(10)
カラン……カラン。
扉のベルが、少しだけ寂し気に鳴る。
「いらっしゃいませ。【ビタミンカラー】へようこそ」
私は、深く一礼をしてそのお客様を迎える。
何日ぶりか、はたまたそれ以上振りのお客様かしら。
此処は前にも述べた通り、時間の概念が無いので……。
「お客様?」
私は扉の所に立ったままのお客様に訝し気に声をかける。
「……ああ、すまんね。ちょっとびっくりしたもので」
老人の声がする。
今宵のお客様はご年配の方の様だ。
「大丈夫ですか? お手をお貸ししましょうか」
バーカウンターから出ようとした私を、老人は片手を上げて止めた。
「なに、心配かけてすまないね。本当に驚いたもので」
コツン……コツン。
磨かれた床に、ゆうっくりと足音が響く。
コツン。
杖の音もする。
仄かな灯りに照らされたのは、深く皺が刻まれた、穏やかな表情のご老人だった。
「久しぶりに、このバーに来れたわい」
「あら。では……」
「貴女に会うのは初めてかな。美人のバーテンダーさんや。名前は……?」
「愛ですわ。以後お見知りおきを」
一礼をする私に、静かにご老人は拍手をしてくれた。
「……わたしが、いや。今回はワタルと名乗ろうかな。以前は何と名乗ったか忘れたのでな。ホッホ」
「ワタル様は、以前のマスターの時に来られたのでしょうね」
「ホッ。そうだと思うよ。して、以前のマスターはお元気かな?」
その質問に、わたしの胸が痛む。
「……そうか、そうか。無礼な質問をしてしまったなあ……。すまんの愛さん」
私の一瞬の表情を見て、悟ったのかワタルさんは謝ってくれた。
「いえいえ。表情を露わにしてしまう様では、バーテンダーとして失格ですね」
くるりと背を向けてグラスを磨きだす私を、心配気にワタルさんは見遣る。
しばらく、沈黙がバーの中に漂う。
ワタルさんはスツールにゆっくりと腰かけると、
「のう、わたしの悩み事聞いてくれるかのう……?」
と静かに切り出した。
「……はい。お伺いします」
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