第二十六話 「身体測定」
「ふんぬぅぅぅぅぅ!!!」
「……あの、ミルさん?」
魔術学園の生徒として生活を送る寮部屋の中。
常日頃から生活を共にするルームメイトの、全身全霊の呻き声が響き渡る。
ベッドに寝転がりながら声のした方を見ると、青髪少女が床に両手をついてうつ伏せになっていた。
そして必死に両腕で体を持ち上げようとしている。
「ぐぬぅぅぅぅぅ!!!」
「……なんでさっきからできもしないのに、“腕立て伏せ”なんてしようとしてるの?」
という問いかけを合図にするように、ミルがいよいよバタッと崩れ落ちた。
ぜえぜえと息を切らしながら、涙目になってこちらを見上げてくる。
腕立て伏せをやろうとしているみたいだけど、さっきから一回もできていない。
体が持ち上がらずに、地面に両手をついて二の腕をプルプルとさせているだけだった。
なんで急に筋肉強化精神に目覚めてしまったのだろう?
「……だって明日『身体測定』なんですもん」
「答えになってないよねそれ」
普通、身体測定があるから『腕立てしよう!』とはならなくない?
体力測定ならいざ知らず、身長や体重をはかるだけなんだから腕の筋肉をつけても意味はないんじゃないかな?
というかたった一日でつくはずもないし。
「もしかして体重が気になってるの? 痩せたいんだったらランニングとかの方がいいんじゃない?」
「……これ以上痩せたら骨と皮だけになっちゃいますよ。いえ、その、体重ではなくてですね……」
ミルは途端に沈んだような顔になり、すりすりと自分の胸を摩り始めた。
そう、年頃の女の子にしては、若干控えめと言っても差し支えのない、可愛らしい胸を。
「えっ、そこ? そこが気になってしょうがなかったってこと?」
「見るからにここが一番悲惨じゃないですか!」
腕立ての疲れはどこへやら、ガバッと立ち上がったミルが怒りの地団駄を踏み始めた。
そんなに乱れなくてもいいじゃない。
悲惨でもなんでもないと思うけど。
「えっと、つまり、明日の身体測定で胸のサイズを測るから、それまでに少しでも膨らませておきたいと?」
「……そうですよ。そうなんですけど、風船みたいに言わないでくれませんか」
でも実際に風船みたいに大きく膨らませたいのか、ミルがふぅふぅと自らの胸に息を吐き始めた。
なんだか涙ぐましい。
これ以上私を悲しい気持ちにさせないでほしいな。
「ふーん、それで頑張って腕立て伏せをしてたってわけか。でもそれで本当に胸って大きくなるの?」
「わ、わかりません。私もどこかで薄っすらと聞いたことがあるだけですから……」
まあそうだよね。
もし本当に腕立て伏せだけでバストアップが見込めるなら、胸のサイズで悩んでいる女性はこの世からいなくなっているはずだもんね。
しかしミルはそれ以外に縋るものがないからか、再び腕立て伏せを試みようと床に手をついた。
でもやっぱり一回もできずに崩れ落ちてしまう。
そんな彼女の努力溢れる様を、欠伸混じりに見物していると、ミルがどこか不貞腐れたように頬を膨らませた。
「その点、サチさんはいいですよね。スタイルがとっても良くて」
「えっ、そう?」
生まれて初めて言われました。
私の体格って、スタイルが良い方に含まれるのだろうか?
二の腕、胸、腹の順番で自分の体を見下ろしてみるが、いまいち実感は湧かない。
「余分なお肉がついてなくて、お腹がシュッと引っ込んでいますし、それでいて胸も程よく大きくて、健康的な肌色もしているじゃないですか。背も高すぎず低すぎずでちょうどいいですし、何というかすべてがちょうどいいんですよ!」
「……そんなに力強く熱弁しなくても」
ていうか自分の体のことを詳しく語られるって、なんかめちゃくちゃ恥ずかしいな。
じろっとミルに見つめられて、思わず私は身をよじってしまう。
するとミルは私の体から目を逸らし、また自分のことを見下ろして肩を落とした。
「それに比べて私は、肉付きもあまりよくありませんし、胸だって晒を巻いているわけでもないのにぺたんこです。それもこれもきっと、幸運値0のせいなんですよ。幸運値0だから、私はこんな幼児体型に……」
「それだと私は超絶爆乳美少女になってないとおかしいんだけど?」
幸運値999の私を前にして何をトンチンカンなことを言っているんだか。
幸運値の高さによってプロポーションが変わるなら、私は世界でも有数の爆乳美少女になっていないと辻褄が合わなくなる。
と正論を返してみるけれど、ミルがかぶりを振って否定してきた。
「もしかしたらサチさんの胸こそが、真に最強の胸なのかもしれません。大きすぎず小さすぎず、ある程度男性の目を惹きつけることができて、生活にも支障が出ない大きさ。そうです、それこそが幸運値999の最強の胸なんですよ」
「……真剣な顔して何言ってんの」
まあミルにとっては重要なことだったみたいで、しまいには手首に巻いた数珠やらミサンガやらに縋り始めてしまった。
そこまでして大きくしたいのか。
別にそのままでもいいと思うんだけど……
「とにかく私は、何としても明日までに少しでも胸を大きくしてみせます。そのためにできる限りのことはしようと思っていますから」
「ふーん、で、具体的にどうするの?」
あんまり無茶なことはしないといいんだけど、と思いながら問いかけてみる。
