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五、実戦を重視する

 何事にも練習と実戦が存在する。囲碁における練習は詰碁などの問題集を解くことであったり、指南書を読むことであったりする。すでに述べたように僕は囲碁の本を読むのがあまり好きではなかった。その理由の一つは本に書かれていることを覚えるのが楽しそうではないからである。知識をつければ特定の状況に対して素早く対応することができるので、制限時間のあることに対しては有効である。また、自分一人では思いつくのに時間がかかることであっても、本を読めばすぐにそこにたどり着くことができる。しかし僕の場合は、これらの点は利点とは言えなかった。僕はコンピューターと対局していたので、制限時間を気にする必要がない。そして、長い時間をかけてより良い一手を自ら考えだす過程に楽しさを感じていたので、本で知識をつけることはむしろこの楽しみを妨げるような気がするのだった。

 それだけではない。実際の対局を通して学ぶことは非常に多い。実戦は単に練習の成果を発揮する場ではなく、実戦は最大の練習といわれることもある。実戦にはすべてが詰まっているので、そこから十分に学ぶことができれば練習は必要ないだろう。ではなぜ練習をするのか。練習は実戦における限られた部分について集中的に、かつ繰り返し取り組むので、実戦では遭遇することの少ない局面について何度も経験を積むことができる。また、実戦は様々なことを同時に考えなければならないのに対し、練習では一点に集中し、それ以外のことを考えずに済むので、特定の能力を効率的に磨くことができる。加えて、練習が実戦と比べて手軽に行えることも利点の一つだろう。囲碁の対局には相手が必要で、時間と場所を確保しなければならない。それに対して、囲碁の勉強をするのは一人でもできる。本を読むのは場所を選ばず、まとまった時間を取る必要もない。このように練習は効率的に能力を上げることができるので、実戦から学ぶよりも優れているのではないかと思えるかもしれない。しかし練習と実戦には大きな違いがあり、練習からは学べないことが数多くある。

 練習では何を意識して取り組むべきかが明確に設定されている。死活なら死活、ヨセならヨセ、布石なら布石のことを考えるに適した状況が用意される。そのため、盤面の狭い部分だけが取り上げられ、ほかの要素は省かれていることが普通である。このような設定は一つのことに集中できるという利点を生む反面、同時に欠点をも招いている。果たして実戦では何に注目して考えればいいかがはっきりとしているだろうか。実戦では碁盤の上に様々な状況が複雑に絡み合っており、そこにどのような具体的な局面が隠れているかは一目見ただけではわからない。例え死活の問題を解くことに優れていたとしても、盤上に死活の局面が存在していることを見出せなければ相手に先を越され、死活の勝負に負けてしまう。実戦では広い盤面にちりばめられた石から状況を読み取ることが求められる。しかも一手打たれるごとに状況はめまぐるしく変化するので、一手前に解釈していた状況を次々と改めていかなければならない。

 さらに、実戦には正解が用意されていない。本に載っている死活の問題は、自分の石を生かす問題であれば生かすことができ、相手の石を殺す問題であれば殺すことができる。実戦では最善手を打ったとしても結末がどうなるかはわからない。死活の場面であれば、まず最終的に生き死にがどうなるのかを見分ける必要がある。もし自分の石が危機に瀕していて、最善の手を入れたとしてもどのみち死んでしまうとしたら、そこに手を入れることは余分な一手を消費してしまうことになるので、その石を守ることはあきらめた方が良いことになる。同じように、相手の石を取ろうとしている時、もし相手が先にその石を守るべき最善の一手を打ったとしても石を取ることができるのであれば、自分から先に打つのは無駄な一手である。

 実戦では複数の局面が混在しているので、ある局面での最善手を思いついたとしても、それが盤面全体における最善手であるとは限らない。別の場所に打った方が全体に及ぼす利益は大きくなるかもしれない。時には、すぐさま手を入れなければいけない局面が同時に存在していることもある。どちらかに手を入れれば、もう一方は駄目になってしまうので、どちらかをあきらめなければいけない。どちらに手を入れた方が利益が大きいのか比較をすることが必要となる。

 以上のように、練習で培った知識や技術はすぐさま実戦で使いこなせるわけではなく、その前に技術の使いどころを判別することが求められる。練習でできることが実戦でうまくできないことが多々あるのはそのためである。練習ばかりに慣れてしまうと、限定された状況で決められた技術を成功させることが得意になってしまい、実戦の複雑な状況の中で技術を的確に出すことが難しくなってしまう。練習で繰り返し頭に叩き込んだ知識は時に先入観を生む。この局面を見たらここに打たなければならないという思いが意識を占めてしまい、他の部分も含めて客観的に盤面を見ることが妨げられる。それに加え、せっかく覚えた技術なのだから使いたいという気持ちが強くなり、使う必要のない場面でも無理やりその技術を使ってしまいがちになる。それは結果的に最善手をみすみす逃してしまうことになる。技術は的確な場面で用いてこそ効果を発揮するのであり、誤った場面で使われればむしろ損をしてしまう。

 ゆえに、技術を向上させるためにはまず実戦ありきで考えるべきである。練習で成功するようになった時点でその技術を使えるようになったと思うのは誤っている。練習でできたからといって実戦でできるわけではなく、練習したことを実戦で発揮できるようになって初めてその技術を習得したと言える。練習した技術を実戦で使うのはたやすいことではない。技術を実戦で使おうと思っても、実戦ではその技術を発揮すべき場面はそうそう訪れはしない。その時が来る前に長い間攻防を繰り返した結果、頭が別のことで占められてしまうこともある。そのような際、その技術を使う最適な瞬間を見逃してしまう可能性がある。また、その時を見極めたとしても、失敗することなく確実に成功させることは難しい。練習と実戦での精神状態は大きく異なり、実戦ではそれまでの経過によりあらゆる思考や感情が渦巻き、練習のように落ち着きをもって考えることができないかもしれない。このような困難をくぐり、実戦の状況で練習の成果を発揮することに成功すれば、その経験は記憶に刻みこまれる。それを蓄積させることで、技術の使いどころを見極める状況判断や、確実に成功させるための冷静さを身に着けることができる。

 問題集や参考書に載せられている膨大な知恵は実戦の中にすべて眠っている。それらは本に書かれているように明示されることは無く、自ら見つけ出さなければならない。対局を通してそれらを探し出した時の喜びもまた実戦でしか味わえないものである。

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