第29階層 屈強なオーク戦士
ヘッドライトの光量を調節しつつ、僕らは進んだ。腕時計に目を落とすと、深夜の二時を回っている。僕は若干の疲れがあったが、隣でスキップを軽やかに踏みつつ鼻歌混じりにどこからか取り出したポテチを頬張る闇音さんは、いまが絶好調といった様子だ。
二階層を探索してしばらく経ち、そろそろ三階層の階段が見つかってもいい頃かなと思い始めたあたりから、直線の道が少なく、曲がり角が多く、小部屋も無数に存在するエリアに入った。オークの居住区があるようで、コアトルの入れない小部屋に隠れていたオークが、僕らの気配に気づいてわらわらと現れ出した。
さすがに数が多くては何が起こるかわからない。それに、中には防具と武器を揃えたリーダーっぽいオークがちらほらと現れ始め、散発的な襲撃と打って変わって、統率された動きを見せ始めた。
「うちの闇の魔術が豚どもを地獄へ堕とす……くひひひ」
「一緒に闇音も堕ちるからやめときましょうね。数がやばいのでさっさと逃げるよ」
僕が駆け出すと、闇音は置いて行かれたくないのか必死についてきた。石畳に響く足音と、それを追いかける野太いオークの声。これはちょっとまずいかな、と思い始めたとき、正面から圧倒するような気配が迫ってくるのを感じた。
ヘッドライトの灯りを消し、曲がり角を曲がったあたりで、僕は咄嗟に闇音を引っ張って小部屋に飛び込んだ。
「ぷぎゃ?」
オークの子どもと思しき小さいオークが数体、こっちを見ていた。純朴な目だった。眠たげな眼を擦り、欠伸までしている子どももいる。幼稚園の園児たちのように、危機を危機と認識できない幼さで僕らを見ていた。その子どもたちが、後ろから伸びてきた太い腕にからめとられる。
「ふが」という鼻から抜けるような音とともに、一体のオークが子どもたちを部屋の奥へ引っ張り込んだ。それはまるで子どもを守る親のような動きで、一瞬動けなくなった。
「オークってメスもオスも見た目変わんないんだね」
「そういう感想が咄嗟に出てくる闇音さんってときどきすごいと思うよ」
子どもオークたちに刃を向けることはできそうにない。そもそも僕の手に刃はない。廊下側に向けて「〈影棘〉!」と闇音が影魔術をぶち込んでいた。あまり猶予はない。僕は廊下を覗き込み、様子を見る。挟み撃ちに遭いそうだったが、正面から来た一団は小部屋をスルーし、追ってきていた一団とぶつかり一触即発になっていた。そこを一網打尽と、闇音の影棘が足元を絡め取って足止めに成功しているのを見て、思い切って部屋から飛び出した。
巨漢のオークたちが通路をすし詰めにして追ってくる様は、ラグビー部の全力突撃にも似ていて少し怖い。走っていると、早々に闇音が遅れ始めた。ひーひー言いながら肩が上下しており、もうダメですと言わんばかりに顎が上がっている。マラソン大会なら確実に最後尾を走るタイプの情けなさだ。
そんな闇音でも追いつかれないのは、後ろを振り返ってもオークの姿が見えないからだ。追手の気配も弱い。ときどき床に撒いていた麻痺毒(謎効果)が効果を発揮したのかもしれない。
ぐねぐねの道を走っているんだか早歩きだかわからないペースで進んでいると、大広間のような場所に出た。そこはすでにコアトルに食い散らかされたあとで、僕らはさえぎるもののない道を、鼻を押さえながら素通りしていった。
大広間を抜けると三階層への石段が続いていた。僕らはそこでようやく休憩を取った。
闇音は青い顔をして水を飲み、ぜーはーと息を整えるのに必死だったが、二十分もするといつもの調子が戻ってきた。
「ねえねえ、なんであの部屋のオークを始末しなかったの? 経験値おいしいじゃん」
「なんでって、子ども部屋じゃないですか」
テンションの高めな闇音は心底おかしそうに下から覗き込んでくる。弱点を見つけたのでつつき回してやろうという魂胆が見え透いていた。揚げ足取りが大好きな小狡い悪ガキのようだ。
「オークだよ。ほっといていいの? すぐにでかくなって人を襲うんじゃないの?」
「じゃあ闇音さんなら始末できるんですか?」
「……んー、割と」
「貴女はやっぱり冒険者が天職ですよ、絶対」
「えーそうかなぁ」と納得いかない様子で小首を傾げる闇音だが、確実に才能はある。ここは管理された迷宮ではないから、生物は営みを持っている。子どもも産むし、彼らにも心の動きがある。そういうものを目の当たりにしてしまうと、命を奪うはずの手が鈍るひとは少なくないんじゃないだろうか。
