序章 退屈
退屈。
それは人間の多くが感じる感情だ。
だがこの感情の有り難みを知る人間は少ない。
この物語の主人公中川隆一もその一人だった。
「...であるからして彼は考古学界の恥さらしと言われ...」
教授はあくびをしながら黒板に文字を書いていく。
教授のけだるそうな様子からなのか、それとも明らかに小さな文字が読めないのか。
誰もまともに授業を聞いている様子ではない。
机に突っ伏して寝ているもの。
ノートを取る振りだけをするもの。
友達と駄弁るもの。
人それぞれが各々好きなようにしている。
教授はいつもの事なのかめんどくさいからなのか注意せず授業を気にせず進めていく。
そして黒板が小さな文字で埋め尽くされた少し後、
大きなチャイムがなりひびき授業の終わりを告げる。
「今日はここまで、明日はこれの続きをやるから忘れないように。」
そういい放ち教授は講堂を後にする。
それを待っていたと言わんばかりに黒板の近くに移動したり、鞄に荷物を詰め込んで帰る準備をする生徒達。
そんな慌ただしい講堂の中、須藤隆一は一人机に突っ伏していた。
変わらない日常。
変わらない風景。
代わり映えがしない面々。
特別なイベントなど無く、どんどん時は過ぎていく。
これを退屈と考える人間も少なくない。
須藤隆一もその一人だった。
そんな退屈している中一人の女の子が隆一に話しかけてくる。
「相変わらずつまらなそうな顔してるわねぇ。」
「皐月か。おつー」
「おつー じゃないわよまったくほらノート。」
呆れた様子で皐月はピンクのノートを渡す。
そのノートにはカラーマーカーで線が引いてあったり付箋がしてあったり、隆一とは真逆な真面目な性格を表していた。
「サンキュー愛してるぜ皐月。」
「思ってもない癖に、ほらさっさと写してよ私も速く帰りたいんだから。」
そうは言いながら彼女はこれ以上急かす様子は無く、隣に座りながらそっぽを向く。
その横顔は少し赤く紅潮していた。
「ありがとよこれいつものお礼。」
隆一は自販機で買ったコーラを彼女に手渡す。
「あんがと。」
「何も感謝される事じゃねぇよ俺がいつも頼んでる事だし。」
「それもそうね。」
皐月はコーラを開け、髪を耳にかけるとゆっくりと飲み始める。
(相変わらず黙ってると美人なんだよなぁ。)
隆一はいつも小うるさい彼女を見ながら自分の珈琲を口に運んで思う。
「何よ?」
その視線に気づいた皐月は恥ずかしそうに隆一の方を向く。
「別に急かしてた割にはゆっくり飲むなって思っただけだよ。」
「!そうだった!じゃあ私先帰るわ!!」
そう言いながら皐月は急いで鞄に荷物をまとめて帰っていく。
「ノート忘れてるし、相変わらず忘れんぼうというか。」
呆れた様子で隆一も帰る準備をしながら珈琲を飲む。
今日の珈琲をいつもより甘く感じた隆一だった。
「ねみー やっぱりイベントだから夜更かしするんじゃなかった。」
ゲームのイベントの為に夜更かしをしたからか頻繁にでる欠伸を手で抑えながら夜道をゆっくり歩いて帰っていく。
『アソバナイ?』
後ろから幼い少女の声が聞こえ振り返る隆一。
だがその方向に少女などおらず閑静な住宅街が広がっていた。
「聞き間違いか?」
可笑しいなと思いながら前を向き、歩き始めようとしたそのとき。後ろから何かに掴まれる。
その何かは隆一の顔面すら掴みかかり押さえつける。
だが隆一に見えるものは茶色の手ではなく黒色の何かだった。
振りほどこうとするがそれは足掻けば足掻くほどどんどん力強くなっていく。
『●●●●●●』
聞き取れない声と共に隆一の意識は消えた。
目が覚めると暗闇の中だった。
闇の中から何かを叩く音が響き渡る。
その音はどこか歪で、聞いたことも無いような音だった。
隆一の目も慣れてきて、風景が見えるようになってきた。
隆一の目が慣れ、初めて見た光景は...現実離れしたものだった。
小さな醜い何かが、何かの頭部を使い、音を鳴らし遊んでいる。
その姿はまさに隆一がゲームでよくみるゴブリンそのものだった。
隆一はそのあまりに非現実的で狂気の世界に耐えられず、胃の中の全てをぶちまける。
ゴブリンはそんな隆一を見ながら笑いながら遊びを続ける。
「何なんだよ!これ!」
こんな状況なら当たり前かもしれないが隆一は声をあげるしか出来なかった。
初めて感じる殺意。
そして人間をおもちゃとしか思っていない残虐性。
腰は抜け、身体は恐怖で動けない。
そんな隆一を見ながらゴブリンは遊びをやめ足を進める。
「ケケケケ!!」
笑いながら近くの棍棒を手に取りどんどん近づいてくるゴブリン。
(逃げろ!俺!動け足!こんな訳分からない所で終わりたくねぇよ!)
だが恐怖は人間という物を動けなくする。
こんなよくわからない場所でよくわからない存在に殺されるのか。
この世界の理不尽さを嘆いていたその時。
「それは私の玩具だ小さき者よ。」
どこからかそんな声が聞こえ、ゴブリンのような何かは吹き飛ぶ。
吹き飛んだそれはもう原形を留めてすらいなかった。
隆一は助かった事の喜びでは無く、恐怖を感じて震える。
自分がさっきまで恐怖していたゴブリンを虫を潰すかのようにいとも容易く殺す圧倒的な力。
そして生物を殺したというのにその目はつまらなそうにしている。
それが隆一を玩具と言った。
そんな絶望を前に心臓が速くなる。
そこで隆一はまだ生きているのだと実感できた。
だが、それは希望では無く、絶望だ。
死んでいたのなら痛みすら無かったのだろうとおもえてしまう。
隆一はあまりの恐怖に気を失う。
皮肉なことに彼が気を失う前に求めたのは退屈だと思っていた日常だった。
『恐怖とは生の証である。』
エドワウ・ジョン
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