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第三話 「即死魔法」

 

 十歳になりました。ただのサチです。

 マルベリーさんに拾ってもらって、早くも五年。

 グラシエール家の屋敷で過ごしていた時間より、この森の家での生活の方が長くなってきました。

 まさかこんなに長いことお世話になるとは思わなかった。

 一ヶ月くらいしたら、町の方に行って教会か孤児院に助けでも求めてみようかと考えていたんだけど、想像以上にこの家の居心地が良すぎたから、ついつい長居してしまった。

 静かだし空気が綺麗だし、マルベリーさんのご飯は美味しいし、マルベリーさんは優しいし。

 それに私が自分から家を出て行こうとしても、マルベリーさんが何かにつけて引き留めてきたので、巣立ちの瞬間を完全に逃してしまった。

 だってさ、『明日にしたらどうですか?』とか『とりあえずご飯を食べてから考えませんか』なんて風に言われたりしたらさ、せっかくの決意だってどこかに吹っ飛んで行っちゃうよ。

 そんなこんなあって長居が続いて、気が付いたら五年も時間が経っていました。

 私はすっかりマルベリー家での生活にも慣れて、今では家の手伝いも息をするようにこなしています。


「ふぅ、これでよし」


 藁で出来たカゴに、野菜をできる限り詰めて額の汗を拭う。

 次いで背中を伸ばしながら、綺麗に地面に並んでいる野菜たちを見渡して一息吐いた。

 ここは森の家から程近くにある、マルベリーさんが作った魔法菜園。

 どういう原理で構築したのかはわからないけど、野菜の栽培をほぼ自動的にやってくれる設備だ。

 こういった魔法技術は家の中でもいくらか活用されている。

 それらの設備を整えたのは、すべてマルベリーさんらしい。そもそもあの家を魔法で建てたのもマルベリーさんだって話だ。

 どうやらマルベリーさんはかなり凄腕の魔術師みたいで、若くして『賢者』という偉大な称号までもらった逸材らしい。

 初めて出会った際、すごい魔法で助けてくれた時から、腕の立つ魔術師なのだろうと予想はしていたけど。

 まさか世界的に有名なくらいの魔術師だとは露ほども思わなかったな。

 魔法無しに見たら、ただの人見知りな“無表情お姉さん”だし。それがよもや歴史上に名前を残すほどの超有名人物だったとは。

 この魔法菜園もとても高度な魔法技術によって成り立っているようなので、見る人がこれを見ればそれだけでマルベリーさんの腕の良さも痛感できるのだろう。

 魔法は戦うことにしか使えないものかと思っていたけど、魔石やら魔獣の素材やらを調合することもできるみたいで、それで色々と便利な道具が作れるんだとか。

 それらを総称して『魔道具』と呼ぶらしい。


「さっ、早いところかーえろ」


 とりあえず今日の仕事は終わったので、私は藁のカゴを背負って魔法菜園を後にした。

 十歳の女の子が背負うにはなかなかに重量のあるカゴなので、私は息を絶え絶えにしながら家まで向かう。

 下手をしたらそのままカゴごとひっくり返ってしまいそうだ。そうならないように全力で踏ん張りを利かせる。

 菜園を手伝うと言ったのは私の方だ。

 長居させてもらっていながら、何も手伝うことができていないことに罪悪感を覚えて、確か六歳くらいの時にその提案をしたんだっけ?

