魔王が往生させてくれない!!
教会による統治が敷かれている宗教国家、ゼノワール教国。
その国境付近にある中規模の町に、1つの教会があった。
その教会は孤児院も併設されており、今日も教会の庭では多くの子供達が楽しそうに駆け回っていた。
「みんな~そろそろお昼の時間ですよ~~」
そこに声を掛けたのは、この教会を管理する修道女だった。
修道女とは言っても、彼女は今年で齢80にもなる老婆だ。
ベールに収められたすっかり色の抜けた白金色の髪に、多くの皺が刻まれたその顔は、彼女が積み重ねてきた時間の長さをはっきりと物語っていた。
しかし、そのシャンと伸ばされた背筋にきびきびとした立ち居振る舞いは、老いを感じさせない活力に溢れていた。
今も、なかなか言うことを聞かない遊びたい盛りの子供達を、素早い身のこなしで次々と捕まえていく。
「はい、もう終わり。早く手を洗ってきなさい」
「ちぇ~またつかまっちゃった」
「せんせいはやすぎぃ~」
子供達も心得たもので、一度捕まってしまえば後は大人しく言うことを聞く。
シスターが声を掛けてからの追いかけっこは、もはや子供達にとっての恒例行事なのだ。毎回、誰が最後まで彼女から逃げ回れるかを競っている。
手早く子供達を手洗い場に送り終えた彼女がふと顔を上げると、この教会で預かっている一番の年長組の子供2人が、門を潜って帰って来るところだった。
1人は茶髪の優しそうな少年、もう1人は赤髪のやんちゃそうな少年だ。
2人とも別方向にそこそこ整った容姿をしており、2人が並んで歩いているとなかなか画になる。
「あら?ヒューイ、ベン、今日は早いのね?」
「ただいま、サヤ先生」
「今日は午後から雨らしいからさ。適当なとこで切り上げてきたんだよ。腹減ったんだけど俺達の分も飯ある?」
彼らは今年で16歳になる。
本来であれば、手に職を付けて孤児院を出ていてもおかしくない年齢だ。
しかし、彼らはこの町で冒険者として活動していて、その稼ぎのほとんどを孤児院に寄付していた。
彼らとしては、自分を拾ってくれたサヤへの恩返しのつもりらしい。
しかし、教会が国のトップであるこの国では、各地の教会は国の保護下にあり、国から十分な運営資金を与えられている。それに加えて町の市民からのお布施もあるので、教会がお金に困るという事態はそうそう起こらない。
現にこの教会でも、食べ盛りの子供達の分を含めても、慎ましく生活していく分には問題ないだけの蓄えがある。それでも彼らが教会に自分達の稼ぎを寄付するのは、少しでも恩人であるサヤにいい暮らしをしてもらいたいからだろう。
しかし、清貧を尊ぶサヤが、我が子にも等しい彼らのお金で贅沢などするはずもなく、結果的に彼らのお金は全て子供達のご飯代や服代になっているのが現状だが。
「ちょっと多めに作ってあるから大丈夫よ。でも、早くしないと小さい子達に食べ尽くされてしまうかもしれないけど」
「それは急がないとですね」
「おおマジか!おぉ~いガキ共!俺らの分を残しとけよーー!」
慌てて駆け込んでいく2人を見てクスリと笑いながら、サヤも2人の後を追った。
サヤが食堂に行くと、そこはちょっとした戦場と化していた。
一応全員分のご飯は配膳されているのだが、おかわりは早い者勝ちだ。今日は皆が大好きなサヤ特製のクリームシチューがあることもあって、子供達は我先に皿を空けようとしている。
「コラーーッ!!アンタ達!後から来てそんなに大盛りにするんじゃないわよ!」
深皿の縁ギリギリまでクリームシチューをよそった上、意地汚く肉を鍋の底から発掘しようとするヒューイとベンに、注意の声が飛んだ。
声を上げたのは茶髪を三つ編みにしたシスター服の少女だ。
彼女はティアナ、ヒューイやベンと同じ最年長組の1人で、この教会のシスター見習いである。ベールを身に付けていないのが見習いの証である。
彼女もまた、拾ってくれたサヤへの恩を返すため、この教会に残って働くことを決めたのである。
彼女の声に続いて、子供達も次々に声を上げた。
「そうだ!兄ちゃんたちずるいぞ!」
「自分たちだけたくさん食べたらメッだよ!」
「僕らがおかわり出来なくなっちゃうだろぉー!」
子供達の声には敵わず、ヒューイはすごすごとシチューを一掬い戻したが、ベンは負けじと言い返した。
「うるせーガキ共!俺らは働いてんだよ!金だって稼いでんだから当然の権利だろ!?」
その言葉に眉を吊り上げたのはティアナだ。
