第31階層 野良迷宮の終焉
ドスドスドスと重低音を轟かせて、アイアンヘッドはジェネラルの背後から首を投擲する。ジェネラルは咄嗟に体を横に逃がし、大剣で飛んできた首を逸らす。首は壁にめり込み、粉塵を巻き上げた。まるで砲丸投げだ。鎖で繋がっているので、ジャラジャラと音を鳴らし、走りながら自らの首を拾い上げている。
僕と闇音はT字路を右に折れた。もはや前方の確認などしている余裕はない。挟み撃ちにされる恐怖より、追いつかれる絶望の方が強い。後ろからの圧力が半端ないのだ。地獄の追いかけっこは捕捉されればゲームオーバー。飛び道具に当たってもゲームオーバー。コアトルに後方の二体をぶつけようにも、コアトルから遠ざかる進路を取っているために合流は望めない。
遅れてジェネラルがT字路を曲がった。迷わずこちらに向かってくるところを見ると、とても愛されているようだ。憎悪という名の愛をぶつけられても困るんだよなぁ。後ろのアイアンヘッドと一緒に心中してくれればいいのに。
「グルァァァァァァァッッッ――――!!!!」
不運とは何度も襲いくるものだ。アイアンヘッドがT字路の角から姿を現し、真っ直ぐにジェネラルの背中を狙って頭を投擲した。ジェネラルはわずかに躱すタイミングが遅れたのか、大剣で弾くも右肩を掠めた。砕け散る防具に、突き飛ばされたように倒れ込むジェネラル。頭は威力を半減していたが壁を砕き、その破片の大きいのがスコンと間抜けな音を立てて闇音の頭にヒットした。「ぐぼぁ!」ととても乙女に相応しくないゲロを吐くような声を出して顔面から地面を滑った。ツキというものがない。今回ばかりは同情する。
「ぐ、ぐぉぉぉぉ……顔が、すりむけ……頭が、頭が割れるぅぅぅ……」
頭と顔を抱えて芋虫のように身を捩る闇音を見て、ちょっぴり哀愁を感じたのは内緒だ。だが、このまま放っておくわけにはない。闇音のローブをむんずと掴んで、ぐいっと引っ張る。ちょうどジェネラルが大剣を振り下ろして石床を砕いたところで、危うく体を真っ二つにされるところだった。石片を腕で防ぎながら、闇音を小荷物のように抱えて逃げる。さっきから冷や汗が止まらない。手汗でじっとりと濡れて、足がもつれそうだ。
アイアンヘッドが足を止めたジェネラルに追いついて一騎打ちの様相となったのをチャンスと見て、僕は一目散に逃げた。逃げることが本業と言わんばかりに脚をフル回転させて、遮ろうとするアイアンヘッド(弱)の横や、はては股下をスライディングで潜り抜けて逃げた。すぐ横にいたアイアンヘッド(弱)の身体が、投擲された頭によって弾けた。膝が震えて仕方ない。どこをどう走ったのかわからない。ただ、コアトルの気配を感じるところから逆へ逆へと進んだのだ。
「やるしか、ないか――!」
コアトルの再召喚。これは魔力を馬鹿食いするのでできれば使いたくなかった。召喚するのに必要な魔力を支払い、しかも召喚中は現世に維持するために最大値から魔力を引かれる。いまの僕の魔力は四分の三ほどコアトルで占有していて、そこから再召喚はかなり分の悪い賭けだ。最大値を飛び出すようだと、魔力欠乏で気を失うかもしれない。しかしそうは言っても、追手の攻撃に一度でもヒットしただけで天に召されてしまうのだ。もはや迷っている猶予もなかった。
足を止め、振り返る。ドスドスと音を鳴らして追ってきたのは、屈強なアイアンヘッド。ジェネラルはやられてしまったのだろう。アイアンヘッドが投擲のモーションに入った。そして自らの首を投じる。遮るもののない通路で、僕らに必中する射線だった。
「――〈コアトル〉召喚!!」
床に円形の光が走り、そこから蛇の頭が覗いた。
ばちゅん、と不快な音が鳴り、コアトルの顔面の肉が爆ぜ飛んだ。内心、ざまあと思ったのは内緒だ。しかし当のコアトルは頭がなくなったのにも関わらず、何もなかったようにしゅるしゅると滑って召喚陣から這い出してくる。アイアンヘッドは突然の巨大な蛇に警戒したのか、足を止めて頭を回収していた。
人外大戦ここに極まれり。どっちも共倒れしてくれと願いつつ、後のことはコアトルに任せた。あの蛇は強い魔物を喰らって成長するから、最終的にはアイアンヘッドも食われる運命だろう。
