7話 東雲先輩という人
「それじゃあ僕はこの資料を生徒会室に届けてきますね?」
いつもの放課後。
いつもの部室に集まった僕達は、珍しく真面目に仕事をしていた。
「いや、ちょっと待て菱井」
「え? どうしたんです? もしかして何か不備でも?」
ここ数日に渡り、僕達は生徒会から依頼されていた資料をせっせと作成していたのだが、ようやく先程完成にまでこぎつけた。
なんでも、今年の中学生向けに開催される学校案内で風紀委員会の仕事振りを紹介するらしく、そこで使用する資料が必要なんだとか。
風紀委員会の活動内容、歴史、さらには過去の校則違反者のデータまで。
部外者の生徒会や中学生にも伝わりやすいように、嚙み砕いた説明を交えた完璧な資料が出来上がったので、意気揚々と生徒会に提出してこようとしたのだが、浅香先輩はそれに待ったをかけた。
「冷静に考えろ、菱井? この資料作成、本来は生徒会の仕事だぞ?」
「え? そうなんですか?」
それは知らなかったな。でもなぜ今そんな話を?
「風紀委員会は少し特殊な組織だから、生徒会も自分達で資料を作るよりも、私達に作らせた方が確実だと考えたのだろう。それは分かる。分かるから資料もちゃんと作った。
……だがな、だからと言って私達がなんでも生徒会の思い通りに動くとは思われるのは業腹だ! めちゃくちゃ頭にくる!!」
えぇ……?
なんか疲れすぎて変なスイッチが入っちゃったらしい。浅香先輩はいつもよりも、より訳の分からない論理で話を展開していく。
「風紀委員会は生徒会の下部組織でもなければ下僕でもないぞ!!
……という訳で、対等な関係を保つために生徒会の方に資料を取りにこさせよう」
「いやいやいや、それくらい別に良いじゃないですか。生徒会室、隣りですよ、隣り! 生徒会の人呼ぶよりも、こっちから持って行った方が絶対早いですって!」
しかし僕のそんな当たり前の言葉は浅香先輩に届かない。
「いいや。これは決定事項だ。本来なら資料を作ってくれてありがとうございます風紀委員会様と言いながら、感謝の舞いでも踊ってもらう所だぞ? これでもかなり譲歩してるんだ」
「資料作っただけでどこまで相手に求める気ですか! そこまでさせたら、それはそれで対等な関係じゃありませんよ!!」
「私達が上なら別に対等な関係じゃなくても良いからな」
「なんてわがままな!」
ダメだこの先輩は……。
こうなったらもうちょっと話の通じる方の先輩にわがままな先輩を説得してもらおう。
「万智先輩、浅香先輩ったらこんな事言ってますよ? いっちょガツンと言ってやってください!」
「そうだねぇ。シズ、流石にそれは――――」
「散夜、そう言えば今日、お前に渡そうと思ってフランスのお菓子を持って来たんだが――」
「シズの言う通りだ! 生徒会はいい加減にしろぉ! わたしたちにばかり苦労させてズルいぞ! 感謝の手紙でも持ってこーい! 感謝のおやつでもいいよ!」
「あなたもですか……」
万智先輩の意思はお菓子よりも軽いらしい。光のような早さで浅香先輩に買収されてしまった。
ちくしょう、せっかく浅香先輩に物申せる貴重な人材だったのに……。
こうなったら僕の味方は薫ちゃんだけか。
「蓮君、諦めてください。組織のメンツというのは、時にお金よりも重要なものなんですから」
と思ったら薫ちゃんは始めから浅香先輩の味方だったらしい。
薫ちゃん、それ絶対『組』の看板とか威信とかそういった話でしょ……。生徒会と風紀委員会はそこまでバチバチな関係でも無ければ、反社会的勢力でも無いよ?
「ほら見ろ、菱井。民主主義で私の勝ちだ」
堂々と物で票を買う民主主義とは一体……。
とは言え、これ以上僕がうだうだ言ってもしょうがない。結果は結果だ。僕も潔く負けを認めよう。
「はいはい、分かりましたよ。しょうがありません。僕の負けです。確かに僕達は頑張りましたし、資料を取りに来させるくらいはしても良いと思います。生徒会の人が承諾したら、感謝の舞いも見せてもらいましょう!」
「さっすが菱井! お前のその切り替えの早さ、嫌いじゃないぞ?」
でもどうやって生徒会をここに呼ぶんだろう?
