(8)
「ぼく、悩んでいるの」
はっきりと、ひーくんはもう一度言い切った。
「ひーくん、何か苦しいならお母さんに言ってよ。どうしたの?」
ひーくんの目の前に割り込んで、ひーくんのお母さんが言う。
「おかあさんじゃあ、ダメなんだ」
もう一度きっぱりと言うひーくん。
「ひーくん……」
ひーくんのお母さんはもはや絶句状態だ。
黙ってやり取りを見守っていた私を見て、ひーくんは頭を下げた。
「愛お姉さん、お願いします、ぼくのお話聞いてくれますか?」
数分後。
大人の座るように作られたスツールにどうにか腰かけて、足をぶらぶらさせながらひーくんは話し始めた。
ひーくんのお母さんには、一番隅っこの席に座ってもらっている。
何よりも聞きたがったお母さんに、ひーくんがきっぱり拒否したからだ。
ショックを受けているお母さんをどうにか宥めて、私は真剣にひ―君に向き合う事にした。
「ぼく、年上のお姉さんが気になっているんです」
聞くと、ひーくんは今6歳で気になっているお姉さんというのは中学生のお姉さんの様だった。
みかんさんという名前のお姉さんはひーくんの近所に住んでいて、ひーくんとよくお話をするそうだ。
「みかんちゃん……。ううん、みかんお姉さんはすっごくきれいで明るくて、ぼくとよく遊んでくれて。
その、その……。何だかね。最近みかんお姉さんに会うと胸がぎゅう~っとなるの。変なの」
ひーくんは胸の辺りを押さえて言う。
「ぼく、何で胸がぎゅう~ってなるのかな? 変な病気になっちゃったのかな?」
私は、何だかもう胸の辺りがひーくんみたいにぎゅう~ってなるのを感じた。
ひーくんのは病気なんかじゃあない。
ひーくんという男の子の、「初恋」なのだ。
私は、それを伝えるために、慎重に言葉を選ぶ。
「……ひーくん。よく聞いて。ひーくんのは病気じゃあないよ」
「本当?」
ひーくんの瞳は不安そうに揺れている。
「そう。ひーくんがみかんお姉さんに会うと、胸がぎゅう~ってなるのはね。種から芽が出たからなの」
「芽?」
訳が分からないと、ひーくんの顔にいっぱい書かれているのを見て私は思いを込めて次の言葉を言う。
「ひーくんの心に『好き』って気持ちの種の芽が出たの。それは」
ところで、と私は続ける。
「ひーくんはお母さんのこと好き?」
突然話題が変わったが、ひーくんは真剣に聞いてくれている。すぐに、
「うん!」
と元気な返事が来た。
「みかんお姉さんのことは?」
「好きだよ?」
「おんなじ、好き、かな?」
「同じ?」
「そう」
ひーくんは考えている様だ。
子どもの眉間に、最大限の皺が寄っている。
「……ちがう」
ぽつりと、ひ―くんが呟いた。
そして、私を見る。
「愛お姉さん。違うや……。全然違うや」
ひ―くんは、少しだけ大人びた顔で続ける。
「お母さんが好きと、みかんお姉さんが好きと、違う! ぼく、わかったよ!」
『その愛を大切にしてね!』
「ラブ?」
不思議そうに繰り返すひーくんの頭を撫でながら私は言う。
「心に芽生えた”想い”は一生の宝物よ。大切にしてね。ひーくん」
「わかった!」
ひ―くんの顔は晴れ晴れとしていた。
もう大丈夫ね。
私はそう思って、ひーくんの頭から片手をそっと放した。
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