七、柔軟に思考を変える
囲碁は先を読む力が問われる競技である。自分がある場所に石を打った場合、相手にどんな応手があるか、その応手に対してさらにどのように打てばいいのか、次々と可能性を考え、最終的に落ち着く形を予測する。予測した形が悪いものであればそこに打つことはせず、別の手についてまた予測を立てる。ここで問題になるのが、良い形、悪い形とは何を基準にして決められるのかということである。もっとも明快なのは死活、つまり石が取られるか取られないかである。自分の石の一群がまるごと死んでしまうのは悪い結果だと簡単に判断できる。そして攻めにおいては相手の石の一団を殺す形が望ましい。死活に際しては正しい手、間違った手がはっきりとしていて、最善の打ち方とその結果が明確に求まる。
しかし、囲碁にみられる形は死活のような状況が確定する形ばかりではない。囲碁の勝敗は最終的な陣地の大きさで決まるので、良い形とは最後に大きな地を確保することに結び付くような形であると言える。形の良し悪しを判断する基準として、死活よりも漠然としたものとして模様という言葉がある。模様とは、ある領域を囲んでいる石が連結しておらず、陣地が確定していない未熟な状態を指す。その領域にたくさん自分の石があれば将来的にその領域が自分の地になる可能性は高く、相手に打ち込まれたとしても有利に打ち進めることができる。死活においては損得が明快であるのに対して、模様はあくまで利益を生む見込みがあるということに過ぎない。局面が進むにつれて、模様が崩れて自分の地ではなくなってしまうことがたびたびある。死活のように石の利益を確定させる着手もあれば、このように将来の可能性を高める着手もあり、どちらが優れているかは状況による。
もしある場所に石を打ったとしたら、その後の展開でどのような死活や模様が得られるのか、打ち手は何手も先を予想する。その予想は多様に枝分かれし、その先にあるそれぞれの形は異なる死活や模様を含んでいる。地を確定させる方が良いのか、模様を広げる方が良いのか、打ち手は常に天秤にかけることが求められる。はっきり何目と数えられる利益と、将来利益を生む可能性は簡単には比較できず、これが囲碁の難しいところである。同時に、ここは打ち手の個性が反映される部分である。僕は早々に地を確定させるよりも、模様を広げることが好きである。模様を優先すれば状況は確定せず、その後の打ち回しによってあらゆる方向に局面が変化していく。最初に予想していたのとは全く異なる形に収束することも少なくない。多種多様に変化する打ち方に僕は楽しさを見出し、それを盤上に表現していく。
一路違う場所に石が打たれるだけで、往々にしてその先の展開は全く異なるものになる。状況が変化すれば、それ以前の手において考えていた読みは捨て、また新たに次の展開を読む必要がある。過去の考えは先入観を生み、この形に収まるだろうという思い込みが他の可能性を忘れさせてしまう。思考には惰性が存在し、意識して立ち止まろうとしなければ、惰性による先入観が思考を支配する。先入観を振り払い、時には戦略を大きく転換することが求められる。例えば、自分の石が取られないように守ろうとする考えから、それよりも盤面の別の場所に注目して打ち、守ろうとしていた石を見捨てる方向に変化することがある。一時的に石を失ったとしても、その後に大きな利益を上げることができるのならば、石を失うことは良い打ち方だとみなされる。このような判断のもとで、捨て石としてわざと相手に石を取らせることがある。捨てると言ってもその石が不要であるという意味ではなく、その石は相手に取られることによって別の場所で利益を生じさせるような形へと導き、有効活用されている。石を守るべきか捨てるべきか、判断は一手一手進むごとにめまぐるしく変わる。初めは守るつもりだった石が、数手後に捨てる方向に変わり、さらに打ち進めて考えを改めてやはり守ることにする、といったことが起こる。
思考を変化させるものはいくつかの種類が存在する。一つは、局面がひと段落し、打ち手が別の場所に目を向けて石を打つ時である。この場合はそれまでとは全く違う場所で違う戦いが始まるので、これまで考えていたことを捨てて新しく次の展開を読み始めることは当然の成り行きである。二つ目は、自分の読みが及んでいないところに相手が打った場合である。例えば模様を広げて打っている状況では次の一手の可能性が非常に多いため、読みを絞りづらく、次の展開を予想しきることは難しい。このような時は相手の打った手によって生まれる可能性を考慮し、その後の展開を予想していく。この他に、状況が複雑で、あるいは自分の実力不足から、限られた部分の死活を読み切れないことがある。もし自分の石の死が確定しているなら、できるだけ早くその石を捨て石とするように戦略を変更した方が良い。石を守ろうと固執して手を重ねるほど、その石の一団は大きくなっていき、石が取られた時の損失は大きくなる。とはいっても、生きることができるなら基本的に生かしたほうがいいので、先が読み切れない時にはこのあたりの判断は難しいところである。
三つ目は自分の読みとは違う場所に相手が打ってきた場合である。僕が不調の時にはしばしばこの状況で苦しむことになる。自分の読みとは異なる状況になったので、ここは考えを改め、新たに読みを構築すべきところである。しかし、少し違うだけだからだいたいこれまでの予想と同じ形になるだろうと思って安易に打ってしまうことがある。そして数手の後に、思いがけない苦境に立たされてしまっていることに気付いた時にはもう取り返しがつかなくなっている。こうなると僕は自分の考えの甘さを後悔することになる。もし制限時間があって、急いで打たなければならないのであれば仕方ないともいえる。しかし僕は普段じっくり考えたくてコンピューターと制限時間なしで打っているので、言い訳は通らない。
次々と変化し続ける状況の中で、考えを生み出しては捨て、常に思考を改める。突如として現れる利益あるいは危険の兆しを逃さずに察知し、最善の一手を模索する。そうして積み重ねられた一手一手によって盤面に描かれた模様は洗練された思考の表れであり、そこに美しさを感じ取ることができるのである。