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四、優先順位を見極める

 一手に含まれる価値は一目で明らかに見て取れるものもあれば、すぐには気付きにくいものもある。一般的に、人は自分に近い物を認識しやすく、遠い物は認識しにくい。ここでいう近さ、遠さは空間と時間両方について言えることである。つまり、自分と近い距離に存在し、近い未来に影響を与えるものであるほど意識に入りやすく、一方自分と遠い距離に存在し、すぐには影響を及ぼさないものは察知することが難しい。また、朝三暮四という言葉にあるように、人は目先の利益に対して敏感である。目先にある小さな利益を、遠くにある大きな利益よりも重要なものだと錯覚してしまう。なぜなら目先の利益はすぐに満足感を得ることができ、想像に浮かべやすいからである。遠くにある価値は気付きにくく、例え気付いたとしても近くにある価値の方についつい手を伸ばしてしまう。

 一手の価値を高めるべく研鑽すべき囲碁においては、この習性は打ち手の邪魔をする。僕は実際に対局を重ねる中で、この習性がいかに大きな影響力を持っているかを実感した。囲碁の盤面は広く、激しい攻め合いが行われている場所もあれば、平穏ですぐには脅かされることのない場所もある。局所で相手と石を打ちあっている場合、どうしてもその狭い領域に目が釘付けになってしまい、そこから離れた場所には意識が及びにくい。頭の中は攻め合っている局所における好手を探すことでいっぱいになってしまう。しかし、その状況における最善手がそこから離れた場所に眠っていることがしばしばある。相手に先にそれを見出され、そこに打たれて初めてその価値に気付き、自分の視野の狭さを後悔するのだった。

 錯覚を打ち払い、視野を広く保って打つためには、一歩引いた目線で盤面を眺める視点を持つことが必要である。一時の感情に流されてはいけない。不安や満足感の大きさで価値を測るのではなく、理論に基づいて客観的に判断することが求められる。その判断をより的確にしていくのは、知識と経験、そして思考である。僕は一手一手に際して盤面全体を見渡しながらじっくりと考えた。必然的にそれは長考となる。人と対局している場合は相手を不快にさせないようにある程度早さを気にして打たなければならないし、制限時間が設定されていることも多い。僕はコンピューターと対局していたのでその心配がなく、思う存分時間を使って考えることができた。夕飯などで対局を中断し、数時間たってから席に戻ることもあり、また夜中になったのでその日は途中で寝て次の日に再開することもあった。焦りをなくしてじっくり考えることで盤面全体を見渡し、その場その場においてより的確な一手を見出すことができた。そのように打つ経験を重ねていき、冷静な判断が良い結果を生んでいくにつれて、自分の打ち方に自信が生まれる。自信は余計な感情を排除し、例え劣勢になっても客観的な視点と冷静さを保つことができる。さらに、経験の蓄積は直感を磨いていき、それまで長い時間考えて打っていた手を短時間でひらめくことができるようになっていった。

 多くの囲碁ソフトウェアでは自動的に棋譜が記録されるので、自分の対局を手軽に振り返ることができる。自分の対局を改めて観察し、盤面の一つの局面に注目して分析してみるとなかなかおもしろい。序盤戦である一定のところまで打ちすすめられた局面はその後しばらく放置され、別の場所に戦いが移っていく。あるきっかけを境にしてまたその場所に戻ってきて少し打ち進められ、また別の場所に戦局が移動することを繰り返す。最終的に盤面が石で埋まり、最後の形が生まれる。一つの局面が最後の形を成すまで、その局面だけに集中して打ち続けられることは無い。なぜなら手が進めば進むほどその局面は固定されて変化しづらくなっていき、一手から得られる利益は小さくなっていくからだ。他の場所に移った方が利益を上げられるのでその局面からはいったん手を放すこととなる。今打っている場所に打ち続けた方がいいのか、それとも場所を移した方が価値が大きいのか、打ち手は常に天秤にかけて量らなければいけない。一つの場所にこだわることは無い。途中で手を放すことがあっても、いずれ戻ってきて少しずつ手を蓄積させていけば完成形にたどり着くことができる。一つの場所に縛られることなくいろんな場所に焦点を移動させていき、自分の欲するときに欲する場所へ打つ、そういう自由さが囲碁の面白さの一つである。

 一つの局面から目を移して別の場所で打ち進めていくうちに、元の局面が隣接する局面と融合したり、そこからさらに分離したりして結果的に全く異なる形が生まれることが囲碁では往々にして見受けられる。その時その時の最善の一手を追及して打たれた石が蓄積していった結果、予想もつかない形へとむすびついていく。最後の形は打ち手の意思によって作られたものでありながら、その意思を超越した物であるかのように思わせる。できあがった模様に僕は美しさを感じた。それは単なる勝負の経過ではなく、ある種の作品のようにも見える。その作品は作り始める前から姿を思い描くことはできず、一手一手の行動の蓄積により自然と形を成していく。数あるうちの一手が乱れていれば均整を失い、崩れた形になってしまっていただろう。常に全体の均衡に気を配り、意思を込めて積み重ねていった結果が盤面に表現されている。そこに自分が精錬させた思考の成果が表れているように感じ、僕は棋譜を見て達成感を覚えた。

 これまで利益という言葉を用いて囲碁の打ち方を論じてきたが、均整という言葉を用いて論じることもできる。石を置いてもさして場が動じない点もあれば、一手で状況を大きく乱れさせる場所もある。後者は急所と呼ばれ、この点を見落とすことは敗北に直結する。逆に安定している場所は急いで手を入れなくてもよい。どこが安定していて、どこが繊細で弱い場所なのか、目を光らせなければならない。状況が常に変化しているなかで、自分の石の均整を保ち、相手の石の均整を失わせることが囲碁の攻防であると言える。広い盤面の一か所のみしか見ていなければたちまち全体の安定は崩れるだろう。

 囲碁は客観的な視点を磨くための良き修練の場である。傍目八目という格言が囲碁から生まれたことがそれを示しているのではないだろうか。

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