第五十九話 「運がいいだけ」
『それでは第一グループの走者は、位置についてください』
放送係の号令によって、参加者たちは開始地点につき始めた。
うちの一年A組からもカロートが出場する。
「あんま気張んなよカロート。練習通りにやればいい」
「う、うん……!」
ラディから助言をもらったカロートは、何度か深呼吸を繰り返してから開始地点に向かって行く。
コース上には多くの障害物が見える。
これらの障害をすべて突破して、終了地点まで辿り着けばクリアとなる。
転移魔法の使用は禁止で、殺傷能力の高い魔法も使用を禁じられている。
しかし過度にならない範囲での生徒間での接触は“あり”となっているため、様々な妨害が予想される。
特に二、三年生はすでに多くの模擬戦を経験していると思うので、対魔術師における知識も豊富だろう。
そんな不利な状況下で、緊張するなと言う方が無理な話だ。
それでもカロートは意を決した表情で開始地点に着くと、集中した様子で構えた。
『位置について、よーい……スタート!』
その号令によって、超人疾走、第一グループの競争が始まる。
走者たちは一斉に開始地点から飛び出して、同時に魔法の詠唱を始めた。
ここまでの動きはみんな同じだ。
しかしここから徐々に違いが出始めてくる。
身体強化魔法で自身の走力を底上げしようとする者。
最初からいきなり他の生徒を妨害しようとする者。
『走者はそれぞれ魔法の詠唱を始めながら走り出しました! 障害物にぶつかる以前からすでに激しい読み合いが繰り広げられております!』
コースは楕円形の競技場をぐるりと一周するような形になっている。
障害物や妨害がなければ、一般的に二分〜三分ほどで走り切ることができる。
そこに身体強化魔法を使えば、おそらく一分を切ることも可能になるはずだ。
障害物に対する対応力も上がるので、初手で身体強化魔法を使うのがセオリーではあるのだが……
「【成功者の躓き】!」
七人中、五人が身体強化魔法を発動すると、同時にその者たちの足元に半透明の鎖が巻きつく。
その途端、鎖を巻きつけられた者たちの動きが悪くなった。
あれは確か、対象者の速力を低下させる弱体化魔法――【成功者の躓き】。
あの鎖を掛けられてしまえば、たとえ身体強化魔法で強くなったとしても速力はほとんど上がらない。
自身の強化を優先して、自分が前に行くより、他の人たちを前に行かせないようにする作戦のようだ。
三年生の一人が上手くその作戦を成功させて、他の一、二年生たちの動きを阻害する。
一方で、うちの一年A組の走者は……
「……いいぞ、カロート」
私の近くで競技を見守っているラディが、人知れずそう呟いていた。
カロートは妨害魔法が来ることも予想していて、他の走者よりやや後ろの方を走っていた。
そして前の方で他の参加者たちが争っている間に、誰にも邪魔をされない最後方で身体強化魔法の詠唱をしている。
あれなら妨害魔法の影響を受けることなく、安全に自身を強化することができる。
やや内気で慎重派なカロートらしい作戦が、好戦的な連中が集まる第一レースに見事に噛み合っていた。
その思惑通り、前方で他の参加者たちが争っている間に、カロートは身体強化魔法の詠唱を終える。
全身に魔法効果が流れた瞬間、他の走者たちの間を抜けて、カロートだけが先行した。
妨害魔法を使って先行していた三年生も、その分身体強化魔法の詠唱が間に合わずにカロートに抜かされる。
『おぉ! ここで抜けたのは一年A組の生徒だ!』
カロートは誰にも邪魔をされない最前線で、慎重に障害物も越えて行く。
真面目に競技練習にも取り組んでいたのだろう、粘着網や麻痺板といった様々な障害物にも足を止められることなく、最後の最後まで前方の景色を守り抜いた。
しかし……
『なんとゴール寸前で三年B組の生徒が差し返した!』
ギリギリのところで追いついて来た三年生に追い抜かされてしまい、結果は二位に終わってしまった。
悔しながらも、しかしかなりの好成績である。
これなら競技点も期待できるのではないだろうか。
カロートは興奮と疲れの二色を見せながら戻って来て、笑顔でラディに声を掛けた。
「や、やったよラディ……! 私でも二位になれたよ!」
「なっ、だから言っただろ。始めの方のグループは大したことないってな」
二人は安心したようにそう言い合って、次にラディが袖を捲りながら開始地点に向かっていく。