休憩がてら食事も済ませ、時計を確認すると四時に差し掛かろうというところだった。あと二時間くらいで闇音はガス欠になる。それまでに三階層を突破するのは厳しいか。
「おったからおったから嬉しいな♪ おっくまんちょうじゃになりたいな♪」
妙に弾んだトーンで歌いながら、闇音が三階層に降りて尻尾をローブの下でふりふり、奥へと歩き出していた。こっちにも都合があるんだよと思ったが、聞く耳を持ってくれそうにない。黒い犬耳を付けているくせに。
嘆息しつつ、荷物をまとめると闇音を追った。干し肉をちらつかせれば戻ってくるだろうが、軽く偵察するくらいならいいかと思い直す。追いかけようとしたら、すぐに闇音が「ぎゃー」と悲鳴を上げながら引き返してきた。闇音の背後には、背丈が二メートル以上の体格の良いオークが実に十体以上。追われているのだ。これがトレインというやつか。
板金の鎧を身に付け、兜まで被っているオーク戦士たちだ。二階層のオーク居住地にいた連中とは筋肉の厚みが違った。彼らもまた迷宮の厳しさに生きる戦士で、三階層を徘徊して食糧を調達する最前線の戦力なのかもしれない。想像だけど。
「たす、たすけ……」
「なんで手間ばっかり増やすかなぁ!」
さすがに歴戦のオークを相手に立ち回ることはできそうにない。腕を飛ばされたらくっつかない現実の延長線上にある迷宮だ。危険を冒すべきではない。〈アイテムボックスLv.3〉から何かないかと手探りで探し、適当な道具を引っ張り出す。発煙筒だった。赤いキャップを外し、先端同士をすり合わせると、しゅぼっと火が付いた。それを闇音に向けて転がす。オークはきっとこれに気を取られて時間を稼げる――「へぶっ!」
最悪なことに闇音はひーひー喚いていた所為で顎が上がっていた。自然、下への意識が疎かになり、発煙筒を思いっきり踏みつけてこけた。オークたちが殺到する。僕は慌てて闇音を救出するために駆け出した。
三階層はラグビー選手よりひと回り体格のいいオークが三人並んで歩いても余裕のある広めの通路だ。闇音が囲まれれば助けるのは難しい。闇音が転げたのを見て、にやにやと余裕風を吹かしている豚面たちが追い付く前になんとかしなければ。
――《盗賊Lv.15》の〈隠密Lv.7〉のスキルを発動。闇音に視線が集まっている限り、僕を視認するのは難しくなる。
――《鑑定士Lv.13》の〈隠蔽Lv.4〉のスキルを発動。僕自身と僕の荷物を一時的に視認しづらくする。
――《荷役士Lv.12》の〈軽量化Lv.4〉のスキルを発動。自分の体重を四割ほど浮かして足音を消す。
――《鑑定士Lv.13》の〈観察眼Lv.6〉のスキルを発動。オークのレベルとステータスをざっと確認、パワータイプ、スピードタイプなどに個別分け。おお、真ん中の一体だけオークリーダーさんじゃないですか。〈大剣Lv.9〉もついていて、普通のオークでは滅多にお目にかかれない強スキルをお持ちだ。
――《斥候Lv.13》の〈気配察知Lv.5〉のスキルを発動。オークたちの意識の方向を完全に把握。ほとんど闇音に向けられているが、前列の二体は僕の方に目を向けていた。隠密や隠蔽で完全に見失っているけど。彼らは優秀だ。後ろの個体は背後にも気を配っている。
灯りは前列と後列のオークの二体が頭上に掲げる松明と、シューシュー煙と火を上げる発煙筒以外にない。僕がいる辺りは完全に闇に紛れている。
そろそろと走った。足音はまったくない。なるべく身を低くして、彼らの察知スキルにかからないようにする。中には〈気配察知Lv.1〉のスキルを持つオークもいるが、〈隠蔽Lv.4〉が無効化してくれている。
闇音とオークの距離は二メートル。剣を振り下ろせばあっさり昇天してしまう距離だ。僕は闇音の横を通り過ぎた。〈暗視Lv.4〉で見た闇音は、菩薩のごとき諦めた顔をしていた。悟りを開くの早くね? なんか口が動いている。え? 『オークに凌辱されりゅ』とか言ってる。されないよ。オークの美的センスがどうなのか詳しくは知らないけど、創作モノでよくある女騎士とオークの凌辱物語は実現しない。彼らは食欲旺盛だから、自分ら以外の種族は全部美味しくいただいてしまう。それが比喩でもなんでもなく、さっき助けたオークの子どもの胃袋に入る道しかないというね。