「それを言ったら私だって働いてるわよ!誰がアンタ達の部屋を掃除してると思ってるわけ!?」
「ハッ!お前は知らないかもしれないけどなぁ、俺らは宿代や食事代を差し引いても十分なだけの金を稼いでるんだよ!」
「お金を稼げばえらいわけ!?大体この孤児院を出てからもお金を寄付してくれている人なんてたくさんいるわ!アンタ達がいつまでも先生から親離れ出来ずに居座ってるだけじゃない!!」
「何だと!それを言ったらお前だって――」
「そこまでにしておきなさい。2人とも」
ヒートアップしてきた2人の喧嘩を止めたのは、ちょうど食堂に入って来た修道服を着た少年だった。
彼はリンド。黒髪で眼鏡をかけた美貌の少年だ。
ベン達よりも3つ年上の18歳で、この孤児院出身の孤児でありながら、既に正式な修道士としてこの教会に勤めている。
サヤを除けばこの教会で一番の年長者であり、無表情ながら迫力満点の冷たい美貌を持つ彼には、ベンもティアナも頭が上がらない。
「まったく、いつもいつも懲りずに喧嘩ばかり。ベン、いい加減にしないとこの孤児院から追い出しますよ?」
「うっ、わ、悪かったよ……」
「ティアナも。この程度のことで頭に血が上るようではまだまだ修行が足りません。もっと自己を厳しく律しなさい」
「うっ、は、はい……」
2人を黙らせると、リンドはサヤの方に向き直って軽く頭を下げた。
「申し訳ありません、先生。出過ぎた真似でしたか?」
「いいえ、あなたが代わりに叱ってくれたおかげで、私が叱らずに済んだんですもの。私こそ、嫌な役回りをさせてしまってごめんなさいね?」
「お気になさらず」
それからはサヤとリンドも加わって、賑やかな昼食が始まった。
ヒューイとベンが子供達に冒険の話を聞かせ、それを聞いた小さな子供達が、2人の冒険譚に胸を躍らせる。
小さな子供が誤ってシチューを零してしまい、ティアナが慌てて布巾を持って駆け付ける。
ベンがおかわりの時に肉をたくさん掻っ攫おうとして、またティアナと喧嘩になりかけ、静かな怒りを纏ったリンドに止められる。
それはいつも通りの幸せな日常。
可愛い子供達に囲まれ、成長した子供達に助けられ、サヤの生活は満ち足りていた。
* * * * * * *
「そういえば」
昼食が終わり、全員で食後のお茶を楽しんでいた時、ヒューイが思い出したように言った。
「冒険者ギルドで聞いたんだけど、最近各地で魔獣が増加傾向にあるらしいよ」
魔獣とは、世界中に存在する瘴気が何らかの原因で濃くなった際、それを浴びた動物が変異することで生まれる。その凶暴さ、危険性は元の動物とは比較にならない。
そのヒューイの言葉に、ベンも思い出したように付け加えた。
「ああ、聖都ではそろそろ魔王が復活するんじゃないかってもっぱらの噂らしいぜ」
魔王。
それは存在するだけで世界に瘴気を撒き散らし、この世界を混沌に陥れる破滅の使者。
その正体は瘴気を浴びた元人間だとも、瘴気そのものの化身だとも言われているが、正確なところは定かではない。
確かなのは、何度滅ぼされようとも、数十年もすれば世界中の瘴気が集まる地である魔境で復活し、人々を恐怖に陥れるということ。
しかし、ここ300年程は、魔王による被害はほとんど起きていない。というのも…
「大丈夫よ。魔王が復活したとしても、また使徒様が倒してくださるもの」
ベンの言葉に不安そうにする年少組の子供達に、ティアナが明るくそう言った。
そう、ここ300年程、魔王は復活してすぐに魔境で滅ぼされているのだ。
神の使徒と呼ばれる、黄金の聖騎士によって。
教会に仕える聖騎士であるということ以外、その正体は謎に包まれており、魔王復活の際にしか姿を現さないこともあり、一般人の目撃者もほとんどいない。
だが確かなのは、その黄金の聖騎士は魔王復活の際に必ず現れ、過去7回に渡ってその討滅を成し遂げているということだ。
そのことから、黄金の聖騎士は不老不死の神の使徒だという噂が立ち、いつしかその呼び名が定着してしまったのだ。
「使徒様ねぇ~。…そんなのホントにいんのかなぁ」
満足そうにお腹を擦りながら、ベンがそんなことを言った。
途端、ティアナが聞き捨てならないと食って掛かる。
「不敬よ!教会がその存在を認め、なにより私達を守ってくださっている使徒様のことを疑うの!?」
敬虔な信者であるティアナやリンドだけでなく、年少組の子供達も、皆ベンに攻めるような視線を向けた。
