第30階層 強敵跋扈
僕が目覚めた場所は遺跡の小部屋で、相変わらず空気の淀んだ臭いがした。大きく吸いこめば肺を悪くして思わず咳き込みそうな空間だ。天井に向かってライトが当たっていた。僕が装備して、戦闘中に照明を落としていた電光だった。
「ここは……」
「どこだろね?」
起き上がろうとして、全身に痺れが走った。〈鑑定Lv.2〉で自分を見てみると、麻痺と朦朧、石化、幻覚、失血となっていた。
「…………」
少しばかり固まってしまった。死が悪魔のような姿になって、すぐ横でタップダンスを踊っているのが見えた。これが幻覚だろう。腕や肩を動かそうとすると、正座で痺れた痛みが半身に走るのが麻痺で、下半身の感覚がないのが石化だろう。ぼうっとするのは朦朧だったが、すぐに消えた。目が覚めて一部だけ治ったようだ。失血は……額が濡れている気がして触れてみると、ぬるっとした。どこかを切ったみたいだ。
「あれから大変だったんだよ。聞いてよ。でっかい豚が暴れて味方を殺しまくったのはいいんだけど、最後に床をぶっ叩き始めて、それでグラグラって床が揺れて、そのまま下に真っ逆さま。気を失ったりーだーは頭から落ちて血がダラダラ。焦った。めっちゃ焦った。うち頑張ったよ。なんとか気配のない部屋まで運んだよ」
状態異常に陥った僕を、闇音が引きずってきたようだ。それよりもまず、バッドステータスを取り除きたい。話はそれからでもできるのだ。ピリピリする指で、〈アイテムボックスLv.3〉からステータス異常を治癒する万能薬を取り出し、ゆっくりと傾けて口の中に染み渡らせる。数度に渡って、小瓶の中身を飲み干した。喉が焼けるように熱いのに、どろっとしたのど越しというわけのわからない薬だが、ゆっくりと効果は表れている。
闇音が話していることを右から左に流しつつ、ひたすらに回復に努めた。下半身の石化が治らないのではといやな想像が浮かんだが、五分もすれば足の指先まで感覚が戻ってきた。この世界の万能薬マジパない。癌で死ぬ人間がいなくなるんじゃね? と思う。実際、この世界の医療技術は科学魔術と呼ぶべき先進医療によって元の世界とは比べ物にならないくらいに病死が少ないらしい。ちなみに万能薬は市場価格で八万もしたが、買う決断をしてよかったと思う。まさに転ばぬ先の杖と言うやつだ。
高い買い物をしたのに偽物をつかまされていたら目も当てられなかっただろうが、今回は何とかなった。『クルックベリーの魔術薬店』という名前でネット販売している小規模な回復魔術薬専門店の口コミが良かったので購入に踏み切ったが、今日からリピーターになりそうだ。
「闇音といるとホントに飽きませんね」
「だろだろ?」
「なんで誇らしげなんですか……。皮肉ですよ……」
「距離あるなあ。別にいいじゃない、うまくいったんだから」
「うまくいってなかったら今頃あの世で恨んでますよ」
本当に死ぬかと思った。今回はまったく自覚のないうちに昇天していてもおかしくはなかった。いまでも手先が震えている。本当に怖かった。僕はまだ死にたくない。元の世界の自分の家に帰りたいという気持ちは薄れたが、僕と言う人間の人生を滅茶苦茶にしたコアトルの本体には、どうしても復讐してやらなければ気がすまないのだ。
闇音の〈享楽地獄〉とは無差別テロのような闇魔術だ。敵も味方も関係なしに道連れにする、破滅の呪文。いくら命中アップの装飾品を付けていても、最初から無差別攻撃が決まっている魔術には効果がない。
目を閉じて、深呼吸。大丈夫、僕は冷静だ。闇音を怒ってもしょうがない。彼女もまた命の危険があったのだ。切り札を切って窮地を切り抜けようとするのは当然の判断だ。むしろ下手に無駄撃ちせず、効果的な瞬間を狙ったことを褒めるべきだ。……ダメだ、そこまで切り替えができない。
「まぁまぁ、敬語もいい加減やめればいいよ。うち、気にしないし」
「このトラブルメーカー。僕が死んだら責任取れんのか? バカ、アホ、チビ、貧乳!」
「いや、それは気にするよ?」
「けっ。ぺぺっ、すぺぺぺっ」
「唾飛ばすなよぉ! いきなり態度悪くなったし!」
言いたいことは言ったので、もう恨まず流すとしよう。もし即死のステータスが降りかかっても、一度だけ回避できる奥の手も用意していた。それが使われなくてホッとしている。
「……あっ……ダメだ、気分落ちてきた」