「じゃ、次は俺が行くぜ」
「頑張ってラディ!」
私も心の中で密かに応援の声を送っていると、不意に隣の方から微かな話し声が聞こえてきた。
「おい、あのクラス……」
「あいつが一年A組の走者か……」
「……?」
何やら開始地点に向かうラディに、少し注目が集まっているように見える。
なんだか嫌な予感を募らせていると、その不安は形となって第二レースにあらわれた。
カロートの好成績に背中を押されるように、意気揚々と第二レースに出場したラディだったが……
「う、うそ……! ラディが……」
結果は、七位。
最下位である。
ラディの実力を信じていたらしいカロートは、その結果に思わず言葉を失っていた。
『第二グループのレースでは、三年生が上位を独占する形になりました! やはりここで経験の差が出て来たか……!』
まあ、三年生の参加者が三人もいたから無理はない。
純粋に経験の差が出たのもそうだし、何より……
大敗を喫したラディが、屈辱を噛み締めるように歯を食いしばりながら私たちのところに戻って来た。
「……す、すまねえ。しくじった」
「ラ、ラディは悪くないよ。だって、他のクラスから狙われちゃってたから……」
第一レースにてカロートが好成績を取ったため、一年A組のラディが皆の標的となっていた。
一位になった三年生よりも、二位の一年生の方が落としやすいと思われたのも災いしたのだろう。
数多くの妨害魔法がラディに襲いかかり、七人中七位という残念な結果になってしまった。
まあ、競技点を競い合う星華祭なのだから、高い点数を取りそうなクラスを落としに来るのは当然だよね。
これは致し方ない。
「くそっ! 俺が一位になって競技点を稼ぐはずだったのに……! これじゃあ……」
二位と七位。
確かにこれだとしょっぱい点数しかもらえないだろう。
私たちが目標としている星華祭優勝にはあまり近づけない。
そのため二人はひどく落ち込んだ様子で項垂れてしまった。
観客席で応援してくれているクラスメイトや、グラウンドの方で別の競技に出ている仲間たちに顔向けできないと思っているのだろう。
「……」
その気持ちを察して、私は俯いている二人に声を掛けた。
「まだ、競技は終わってないよ」
「……はっ?」
ラディとカロートの視線がこちらに向く。
ラディは負けた悔しさをいまだに振り切れていないのか、それをぶつけてくるように私に毒づいた。
「まだ、終わってねえだと……? あとはお前しか残ってねえんだぞ……! お前にいったい何ができるってんだよ……!」
いつもの、クラスで私を見る時のような、蔑んだ視線でこちらを睨みつけてくる。
「魔力値は学内最下位のたった“1”で、家章も持ってない平民のくせに、小細工だけでどうにかできるとでも思ってんのか……! くだらねえ冗談なんかいらねえんだよ!」
やはりまったく信用されていないようで、カロートも不安げな様子で静かに私のことを見ていた。
学内最低値の魔力値に、家章も持っていないただの平民。
確かにこんなのに期待する方が間抜けという話だ。
でも……
「……ま、入学試験や期末試験もなんとかなって、今こうして一年A組にいるわけだし、この競技もなんとかなるんじゃないの?」
私は根拠のない自信をラディに告げる。
すると彼は、ますます憤りを募らせるように青筋を立てた。
「んなの、入学試験や期末試験では、ただ“運がよかった”だけだ……! この競技はそれだけじゃ絶対に勝てるわけがねえんだよ。第三グループには二、三年の実力者が固まってんだぞ。魔力値1の平民がどうこうできる相手じゃねえ!」
「……運がよかっただけ、ね」
言い得て妙、というか意図せず的を射たような台詞だ。
思わず笑みがこぼれてしまう。
「そっ、私は運がいいだけだよ。でもそれだけで、こうして一年A組の生徒して学園でも生き残ることができてる。だからさ、『魔力値魔力値』ってそれだけで人を判断しない方がいいよ。とりあえず、あとは私に任せてここで見てて」
「……」
自信げに振舞う私を見て、ラディとカロートの二人は驚いたように目を見張る。
そんな二人の視線を背に受けながら、私は第三レースの開始地点に向かおうとした。
その寸前……
「あっ、あとそれから……」
ふと足を止めた私は、ラディの方を振り返って深々とした笑みを浮かべた。
「あんまり、“運”を馬鹿にするもんじゃないよ」
運の凄さ、私が魅せてあげるよ。