 最初は『気を遣わないでいいですよ』と止めてくれたけれど、執拗に『お手伝いする!』って言いまくっていたらいつの間にかマルベリーさんが折れていた。

 だって家でぼぉーっとしてるだけなんて勿体ないし、少しでもマルベリーさんの力になれたらいいなって思ったから。


「うぅ、重いよぉ。頑張れわたしぃ……」


 ともあれそんなこんなあって、今ではこうして夕方まで、野菜の収穫を手伝わせてもらっている。

 まあ最近は、『森の主』とかいう魔獣が活発的になっているらしくて、早めに帰ってくるように念を押されているけど。

 場合によってはしばらく外出も禁止になるかもしれないそうだ。

 どうやらその『森の主』とかいうのは、相当危険な魔獣らしい。

 マルベリーさんともなかなかの因縁があるらしく、数年を掛けて戦いを続けているそうだ。

 マルベリーさんはすごい魔術師だけど、その『森の主』と呼ばれる魔獣は数年を掛けても倒し切れていないんだって。

 まあ『次こそは行けるので大丈夫です』って意気込んでいたけど。

 とにかくその『森の主』が出たら急いで逃げて、すぐに伝えるようにと言われた。

 その魔獣が出てこないか内心ひやひやしながら帰路を歩き、程なくして家に着いた。


「ただいまー」


「おかえりなさい」


 ドサッと藁のカゴを玄関に置いていると、すぐにマルベリーさんが出迎えに来てくれた。

 すっかり見慣れたスンとした無表情。出会った時よりさらに長さを増した綺麗な三つ編み。

 黒を基調とした部屋着は、普段のフード付きローブと印象が変わって、魔術師というよりかは優しいお姉さんの雰囲気が醸し出されている。

 少しの時を経て、マルベリーさんのことが徐々にだけどわかってきた。

 この人は基本的に表情を変えない。声音も一定を保って淡々と喋っている。

 でも決して冷たい人というわけではなく、内心ではすごく喜んだり悲しんだりしているのだ。

 現に今、私が無事に帰って来たことに安心して、小さく安堵の息をこぼしているし。

 人付き合いの経験が乏しいせいで、感情を表に出すのが苦手なだけなのだ。

 ちなみに私はそんなマルベリーさんが、顔を赤くして恥ずかしがっている姿がとても大好きです。


「マルベリーさーん、これくらいでいいー?」


「はい、大丈夫です。お疲れ様ですサチちゃん」


 私の代わりにカゴを持ったマルベリーさんは、それを苦しそうに台所まで運び始めた。

 マルベリーさんはすごい魔術師だけど、力は私と大差ないくらい弱々しい。

 それに手を貸し、なんとか二人で野菜入りのカゴを台所まで持って来ると、魅惑的な香りが私の鼻をくすぐった。


「むむっ! 今日はもしかして熱々シチュー!」


「はい、そうですよ。そろそろ出来上がりますので、手を洗って来てくださいね」


「はーい!」


 今日一番かもしれない元気な声を上げて、私はささっと洗面台に駆けて行った。

 マルベリーさんのご飯は世界一美味しい。

 まあマルベリーさんのご飯以外、あの固いパンと薄いスープしか食べた記憶がないんだけど。

 だから私にとってのお母さんの味はマルベリーさんのご飯なのだ。

 手を洗ってテーブルに向かうと、手早く料理が並べられていた。

 そしてマルベリーさんと揃って「いただきます」をする。

 相変わらずの美味しいご飯に舌鼓を打ちながら、今日あった出来事をマルベリーさんに聞いてもらい、楽しい晩ご飯の時間を終わらせた。


「ご馳走さま、今日も美味しかったよ。ずばり百五十点!」


「相変わらず何点満点なのかよくわからないですけど、お口に合ったみたいでよかったです」


 そのあと、食後のお茶を啜りながらまったりとした時間を過ごした。

 そんな中で私は、ふとあることを思いつき、対面しているマルベリーさんに問いかける。


「ねえ、マルベリーさん」


「はいっ?」


「魔法の使い方教えて」


「えっ……」


 唐突な提案に、マルベリーさんはジト目を大きく見開いて驚いている。


「どうして、また急に……?」


「マルベリーさんの魔法、いつも近くで見ててすごいなって思っててさ。魔獣が出た時、ドカンッて倒してるところとか、すごくかっこいいなって」


 初めて助けてもらった時からずっと思っていた。

 マルベリーさんが戦う姿はとてもかっこよくて素敵だと。

 自分もあんな風に魔法を使って、誰かのために戦ってみたい。

 生活の色んな部分に役立てることができるのもそうだけど、何よりも私はあの時助けてくれたかっこいいマルベリーさんにずっと憧れを抱いているのだ。


「だからマルベリーさんに魔法の使い方を教えてもらったら、私もマルベリーさんみたいにかっこいい魔術師になれるんじゃないかなって。才能ないのはとっくにわかってるんだけどさ」