するとミルは考え込むように顎に手を当てて、知恵をふり絞り始めた。
「晩ご飯ではなるべく多くの乳製品を摂取して、お風呂では知っている限りのマッサージを試してみたいと思います。それと今日はできるだけ早めに寝て、体調を万全にして身体測定に臨みたいと思います」
まあ、できることと言えばそれくらいしかないよね。
それでミルの気が少しでも休まるのなら、是非頑張ってみてほしいところである。
密かに彼女にエールを送っていると、不意にチラッとこちらを一瞥してきた。
「あと確か、人に揉まれると大きくなるとか……」
「……」
何が言いたいのかは、だいたい察しがついた。
試しに揉んでみてくれとでも言うつもりなのだろう。
普段のミルだったなら、過度なスキンシップは恥ずかしくて避けるはず。
その羞恥心すらも今やどこかに忘れてきてしまったみたいで、相当追い込まれているというのが伝ってきた。
なんだかいつものミルらしくないよ。
そもそも明日までに大きくするなんて無理な話で、それを諦め切れずにいるミルもらしくない。
ここは友達として目を覚ましてあげることにしよう。
私は両手をガバッと構えて、熊のようなポーズを取った。
「よし、じゃあ私が漬物のように揉み込んであげよう! 千切れちゃっても知らないからね!」
「や、やっぱりそれは却下です!」
なーんだ、一夜漬けしてあげようと思ったのにな。
翌日。
レザン先生の言っていた通り、全学年共通の身体測定が執り行われた。
単純に学生たちの心身状態を確かめるのが表向きの目的らしいけど、話によると魔術師の生体を研究している機関に情報提供をしているっぽい。
その見返りに研究結果や魔獣の生態の情報などをもらっているみたいだけど、いったいどんな研究に情報が使われているのか想像がつかないな。
ともあれ私たちは身長、体重、その他の数字の順番に計測をしていく。
その中で生徒たちが、各々喜びや悲しみをあらわにしていき、ミルも自分の結果を見て顔を青ざめていた。
私はその気持ちがわからないので、ただ淡々と言われた通りに測定を進めていき、特に問題なく記録をつけ終わる。
最後に校庭に集まるように言われているので、なんだか面倒臭いなと思いつつそちらに向かうことにした。
測定着から制服に着替える必要があるので更衣室に行くと、そこには茶色の長髪の少女がいた。
お嬢様雰囲気をバンバンに醸し出す、ゆるふわ系美女のマロンさんだ。
「あっ、サチ様ももう終わりですか?」
「うん、あとは校庭行くだけだよ」
マロンさんとは、時々こうして話をしている。
教室での席が遠いので積極的に話す間柄ではないけれど、こうして目が合った時に二言三言声を交わすくらいの仲だ。
こっちとしては一度お昼の誘いを断ってしまった手前、彼女と話すのはなんだか申し訳ない気持ちになってくるのだけれど、当の本人は特に気にも留めていないらしい。
心が広いというか、優しさの化身とでも言った方がいいだろう。
そんな彼女の寛容さのおかげで、最近は私の方からも声を掛けられるようになってきた。
いつかはミルも交えてみんなでランチとかしてみたいなぁ。
「身体測定、思ったよりも早く終わりそうだね。特に難しいこともなかったし、いつもの授業に比べてすごく気楽だよ」
「そ、そうですか。まあサチ様でしたら気掛かりなことはなさそうですけれど、私は結構緊張しましたよ」
えっ、緊張?
私は今一度、着替え途中のマロンさんの体を見て、むむっと眉を寄せる。
正確には、今にも下着からこぼれ落ちてしまいそうな、巨大な双丘を。
「マロンさんが緊張する要素なんて何もないでしょ? 私のルームメイトじゃあるまいし、ぶっちぎりで全学年トップだと思うけどなぁ」
「えっ、あの、私が言っているのは体重のことで……」
あぁ、そっちか。
昨晩のミルのせいで、つい間違った憶測を立ててしまった。
昨日はあれからずっと、胸を膨らませるための努力に時間を費やしていたから。
最後には自前の数珠やらミサンガやらに念を唱えながら寝床についていたけれど、結局神様は彼女に微笑んではくれなかった。
そんなミルと違って、マロンさんは体重の方を気にしていたらしい。
でも別にそこも心配することないと思うけどなぁ。
「わ、私の体重、全学年でトップですか……」
「ち、違う違う! もっと別の心配してると思っただけで……!」
マロンさんが見るからに落ち込んだ様子を見せてくる。
だから私は慌てて勘違いを正そうとした。
しかしマロンさんも、最初から私が勘違いをしているとわかっていたみたいで、『冗談ですよ』と余裕の笑みを浮かべてくれた。
あぁ、びっくりした。
ほっと一安心しながら、私は制服に着替えて首を傾げる。
「にしても、最後に校庭で何するんだろうね? これ以上測るものなんて何もないと思うんだけど」
大方の身体的な情報は曝け出したつもりだ。
この上いったい、校庭で何を測るというのだろう?
軽い雑談のつもりでそう言ってみると、マロンさんから思い掛けない台詞が返ってきた。
「あらっ? サチ様ご存知ないのですか?」
「えっ?」
「身体測定の最後の計測は『魔力値』の測定で、校庭に集まって実技形式で行うのですよ」
「ま、魔力値の……測定?」
私はこの時、先日のミルと同じような……この世の終わりとでも言いたげな絶望の表情を浮かべていたと思う。