急に闇音の声が弱々しくなった。腕時計に目を落とすと、五時半を回っている。もうこんな時間か。僕は数時間ほど気を失っていたようだ。そして闇音が使い物にならなくなる時間でもある。彼女は部屋の隅にしゃがみ込むと、ローブですっぽりと体を包み、体育座りで丸まってしまった。
「僕の血でも飲む? 吸血鬼でしょ」
「絶対美味しくない。腹黒な味がするに決まってる……」
「失礼な……」
荷物からハンドタオルを取り出し、〈生活魔術Lv.4〉でホット濡れタオルを作ると、血や汚れを拭いていく。〈鑑定Lv.2〉を発動し、自分のステータスを視る。体力が半分ほどに削れているが、それ以外はすべて正常に戻っている。万能薬無双だ。
ぐったりした闇音に毛布をかけてやると、もぞもぞと体に巻き付け、こてんと横倒しになって寝てしまった。
闇音の言葉を信じるなら四階層にいまいるはずで、召喚獣であるコアトルの気配を探ったら、驚くことに頭上の三階層にいた。三階層は広大で入り組んでいるから下層への道が見つからないとかだろう。向こうもこちらの居場所はわかるはずだから、追いつくのを待つしかない。
小部屋入り口がひとつだけの袋小路で、廊下側を覗き込むとしんと静まった闇が広がっている。いや、耳を澄ましてみれば、何かが歩く重たげな足音が聞えた。じゃり、じゃりっと鎖を引きずるような音もする。少し遠いが、決して気を抜いていい距離ではないだろう。
僕は入り口に細工を施すことにした。野営用の魔術アイテムだ。この世界、未来の猫型ロボットがポケットから取り出す未来アイテムに引けを取らない冒険者用魔道具が発明、実用化されている。魔術に偏り過ぎかと言えばそんなこともなく、車や電車は普通に交通の主流だし、スマホも存在して科学力が発展していた。
ファンタジー科学が広まる昨今、残念なことに魔道具はどこでも使えるというわけではなかった。迷宮や、魔素と呼ばれるものが多い場所でしか長時間作動しない。魔石という燃料があるが、これも魔素がないところでは石くれと変わらないのだ。どんなものにも制約があるもので、いまのところは迷宮限定だった。そのうち魔素を電池みたいなものに封じ込めて普及する日が来るかもしれない。まず魔素が何なのかを解明するところからだろうけど。
そこで取り出したるは、幻を映し出す魔道具。
〈幻影〉の魔術が込められており、手のひらサイズの立体映写機のようなものだ。床に置いて、てっぺんのレンズから幻影を生み出す装置である。小部屋の入り口に置けば、周囲の壁と同調して入り口を隠す効果がある。森で使えば木々や藪に紛れるし、広いところでも幻影が半径十メートルほどをドームで覆い、その内部を外から見えなくしてしまう効果がある。外から見ると周囲の景色と同じようにしか見えないというわけだ。
ただし視覚的な非透過性を持つだけで、声や臭いは隠されない。だから嗅覚の利く獣系やら、視覚に頼らない魔物は欺くことが難しい。いくつか欠点はあるが、ここら辺の魔物はヒト型ばかりなので、うるさくしなければ安全は確保できるだろう。
サバイバルグッズが詰め込まれたリュックサックは、気を失った直後からどこかへ行ってしまっている。三階層での崩落で失くしたようだが、〈アイテムボックスLv.3〉の方に水と食糧、その他の道具を入れているので懸念はそれほどない。ただ、あのリュックサックの中身にかかったサバイバルグッズが総額十万近いことを思えば、ちょっと遠い目になってしまうだけだ。オークの精子を売っても採算はほぼないと思ったほうがいいだろう。というより赤字だ。
「まぁ、目的は闇音だからな」
ジョブスロットの拡張。それが手に入らないと帰れない。
その闇音は早々に寝落ちして動けない状態なので、コアトルが追い付くのを待つのが賢明だろう。四階層にはどうやらオークよりも屈強な何かが徘徊しているようだ。僕らでは正面からの勝ち目がほとんどない。朝になって弱体化した闇音はお荷物にしかならないので、彼女を連れて小部屋から移動するのも難しい。
それでもまあ、近場を探索するのはいいか。
僕は装備を整え、防具を点検してから、足音を消して小部屋を出た。一旦出てしまえば入り口が壁と同化してわからなくなるので、目印に床と壁にバッテンを付けておく。そして、あえて気配のした方向へ足を向けた。
事実から言えば、この階層はちょっとどころではないヤバさだ。姫叉羅でも負けかねない筋肉ダルマがいた。そいつは通路の壁にしゃがみ込んで、オークの身体を千切って食べていた。僕は通路の角からその様子を覗き込んで、息を呑んだ。