「……サチちゃん」


 自嘲的な笑みを浮かべると、マルベリーさんは無表情ながらも同情するように声音を落とした。

 やがて彼女は私の様子を窺うように、不安げに呟く。


「サチちゃんは魔法にあまり良い思い出がないようでしたので、てっきり魔法が嫌いなのかと……」


「うーん、別にそれはどうでもいいかなぁ。実家で嫌なことがあったのは確かだけど、小さい頃の話だからあんまり覚えてないし」


 当時の記憶なんてほとんど朧げだ。

 たったそれだけで魔法を嫌いになったりはしない。


「まあ、魔法の才能がないのは今にして思うとかなり悔しいけどね。でも、そのおかげでマルベリーさんとも会えたわけだから、結果的によかったんじゃないかな」


「……」


 何気なくそんなことを言ってみると、マルベリーさんは目を丸くして呆然としてしまった。

 そして不意に顔を背けて、こっそりと嬉しそうに頬を緩めている。

 しばらくするとマルベリーさんは、無表情に戻った顔をこちらに向け直して、首を縦に振ってくれた。


「わかりました。私もまだまだ未熟者ですけど、微力ながら魔法についてお教えできればと思います」


「はい、よろしくお願いします師匠!」


 戯けたようにそう言うと、マルベリーさんは『師匠はちょっと……』と遠慮するように手の平を見せてきた。

 それからさっそく魔法についての授業を始めてくれる。


「さてまずは、サチちゃんの魔素を見せてもらってもいいですか?」


「あっ、魔力鑑定ってやつでしょ? あれっ、魔素鑑定だっけ?」


「呼び方はどちらでも合っていますよ。要するにサチちゃんの中に眠っている魔素を見て、魔力値とか得意魔法を調べることですから」


 魔素は人それぞれ“大きさ”や“量”や“色”、“性格”や“輝き”がまったく違うので、その分得意な魔法も変わってくる。

 だから魔素を見ることで、どの魔法を主軸に戦っていけばいいか、どんな才能を伸ばしていけば効果的かというのが一目瞭然になるのだ。

 ゆえに私は、『どうぞ思う存分ご覧あれ』と言わんばかりに両腕をバッと広げた。

 それに対してマルベリーさんは困ったように眉を寄せる。


「ま、魔素鑑定は基本的に、その対象となる人に触れて鑑定魔法を使わなければいけないので、手とか差し出してもらった方が……」


「あっ、そうなんだ」


 無知で申し訳ないと思いながら、改めて右手を差し出す。

 するとマルベリーさんはサラサラとしたきめ細やかな手でこちらの右手を包んで、程なくして難しい顔を浮かべた。


「どう? 才能ないでしょ私」


「いえ、その……」


 魔素鑑定はすでに済んでいるはずなのに、なぜかマルベリーさんは言い淀んでいる。

 今さら才能なしと言われても特に気にはしないんだけど、どうやら気を遣ってくれているみたいだ。

 ……と思ったら、どうも別のことで悩まされていたみたいだった。


「確かにサチちゃんの魔素では、魔術師としての才能がないと見られてしまっても仕方がないのかもしれません。魔素がかなり小さいので魔力はほとんどありませんし、色も透明で得意魔法も存在しないことになりますから。でも……」


「でも?」


「魔素の輝き……幸運値については、異常なまでに高いですね」


 マルベリーさんは難しい顔をして首を傾げている。

 幸運値。何やらそれが気掛かりのようだ。


「そんなにすごいの?」


「すごい、というか怖いくらいの輝きです。数値にすると、限界値の999と言ってしまっていいと思います」


「幸運値999……。でも幸運値って、魔術師にとっては意味がないんでしょ?」


 いつしか聞いたことがある。

 幸運値は魔術師にとっては無意味だと。

 魔術師よりかは商売人にあった方がいいとさえ言われている数値だと。

 魔素の輝きが強い人ほど、日常的に良いことが起きたり、金銭的な面で不自由しないって言うからね。

 じゃあ今の私はどうなんだって話になるけど、個人的に今は幸福の絶頂にいると言っても過言ではないので、この話の信憑性は割と高いのかもしれない。

 ともあれ魔法の威力に関係しないのは明らかだ。


「確かに昨今の魔法理論では、幸運値は意味のない数値だとされています。でも昔は幸運値に何らかの可能性があるのではないかと言われて、研究が進められたことがあるそうです」