子供達にとって黄金の聖騎士は、誰もが一度は読み聞かされるおとぎ話の英雄であり、憧れの存在だ。その存在を疑われれば、反発するのも当然だろう。
流石にマズいと思ったのか、ベンが慌てて弁明する。
「別に使徒様の存在自体を否定してるわけじゃねぇよ!俺が言いたいのは、その使徒様が本当に全部同一人物なのかってことだって!」
「何が言いたいのよ?」
「い、いや、だってさぁ。普通そう思わねぇか?不老不死の神の使徒がいるっていうより、その時々で一番強い聖騎士様が黄金の騎士甲冑身に着けて魔王を討滅してるっていう方がよっぽど信じられるぜ」
「まあ神の使徒複数人説っていうのは僕も聞いたことあるね」
ベンの言い分に、相棒のヒューイが素早くフォローを入れた。
「だろ!?外見も黄金の騎士甲冑って以外、まともな言い伝えが残ってないしよぉ…。言いたかねぇが、教会のお偉いさん達が情報操作して、黄金の聖騎士っていう英雄像を作ってんじゃないかって思っちまうぜ」
「それくらいにしておきなさい、ベン。教会で話すことではありませんよ」
教会を疑う発言に、リンドが厳しい声で忠告を発した。
リンドの本気の忠告で少し険悪なムードになってしまい、食堂に沈黙が落ちる。
その空気を変えるように、ヒューイがずっと黙っているサヤに話を振った。
「せ、先生はどう思います?あっ、そういえば先生なら、前回の魔王復活のことを知ってるんじゃないですか?」
前回の魔王復活は約60年前だ。今年で80歳になるサヤならば当時のことを知っているはずだと思い、 ヒューイだけでなく、子供達も好奇心に満ちた目をサヤに向けた。
その子供達の期待に輝く目を向けられたサヤは、お茶を口に運びながら少し考えると、端的に言った。
「そうねぇ…結論から言うと、いるわよ?黄金の聖騎士は。複数人じゃなくて、1人だけね」
その言葉に、子供達は皆目を見開き、一斉に食い付いた。それは年少組の子供達だけでなく、さっきまでその存在を疑問視していたベンや、いつも冷静なリンドもまた例外ではなかった。
「サヤ先生はお会いしたことがあるんですか!?」
「顔を合わせたことはないけれど、知ってはいるわ」
ヒューイの質問に、サヤはあっさりと答えた。
「どんな方なんですか!?」
「それは教えられないわ。機密情報なのよ、ごめんなさいね?」
それからサヤは、子供達に何を聞かれようとのらりくらりと躱し、黄金の聖騎士に関しては何もしゃべらなかった。
やがてサヤが手を叩いてお茶会の終了を宣言すると、子供達は渋々解散した。
「それにしても、サヤ先生が使徒様とお知り合いだったなんて驚きましたよ~」
「知り合い、と言えるかは分からないけれどね」
今、サヤはティアナと共に昼食の後片付けをしていた。
「はぁ…使徒様…今頃どこで何をしてらっしゃるのかしら……」
そう呟くティアナは、完全に憧れの存在を夢見る乙女の顔をしていた。
サヤはそんなティアナを見て、ふふっと笑いを零すと、何気ない口調で言った。
「さあねぇ…案外どこかの教会で普通に働いてるんじゃないかしら?」
* * * * * * *
―数日後
サヤがリンドと共に院長室で書類仕事をしていると、何やら慌てた様子のティアナが部屋に駆け込んで来た。
「サヤ先生!大変です!」
「落ち着きなさいティアナ、お行儀が悪いですよ」
「ご、ごめんなさい。いや、そんな場合じゃないんです!サヤ先生に会いに、聖都から大司教様がいらっしゃってるんです!」
その言葉に、叱責を飛ばしたリンドも眉を顰め、サヤの顔を窺った。
彼らが警戒するのも無理はない。
サヤの教会内の地位は司祭であり、大司教と言えば、司祭の上司に当たる司教のそのまた上司、教会内で教皇、枢機卿に次ぐ3番目の地位に就く者だ。しかも聖都に勤めているということは、大司教の中でもトップクラスの人物であることは間違い無い。
そんな人物がいきなり訪ねて来るなど、何か余程の事態が起きたのではないかと考えるのが自然だ。
「もしや先生に何か?」と警戒するティアナとリンドを尻目に、サヤは落ち着いた様子で、ティアナにお客さんを案内するようお願いした。
しばらくすると、ティアナに連れられて50代くらいに見える厳格そうな男性が現れた。
その背後には神殿騎士、それも肩章からして聖騎士の地位に就く者が2名控えている。
彼らの放つ物々しい雰囲気に、ティアナとリンドが益々警戒心を強める。
