- 現実 -
「高浪、ちょっと・・・」
1時間目が終わろうとしていた9時40分頃、教頭先生が教室の扉をノックして開けた。
もうすぐすれば休み時間なのに、わざわざ自分を呼びに来たのは何か理由があると思ったが、良い予感はしなかった。乃輔が廊下に出ると、教頭先生は要件を離さず、職員室の奥にある校長室に入るように促した。
そこには、担任の町山先生もいた。町山先生は乃輔に座るように言うと、何か話そうとしているが、言葉が出てこない。教頭先生が町山先生に目配せをすると、町山先生は自分を落ち着かせるために軽く息を吐き、乃輔に話し始めた。
「高浪のお姉さんは、真美さんで合っている?」
乃輔は頷いた。
「実は、先ほど警察から電話があって、お姉さんが刺されて病院に運ばれたらしい」
その後も町山先生は話を続けているが、乃輔には話が入ってこなかった。
お姉ちゃんが、刺された・・・?
朝元気に家を出て行ったばかりなのに、刺された?誰に?そもそも何故?
おそらく、町山先生か教頭先生が病院に連れて行ってくれたのだろう。乃輔は病院にいた。
案内されたのは、霊安室。
ウソ、だろ?刺されたとは聞いたけど、死んだなんて言われていない・・・
病院の職員がドアを開けると、両親が泣きじゃくっていた。特に母親は取り乱していて、父親が泣きながら、母親を静止している。
冷たそうなベッドの上に姉が目を閉じて眠っている。
刑事らしい男の人が乃輔に軽く会釈すると、乃輔に話しかけてきた。
「お姉さんは、学校に行く途中で腹を刺されました。病院に運ばれましたが、出血が激しくて、助かりませんでした。犯人は捕まっていませんが、通り魔だと思います。お姉ちゃん、彼氏がいるとか、別れちゃったとか、誰かにストーカーされているとか聞いていないよね」
「お姉ちゃんは、そういう人ではないです。誰からも好かれてして、僕にも、僕にも・・・優しかった・・・」
乃輔は泣かないようにしていたが、涙が止まらなかった。
もう一人の刑事が、乃輔の肩をポンポンと叩いた。刑事という職業柄、年に数回は殺人の現場に立ち会い、血や死臭には慣れたが、遺族との対面だけはいつになっても慣れなかった。胸が締め付けられる思いだった。
乃輔は刑事に言った。
「姉は、どこを刺されたのですか」
刑事はその質問に驚いたが、真美にかけられた白いシーツをめくった。
腹に2か所の傷があり、縫ってあった。ひとつは、左の脇腹。おそらく刺されると思って、体をよじって刺されたのだろう。そしてもう1か所が臍下にあった。三日月上の傷になっていた。医者が言うには、臍下の傷は、腹に刺さった包丁が抜かれずに、抉ったことによって傷口が広がってできた傷だと言う。傷の深さは15センチで包丁は背中に達していたという。そして傷の長さは10センチというから、刺されて、腹を切り裂かれたようなものだ。血が止めどなく流れ出て、腸が飛び出し、医者としても手の施しようがなかったようだった。
乃輔の脳の中で真美が
「痛いっ、乃輔・・・助けて・・・お姉ちゃん、死にたくないよぉ・・・」
と繰り返し叫んでいた。真美は腹から流れる激しい出血を両手で押さえながら、視界から遠ざかっていく犯人を見つめ、膝を地面につけて、うつ伏せに倒れたのだろう。
真美は夏服のセーラー服が気に入っていた。好きな制服を着ながら、死ぬことができたのはせめてもの救いだったのかもしれないが、血で汚したくはなかっただろう。
長い1日だったが、まだ日は沈んでいなかった。