 いつもの淡々とした喋り方ではなく、心なしか声音を弾ませるようにマルベリーさんは話してくれた。

 魔法の話をするのが好きなのかもしれない。

 そして私も魔法の話には興味があったので、テーブルに上体を乗せて前のめりになった。

 マルベリーさんの講義にさらに耳を寄せる。


「魔法は通常、魔素の魔力値によって効果が変動するようになっていますよね」


「うん。だから魔力値が高い人ほど魔術師の才能があるんでしょ」


「もちろんそれはそうなんですけど、それと同じように幸運値に応じて効果が変わる魔法も、その研究によって少なからず発見されているんですよ」


「えっ、そうなの?」


 それは初耳だった。

 幸運値に応じて効果が変わる魔法なんてあったの?

 これでも一応は一流魔術師を輩出することで有名なグラシエール家に住んでいただけあって、それなりに魔法については知っているものと思っていたんだけど。


「数は限られていますし、かなり昔に少しだけ話題になったくらいなので、それを知らない魔術師が大多数だと思います。実際知っていても意味はありませんからね。私は魔法の研究と文献が好きなのでたまたま知っているってだけです」


 魔術学園ではまず習わないものだろうと、マルベリーさんは付け足すように言った。

 幸運値に応じて効果が変わる魔法か。

 確かに実用性は無さそうだけど、みんなが無視するほど無用なものだとは思わないけどなぁ。

 たまに効果を発揮するみたいな感じでしょ? 博打みたいで面白そうじゃん。

 と思っていたら、その考えを改めさせられる事実を突きつけられた。


「幸運値に依存している魔法はいくつかありますけど、そのどれもが“一万回に一回”成功したら良い方だと言われていますね」


「い、一万回に一回!?」


 あまりに絶望的な確率を聞いて、私は思わず言葉を失ってしまう。

 博打みたいで面白そうとは思ったけど、さすがに一万回に一回なんていう超低確率の魔法は無価値と言ってもいい。

 戦闘中に一万回も試行なんてしていたら、あっという間に魔獣の餌食になっちゃうからね。


「中には百万回使っても“何も起きない魔法”もあるくらいですからね。実用性は皆無と言っていいと思います」


「……それってもう、幸運値に依存してるとかじゃなくて、『何も起きない魔法』ってだけじゃないの?」


 よく百万回も試してみようって思ったな。

 普通は十回くらいで諦めるでしょ。


「そういう確率的に発動する魔法なので、実戦での活用はまず考えられませんでした。すべてを運に任せて魔獣と戦おうという魔術師はさすがにいませんからね」


「だから魔術学園では習わないし、魔術師たちの間でも忘れ去られてる魔法なんだね」


「その通りです。しかし、昔の研究熱心な魔術師たちによって、徐々にそれらの魔法の謎は紐解かれていきました。結果、魔素の輝きが強い人たちがそういった魔法を使った際、平均よりも少しだけ高い成功率を叩き出すことが判明したんですよ」


 それこそが幸運値に依存した『確率魔法』だとマルベリーさんは言った。

 魔力値ではなく幸運値によって効果が左右される特殊な魔法か……


「ですので魔素が太陽のようにギラギラと輝いている、幸運値999のサチちゃんなら、もしかしたらそれなりに実用的な魔法に変えることができるんじゃないですか?」


「……」


 確かに普通の魔法に頼るよりかは、よっぽど現実的な話だ。

 私の魔力は数値にすると『1』しかないので、幸運値に依存している確率魔法に縋る方が希望はあるかもしれない。

 でも、私の幸運値999で、いったいどれくらい確率が変わったりするのだろうか?

 一万回に一回くらいの確率が、五千回に一回くらいになったりするのかな?

