キャンプの日
結局、葵がキャンプに行くことを同意したということで、和輝もしぶしぶ仁の計画に乗っかった。
しぶしぶとは言いつつ、夏休み中、ずっと葵に会えないことを覚悟していた和輝にとっては、内心は嬉しくもあったのだが……
いよいよ、キャンプに行く前日となった。
純子は、部活があるため、その数日前から下宿に戻っていたが、葵はその日戻ってきたところで、家や下宿の大家には、純子と一緒に、大阪である人気歌手のコンサートに泊まりで行くと言っていた。
両親も大家も、しっかりした純子と二人ということで、特に心配する風もなく、葵はとりあえず『ホッ』としていた。
夕飯は、夏休み中なので下宿の食事はなく、二人で外に出て、近くの定食屋で済ませた。
その後、純子の部屋に入り、しばらく二人で話をしたが、次の日が早いということで、葵は早々に自分の部屋に戻って床に就いた。
しかし、緊張のためか、なかなか寝付くことができず、やっと、葵が眠ったのは、すでにキャンプの当日になっていた。
目覚まし時計の音に起こされる形で葵は目を覚ましたものの、やはり睡眠時間が短かったために、寝起きの気分は最悪で、ガンガンする頭を押さえながら、洗面場に行くと、すでに純子が歯磨きをしていた。
「おはよう、葵。ちゃんと眠れた?」
純子は、上機嫌であった。
「だめ、緊張しててあまり眠れなかった、頭がガンガンしてる」
葵は、大きなあくびをしながら、そう答えると、眠そうな目をこすりながら、洗面台に置いてある自分の歯ブラシを取って、口にくわえた。
「ちょっと、大丈夫?」
純子は、そんな葵を気遣ってそんな言葉をかけていた。
二人は、歯磨きを済ませると、自分の部屋から荷物の入ったバッグを持ち出し、「行ってきます」と大家に声をかけて、和輝と仁の待つ大川駅に向かった。
その途中も、葵は眠そうに何度も生あくびをしていたが、駅が近づくと、急にシャキッとし、自分の髪を手櫛で整えた。
愛する男の前で、みっともない姿は見せたくないとの乙女心であった。
駅にはすでに和輝と仁が待っており、二人の姿を見つけると、仁が嬉しそうに「やあ、おはよう」と大きな声を二人にかけた。
「おはようございます」葵と純子も、仁の挨拶に微笑みながら頭を下げた。
これから四人が向かうキャンプ場は、和輝たちが住む大川市から鈍行の汽車で1時間ほどのところにあった。
汽車に乗った四人は、向かい合わせの四人掛けの席に腰かけた。
平日ではあったが、夏休み中だからなのか、立った客もいるほど車内は混んでおり、仁が汽車に乗る前に、空いていた四人掛けの席に、窓から自分のバッグを投げ入れて席取りしていなければ、四人で座ることはできなかった。
席に座ると早速、仁が三人に本日の注意事項を話し始めた。
「いいか、俺は自分の身分証として、兄貴の学生証を持って来ているから、キャンプの間は『仁』ではなく『誠』だ。管理所では、俺が代表になって申請書書くけど、お前たちも、もし年齢や生年月日聞かれたら、二十歳って答えるんだぞ。生まれ年は、和輝は3年引いて、純子と葵ちゃんは4年引いて答えること」
そんな風に説明した。
「え~ なんでそんなことしなきゃなんないんだよ」
和輝が仁の説明に不満を言うと「成人してないと、親の同意書なんかが必要になって面倒なんだよ。いいから、俺の言うとおりにしろ」
仁は有無を言わせず、和輝たちを自分の話に従わせた。
そんなことを話しているうちに、キャンプ場のある大浜町に到着した。
四人は汽車を降りると、まず、キャンプ場の管理所のある役場に向かった。
役場の隅に設けられている管理所には、年老いた老人が一人でおり、仁はその老人に「松ノ浜キャンプ場を予約してる『加藤誠』です」と声をかけた。
その白髪で短髪の老人は、『ギロッ』とした目で、仁の方を見ると、「あんたら、みんな大学生?」と聞いた。
葵と純子が和輝の後ろで顔を見合わせたが、仁が躊躇することなく「そうです」と答えていた。
「それじゃ、ここに代表者の人の名前と住所を書いて」そう言って、その老人が出してきたのは、申請書というようなものではなく、使い古された大学ノートに氏名や住所、生年月日、利用者人数等の欄が手書きで作られた簡単なものだった。
仁が、すらすらと自分の兄の情報をそこに書き込み終わると、「なんか、身分証のようなものあるかえ?」とその老人は聞いてきた。
仁は、それにも躊躇することなく、兄から借りてきていた学生証をポケットの中から取り出して、その老人に渡した。
老人は、その学生証の氏名と住所だけを確認すると、そこに貼ってある個人写真をろくに確認するでもなく、仁に「はい」と言って、返した。
あまりにも、あっさりとした手続きに、後ろで息を飲んでその様子を見守っていた和輝たちも拍子抜けだった。
「あんたら、バンガローが2棟だったね。それなら、入場料と込みで6千4百円」とその老人は言った。
入場料が一人100円、バンガロー1棟が3,000円だった。
仁は、そこで、初めて後ろの3人の方に振り向くと、「はい、和輝は2千百円、純子と葵ちゃんは千百円ずつちょうだい」と言って利用料を徴収して、その老人に渡した。
その後、その老人は奥から小さなカギを3つ持って来て仁に渡した。
「はい、バンガローと倉庫のカギ」
「ありがとうございます」仁はカギを受け取り、そそくさとその場を立ち去ろうとしたが、そんな仁を呼び止め、その老人は、キャンプをするにあたっての注意事項を細々と説明し始めた。
そんな長々と続く老人の注意事項を、仁は「はい」、「はい」とあつかましそうにうわの空で聞いていたが、そのうち老人が「あんたら、泳ぐんかい?」と聞いてきた。
仁は、カナヅチだったため、泳ぐつもりはなく「俺は、泳がないけど、こいつらは泳ぐと思う」と言って、和輝たちの方を指さした。
その言葉で、その老人は和輝たちの方を『チラッ』と見ると、「泳ぐ人はよう聞いとってよ」と言って、一枚の紙を机の下から出してきた。
その言葉で、和輝たちは老人の周りに集まった。
「キャンプ場の前の海じゃけど、その沖に捨て石でできた一文字がある。その一文字の前は遠浅になっとるんやけど、その一文字よりも横は、急に深こうになっとって、そこには『沖だし』があるけん、そっちの方に行ったらいけんぞ」
紙に書かれた絵を指さしながら、老人はそんな注意事項を言った。
「沖だし?」和輝は、その言葉の意味が分からず、その老人に聞き返したが、いい加減その老人の注意事項に辟易していた仁が「はい、はい分かりました」と言って、和輝たちに外に出るよう促した。
「なんだよ、はっきり分からなかったじゃんか」外に連れ出された和輝が仁に抗議した。
「いいんだよ、一文字の横に出たら急に深くなってるから、危ないってこと。俺は泳がないから関係ないけど、泳ぐ人は気を付けてね」
仁は、そんな風に言って、和輝の抗議を退けた。
ちなみに、老人が言った『沖だし』とは、地元の漁師言葉で、『離岸流』を指す言葉だった。