しかし、サヤは彼らが部屋に入ると、2人に退出するよう伝えた。
「2人とも、少し席を外してもらえるかしら?」
「そんな!」
「……分かりました」
「リンド!?」
「行きますよ」
ティアナは最後まで心配そうにしていたが、リンドが促すと、渋々ながら部屋から出て行った。
「お前達も外で待機しておれ」
「えっ?」
「しかし…」
「二度は言わんぞ」
「「ハッ!」」
ティアナとリンドが出て行くと、大司教も護衛の2人を退出させた。
彼らが出て行き、部屋の中はサヤと大司教2人だけとなる。
すると、大司教がおもむろに膝を折り、その場に平伏した。
もしこの場にティアナやリンド、先程の護衛騎士がいたなら、眼を剥いて驚くだろう。
大司教がとった姿勢は、彼ら教会に勤める者にとって最大限の敬意を示すものであり、通常地位無しの修道士が助祭に任命される際、教皇相手にとる姿勢だ。間違っても大司教という地位にある者が、一介の司祭に対してとる姿勢では無い。
「お久しぶりです、サクスレイヤ様」
「久しぶりね、フィルベール。元気そうで何よりだわ」
本来であればあり得るはずもない光景だが、彼らはお互いにそうあることに何の疑問も抱いていないようだった。
というのも、フィルベールと呼ばれたこの大司教、サクスレイヤの元教え子なのだ。
今から50年も前になるが、フィルベールは、サクスレイヤがこの教会で引き取った孤児だ。
「ハッ!お陰様で元気にやらせて頂いております。サクスレイヤ様もお変わりないようで、このフィルベール、安心しました」
「そんな他人行儀な呼び方はしないで、昔みたいにサヤ先生でいいのよ?」
「いえ、今は公務で来ておりますので」
いつまでも平伏したままのフィルベールに、サクスレイヤは苦笑すると、立ち上がるよう促した。
「相変わらずお堅いのね。いつまでもそんな恰好をしていないで、こっちに座ってちょうだい」
「ハッ!では失礼します!」
サクスレイヤに来客用のソファを勧められて、ようやくフィルベールは立ち上がると、サクスレイヤと向き合うように座った。
「さて、本来であればゆっくりと旧交を温めたいところだけれども、あなたも忙しいでしょう。用件を聞かせてもらえるかしら?」
「ハッ!この度は教皇猊下の使いで参りました。教皇猊下が仰るには、魔王復活の前兆が現れたようです」
その言葉を聞き、サクスレイヤは目を瞑ると、諦めたように重い溜息を吐き出した。
「そう……そろそろだとは思っていたけれど…やはりね」
「差し当たっては、大変恐縮ではございますがサクスレイヤ様に――」
「あぁ、皆まで言わなくても分かっているわ。魔王の復活は、アレを完全に滅ぼすことが出来なかった私の責任でもあるもの。仕方ないわ」
「ハッ……」
サクスレイヤは、悲しみや寂しさが入り混じった目をフィルベールに向けると、そっと呟いた。
「そう…また私はあなた達を見送ることになるのね……」
「先生…」
その姿に、フィルベールは思わずかつての呼び方で恩師に声を掛ける。
しかし、フィルベールがそれ以上何かを言う前に、サクスレイヤは迷いを振り切るように立ち上がると、フィルベールに告げた。
「魔王の件、了解したわ。もうここには戻れないでしょうから、後任者の選出と、私の新しい勤務地の選別を進めるよう、教皇に伝えてもらえるかしら」
「…ハッ、承知しました」
そう答えると、フィルベールは早々に立ち上がって部屋のドアへ向かう。
しかし、ドアノブに手を掛けたところで振り返り、院長室の窓から眼下の子供達を見下ろすサクスレイヤに、そっと言葉を贈った。
「先生…あなたに重責を押し付けている私が言えたことではありませんが…私個人は、あなたがもうお嫌ならば、やめてもいいのではないかと思っています」
「馬鹿を言わないでちょうだい。私がやらなければ誰が魔王を倒すの?それに、悪いことばかりではないわ。別れがある分、また新しい出会いがあるのですからね」
「…そうですか。先生ならば大丈夫かと存じますが、くれぐれもお気を付けください」
「ありがとう、フィルベール」
最後に深々と頭を下げると、フィルベールは部屋を出て行った。
フィルベールとその護衛騎士の足音が遠ざかると同時に、2人分の足音が慌ただしく近付いて来た。
「先生!大丈夫ですか!?」
「何かあったのですか?」
心配そうな顔で部屋に飛び込んで来た2人に、サクスレイヤは困ったような笑みを浮かべると、はっきりと告げた。