歩き出そうとしたら、貧血にも似た立ちくらみが襲ってきた。そのまま遺跡の埃臭い床に倒れ込む。魔力欠乏による弊害だ。視界の隅が白く靄がかかり、手足の感覚が鈍くなる。風邪を引いて高熱が出たみたいに身体がだるい。
こういうときのために魔力ポーションを持っている。良質なものだとかなりお高いが、出し渋っている余裕もない。販売元のクルックベリー魔術薬店は、ほんのり甘味のある淡い緑色のポーションで人気だ。毎日一本飲めば胃腸によいとされるヤク〇トの容器に似たプラボトルのキャップを外し、ごくりと一息に飲む。そうすることでだいぶマシになった。
闇音は、と見やると目を回していた。心なしか、真っ黒な尻尾と耳が力なく垂れ下がっている。とことん不幸体質だ。まあ、乱暴に運んでいた僕が言えた義理ではないけども。
僕は慎重に、だが足早に急いだ。魔力が少し回復したとはいえ、スキル多用はいまの魔力残量では厳しい。メーターがあれば赤信号が灯っている状態だ。なんとか〈気配察知Lv.5〉で敵の位置を知るくらいだ。アイアンヘッド、アイアンヘッド、ときどきオークの集団、これらから気づかれないように遠回りを選んだり、小石を投げて意識の向く先を誘導したりして進んでいく。コアトルの役に立たない仕事ぶりには失望を禁じ得ない。こんなところで倒れるようなことがあれば、一生呪ってやると心に決めた。
息が上がり、僕の顔も相当に青くなっているだろうなと限界を感じ始めた頃、これまでになかった扉に行き当たった。これこそまさに僕が探していた場所だった。野良迷宮最奥の部屋。迷宮の核となるものが安置されている部屋だ。
少しだけ押し開いて魔物の気配がないことを確認し、するりと忍び込んだ。
追手はすぐ近くにいることだろう。だから急がねばならない。コアを失った迷宮の魔物は急速に弱体化をするので、さっさと回収すべきだ。
コアは大抵スキルストーンのような掌に転がるサイズだ。それは僕が今まで生まれたばかりの赤ちゃん迷宮ばかり攻略していたからかもしれず、もっと古い、それこそウン百年ウン千年という歳月をかけて巨大化した迷宮は、大岩ほどのサイズになるのかもしれない。
コアの色合いは、石のようにくすんだ灰色のときもあれば、虹のような色とりどりのグラデーションが入ったものもある。昔文房具屋に売っていたビー玉を思い出す。形は球体だったり、それこそ石屑のようだったりと特に規則性はない。
そして今回のコアは、壁の中央に埋まっていた。三メートルほどの高さのため、手が届かない。ぐったりと白目を剥いて涎を垂れ流す闇音を揺すり起こすと、「んがっ」と奇声を発してビクッと痙攣しながら目覚めた。本当に乙女にあるまじき下品さである。鼻も垂れていたので涎ともどもボロ布で拭ってやると、寝ぼけまなこでふらふらと周りを眺め出した。
「\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/ウチハダァレ?」
「いいから。いまボケてる余裕ないから」
「へっくしゅ」
可愛いくしゃみをした後に「んがぁ」と鼻を啜るのはいただけない。
「闇音さん、闇音さーん、あそこのコアが見える? 壁に埋まってるやつ。僕が下から持ち上げるから、闇音が壁からほじくり出してくれませんか?」
「もう、そうやって下からうちのおパンティ覗くつもりだなぁ、もうもう。溜まってるん?」
「おまえズボン履いてるだろぉがよぉ! こっちが溜まってんのはフラストレーションだよぉ!」
「そ、そんなにキレなくても……」
「……はいはい、了解。じゃあ闇音さんが下になりましょう。僕の足場になって。それで解決ね。あ、僕、登山靴脱がないんで」
「やります。ウチがほじくらせてください。コアでもケツでも」
「下品!」
時間はあまりなかった。いまにも部屋の外をうろついているアイアンヘッドが部屋に押し入ってくるのではと内心ひやりとしっぱなしだ。
壁に背中を預け、片膝を立ててしゃがみ込む。闇音の片足を両手で支え、僕の肩にもう一方の足を置かせたら、ひと息に立ち上がって両肩を足場に、コアへと手を伸ばす――という方法を取ろうとしたのだが……。
「靴脱げや!」
「ちぇー」
尻尾を揺らし、闇音がいそいそと紐をほどいて登山靴を脱ぐ。滑り止め用の金具が足裏に付いた登山靴で肩に乗るとか馬鹿か。僕の肩を壊す気か。本当にふざけている場合ではないのだ。僕も脅したけどさ。