体長は三メートルほどで、灰色のコンクリみたいな体色をしている。
そして首があるはずのところには何もなく、足元に鎖で繋がった鉄球のようなものがあった。よくよく見れば鉄球はスキンヘッドの頭だ。口と鼻と耳のないのっぺりとした顔で、ふたつの目だけがぎょろぎょろ動いて気持ち悪い。首が首の付け根から伸びる鎖で繋がっていて、だいぶ余裕のある鎖は足元に広がっている。
バリボリと骨を砕く音がするが、こちらに背を向けているためよく見えない。首は足元に転がっているから、きっと胸か腹のあたりに口が付いているのだろう。
名前は、知っている。
――アイアンヘッド。
レベルも鑑定してみた。
Lv.232。
オークのリーダーがLv.80前後だったから、明らかにヤバい。野良迷宮にしてボスレベルのモンスターが徘徊していることになる。
僕ならまだステータス差で、いいのをもらっても一発くらいなら耐えられるが、闇音は即KOだろう。人生まで退場しかねない強さだ。
コアトルとならいい勝負になると思うが、うちの召喚獣が負けてしまうと強敵が跋扈する四階層に置き去りという心許ない事実が付いて回る。
「…………」
僕は身を引いて、元来た道を返した。アイアンヘッドがオークを喰らうことに夢中になっている間に、闇音を寝かせている小部屋まで戻ってきた。闇音は毛布と黒マントにくるまって、ときどき寝息を漏らす芋虫と成り果てていた。顔を覗き込むと、涎が頬の辺りで池を作っていた。こんな状況で熟睡できるとは肝が太い。別名無神経という。
途中の分かれ道で通ったことのない道を少し進んでみたが、オークの集団とアイアンヘッドLv.100前後の個体が戦闘中で、すぐに引き返した。さすがにLv.200越えがそう簡単にうろついているはずもないので、オークをむしゃむしゃしていたあれが階層主で間違いないだろう。
この四階層は、回廊のような四角い通路と直線の通路と小部屋をいくつも繋げたような造りをしており、大広間や行き止まりは見当たらない。うまく回り道をすれば強敵もやり過ごせるが、タイミングよく挟撃を受けると絶体絶命という、ドット時代のダンジョンゲームを彷彿させる造りのようだ。俯瞰ゲーならまだ回避に余裕もあるだろうが、こちとら主観ゲーである。かなりリスクが高い。
時間を確認して、僕も体を休めた。壁にもたれかかり、腕を組んで目を閉じる。数時間だけ寝よう。その間にコアトル、追いついてこないかなぁ……。
少しの間うとうとしたのか、目を開いてまず腕時計を見る。二時。迷宮の外なら太陽は頂点を越えたところだ。お日様が恋しい……。
お腹も空いてきたのでご飯の支度をするが、火を焚いて匂いにつられてこの階層の魔物が引き寄せられても困るので、冷たい昼食となった。オートミールやドライフルーツをミックスしたオリジナルのシリアルにミルクをかけていただく。
のそのそと起きてきた低血圧の闇音にも同じものを食べさせ、食器を〈生活魔術Lv.4〉で生み出した水でササッと洗う。この生活魔術、着火とか洗濯など、威力の伴わないエレメンタル魔術を使うことができる。レベルが上がれば濡れた髪も乾かせてドライヤー要らずである。これ以上戦闘外に特化して、僕はいったいどこへ行くんだろうねと遠い目である。
「蛇が追い付いてこないんだ。だから、このまま最下層を目指そうと思う」
「ならもっと休んでもいいんじゃない?」
「ここが見つかったらその瞬間ジ・エンドだけどね。ここは安全エリアじゃないから」
「ちぇ、クソゲーめ」
腕時計で確認したが、時間は五時。世の中では帰宅を促すメロディが流れていることだろう。しかし迷宮は地下なので何も聞こえない。ちょうど闇音のテンションも上り調子になってきたので、僕たちは動き出すことにした。
コアトルは一時間ほど前にようやく四階層に降りてきて、なにやら迷走しているようだ。派手に暴れてこのフロアの魔物を呼び寄せてほしい。野良迷宮にはRPGにあるような最下層ボスの部屋は存在しない仕様なので、安心してエリアを徘徊するLv.200越えのアイアンヘッドと、生きるか死ぬかのガチなデスバトルでも存分に繰り広げていてくれればいい。
相討ちになって弱ったところを僕が止めを刺す展開希望。無理ですよね、知ってます。
確信はないが、僕に召喚獣として寄生しているコアトルの分体は、親元ともパイプが繋がっているようだった。経験値のいくらかや見聞きした情報が流れていると思ったほうがいい。僕が復讐するつもりなのも理解して、放っておかれているのだ。弱い人間がいくら足掻こうと何も変わらない、とでも言いたげで腹が立つ。