「ごめんなさいね。私、ここを出て行くことになったわ」
その言葉に、2人は大きく目を見開く。
と思った次の瞬間、ティアナが怒涛のように質問を投げ掛けた。
「どうしてですか!?先生が何をしたっていうんですか!?もしかして何かあらぬ疑いでも――」
「落ち着いてちょうだいティアナ。別に左遷されるわけではないわ。むしろ逆よ。出世して聖都に行くことになったの」
その言葉に、2人とも微妙な表情になった。
というのも、2人ともサクスレイヤの教え子として、サクスレイヤが司祭の地位に収まっているのはどう考えてもおかしいと思っていたからだ。
神に仕える修道士が、瘴気と相反する神気使うことで、行使することが出来る奇跡の力。サクスレイヤはその実力が明らかに司祭のレベルではなかった。
文献などを読む限り、サクスレイヤは明らかに、大司教どころか枢機卿レベルの奇跡を行使しているのだ。
なので、今更出世などと言われても、何で今更?という疑問しか湧かない。
「悪い話では…ないんですよね?」
「ええ、ただ、もうここには帰って来られなくなるわ。あなた達に会えなくなるのは私も寂しいけれど、こればかりは仕方がないわね」
「そんなぁ……」
サクスレイヤの言葉に、ティアナが泣きそうな顔になる。
それから2人は何とかサクスレイヤを翻意させようと言葉を尽くしたが、サクスレイヤの意思が変わることはなかった。
「いつ頃出て行かれるんですか?」
「そうねぇ…色々準備しなければならないけれど、出来るだけ早くかしら」
「えぇ!そんなすぐに出て行っちゃうんですか!?」
「ごめんなさい。出来るだけ早く行かなければならないの」
「っ!じゃあ今夜お別れ会をしましょう!ベンとヒューイも帰って来るみたいだし!」
「そうね、ありがとう。お願い出来るかしら?」
「任せてください!」
そう言って張り切って駆け出すティアナと、そんなティアナに走らないよう注意しながら後を追うリンド。2人が部屋を出て行くのを見送ると、サクスレイヤは窓から空を見上げた。
その背中には、一抹の寂寥と、それを上回る確固たる決意があった。
* * * * * * *
その晩、ティアナの宣言通り、教会ではサヤ先生のお別れ会が開かれた。
師であり母でもある大好きなサヤ先生の突然の別れに、子供達は大いに嘆き悲しみ、何とか先生を引き留めようと泣き縋った。
可愛い子供達のそんな姿にはサクスレイヤも弱ってしまったのだが、リンドがせめて笑顔でお別れしようと言ったことで、子供達も涙を堪えて先生の門出を祝った。
ヒューイもベンも、突然の別れに驚き、ベンなどはすっかり拗ねてしまったのだが、最後には子供達と一緒に門出を祝ってくれた。
「本当に、いい子達ね」
サクスレイヤは今、教会の敷地の隅に設置された地下へと続く階段を、1人で降りていた。
この階段は入り口を頑丈な鉄格子で塞がれており、子供達には固く立ち入りを禁じていた。
洞窟のように地下へと伸びている階段を抜けると、やがて巨大な地下空間に辿り着いた。
天然の鍾乳石が天井から無数に伸び、中央に大きな地底湖が存在するその空間は、神秘的で静謐な雰囲気に満たされていた。
サクスレイヤは、その地底湖の周りを歩きながら、湖を囲むように等間隔で設置された燭台にランプの火を移していく。
そして全ての燭台に火を灯すと、ランプの火を消し、着ていた服をその場に脱ぎ捨てて地底湖の中に入って行った。
やがてサクスレイヤが地底湖の中心に辿り着き、何らかの呪文を唱えると、地底湖全体に神気が満ち溢れ、強大な奇跡が発現し始めた。
* * * * * * *
サクスレイヤが地下に閉じ籠って3日が経過した。
その日、ヒューイとベンは冒険者ギルドで依頼の物色をしていた。
「大丈夫かねぇ先生は。もう3日だぜ?」
「そうだね。一体何してるんだろうね?」
ベンが何気なくそう呟けば、ヒューイも心配そうに言った。
「結局、あの階段の先には何があるんだろうね?サヤ先生は、特別な奇跡を行使する儀式場があるって言ってたけど…」
「わっかんねぇ。昔何とか侵入しようとして、こっぴどく怒られた記憶があるけどな」
「あれはベンが悪いよ。鉄格子の鍵穴に針金突っ込んで、抜けなくなっちゃってたじゃないか」
「ああすると開くって本に書いてあったんだよ」
「絵本みたいに上手く行くわけないだろ?」
2人でそんなことを話していると、1人の男が慌ててギルド内に駆け込んで来た。
