響子の悲しみ
やがて、和輝が『ゴゾゴゾ』と鈍い動きで起き上がると、枕元にあるティッシュボックスからティッシュペーパーを抜き出し、自分の一物や陰毛にこびりつく体液をふきとってベッドの端に腰をかけた。
その様子を、横になったまま黙って見ていた響子が口を開いた。
「帰るの……?」
和輝は、もう少しは、この部屋に留まるつもりであったものの、響子にそう言われ、「うん、朝までには帰らないと、親にバレるから……」と答えた。
その和輝の答えを聞いて、響子は何も言わなかったが、和輝が立ち上がり、床に脱ぎ散らかしていた下着や服を拾い上げた時、和輝に白い背中を見せたまま「嫌…… 私を一人にしないで……」と、涙ぐみながら言った。
響子が初めて和輝に見せる、そして、先ほどの異様に明るかったさまとは明らかに異なる弱気な言葉であった。
その今まで響子の口からは聞いたことのない弱気な言葉に、和輝も驚き、上着のボタンを留めていた手を止め「えっ!?」と聞き返した。
しかし、その和輝の問いかけには、響子は何も答えず、ただ、和輝の方に向けた白い背中を小刻みに震わせていた。
その明らかに今までとは違う響子の様子に、和輝はどうするべきなのか判断がつかず、とりあえず黙って響子のそばに座り、優しくその長い亜麻色の髪をなでた。
『どうしたの?響子さんらしくない』和輝はそんな風に響子に問いかけたかったが、その答えを聞くのも何か恐々(こわごわ)しく、何も言わずに、ひたすら、そのなでるたびにいい香りのする髪をなで続けた。
あまりに響子がじっとして動かないため『眠ってしまったのか?』と和輝が思っていると、突然「気持ちいい……」とかすかな声で響子が言った。
「眠ってなかったの?」そんな、和輝の問いに、響子はポツリポツリと小さくしゃべり始めた。
「私ね…… 一人なんだよね…… ママが死んでから、ずっと一人……」
「そんなことないよ。響子さんには、友達がたくさんいるし、それに、リョウさんだっている」
そんな和輝の慰めを響子は黙って聞いていたが、その言葉に納得することはなかった。
「リョウには、両親や兄弟もいて、可愛い奥様だっている…… 私の友達にだって……」
そう言って、横にいる和輝の方に身体の向きを変えると、横になった和輝の胸に顔をうずめて、再び涙声となった。
「私の両親、私が幼稚園の時に離婚して、私は父親の顔さえ、はっきりとは思い出せない…… パパの写ってる写真や持ち物は、パパが出て行った時にママが全部処分してしまったから…… ママが嫌がって親戚づきあいもなかったから、ママがいなくなった今では、私の身内は誰一人いない、天涯孤独なのよ…… 自分の身内を作ることもできない身体になってしまって……」
響子はそこまで言うと、涙でなかなか言葉が続かなくなった。
「パパ…… パパに会いたい…… 私たちを捨てて他の女と逃げ出したどうしようもない奴だけど、それでも、私のたった一人の身内だもの…… パパ…… パパ……」
それからは、ただひたすら和輝の胸に顔をうずめて泣くだけとなった。
和輝も、やはりかける言葉が見つからず、ただ、黙って自分の胸にある響子の身体を抱きしめるしかなかった。
和輝の目からも涙がこぼれていた。
響子は、和輝に抱きしめられたまま、ひたすら泣き、そして、その涙も枯れ果てたころ「和輝君…… 帰らなきゃならないんでしょ? もう、いいから…… 私、大丈夫だから……」
そう言って、和輝の胸から顔を放した。
「いいよ、親には眠れずに散歩に出たことにするから」そう言って、再度響子の身体を抱きしめた。
「ありがとう……」
響子は、和輝の胸に顔をうずめたままそう言うと、静かに眠りについた。