カツン、と音がした。オークから見れば、闇音や発煙筒のさらに先の通路で、石畳を打つステンレス音。音もなくパッと光が弾け、通路はほんの一瞬だが眩い閃光に包まれた。
オークたちは石畳に落ちる音で一斉に目を向けていたため、反応速度がアダとなり、全員目をやられた。
「ぐわぁぁぁ」
例に漏れず、闇音までやられた。知ってた。懲りないひとだ。
僕は壁を蹴って三角跳びをし、オークリーダーさんの肩に飛び乗る。跳躍力は〈軽量化Lv.4〉がなくとともステータスで高跳び選手もびっくりな頭上越えが可能だが、より無音で接近するなら軽量化は欠かせない。
素早くオークリーダーの兜を引っこ抜いた。と、同時に立ち上る頭の強烈な臭気に目眩がした。くそう、まさか反撃を喰らうとは。風呂に入れよ、もう。
オークの頭にもちょびっと髪の毛らしきものが生えている。首の後ろまで伸びているからたぶんたてがみだろう。オークの肩は太めの男性のような丸みで、これまた不摂生な男性のざらざらとした質感が近いだろう。まぁ成人男性と明らかに違うところがあって、皮下脂肪の下にはヒトの筋力以上の屈強な筋肉が蓄えられている。
僕はうなじと鎧の隙間に麻痺毒(謎効果)を三本ほど突っ込み、急いで跳んで離れる。一回転して着地するつもりだったが、顔面にごうと風が当たった。風切音は、オークリーダーが振り回した大剣のひと振りだった。
たったそのひと振りで、リーダーさんは部下のオークを三体ほど背中から斬り捨てていた。
「グガァァァァァァァァァッッッッ!!!!」
耳をつんざくばかりの絶叫を上げて、目を閉じたまま、オークリーダーはやたらめったらに大剣を振り回す。同士討ちを理解しているだろうか。リーダーの暴走により、オークの一団は壊滅。ふっ、まさに作戦通り。とキメ顔をしてみるけど、ちょっと気が逸れればいいかなあくらいにしか想ってなかった。暴走に巻き込まれることも考えれば、あまりいい結果ではない。
僕は闇音を大剣の間合いから引きずって離れようとしたが、掴まれたのをオークと勘違いしたのか闇音は抵抗を見せる。目が見えないから掴んでいるのが僕だとわからないのだ。
「うう、死なばもろもろ……うちの処女は安くない! だいたい十万くらいだぞ!」
「ちょ、ちょっと闇音さん? ……微妙に手頃……って待って!」
「〈享楽地獄〉!」
ゴゴゴゴと耳の奥から聞こえた気がした。
〈享楽地獄〉――闇音を中心に湧き出す闇の波。吐き気を催すような深いもやに囚われたものは、状態異常をランダムで付加される危険極まりない闇魔術。
「わぷっ」
「闇に飲まれろ!」と言われて、ああ、これが本当に闇に飲まれるということですね、と頷き返してしまいそうな醜悪な攻撃。肌がピリピリするかと思えば、焼け爛れるような痛みを発し、かと思えば頭痛にも似た痛みが襲う。一瞬で気分が悪くなり、酩酊状態のように立っていられず、そうかと思えば自分はいま何をしているんだっけ? と記憶が途切れ途切れになって、胃がぐるぐる動き回り吐き気が込み上げてくる。耳の奥でガンガンと耳鳴りがうるさい。
何も考えられないぼーっとした状態で、水面に漂っている気分だった。どれほど時間が経ったのか。肩を揺すられて僕は気が付いた。
目を開けると、覗き込む黒髪の女の子。魔女っ娘三角帽を被った闇音さんだ。
「もう、お寝坊さんなんだからー」
と大根役者ばりの台本読みな口調で声をかけられた。
「そう、昨晩酒を飲み過ぎた君は酔った勢いで迷宮探索を決行。気分が悪くなって座り込み、泥酔。たった今起きたばかり。おーけー?」
「ぶっころす」
「おやおや、まだ酔ってるみたいですね。大丈夫、水でも飲んで思い出すといいよ。うん、お酒って怖いね。うちも気を付けなきゃね。うん」
「姫叉羅に言う」
「それだけはやめて! あの鬼、あろうことか男子の前でお尻晒して尻叩きするような血も涙もないドS将軍なんだから!」
泣いて許しを乞う闇音。僕はそれどころではなく、ガンガンと頭が痛く、目眩も残っていた。もちろん記憶も飛んでないし、酒を飲んだ記憶もない。ちなみに尻叩きの際、闇音さんの尻穴を見てしまったことは内緒にしておこう。ピンと立った尻尾では隠せるわけもなく、子どものようにきれいで可愛いすぼまりだったとフォローしておく。
姫叉羅「尻穴についての表記は運営に怒られるんじゃね?」
闇音「うちのケツ穴のどこが悪いんじゃ―!」
僕「悪いというか下品だよ……」