 それでもまったく使えねえ……


「【賽は投げられた――神の導き――恨むなら己の天命を恨め】」


 不意にマルベリーさんが魔法の詠唱らしいものを始めて、私に右手を向けてきた。


「【運命の悪戯(フォル・トゥーナ)】」


 瞬間、彼女の手の平から黄色い光が放たれる。

 すると私の全身にも一瞬だけ黄色い光が灯り、それ以外には特に何も起きなかった。


「今のなーに?」


「一万回に一回くらいの確率で、対象者の身動きを封じることができる『拘束魔法』ですよ。成功すれば魔力差に関係なく相手を動けなくすることができますので、“成功したら”かなり強力ですね」


「……成功したら、ね」


 思わず乾いた笑い声が漏れてしまう。

 つまり今のは失敗したってことか。

 およそ一万回に一回の成功確率だから、まあ当然と言えば当然だけどね。

 マルベリーさんも失敗することを前提で私に試したって感じだし。

 私は自分の右手に目を落とし、何度かにぎにぎしてから呟いた。


「私でも、できるかな?」


「サチちゃんの魔素は小さいというだけで、量そのものは一般的ですので、魔法を使うこと自体は可能ですよ。私が先ほどやったみたいに、サチちゃんも詠唱してみてください」


「う、うん。わかった」


 えっと、確か……


「【賽は投げられた――神の導き――恨むなら己の天命を恨め】」


 マルベリーさんが口にした詠唱文をそのまま唇に乗せて、私は右手を前に出した。


「【運命の悪戯(フォル・トゥーナ)】」


 すると、先ほどのマルベリーさんと同じように、私の右手もピカッと光った。

 ちゃんと出た!

 私でも魔法が使えた!

 まあ、一万回に一回しか成功しない魔法なんて、ただの目眩しにしかならないけどね。

 なんて思っていたら……


「うっ……」


 目の前に座っているマルベリーさんが、突然ガタッとテーブルに突っ伏してしまった。

 あまりに唐突だったため、私は思わず放心してしまう。

 見るとマルベリーさんは全身を痙攣させて、絶え絶えに吐息をこぼしていた。


「あ、あのぉ、マルベリーさん?」


「あっ、ぐっ……!」


 呼び掛けても返事をしてくれない。

 まるで金縛りにでも陥っているみたいに、テーブルに突っ伏したままである。

 いったい何がどうなっているのか理解に苦しんでいると、やがてマルベリーさんが飛び上がるように体を起こして、驚愕したように目を見張った。


「はぁ……はぁ……はぁ……!」


 私はこの時、ある一つの可能性に思い当たり、恐る恐るマルベリーさんに尋ねた。


「も、もしかして今さ……魔法掛かってた?」


「は、はい。掛かっちゃってました」


 予想の通り、マルベリーさんは頷いた。

 成功したら相手の身動きを封じることができる『拘束魔法』――【運命の悪戯(フォル・トゥーナ)】。

 試しに一回使ってみただけなのに、まさかその一回目で成功させてしまったのだろうか?