休憩中に二度ほど、カモフラージュした小部屋の前を魔物が通った。気配から、ひとつはアイアンヘッド。ずりずりと鎖を引きずる音がしたし。しかしもうひとつは鎧をガチャガチャ言わせたオークだった。鼻息が荒く、廊下から臭いが漂ってきた。
たぶんオークリーダー……だったもの。名称がオークジェネラルに変わり、どこかどす黒い肌色になっていた。通り過ぎたところでこっそりと後ろ姿を確認したら、頭の辺りの皮膚から体毛が消え、火傷をしたように引き攣っていた。さらには鎧の背中にも溶けたような痕跡が痛々しく残っていたので、間違いなく僕らと遭遇した個体だ。同士討ちの果てに経験値が入り、進化したのだろうか。正面から遭遇したくない相手だ。Lv.150と、ここ半日でぶっ飛んだ成長を見せていたし。
そんな遭遇=即死の中で移動することの愚はわかっているが、こんな救助も来ない迷宮の奥でじっとしていても仕方がない。安全マージンなど取りようもないから、僕がどれだけ敵を探知して回避するかにかかっている。いや、むしろそういう展開って燃えるよね。肌がピリピリする。ぞわっと鳥肌が立って、それから息を整えた。
幻影映写機を回収して、そろりと通路を窺う。闇に混じって、遠くに気配を感じる。コアトルの気配はいつでも感知できるので、僕らはその反対側に進めばいい。アイアンヘッドやオークジェネラルが向かっていった方向はコアトルの方だったので、これは地味にありがたい。蛇vs豚vs首なしの三竦みでもしていればいいのだ。誰が負けても僕得。豚か首なしがレベルアップして手の付けられない強さになったら、大人しく逃げるとしよう。
闇音がよたよたと付いてくる。先ほど「一発ギャグもいいですけど、人生最後の一発になりますから」と釘を差して以降、残念そうな顔で「……(´・ω・`)」しょぼんとしてしまった。しばらくして顔を上げたと思ったら、「人生最後のギャグって何かなって考えてたら、これって実は深い問いかけなんじゃね?って思って」と言い出す始末。
「そんな余裕ぶっこいていられる闇音さんに尊敬すら湧いてきたよ……」
「いやー、でへへ」
まんざらでもない顔をするが、褒めてないよ。尻尾をパタパタさせないでよ。
移動を始めて一時間が経っただろうか。僕はその間、ずっと緊張を強いられていた。曲がり角で慎重になるのは当然のこととして、通路の交差地点はかなり気を張り詰めねばならなかった。途中遭遇したのは、アイアンヘッドが自らの頭を鉄球のように投擲し、逃げるオークの背中にぶち当てて即死させた瞬間だ。倒したオークの足を引きずってどこかに消え去るアイアンヘッドの後ろ姿ときたら、強者の貫禄がにじんで背後から不意打ちを仕掛けることを躊躇うほどだ。
集団行動をするオークと、単体で徘徊するアイアンヘッド。単体同士ではアイアンヘッドの方が強いのかもしれない。しかし力関係なんて一概に決めつけられず、だいたいにして時と場合によるのだ。オークは犠牲を出しつつも集団戦法で袋叩きにし、アイアンヘッドの頭を潰すところも見かけている。
弱肉強食。それが迷宮という閉ざされた世界の絶対のルールだ。そして僕や闇音は、ここでは弱者の部類である。というか校内ヒエラルキーでも弱者に位置づけられる僕らが迷宮で強者になれるはずもないという。どこへ行っても世知辛い現実が広がっている。あ、なんか泣けてきた……。
ともかく正面からは戦えない。と考えていると、背後から不穏な気配を感じた。闇音も後ろを振り返って、じっと暗闇を見つめている。
「……ねえねえ、なんか来るんじゃない? ものすごい勢いで走ってきてない?」
「走って!」
問いかけてくる闇音を引っ張って、有無を言わさず駆け出した。
背後からドスドスと音を立てて走ってくるオークがT字路から姿を見せた。分岐路でも迷うことなくこっちに向かって走ってきている。ちらりと見えただけだが、黒肌で顔半分の皮膚が焼け爛れたオークさんだった。目が血走り、妄執に囚われているように怒り狂っていた。見間違いようもなくオークジェネラルさんだ。ちょっと見ない間に成長しちゃって、お兄さんびっくりですわ、ちきしょう。
もっとまずいことに、ジェネラルさんの後ろに、Lv.200越えのアイアンヘッドさんも追っかけてきている。なんでいっぺんに来るんだ。警戒していたのが台無しだ。ファンが多すぎてやんなっちゃうね、ちきしょう。




