(5)
(アース、さんね……)
私は、らしいと思ったが口に出さなかった。
アースさんは、特に注文を出すことなくまたも両肘をスツールに付いて口元に手を当て黙ってしまった。
少しだけ重苦しい雰囲気がバーの中に漂う。
「お悩み、聞いてもよろしいでしょうか」
「聞いてくれますか? 普段忙しくて、親しい人も皆こんな話出来なくて」
仄かな灯りの下で顔を上げたアースさんは安心したようにホッとした。
余程の、悩みを抱えているようだ。
「……こんな歳をして、恋愛話なんです」
「おかしくないわ、全く」
アースさんにとっては恋愛話を人にするのは、ハードルが高かったようだ。
私は安心させるように平坦な口調で相槌を打った。
それで、と続きを促す。
「はい。わたしは33歳、彼女は3つ年下の30歳。付き合って4年になります。もうすぐ結婚する予定なんです。プロポーズが、まだですけれど」
「おめでとうございます。それは仕事も頑張らなきゃですね」
「ええ。ですが結婚の事や仕事の事で彼女を不安にさせてしまっているみたいで……」
不安、か。
と私は思う。
ここが話の肝心な所なのだろう。
「こんなご時世ですが、国際線は動いています。やはり世界を飛び回ります。同居している彼女が家の留守を守ってくれまして。……彼女は、少しだけ弱い人なんです」
アースさんはそこで大きく息を吐く。
「優しすぎて、弱い人なんです。僕のことを気遣ってくれて、自分の不安や寂しさを全く訴えない、本当に良い彼女なんです。いつも笑顔で迎えてくれて……」
「……ほんとうに、優しいわね」
彼女さんの気持ちが、私には痛いほど解った。
彼には、心配をかけたくない。そんなポリシーが伝わってくる。
けれど、それでは……。
私の表情から、何かを読み取ったのだろう。
アースさんは頷いた。
「彼女、少しだけ、その、精神的に……」
アースさんは苦しそうだ。
私は、冷やしていたタンブラーというグラスを一つ取り出し、氷を入れてスーズというリキュールを注ぐ。次に冷やしたトニック・ウォーターを入れて満たし軽くステアする。
ステア、とは「混ぜる」と言う意味でミキシンググラスで材料を混ぜてグラスに注ぐという方法だ。
「どうぞ」
私はアースさんにタンブラーをそっと差し出す。
「綺麗な、緑色ですね」
見惚れたように、アースさんが呟く。
まあ、お店のバーの名前が【ビタミンカラー】ですから。
ビタミンカラーのカクテルのバリエーションは多いのよ。
普通のカクテルとかも勿論有りますよ?
そんな事を誰ともなしに説明していると、アースさんはタンブラーをそっと持ち上げてこくりと喉を鳴らしてカクテルを飲む。
「ああ……。美味しい、けどちょっとほろ苦い」
「このスーズは、リンドウ科の薬草ゲンチアナ使って作られているの。だからほろ苦いの」
「そうなんだ……」
アースさんの心には、このほろ苦さがちょうどいいと思ったから。
とは言わない私。
きらり、とアースさんの目に涙が光った気がした。
「……泣きませんよ、男ですから」
慌ててアースさんがそのきらめきを消してしまう。
男性でも、泣くことは大切なのに。勿体ない。
でも、私は敢えて言わなかったのだった。
「アースさん」
「なんでしょうか」
暫らくしてから、私は改めてアースさんの名を呼ぶ。
畏まるアースさんに思わず苦笑する。
真面目な方なのだ。
「どうか、彼女さんの心に寄り添うことを大切にしてあげてください。彼女さんの、話をよく聞いてあげてください」
私の訥々と語る内容にじっと耳を傾けるアースさん。
その肩が段々小刻みに震える。
『二人の間に確かな愛があれば大丈夫よ!』
私のキメ台詞にアースさんは小さく彼女さんの名前を呟いて、静かに泣きだしたのだった……。
もう大丈夫ね。
私はそう思ったのだった。
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