとも死の感覚に慣れることはない。できることならもう経験したくないとも思う。身体からふっと命が零れる感覚など、気持ちいいわけがないのだ。噂では死ぬ瞬間の痛みが最高に癖になるとのたまう生徒がいるらしいが、一度病院で看てもらったほうがいいと思う。本人が大丈夫と言い張っても出してもらえない病院にお世話になることだろう。
「どうしたんですかー、八ツ俣先生」
「ああ、虎牟田先生」
なんだなんだと赤ジャージ姿の虎牟田先生がやってきた。堅気には見えない傷だらけの強面教師は、状況を見て取るなりすっと目を細めた。男子ふたりにとっては運の尽きだろう。八ツ俣先生だけなら穏便に済んだかもしれないが、体罰も辞さない虎牟田先生にばれた以上、血を見ないことには終われない。頼もしくはあるので、龍村は割と好きな先生だ。
八ツ俣先生から事情を聞いた虎牟田先生の傷だらけの顔が皺を深くしてどんどん険しくなるにつれ、身動きの取れない男子生徒は蒼白な顔を一層青ざめていた。
「このダボがァァァァッ! ウチの生徒の面汚しかキサンラァァァ! 違うというなら何とか言ってみぃ、このドアホがッ!」
胸倉掴まれて立たされた男子生徒は、ガクブルしていて答えられる様子ではなかった。今にも失禁しそうなほどに怯えている。
「認めるんか! ああ? 異議なしっちゅーことは認めることやぞボケ共が。自分のしてきたことしっかりわかっとんのか?」
「「((((;゜Д゜))))ガクガクブルブル」」
頷いているのか震えているのか、もはや見分けがつかない。しかし反論しないということは、事実ということだ。虎牟田先生は有罪と判断したようだ。
「八ツ俣先生、こいつらわしがしょっ引くんで、あとは任してください」
「ええー? ああ、お願いしますー、お手柔らかに、虎牟田先生……」
荒事の苦手な八ツ俣先生は、心配そうに彼らを見た。末路がどうなるのかは火を見るよりも明らかだった。しかしそうなって当然の行いだ。彼らは罰の重さを軽んじ、罪を犯すことの罪悪感を忘れた。そのツケが支払われるだけのことなのだ。
結局首根っこを掴まれ廊下を引きずられていった彼らに同情の余地はない。ドナドナでも歌って見送ろう。あれは悲しい歌だったが、いまの龍村の心は晴れやかだ。虎牟田先生のやり方は胸がすっとすることが度々ある。度を越しているときも同じくらいあるのだが。
昼休みが終わりそうになっても結局見つからなかった。教室に戻る道すがら、携帯電話を取り出した。山折りタイプの黒い端末だ。メールが届いており、開くとロリドワーフから軽音部へのお誘いの連絡だった。龍村は歩きながら文字を打てないため、廊下の窓際で足を止めて、たどたどしい手つきで返信を送る。
臨時だが軽音部に入ることになった。腕を怪我したサル顔の藤乃に代わって、ベースのギターを演奏することになる。
「あ、九頭さん、ちょうどいいところに」
「……うん?」
メールに集中していたため声をかけてきた人物に気づかなかった。顔を上げると、黒髪男子と目が合う。青いブレザーに赤いネクタイはちょっと主張が強いなと思った。彼の足元には白猫が欠伸を漏らして佇んでいる。
「九頭さん今日の放課後って時間空いてる? そんなに時間取らない用事なんだけど」
「ああ……空いてる。たぶん、もちろん、空いてる」
たぶんもちろんってなんだ。頭がうまく回らない。
「そっか、了解。じゃあ教室に迎えに行くから、待っててもらっていい?」
「ああ、わかった。待ってる。ここでいいか?」
「教室でね!」
「ああ、教室だな。わかった。教室で待ってる。……いつまでだ?」
「放課後!」
「わかった。問題ない」
「うん、それじゃ」
あっさりと手を振り去っていく男子の背中を見送る。白猫が途中で振り返って、何か含みのある視線を送ってきた。尻尾をゆらんと振ると、もうこちらを向くことはなかった。
龍村は予鈴が聞えてはじめて我に返った。ずっと携帯を握ったまま固まっていることに気づくと、教室へ急いだ。
なんだ、あっさり会えるじゃないか。向こうにも用事があるようだ。この前のパーティの売り上げの分配だろうか。ちょうどいいからそのときに話を持ち掛けよう。
龍村はスキップしたい気分で廊下を急いだ。スキップをすると足が絡まって転ぶ天才的な不器用だったのでやることはなかったが。