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八、楽しむこと

 囲碁で勝つために何が必要か考え、対局を重ねた結果、僕の棋力はずいぶんと向上した。強くなるためには妥協せず真剣に取り組むことが必要だ。そう思って対局を重ね、勝ち負けにこだわっている中で、ふと、僕は囲碁を楽しむことを忘れているような気がした。負けが続いていて、悔しさを晴らすためにとにかく勝ちたいと思って打っている時などは特に、一手一手を楽しんで打つことは意識から外れていた。そして、勝つことばかりが頭にある状態ではなかなか勝てないのである。ある時僕は、音楽を聴いたり本を読んだりしながらのんびりと打った。コンピューターと対局しているので時間や相手のことを気遣う必要はなく、以前からそのように打つことはよくあった。ぼーっとしながら、次の一手をどこに打つとどのような展開があり得るのかとりとめなく考えていると、良い手が思い浮かんだ。結果として僕は勝つことができた。その対局を振り返ると、頭の中で勝ち負けのことは脇に置かれていて、次の一手を考えることを楽しんでいた。僕は囲碁を楽しむという初心に帰ることの大切さに気付いた。

 楽しむことは上達や勝利を引き寄せる。盤面には一目見ただけではわからない可能性が潜んでいて、考慮の末それを見抜いた者が勝利に近づく。そして、その経験を重ねることで新たな知見を得て、実力が磨かれる。もし次の一手を考えることが苦しいことであれば、それをしようとしなかったり、早く終わらせようとして、安易な発想に落ち着いてしまう。それに対して、先を読むことを楽しむ人間は、次々と新しい考えが湧きあがり、盤面に眠っているかすかな可能性を発見することができる。勝利や上達のための過程が楽しいものであれば、自ら進んでその過程を歩もうとする。

 また、楽しむことは心の緊張をほぐす。勝ち負けに強くこだわっていると結果のことが意識に入り込む。負けるかもしれないと思うと不安で心が乱される。楽しむことはそういった雑念を払い、意識を目の前の一手にのみ向けさせる。それは集中につながり、自分が持っている本来の力を引き出してくれる。囲碁のように創造性が問われる競技においては、精神にゆとりを持つことは特に有益だと言える。

 ここで述べた楽しみとは一手一手に伴うもの、つまり過程を楽しむことである。囲碁の楽しみにはもう一つあり、それは勝利によって得られる喜び、すなわち結果を楽しむことである。楽しむことが勝利への近道になると述べたが、この二つは必ずしも同時に得られるものではない。勝利に必要な過程のすべてを楽しいと感じる人間はいない。例えば僕は終盤のヨセが好きではない。中盤戦までは局面があらゆる方向に変化する可能性があり、その可能性の広がりを考えることを僕は面白いと思っているのだが、ヨセはほとんど一本道であり、変化の余地はない。かといってヨセを軽視すれば、中盤戦まで優勢に進めていたとしても、ヨセで逆転されて負ける危険性が高まる。勝利の喜びを得るためには、楽しくない部分にも気を緩ませることなく取り組まなければならない。

 それでもやはり、打つことそのものを楽しむ心を忘れてはいけないと思う。囲碁が上達するにつれて、ただ打つだけでは満足がいかず、勝たなければ意味がないとさえ思うようになってくる。そのような状態になったら、自分はなぜ囲碁を打っているのかと思い返してみるといいだろう。ほかの競技ではなくなぜ囲碁なのか。自分は囲碁にしかない楽しみを見出したから囲碁を打ち始めたはずだ。勝つことがすべてだというのなら、その競技が囲碁である必要はないはずだ。僕が囲碁に感じる魅力の一つは、盤面に並べられた白と黒のたった二種類の石の中に、無限ともいえる可能性を見出す点だ。そして、そこには人生についてあてはまるような法則性が潜んでおり、囲碁を通してそれらを発見することができる。二種類の石の並びがこれほどまでに複雑な現象を作り上げることに、僕は美しさを感じる。この思いがあったからこそ、僕はここまで長い間囲碁に打ち込み、囲碁を趣味と呼べるものにしたのである。

 勝ち負けに伴う喜びと悔しさは確かに大きい。しかし、勝って喜び、負けて悔しがってそれで終わりというのは寂しいものだ。勝負の中で積み重ねられた一手一手は洗練された思考の表れである。経験を積んだ打ち手は、一手にこめられた意図を読み取り、その素晴らしさに感動することができる。囲碁には様々な楽しみ方がある。僕が知らない楽しみ方もたくさんあるだろう。僕はいつもコンピューターと打っていて、人と打つことがほとんどない。囲碁は対局を通して相手と会話することができると言われている。今後人と打つことがあれば、盤面を通して意思疎通する楽しみ方をするのもいいだろう。そうして、様々な楽しみに触れ、感性を刺激することで、さらに囲碁を魅力的なものだと感じられるようになるはずだ。

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