「い、一万回に一回じゃなかったの? まさか私の幸運値が高いから、一発で成功しちゃったとか?」


「そ、その可能性はありますけど、でもたった一回で成功するなんていくらなんでもおかしいです。一万回に一回を今引き当てたという可能性もありますけど……」


 一万回に一回を今。

 確かにその可能性も捨て切れないので、『じゃあもう一度』という話になった。

 私は再び右手を構えて、覚えたての詠唱文を辿々しく唱える。


「【賽は投げられた――神の導き――恨むなら己の天命を恨め】……【運命の悪戯(フォル・トゥーナ)】」


 すると……


「うぐっ……!」


 またしてもマルベリーさんは、バタンッとテーブルに突っ伏してしまった。

 先ほどとまったく同じ光景。

 倒れる様子まで寸分違わず同じだったので、私は思わず眉を寄せてしまった。


「マ、マルベリーさん、演技じゃないよね?」


「う……ぐっ……!」


「え、演技だったら今すぐにやめてほしいなぁ。やめてくれないなら悪戯しちゃうぞぉ」


 倒れる様がわざとらしくも見えたので、マルベリーさんが演技をしているんじゃないかと疑った。

 一万回に一回しか成功しないはずの拘束魔法が、まさか二度も連続で成功するなんて明らかにおかしいと。

 だから私はマルベリーさんの背後に迫り、演技かどうかを見破るために脇に手を差し込んだ。


「こ、こちょこちょこちょ!」


「あっ、ふふっ……や……め……!」


 演技をしていると思ったのだが、マルベリーさんは一切抵抗してこなかった。

 おぉ、あのマルベリーさんが手も足も出せずに悶えている。

 凄腕の魔術師を一方的に苦しめている。

 なんだか自分もすごい魔術師にでもなった気分だ。

 そしてしばらく時間が経つと、またマルベリーさんは飛び上がるように体を起こした。


「はぁ……はぁ……はぁ……!」


 顔を真っ赤にして疲れ果てているマルベリーさんに、私は冷や汗を流しながら問いかけた。


「も、もしかして、本当に演技じゃなかったの?」


「演技じゃないですよ! さっきも同じように掛かっていたじゃないですか! それなのに身動きできない時にくすぐってきたりして……」


「ご、ごめんごめん」


 珍しくマルベリーさんは取り乱していた。

 まさかあのマルベリーさんに何度も魔法が通用するとは思わなかったからさ。

 きちんと確かめるためにくすぐりをしただけなんだよ。

 魔力値が高い人は魔法への耐性も高いと聞くので、私の魔法程度じゃマルベリーさんにはまるで無意味なんじゃないかと思った。

 どうやら魔術師や魔獣は無意識の内に、魔素の力を体外に排出して鎧のように纏い、あらゆる害意から身を守っているらしい。

 魔素が宿主の身を守るために勝手に発生させている防護膜だとも言われている。

 その魔素による擬似的な鎧のことを『魔衣(まごろも)』と呼ぶそうだ。

 だから凄腕の魔術師や凶悪な魔獣たちには刃や爆薬が効きづらく、魔法による攻撃が最も有効だとされている。

 しかし魔力値に差がある場合は、ちょっとした魔法なんかも軽く弾いてしまうと聞いたことがある。

 ただこの魔法は、マルベリーさんの説明の通り、どうやら魔力値の差に関係なく、成功したら確実に相手を拘束できるようだ。

 ていうかそもそも……


「どうしてこの魔法が何回も成功するんだろう? 幸運値によって成功確率が変わるって言っても、せいぜい気持ち程度じゃないの?」


「……の、はずなんですけどね。いや、でも、もしかしたら……」


 マルベリーさんがぶつぶつと独り言を漏らし始めてしまった。

 そしてしばし考え込むように頭を抱えてしまう。

 今起きたことを理解しようと、頭を全力で回しているみたいだった。

 確かに運任せの魔法が何度も成功したら、研究好きな魔術師のマルベリーさんにとっては悩まされてしまうだろう。

 マルベリーさんの思考を遮るのは憚られたので、私はただ黙ってマルベリーさんのことを見つめていた。

 すると、そんな私の気遣いを無意味にするように、外から別の者の声が響いてきた。


「グオオオオォォォ!!!」


「「――っ!?」」


 突然のことに、二人してビクッと驚いてしまう。

 急いで玄関まで走って外を窺うと……


「……も、森の主」


 銀色の毛を逆立てた、巨大な猪が視界に飛び込んできた。

 二本の大きな牙。丸太のように太い四肢に、鋭い眼光を放つ赤い瞳。

 あまりに恐ろしいその姿を前に、この歳にして涙が出そうになってしまう。

 マルベリーさんの様子を見るに、あれがどうやら例の『森の主』らしい。

 そいつはおぞましい叫び声を上げながら、家の近くにある魔法菜園を滅茶苦茶に踏み荒らしていた。

