第三十一話 「巣立ち」
「あっ、おかえり〜」
寮部屋に戻ると、サチがベッドの上に仰向けに寝転がっていた。
首をベッドの端っこから垂らしながら、逆さになった顔でこちらを見ている。
彼女の寛ぎ方のクセに、しばし呆然と立ち尽くしてしまうが、すぐに気を取り直して部屋に入った。
するとサチも体を起こして、こちらに向き直ってくれる。
「その様子だと、お説教をされたわけじゃなさそうだね」
「どんな風に帰ってくると思ってたんですか……」
自分が今どんな表情をしているのかはわからないけれど、とりあえず説教はされていない。
するとサチは目元に手を当てて、なんだかムカつく物真似を始めた。
「『えぇーん! サチさーん! 先生に怒られてとても悲しいのですー! いっぱい慰めてくださーい!』っていつもみたいな感じで」
「一度もそんなこと言ったことないですよ!」
そしてこれからも絶対に言うものかと、ミルは心に固く誓った。
「で、学園長さんからどんな話されたの? 特待生になったご褒美もらったとか?」
「あっ、いえ、その……」
改めてそう聞かれて、ミルは思わず言い淀んでしまう。
その様子を見たサチが、きょとんと小首を傾げた。
「もしかして何か言いづらいこと? なら無理して言うこともないけど……」
「べ、別に言いづらいわけではないんですけど、どう説明したらいいかと思いまして……」
あまりものの説明が上手いわけではなく、加えて話の内容もやや複雑だ。
正確に言い伝えられるためにはどうしたらいいか、ミルはしばらく悩んだ。
やがて彼女は、学園長の姿だけは言及せずに、尽くせる限りの言葉を尽くして説明をした。
「ふぅーん、なるほどねぇ。そんなお願いされたのかぁ」
聞き終えたサチは、得心したような顔でこくこくと頷いていた。
きちんと伝わったようで何よりだとミルは思う。
が、即座にその安堵は闇へと消えることになった。
「最近は不甲斐ない生徒が多いから、特待生のミルが尻を拭いてやれと」
「話聞いてましたか?」
全然違う。
一言もそんなことは言っていない。
人聞きの悪いことは言わないでほしいと思って、じろりとサチのことを睨みつけていると、彼女は戯けたように続けた。
「尻を拭けっていうのは大袈裟だけど、ようは他の生徒よりも信頼できるミルに、依頼の消化を手伝ってもらおうって話でしょ? ちゃんとわかってるからだいじょぶだいじょぶ!」
「誤解を招く言い方しないでくださいよ」
下手すれば自分が反感を買う立場になってしまうところだった。
上流階級の集う学園の生徒たちの尻拭いなど、人聞きの悪いことこの上ない。
「でも依頼消化の手伝いをお願いされただけなのに、なんかミル微妙な顔してない? 報酬とか討伐点とかいっぱいもらえるんでしょ? もっと喜んでもいいと思うんだけど……」
「い、いや、それもそうなんですけど……」
報酬や討伐点だけを見るなら確かに美味しい話ではある。
しかし単純に不安な気持ちの方が遥かに上回っているのだ。
そんな気持ちが表面に出ていたのだろうか、サチがこちらの顔を覗き込みながら聞いてきた。
「もしよかったら、私も手伝おうか?」
「えっ?」
「他の誰かと協力しちゃダメとか言われてないんでしょ? ならいつもみたいに一緒に討伐依頼を受けても問題ないんじゃないの?」
一瞬にして、不安だった気持ちが真夏の青空のように晴れ渡った。
サチが協力してくれると思っただけで、こんなにも気持ちが軽くなるものなのか。
あまりにも心強すぎる。
だが、すぐにハッと我に返ったミルは、かぶりを振りながら返した。
「い、いえ、これは私一人で、やらせてください。一人だけで、やってみたいんです」
「一人だけで……?」
なんでという疑問の目をサチからもらう。
そう、いつもだったら討伐依頼は一緒に受けていた。
今回アナナス学園長からお願いされたことも、別に協力してはダメと言われていないので、サチに依頼を手伝ってもらっても問題はない。
けれどミルはそんなサチの手を借りずに、一人で討伐依頼の消化をやり遂げてみたかった。
他の誰の手も借りずに、頼られた分の働きをきっちりとしてみたい。
『現在未達成で放置されている学園依頼を、特待生のおぬしに解決してきてもらいたいのじゃ』
アナナス学園長からこのお願いをされた時、素直に嬉しかったのだ。
不安がなかったと言えば嘘になるけど、どこかの誰かに実力を認めてもらうというのは誰でも嬉しく思うものである。
特待生に選ばれた時も恐れ多いと思う反面、心のどこかでは喜びの感情が滲んでいた。
そしてその評価に釣り合った人物になりたいと、心底そう思ったのだ。
(私もいつかは、サチさんみたいに……)
思えば自分は、入学試験の日からずっと、サチに助けてもらってきた。
入試では失くした物を一緒に探してくれたし、他の受験者に取られてしまった合格用のアイテムも取り返してくれた。
入学してから生徒の一人とトラブルになったところを助けてもらったし、父の形見のペンダントを壊された時は自分の代わりに怒ってもくれた。
最近では彼女に連れ添うという形で討伐点も稼ぐことができているし、自分はあらゆる面でサチに支えられてしまっている。
彼女がいなかったらと思うとゾッとするほどに。
でも、もうそんなおんぶに抱っこな状態は嫌なのだ。
自分も魔術学園の生徒として、一人で立派に戦ってみたい。
それがきっと、自分の成長に繋がると思うし、サチに依存してしまっている現状を打破する鍵になると思うから。
そしていずれは、サチみたいに心強くてかっこいい魔術師に……
という信念を抱いていると、それを知る由もないサチが平凡な反応を見せた。
「ふぅーん、ミルがそう言うならそれでいっか。じゃあ、依頼消化のお手伝い頑張ってね。張り切りすぎて空回りだけはしちゃダメだよ」
「は、はい……」
「あっ、それと、もし何か困ったことがあったらすぐに声掛けてね。サチちゃんはいつも暇してるのでお気軽にどうぞー」
サチは優しくそう言ってくれる。
その言葉に、思わずさっそく頼ってしまいそうになるが、口を固く閉ざしてぐっと堪える。
これは自分一人でやり遂げなくてはならないことなのだ。
一学年の特待生として。
その日からミルは、サチの元を離れて単独で討伐依頼に臨むことになった。