「大変だ!!南の方から魔獣の群れがこの町に向かってる!!」
途端、ギルド内がざわつく。
その中にあって、ヒューイとベンは素早く顔を見合わせると、迷わずギルドから飛び出した。
外に出て南の方角を見上げると、確かに南の空に暗い瘴気が渦巻いていた。
「何だあれ…あんな量の瘴気、見たこと……」
2人して呆然と空を見上げていると、横から2人を呼ぶ声が聞こえた。
反射的にそちらを向くと、ティアナが駆け寄って来るところだった。
買い物中なのだろう。両手に紙袋を抱えている。
「ティアナ!教会に戻ってリンドと、出来ればサヤ先生を呼んできてくれ!僕達は南門に向かう!」
「分かったわ!」
「行くぞ!ベン!」
「っ!分かった!」
この中では一番冷静なヒューイの言葉に従い、3人は動き出した。
ティアナが教会の方向へ駆けて行くと同時に、ヒューイとベンは町の南門に向かって駆け出した。
2人が南門に近付くに連れ、町を囲む塀に何かがぶつかるような大きな音が聞こえてきた。それと同時に、門を警備する兵士の雄叫びや叫び声も。
不吉な音に益々足を速めると、2人は門の横にある勝手口から町の外に飛び出した。
すると、そこには数十頭にも及ぶ魔獣の群れがいた。
「何だよこの数!?どうなってんだ!!」
「あれは多分…町の外で放牧されている乳牛だね。変異し過ぎてて見る影もないけど」
言われてみれば、その魔獣は確かに牛に見えないこともない。
しかし、その体躯は異常に盛り上がった筋肉によって、乳牛どころか闘牛ですらありえない異形と化していた。元は横に小さく突き出ていた角が、大きく捻じれて前に突き出ているのも、その印象に拍車を掛ける。
しかし、そんな考え事をしている暇は無かった。
その牛型の魔獣の1体が、門の近くにいる2人に突進して来て、2人は慌てて剣を抜いて迎撃した。
それから、2人は兵士と共に魔獣の群れと戦い続けた。
そして、群れの半数近くを倒したところで、南の丘の方から、凄まじい量の瘴気が吹き付けて来た。
背筋を貫く強烈な寒気に反射的にそちらを向くと、1人の男が丘を下りて来るところだった。
全身黒装束のその男は、血のように赤い髪を靡かせ、同じく血の輝きを放つ瞳を爛々と輝かせながら、ゆっくりと町に近付いて来た。
その顔は恐ろしく整っており、普通であれば老若男女問わず魅了するだけの美しさを持っていたが、その顔を見たヒューイとベンは、ただ生物としての本能的な忌避感しか感じなかった。
「あれは…まさか魔人か?」
「いいえ、恐らく違いますね」
ベンの独り言に答えたのは、つい先程駆け付けたばかりのリンドだった。
リンドは、珍しくその顔を厳しく歪めながら、自分の知識と直感から導き出した、自分でも信じたくない予想を語った。
「あれは……恐らく、魔王です」
* * * * * * *
3日間ずっと神気に満たされ続けた地底湖に波紋が起き、中央にいたサクスレイヤがゆっくりと水中から上がって来た。
そのまま地底湖から出ると、壁に立て掛けてある大きな姿見の前に立ち、そこに自分の姿を映した。
そこに映っていたのは、この世のものとは思えないくらい美しい少女だった。
年齢は10代後半といったところだろうか。
老化に伴って白金色に変わっていた髪は黄金を鋳熔かしたかのような艶やかな金色に、皺が刻まれていた肌は、皺どころか一片のくすみもない白磁の肌に。かつての若々しい美しさを完全に取り戻していた。
けぶるように長い金色の睫毛に縁取られた、強い意思の輝きを放つ翡翠色の大きな瞳、すっと通った鼻梁、うっすらと桜色に染まる唇。
手足はすらりと長く、程よく女性らしさを主張するお尻と胸の膨らみ、そして内側に鋭く切れ込むようなくびれが、芸術的な曲線を描いていた。
「こんなもの…かしら」
鏡に映る自分の姿を確認し、サクスレイヤは呟いた。
これがサクスレイヤの昔の姿であり、そして、黄金の聖騎士サクスレイヤ・フィルメリオンの全盛期の姿だ。
この地下空間は、世界でサクスレイヤだけが使える、“若返りの奇跡”を行使するための儀式場なのだ。
黄金の聖騎士は不老不死でもなければ、神の使徒でもない。
最高の聖女にして最強の聖騎士であるサクスレイヤが、魔王復活の度に若返ったものなのだ。
とりあえず“若返りの奇跡”の結果に満足したサクスレイヤが、用意しておいた肌着を身に着けたところで、地上に繋がる階段の方からティアナの声が聞こえて来た。
