不信の停止
Aという友人が、小説を書いたから読んでくれとそう言う。それは娯楽小説で、舞台は二十年くらい後の日本。その頃の日本はテロリスト対策等で国際的に活躍しており、当然、世界中のテロリスト達から嫌われている。そして更に近隣の国(まぁ、主に中国だ)とも敵対関係にあり、この二つの敵と日本のエージェントが三つ巴の戦いを繰り広げるというのがその主な内容だ。
中盤辺りで物語は大きな展開を迎える。南海トラフ地震が起こり、未曽有の大災害が日本を襲うのだ。窮地に追い込まれる日本。その隙を狙うようにテロリスト達と近隣の敵対国は日本に攻撃を仕掛けてくる。エージェント達はそれを防ぐ為に奮闘する……
まぁ、素人が書いたにしてはそれなり面白いと僕は思った訳なのだけど、ちょっとばかり気になる部分があった。
「なぁ、南海トラフ地震が起こったにしては、原子力発電所は普通に稼働しているみたいなんだが」
そう。彼の世界では、日本は原子力発電所の推進に成功しており、主要な電力となっている。そして、大地震発生中でもバリバリに稼働していたのだ。普通に考えて、それで無傷なんて考えられない。大事故が回避できたとしても幾つかは停止に追い込まれて、深刻な電力不足に陥っているはずだろう。
「そこは、大丈夫だったんだよ。福島原発事故の経験が活かされたんだ」
「いやいや、ないって」
「日本の技術は優秀だからさ」
「日本の技術は優秀でも、それを使う上層部は違うだろう? 免震重要棟を、後になって建設しないとか言い出す連中だぞ? はっきり言ってリスク評価能力がマイナス値だ」
「そこは信用しようよ」
「本気で言っているのか?」
僕がそこまで言うと、彼はようやく渋々ながら僕の主張を認めた。大地震発生時に原発がもし無傷で済んだら、それは奇跡だ。しかし、物語の筋としてはそのままで行くらしかった。つまり、「大地震が起きても、原発は安全安心」って訳だ。
「そこは“不信の停止”で頼むよ。これは娯楽小説なんだから」
僕の納得いかなそうな顔に気が付いたのか、それからAはそう言って来た。
因みに“不信の停止”というのは、フィクションを楽しむ際に必要以上にツッコミを入れると楽しくなくなるので、不信に思う事を読者や視聴者が止める事をいう。
僕は気を取り直して、彼の物語の続きを読み始めた。だけど、一度気になってしまうと原発の事が頭から離れなくて、つい色々と考えてしまう。それでついAにこんな事を言ってしまった。
「なぁ、この小説の中では、日本は中国と戦っているんだろう? でもって、原発が主要な電源になっている。なのに、どうして中国は原発を狙わないんだ? 普通に考えれば狙うだろうよ」
「中国だってそこまで非人道的な行動は執らないんだよ」
「いやいやいや……」
いくら何でもそんな“平和ボケ”した発想は無理があるだろう。と言うか、この小説の中では散々中国を悪く扱っているのだ。これでは筋が通らない。僕の心中を察したのか、Aは再び「不信の停止」とそう言った。僕はそれにこう返す。
「なんでもかんでも“不信の停止”で、誤魔化すなよ。物事には限度ってもんがある。仮に中国は国際社会の目があるから大丈夫だとして、テロリストだって日本を狙っているんだろう? 絶対に狙われるぜ。日本の原発は世界でもっともテロ対策が脆弱だって言われてるんだ」
それを聞くと彼は肩を竦めた。
「だから、そんなにマジになるなよ。そういうのは忘れて、楽しむ娯楽小説なんだよ、それは。つまり、現実逃避だ。不信の停止で良いんだよ」
僕は腕組みをして、更に何かを言おうと思ったが、少し冷静になると“確かに、彼の言う通りだ”と、そう思った。これはただの現実逃避の為の娯楽小説だ。そんなにマジになる必要はない。
……ただ問題は、これが娯楽小説の中だけの話じゃない事だ。現実世界でも似たような“不信の停止”が存在している。
天災は危険だけど、何故か原発だけは安心で、中国や北朝鮮は危ない国だけど、何故か原発だけは狙わなくて、テロリストとは戦わなくちゃいけないけど、何故か原発には充分なテロ対策を執らないで良い。
こんな、おかしな話ってあるか?
もっと、不安がある。
中国絡みで原発の話をするのなら、中国も北朝鮮もウランの資源国だから、もし日本が原発を推進したなら、中国や北朝鮮が有利になってしまうのだ。この対策を、一切、原発推進派は提示しない。
更に、Aに対しては言わなかったけど、移民政策も取らず、このまま人工知能の発達やロボット等の技術革新が起こらなければ、日本は少子化で労働力が不足する。原子力発電所は、核廃棄物の処理などで、その労働力不足の時期に労働力が必要になる。タイミングは最悪で、これはそのままコストがそれだけ跳ね上がる事を意味する。多分、将来的には原発のこのコストは日本社会の衰退を後押しするような重過ぎる負担となるだろう。
そして、労働力不足に陥った場合、日本は一気に財政危機状態に陥る。日本の借金を支えていた貯蓄が減ってしまうからだ。そうなったら、僕らの生活はどうなってしまうのか、想像するだけで憂鬱になる。
「不信の停止だよ、不信の停止。それで現実逃避を楽しんでくれ。それは、そういう小説なんだから」
Aはそんな事を言った。僕はとても楽しむ気になどなれず、大きく深いため息を漏らした。
なんだか、歌も作ったみたいです。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm28307789