(4)
「……来たかしら」
私は、グラスを磨いていた手を止めて、そっと微笑む。
カラン、カラン。
今宵も、迷える子羊……では無かったわね。
いい加減、お客さんだって覚えなきゃ。
「此処は、バーで合っていますか……?」
不安そうな声に私は答える。
「ええ。此処は【ビタミンカラー】と言う名のバーよ」
コツン、コツン。
磨かれた床に、磨かれた靴先が明かりの下に来た。
「僕、いえ。自分は……」
「静かに」
私はグラスを棚に置いて、お客さんに向き直ってお一礼をした。
「ごめんなさい。これが通例で。……ようこそバー【ビタミンカラー】へ」
不思議そうに店内を眺めているのは、今夜の男性のお客さんだ。
「初めてです。こんな居心地の良い、趣味の良いバーは」
バーカウンターのスツールに座りながら男性は言う。
「あら、ありがとう。褒めてもサービスはしませんけれど」
「あはは、尚のこと感じが良い」
軽やかに笑う私に、同じく軽やかに男性も笑う。
それから、男性はしばらく額に手を当てて黙ってしまった。
「お悩みでしょうか」
「……判りますか?」
「それだけ真剣な顔をしていれば」
男性は、苦笑して真剣な目をした。
「……僕の職業は、飛行機のパイロットでして。国際線の」
「あら。すごい」
「すごい、ですかね……」
自分の仕事に自信が無いのか、男性は首を傾ける。
制服がよく似あいそうな、イケメンの部類に入る爽やかな人だ。
と、私は勝手に脳内でイメージを広げてしまっていた。
男性は、また黙ってしまう。
「……このバーでは、お名前を伺うことにしているんです。お客さん、じゃあ何だか味気なくて」
明るく私が言うと、男性はハッとして成る程と頷く。
「仮名でもよいですか……?」
「もちろん。此処だけでのお名前でも。貴方の、心のままに浮かぶ名を名乗って下さい」
「じゃあ……。アースで」
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