廃油の背景
有り得るよね。こんなご時世だし。
廃油ってあるでしょう。
あれね、地方の少し古い飲食店だと未だにペール缶に溜めてね、業者に回収しに来てもらってるの。
そうだね、あの居酒屋もそうだったね。週一でペール缶四つ分くらいの廃油が出てさ、毎週、業者に取りに来てもらってたのね。
そこまではよくある飲食店の裏方話だよ。
おかしくなってくるのはね――そうだな、まあ、廃油をペール缶に溜めて、業者が持って行きやすいように裏口から出して、置いておくんだけど、それがね――。
忽然と、消え失せたの。
――廃油を溜めて外に出しておいたペール缶が、忽然と消え失せた?
そうそう。
業者から「廃油の缶が出てませんけど」って連絡があって店長が気付いたらしいんだけどさ、普通はそんなもの盗まれないでしょ? 使い道なんてほぼ無いしさ。で、店長は首を傾げながらとりあえず新しいペール缶を買ってきて、それに廃油を溜めてね、また裏口から外に置いていたのよ。
――はあ。
そしたらね。
――はい。
また、外に出してた、廃油の詰まったペール缶が、全部無くなってたんだって。
――また。
二回もそんな事があったんじゃ流石に店長も困惑して、回収業者に再度断りを入れて、そりゃ警察にも通報するよね。それで定期巡回してほしいと頼んでさ、経費で防犯カメラも設置した訳。少し雰囲気もピリピリしてきてさ。まず、廃油を盗む意味が判らないし、大した実害も出てないから警察も本気になってくれない。でも窃盗は窃盗だ。いつか金目のものに手を付けられるか、怖いよね。
――それは、不安にもなります。
それでさ。
――はい。
警察と防犯カメラの用意ができて、ついでに店も繁忙期だ。次は廃油が溜まったペール缶が八つ出たのね。
――多いですね、
怖々としてそれを裏口から外に出したんだろうね。それで――。
――それで?
次の日、やっぱり缶は全部消えてた。
――防犯カメラは?
設置してた四つ、全部壊されてたんだって。警察に被害届も出したけど、返事は渋かった。一回か二回巡回して終わりなんだろうね。店長は唖然としてね。
そこからだよ、目に見えて店長がイライラし始めてさ、バイトの一人にね、時給割増してやるから、裏口から缶を出した後に回収業者が来るまで見張ってろって言い出したの。それ徹夜仕事になっちゃうよね。だからバイトの子が断ったらさ、店長は物に当たり散らして。
――大変ですね。
そんなんだから、バイトも何人も辞めちゃって。チーフは残ってたんだけどね、そのチーフに一番高い防犯カメラをネットで見繕うように言ったり、警察にちょっとハッパかけてこいって指示したり。でも、思うようには行かないよね。
――直接的に命や財産が狙われた訳じゃないですからね。
そうなのよ。
それである日、耐え兼ねたチーフが店長にさ、諭すように少し落ち着きましょう、落ち着いてこれからを考えましょうって提言したのよ。
そしたら店長が――。
――はい。
チーフをぶん殴ってさ。
――手を、出した。
うん。
殴られたチーフも泣き寝入りはしなくて、訴訟沙汰にしたんだよね。もう売り言葉に買い言葉でさ、当然チーフも退職して、店長は経営時間とか色々縮小して、一人で店を切り盛りし始めたの。裁判も抱えて。でも――。
――でも?
居酒屋をやっている以上は、廃油は、出るよね。
――それはそうです。
店長はもう廃油の溜まったペール缶を外には出さず、店内に置き始めたの。何日も何週間も。回収業者にも連絡せず。そんな事してたら、狭い居酒屋なんだから置く場所は無くなってくるし、不衛生だよね。見た目も汚いし。
――そして、どうなったんですか。
どうもこうも無くて、店は当然のように閑古鳥が鳴くようになって、最後に見た時にはもう建物だけあるような感じだったかな。店長もその後どうしたのか、どうなったのか誰も知らなくてね。
で、ついぞ、この前あそこを通りかかったら、もう更地になってたよ。
――更地に。
――何だったんでしょうね。この話は。
あのね。
これは個人の見解だって事にしておいて欲しいんだけど。
――はい。
あれさ、変な奴らに、遊ばれてたんじゃないのかなって。
――よく分かりませんが。
変な奴らがさ、同じ地味な事を繰り返す。イライラしてきた店長が壊れ始める。その様子を――恐らくネットで共有したり、情報交換して、見世物として消費する。あの居酒屋は、見世物として運悪く選ばれたんじゃないのかなって。
――見世物。
有り得るよね。こんなご時世だし。
うちのスマホにも、怒った店長の盗撮画像が回ってきたし。