声が反響してしまい、詳しく聞き取ることは出来なかったが、声の調子と漏れ聞こえた単語から、緊急事態であることは察せられた。
急いだ方がよさそうだと判断したサクスレイヤは、手早く身なりを整えると、地下空間の最奥部に向かった。
そこには、石造りの台座に乗せられている鈍色の騎士甲冑と一振りの西洋剣があった。
サクスレイヤがその鈍色の騎士甲冑にそっと手を触れさせ、神気を流し込んだ途端、騎士甲冑は命を吹き込まれたかのように独りでに浮き上がると、自動的にサクスレイヤの身体に装着され出した。しかも、その形状まで変形していく。
無骨なフォルムの鎧はサクスレイヤの身体に合うように流麗なフォルムに、兜は複雑な形状のサークレットに、剣も女性用に少し細身になる。最後に、それらが一気に眩い黄金色に染まった。
これこそ、黄金の聖騎士の戦装束であり、ゼノワール教国の至宝。かつて地上に舞い降りた神の使徒が身に着けていたとされる最強の武具“神格武装”。
周囲に溢れ出す強烈な神気に、一般人では近付くことすら出来ず、神殿騎士でも触れるのが精一杯。装備出来るのは神殿騎士の上位存在である聖騎士の中でも一握りで、その力を発揮出来たのは過去にたった5人だけ。
そして、“神格武装”の力を完全に引き出すことが出来たのは、過去にサクスレイヤただ1人。
戦装束を完全に整えたサクスレイヤは、鎧に宿る能力の1つを発動し、背中から光の翼を出現させると、一気に地下空間を横切り、地上に繋がる通路を飛翔した。
「ティアナ!鉄格子から離れなさい!」
階段の入り口を塞ぐ鉄格子の前にいるティアナにそう叫び、ティアナが横に避けたのを確認すると、サクスレイヤは勢いそのままに鉄格子をぶち抜いて外に飛び出した。
外に飛び出したところで着地し、地面に2本の轍を刻みながら停止する。
振り返ってティアナの方を見ると、ティアナは突然現れた輝くような美貌の戦乙女に唖然とした表情で尻餅をついていた。
「それでどうしたの?魔獣の群れがどうとか聞こえたけれど」
そう言われ、ようやくティアナは少し冷静さを取り戻したようで、ぽかんと開けていた口を閉じると、恐る恐る口を開いた。
「先生……?サヤ先生ですか……?」
「ええ、そうよ。こんな姿をしているけれど間違いなくサヤよ」
「その姿は…それに、その鎧……」
「そんなことを気にしている暇は無いでしょう?早く状況を説明なさい!」
そう少し厳しめに言うと、ティアナもとりあえず疑問を先送りにすることにしたようで、ピンと背筋を伸ばして説明をした。
「は、はい!先程町の南に濃密な瘴気が発生しまして、魔獣の群れが町に押しせて来ているそうです。今はリンド、ベン、ヒューイが対応に向かっていますが、あの3人でも対処し切れるか……」
「そう、ならティアナ、あなたはここに残って子供達の不安を取り除いてあげなさい。3人は私が必ず助けるわ」
そう告げると、サクスレイヤは光翼を広げて一気に飛翔した。
後には、その姿を呆然と、しかし熱を孕んだ瞳で見詰めるティアナが残された。
* * * * * * *
「ハァッ!!」
「セヤァ!!」
ヒューイとベンの剣が同時にそれぞれ別の軌跡を描き、魔王に迫る。
2人の身体はリンドが行使した“浄化の奇跡”によってうっすらと光を纏っており、魔王から溢れ出る瘴気から2人の身を守っていた。
「ふむ、悪くない」
2人の絶妙な連携から繰り出される絶技を、しかし魔王は余裕を持って躱す。
しかも、剣を振り抜いたところに拳によるカウンターを合わせて来た。
「くっ!」
「チッ!」
しかしそれを、2人は咄嗟に引き戻した剣でガードする。
拳と剣がぶつかり合ったにもかかわらず、まるで金属同士がぶつかり合ったような衝撃音と共に、ヒューイとベンの方が吹き飛ばされた。
「ほう、今のを防ぐか。ふむ、そちらの“浄化の奇跡”を使う小僧といい、その剣術といい、さてはお前達、サクスレイヤの弟子か?」
「サク…何だって?俺らの師匠はサヤ先生だよ!他の奴に剣術を習ったことなんてねぇ!」
「待ってベン。アンタ、サヤ先生のことを知ってるのか?」
ヒューイの問いに、魔王はニヤリと口角を上げると、したり顔で頷いた。
「サヤ?今はそう名乗っているのか。いかにも、お前達よりも遥かによく知っているとも。我は奴に会うためにここに来たのだからな」
「何だって?それはどういう――」
ヒューイの問い掛けを遮るように、背後から放たれた光の波動が戦場を駆け抜けた。