四苦八苦しながら靴を脱いだ闇音は裸足。靴下は窮屈で嫌いだという。丸一日履いていた所為で、あれですよ。湿っている。蒸れてもいる。
「じゃあ、しゃがんで。うちが取って進ぜよう」
「……はいはい」
喉を詰まらせながら膝を突く。震える両手の指を組んで、乗せやすいように足場を作る。ぺたぺたと石床にも吸い付くような足音が、すぐ目の前に近づいてくる。闇音は気にした様子もなく片足をかけた。
「―――っ!!!?」
声にならない悲鳴が上がる。手のうちに感じるしっとりとした肌ざわり。小さい足指は微笑ましいが、それを一切凌駕する衝撃があった。爪が巻き爪っぽくなって、先端がとがって犬っぽいのはこの際些細な発見だ。いやいや、まだ誤魔化せる。これはJKのおみ足だと思うんだ。冷静に考えてみれば思うも何も闇音はJKだが、どこかJKとして認めてもいいものかという疑問がまとわりつく。姫叉羅なら文句なしにJKなのに。ブレザーを腰に巻き、シャツから透ける下着の輪郭とか、チェックのスカート下から覗く、褐色の健康ムチムチ太ももとか。姫叉羅ならわかるのだ。だが闇音は……。葛藤している間にも、闇音がもう片方の足を、僕を跨ぐようにして足を持ち上げ、肩に乗せた。
「――――っっっ!!!?」
その瞬間襲い来る更なる衝撃の波。香ばしい『にほい』に打ちのめされ、頭を殴られたようにくらっとした。JKだ。JKの生足だぞ。……いや、ムリぃ! どこの誰だか知らないが、これをご褒美だという。信じられない。あまりに僕の知っている文化とは違いすぎた。僕はたまたまそちらのほうに疎く、理解を広げられないだけかもしれない。ただ、これだけは言わせてほしい。鼻の奥がツンとするのだ。
涙目になりながら、両肩に足を乗せた闇音を支え、立ち上がった。呑気に「うはは、高い高い」とか喜んでるんじゃない。このまま地面に叩きつけて差し上げたい。
「おお、これが……」
「そう、それが迷宮のコア。早くほじくり出して。ホント、早く……」
「いや、やってるけど周りの石が硬くて」
「手に取れば自然と、スキルスロット拡張かジョブスロット拡張かがわかるから。どちらでも構わないので自分のスロットを増やしてください。ただ、絶対に野良迷宮の管理者にならないでよ……」
「えー、どうしてー? なったほうが経験値とかアイテムとか稼ぎ放題じゃないの?」
「コアトルに食い殺されますよ。管理者権限は死んだときに譲渡されますから」
「うん、やっぱりスロット拡張がいいかな!」
笑いに走らず、是非とも拡張を選んでほしい。世の中冗談で済まないことが多々あるから。
闇音が壁からダンジョンコアを引き抜く作業を始めたと同時に、部屋と通路を隔てる扉が突然ぶち破られた。
こんなときに限って現実は厳しいものだ。扉の片方は歪んで倒れかけ、もう片方の鉄扉は蝶番が外れてずしんと床にひれ伏した。現れたのは満身創痍のオークジェネラル。アイアンヘッドを撒いてきたのか。「ブフォー、ブフォー」と鼻息荒く、こちらを殺意のこもった目で見据えている。
「はやくはやく! 闇音ぇっ!」
「えー、もうちょっと」
「来てる来てる! オーク来てるからっ!」
「だからもうちょっとだってばー」
その声に焦りはない。ゆっくり作業しているのではと勘繰りたくなる。しかし足場になっている以上、身動きは取れない。
ジェネラルは大きく振りかぶり、大剣を投げ放った。ぐるんぐるんと回転して、一直線に飛んでくる。
「ひぃっ!」
情けない声が出たけど、これってしょうがないと思うんだよね。僕は全身を震わせながら思う。ほんの三十センチ横の壁に突き刺さった大剣を見て、下を漏らさないだけ強い子だと思う。僕、強い子……。
「取れたー!」
「早く使って!」
ずしんずしんとジェネラルは走ってくる。そのまま壁にぶつかって、タックルで押し潰す気だ。もはや闇音の足の『にほい』など気にしている場合ではない。僕の方がじっとりと足裏に汗をかいてるし。
○○○○
闇音は宝石のように眩く光るダンジョンコアをぎゅっと握りしめた。頭に可能性が思い浮かぶ。スキルスロットの拡張と、ステータスアップと、新スキルと、野良迷宮に名前を付けて自分だけのものにする選択肢だ。意外に多い。
不思議な感覚を楽しんでいると、そういえばジョブスロットの拡張がないんだなと気づいた。本命はジョブスロットの拡張だから、いわばハズレだ。