 衝撃的な光景を目にして、私はガクガクと震えながらマルベリーさんを見上げる。


「ど、どうしようマルベリーさん……?」


「大丈夫ですよ。サチちゃんは家の中に入って、静かにしていてください。やっと長年の因縁に決着をつける時が来たんです。森の主は私が必ず……」


 倒しますから、と言ってくれるのを期待したのだが……

 なぜか彼女の口からは続きの言葉が出てこなかった。

 不思議に思ってマルベリーさんを見つめていると、どういうわけか彼女は唐突に、玄関脇の棚に置いてある紙とペンを手に取った。

 そして何かを走り書きして、その用紙をこちらに渡してくる。


「サ、サチちゃん、家の中に入る前に、試しにこれを唱えてもらえませんか?」


「えっ? こんな時に……?」


 見る限りそれは、魔法の詠唱文だった。

 何の魔法の詠唱文かはわからない。しかしとりあえずこの魔法をあの魔獣に使ってみてほしいという意図だけは伝わってきた。

 でも、なんで今このタイミングで? ていうかこれってどんな魔法?

 と思ったけれど、あまり長くもなかったので、とりあえずその魔法だけ使って家の中に逃げようと思った。

 

「えっと……」


 この時、私は……

 

「【生か死か――死神の大鎌――ひと思いに敵の首を刈り取れ】」


 自分の、魔術師としての隠れた素質に……

 今さらながら、気が付くことになった。




「【悪魔の知らせ(デス・ノーティス)】」




 刹那、森の主に向けていた右手から、禍々しい漆黒の光が放たれた。

 同時に、僅かに離れたところにいる森の主も、黒々としたモヤに包まれる。

 するとどういうわけか、踊るように暴れ回っていた森の主が、唐突にその巨躯をピタリと静止させた。

 まるで時間が止まったかのように、一瞬にして辺りが静けさで満ちる。


「グッ……ガッ……!」


 程なくして森の主は、苦しみ悶えるような声を漏らした。

 そしてゆっくりと、立っていた置き物が倒れるかのように、力なく地面に横たわってしまう。

 その後、起き上がることも寝息を立てることもなく、完全に動きを止めて森の景色の一部と化していた。

 というか、どこからどう見ても完璧に……森の主は死んでいた。


「う……うそ……」


 私は突き出していた右手を震わせて、恐る恐るそれに目を落とす。

 次いでおもむろにマルベリーさんを見上げると、彼女は息絶えた森の主を見据えて、口をあんぐりと開けていた。

 マルベリーさんが数年を掛けても倒し切れなかった魔獣が、たった一瞬で事切れた。

 まさか……


「い、今、私が使った魔法って……」


「ひゃ、百万回に一回くらいの確率で、対象者の命を確実に絶つことができる……『即死魔法』の【悪魔の知らせ(デス・ノーティス)】です」


「……」


 即死魔法。

 成功すれば対象を確実に殺すことができる、まさに悪魔のような魔法。

 相手がどんなに凶暴な魔獣で、金剛のように強固な魔衣を持っていたとしても、それに関係なく一撃必殺を強制させる。

 当然成功確率はごく僅かのようで、数字にして百万回に一回。

 私はそんな超低確率の魔法を、またもたった一回で成功させてしまった。


「ほ、ほんの出来心で即死魔法を試してもらったんですけど、まさか本当に成功するなんて……」


 さっきも思ったけど、やっぱりそうだ。

 私は、確率的に効果を発揮する魔法を、確実に成功させることができる。

 たとえそれが一万回に一回しか成功しない拘束魔法でも、百万回に一回しか成功しない即死魔法でも、絶対に成功させることができる。

 それもこれもすべて、幸運値999のおかげだ。


「す、すごいですよサチちゃん……サチちゃんの才能は、もしかしたら魔法の常識を変えてしまうかもしれません」


 かつて賢者と謳われた凄腕魔術師のマルベリーさんに、改めてその言葉を掛けてもらって、私はようやく確信を得ることができた。

 魔力値1のせいで魔術師の名家を追い出されてしまった苦い過去があるけれど。

 幸運値999の私……


 即死魔法が絶対に成功するので、もしかしたら魔術師の才能があるのかもしれません。

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― 新着の感想 ―
面白そうだと思って読んでたら突然の一人称。しかもメタ発言を連発。冷めた。つまんねー。一人称でやるなら最初から一人称でやれよ。
[気になる点] 文字通りの必殺魔法… 権力者にバレたらヤバそう
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