校内での携帯の使用は禁止されてるし、僕が生徒会室まで呼びに行くのでは本末転倒だ。
「よっし、それじゃ意見も固まった所で……生徒会役員の召喚だ!」
「召喚だぁー!!」
だが浅香先輩と万智先輩には何やら秘策があるらしい。
一体どうするんだろう?
2人でアイコンタクトを取り、にやにやしながら壁際に移動する先輩達。
壁に向かいながら、すぅーはぁーと大きく息を吐き、深呼吸。
そして次の瞬間、
先輩達は壁に向かって正拳突きを始めた。
ズドン ズドン ズドン ズドン
「ちょちょちょちょ、先輩達、何してるんですか!? まさか壁を破壊して、そこから生徒会の人を呼ぶ気じゃ無いでしょうね!?」
先輩達が正拳突きをかましている壁の先には生徒会室がある。だからこの壁を壊してしまえば、確かに僕達は移動することなく生徒会の人を呼びつける事が可能だ。だが……まさかそんな物理な方法を浅香先輩が採用するとは……。
「んなわけねぇだろ! 壁を壊したら校則違反だ!」
しかし、浅香先輩は僕のその予想を否定。
いや校則の前に公共物の損壊とかで法律の方に引っ掛かると思うんですけど……。
でもじゃあ一体先輩達は何してるっていうんだ?
そう思ってしばらく先輩達の奇行を眺めていると、部室の扉がトントンとノックされた。
「はいはい、今開けまーす。
ちょっと先輩達、誰か来たんで正拳突きの方一旦やめてもらっていいですか? 恥ずかしくてドア開けられませんから!」
こんな場面を見られたら、ただでさえ変な噂や伝説の多い風紀委員会にまたおかしな噂が追加されてしまう。
「あぁいいぞ。ちょうど目的は達したからな」
珍しく素直に僕の言う事を聞き、正拳突きをやめた先輩達は、何故か楽しそうに口角を上げていた。
「浅香静! それと万智散夜! 貴方方は一体何を考えてらっしゃるの!? さっきからドンドコドンドコと……騒がしいったらありませんわ!」
部室の扉を開けた瞬間、来客はずかずかと部室に入り込み、浅香先輩達に向けてそう言い放った。
えぇぇ? 誰!? この人は誰なの!?
話の流れからするに生徒会の人っぽいけど!
「おいおい、私達はただ壁際に虫がいたから叩き潰していただけだぞ?」
しかしそんな来客の怒りもこの2人には届かない。
「そんなハズないじゃありませんの!! 何発も何発も聞こえてきましたのよ!? ハエたたきで壁を叩いたとは思えないほどの鈍い音が!!」
「それは悲しい誤解よぉ。私達はいつも拳で虫を黙らせているの。今日はちょーっと拳のコントロールが悪かっただけ」
「そんな言い訳が通じると本気で思っていますの!?」
僕もそう思います。
ていうか先輩達、確実にこの人をからかって遊んでるな? 友達なのだろうか?
「それに貴方方! 今日だけでなく、最近しょっちゅうドンドコとやかましくしてるじゃありませんか! それも生徒会長がいない日だけを狙って!! これはどう説明しますの!?」
そう言えば、浅香先輩も万智先輩も、無意味に壁に正拳突きをくらわしてる事がちょくちょくあったな。そうか、あれはこの人への嫌がらせだったのか。
最上級生の生徒会長のいない日だけを狙い撃ちとは……流石先輩達。やることが卑劣だ。
「いやあ、最近虫がうようよ湧いて出て来てな。その度に私達が拳で掃除してたんだ」
「もはや蛮族じゃありませんの! 縄文人でも道具くらいは使いますわよ!!」
いやぁ、この振り回され具合、僕なんかこの人にはシンパシーを感じる。
あれ? もしかしてこの人がいたら、僕ツッコミしなくていい?
……この人、何とかして風紀委員会に入ってくれないだろうか?