だが、ハズレだからと言って好きなものを選んでいい、というわけではなかった。りーだーはそれを許さないし。りーだーは割と厳しい。小うるさいときもある。ときどき母親のように小言を言うので、あまりの煩わしさに耳を塞ぎたくなる。一個下だとは思えないよなあ。
そういえば新スキルってなんだろう。気になるなあ……。
「早く、使って! 急いで!」
「わかったー」
闇音はスキルスロットの拡張と、ステータスアップと、新スキルと、野良迷宮に名前を付けて自分だけのものにする選択肢から、ひとつ選んだ。すると、ダンジョンコアから熱の本流のようなものが、手を伝って中に入り込んできた。温かい湯船に浸かっているような気分になり、身体がふにゃふにゃしてきたとき、足元のバランスが崩れた。
闇音は仰け反るようにして背中から落ちた。あ、やば、と思うが、身体がふにゃふにゃして着地行動に移れない。
ぽふっと受け止められた。見ればりーだーが両腕でお姫様抱っこをしていた。余裕のない引き攣った顔をしている。
いやー、悪いねーと思う。
○○○○
闇音はお姫様だっこされたまま大人しくしていた。自分の手のひらを見つめていて、コアがキラキラと砂つぶのように細くなり、解けるように消えたことが不思議なのだろう。でもアイテムボックスを覚えたときのスキルストーンが消えて無くなるのも同じ現象だ。
「新スキルを覚えちゃった」
「おい、スロットは?」
「ふへへ」
「スロット増せよマジで!」
「だって気になったんだもーん」
「だあああああ、もう!」
ジェネラルオークがタックルを仕掛けてきて、ギリギリで横に回避した。満身創痍のジェネラルさんは壁に激突してふらふらしている。ここでトドメを刺す武器かスキルがあればいいのだが、僕も闇音も最適な方法を持っていない。
「ちなみに新スキルは〈魂葬〉だって。当たったら死ぬ? みたいな」
「不吉過ぎて死に戻りできない野良迷宮じゃ使えないでしょ! ノーコンなんだから!」
「数撃ちゃ当たる? みたいな」
「僕が先に死ぬわ!」
なんでこう残念なのか。まっすぐな道を歩けないのは闇音らしいっちゃあらしい。しかし今そんな悠長なことも言ってられないわけで。「あ、ちょっと待って。円環の理に導かれし魂の輪廻から完全に消滅させるだって」とか言ってる。マジもう、黙れ。
そして絶望が前方にも現れる。
体育館ほどの部屋。背後の壁際には頭を振るジェネラルオーク。そして正面、歪んだ扉を剥がして侵入してきたアイアンヘッド。
「ヽ(;▽;)ノオワタ〜〜〜!!!!」
投擲用の頭を右腕で振りかぶって、今まさに大砲のような一撃を打ち出した。その瞬間、アイアンヘッドの背後から巨大な口が縦に開き、バクリとアイアンヘッドを飲み込んだ。ゴトリと落ちる頭と、頭を掴んでいた右腕。アイアンヘッドの身体は闇音の〈魂葬〉を使ったわけでもないが、消滅した。追いついた蛇が見せ場を全部掻っ攫っていったのだが、もうむしろどうぞどうぞと譲るよ。
ギョロリと蛇目を僕へと向け、威嚇するようにシャーッと空気を震わせた。ズルズルと滑り動いたかと思うと、僕らの横をさっさと横切って、ジェネラルオークに近寄っていった。再起動して大剣を壁から引き抜き、よっしゃやったるでぇと全身に覇気を漲らせるジェネラルを、頭からパクリ。大剣がずるりと落ち、鈍い音を立てた。
もう一度ばくりと食らいつき、ジェネラルオークの姿は完全に消えた。そしてコアトルの胴体には、二箇所ほどこんもりと膨らんだ部分があったが、危険が去ったならもうなんでもいいや。
先ほどから足の指を開いたり閉じたりしている闇音が、ぽかんと眺めている。
「言いたいことはわかるよ。世の中理不尽なんだ。強敵だってあっさりと死ぬってこと」
「え? 違くて、なんか空気に触れたら足の指の間がムズムズするなぁって」
「ばっちいな!」
僕らはコアトルの後について、無事に脱出した。ちなみに僕のスキルレベルは、軒並み上がっていた。少しは闇音の方にも振り分けられるのか、少なくないレベルアップを果たしている。しかし、まだ野良迷宮巡りは終わらない。なぜならジョブスロットを引き当ててないから。
闇音「うちにおいフェチかも」
僕「犬だけに。僕は臭い系、無理だったよ、マジで」
姫叉羅「ふたりだけで楽しそうだなー」
僕「勘弁してください、マジで……」