「そもそも貴方方は――あら? そこの2人は見ない顔ですわね?」
話している内に少しずつ冷静になってきたのだろうか。ようやくお嬢様(?)は僕と薫ちゃんの存在に気が付いた。
「どうも初めまして。この春、風紀委員になりました一年の菱井蓮です」
「同じく一年の大道寺薫です」
相手は恐らく先輩なので、取り敢えずこちらから自己紹介。
「あらあら。先輩と違ってしっかりしてらっしゃるのね? コホン、知っているとは思いますが、わたくしの名前は東雲京華。生徒会のメンバーにして副生徒会長。そしていずれは生徒会長になる女です。以後、よしなに」
自信満々な所申し訳ないが、生憎と僕は東雲先輩の事を知らない。
もしや僕が無知なだけ?と思い、薫ちゃんにアイコンタクトを取るが、薫ちゃんもやはり知らないらしい。
「お前ら。京華は仲の良い友達もいなくて、こうしていちゃもんを付けては私達の所にやって来ちまう寂しい奴なんだ。人助けだと思って、どうか仲良くしてやってくれ」
「ちょっと浅香静! 貴方は何を馬鹿な事を言っているの!? わたくしは、先輩! それも副生徒会長よ!! よろしくしてあげるのは私の方に決まっているでしょう!!」
東雲先輩は外国の血が混ざっているのか、彫りが深くそれでいて高い鼻。さらに透き通るような肌の白さと驚くような顔の小ささが特徴的な人だ。
こうして先輩達の挑発にのせられてぷりぷりしていなければ、誰もが羨むような美少女なのに……何故こうもこの人は余裕が無いのか。まぁそこがこの人の面白い所で、先輩達も好きな所なんだろうけど。
「ごめんね、レンレンとかおちゃん。けいかは虚言癖があるの。副会長って言うのも彼女の自称で――」
「生徒会長はともかく、そこは本当ですわよ!? それに、わたくしにはそんな癖ありませんから!! 『清く正しく美しく』がモットーですから!!」
本当に元気な人だなぁ東雲先輩は。東雲先輩を見てたら僕も元気を貰える気がするよ。
「それで東雲。お前を呼んだ理由だが――」
「自白しましたわね!? やっぱり先程の騒ぎは私に対しての嫌がらせだったんじゃありませんの!!」
正拳突きを始める前に、生徒会役員を召喚するとか言ってたからね。東雲先輩にそれを言ったらブチギレそうだから言わないけど。
「まぁそんな事はどうでも良いんだ。過去の事は水に流そう。それでな? この前依頼された資料を提出しようと思って――」
「言い分が加害者のソレじゃありませんわよ、浅香静! 何を当然のように自らの罪を水に流してるのですか!?」
「まぁまぁ。ケイカ、落ち着いて? 最近胃薬を服用してるんでしょぉ? ストレスを貯めるのは身体に良くないよ?」
「誰のせいですか、誰の!」
胃薬のお世話になる女子高生とか希少すぎない? この人も先輩達に苦労させられてるんだね。
とは言え、ここまで東雲先輩が熱くなっていると話も進まない。
浅香先輩は持っていた資料を薫ちゃんに手渡し、彼女を東雲先輩の方に押し出す。
まさか東雲先輩も、ついさっき会ったばかりの他所の後輩相手にヒステリーを起こさないだろうという考えだ。
「あの、東雲先輩。先日依頼された資料が完成しましたので提出させてください」
「あ、あら。そうでしたか。わざわざありがとうございます」
よしよし、僕達の狙い通り東雲先輩も薫ちゃん相手には冷静に対応してくれて、資料を受け取ってくれた。
これで晴れて生徒会からの依頼も完了だね。
ここ数日に渡って僕らを縛り付けていた仕事が完全に終わったことで、僕達の間に漂い始める弛緩した空気。
浅香先輩や万智先輩もどことなく嬉しそうで、もうこれ以上は東雲先輩いじりもしない様子。
先輩達、また前みたいに打ち上げで焼肉に連れて言ってくれないかなぁ?
こんな風に数日に渡って頑張った時は、よく先輩達はご飯に連れて行ってくれるのだ。
お腹も空いてきたし、まだ日は落ちていない。帰るにはちょうどいい時間だろう。
いそいそと帰り支度を始める先輩達と僕。
それを見て、自分への用は済んだのだろうと部室を後にしようとする東雲先輩。
しかし、相手が先輩でも教師でも全く物怖じしない強心臓ガールの薫ちゃんは、そんな空気をいとも容易くぶち壊した。
「それと東雲先輩。もしよかったらなんですが……感謝の舞い、踊ってもらえませんか? 静先輩と蓮君が望んでるんです。
あ、あと感謝の手紙と感謝のおやつもお願いします。こっちは散夜先輩が楽しみにしてまして……」
その言葉を聞いた東雲先輩は先程以上にヒートアップしてしまい、誰も止めることの出来ない修羅と化した。
結局、僕らが帰ることが出来たのはそれから1時間後の事だった。