リンドが行使した“浄化の奇跡”と同じ光。しかし、その範囲と威力は桁違い。
その光の波動は丘全体を埋め尽くしていた瘴気を吹き払い、その光に触れた途端、魔獣化していた乳牛の群れが急激に元の姿に戻り、正気を取り戻して大人しくなった。
「っ!!?」
「んだこれ!?」
「この力は……っ!?」
ヒューイ達が三者三様に驚きを露にする中、更にもう一度光の波動が走った。
今度は傷付いた兵士達が次々と癒され、ヒューイとベンも、戦いで負った傷が急速に回復していくのを感じた。
「「「……」」」
「来たか!」
最早言葉もない3人は、魔王の歓喜に満ちた声に、その視線を辿り、そこに光翼を背負う黄金の聖騎士の姿を発見した。
その聖騎士は真っ直ぐ3人の元に飛んで来ると、リンドの少し前に着地した。
近くに来て分かる、その人間離れした美貌と、圧倒的な力の波動。
しかし、3人は直感的に、目の前の聖騎士が自分達が敬愛する先生であることを察した。
「ヒューイ、ベン、下がりなさい」
2人とも心の中は驚愕と疑問に埋め尽くされていたが、そのサクスレイヤの言葉を聞いて、長年の習慣から反射的に道を開けた。
正面から向き合う魔王と黄金の聖騎士。
過去300年に渡って戦いを繰り返してきた仇敵の姿に、魔王は妖しく、凶悪な笑みを浮かべると、両腕を広げて歓喜の言葉を発した。
「久しいな我が愛しの花嫁よ!さあ今度こそ我が愛を受け取っ――」
その、顔面に。
拳がめり込んだ。
比喩でなくめり込んだ。黄金の籠手に包まれた拳が。
次の瞬間、周囲に凄まじい衝撃波を発生させながら、魔王の身体が地面と水平に吹き飛んだ。
その後を光翼を羽ばたかせてサクスレイヤが追い、更に空中で追撃を加える。
「こんのボケぇぇぇぇーーーー!!!!なに魔境から出て来てんだぁぁぁああぁぁーーーーー!!!!!」
不倶戴天の怨敵に向ける、サクスレイヤの魂の叫びだった。
普段の、母のような包容力に満ちた、優しく穏やかな彼女しか知らない町の人間が聞いたら、自分の耳か、あるいは自分の正気を疑うだろう。
空中で何度も追撃を加え、町からだいぶ離れたところで思いっ切り頭上から踵落としを食らわせ、山の中に着弾させる。
その後をすぐに追って着地すると、地面に出来たクレーターから、特にダメージを負った様子もない魔王が涼しい顔で出て来た。
「ふっ、流石は我が花嫁。相変わらず素晴らしい力だ。そして相変わらず、いや、以前にも増して美しい!!」
「黙れ変態!!毎度毎度性懲りもなく復活しやがって!!私は普通に老いて、子供達に囲まれて大往生したいんだぁぁぁぁーーーーーー!!!!」
躊躇いなく剣を抜き、全力で斬りかかる。
最初に出会い、初めて戦った時は、確かに決して交わることのない敵同士として戦ったはずなのだ。
しかし、その30年後に再び復活した魔王を討滅に向かい、いきなり愛を囁かれた時は耳を疑った。
最初はこちらを油断させる罠かと思ったのだが、魔王はどうやら本気らしく、それ以来復活の度にこうやって愛を囁いてくる。
「何でアンタがここにいるのよ!!」
「ハハ、一刻も早くお前に会うため、死ぬ気で復活を早めて、神気の気配を辿って来たのだ!」
「どこに本気出してんのよ!!バカじゃないの!?」
激しい戦闘を繰り広げながら、激しい言葉の応酬を交わす。
ふざけたやり取りだが、戦闘自体はお互いに本気だ。
サクスレイヤが剣を振るう度に、余波で周囲の木が切り倒され、地面に斬撃痕が刻まれる。
対する魔王が拳を振るう度、拳圧で周囲の木が吹き飛び、地面に小規模なクレーターが出来る。
「こうして戦うのも、もう8回目だ。いい加減諦めて、我が物となれ、サクスレイヤよ」
「絶対、嫌!!!!」
拒絶の言葉と共に放たれた裂帛の一撃が、魔王を大きく吹き飛ばした。
魔王の物になるなど論外だが、そもそもサクスレイヤは神に操を立てた聖女の身として、純潔を失うわけにはいかなかった。
もし純潔を失えば、力の一部が失われてしまい、魔王に勝てなくなってしまうのだ。
大体、サクスレイヤは一度初老に差し掛かり、そこから若返りを経験した時点で、恋愛願望も結婚願望も消え失せた。枯れ果てたと言ってもいいかもしれない。
つまり、色々な意味で魔王の求愛は受け入れがたく、サクスレイヤにとってはおぞましいとしか言えないものなのだ。
それからも激しい戦いが続いた。
しかし、かたやずっと魂の状態で復活の時を待っていた魔王と、かたや魔王討滅後も自らの奇跡の技量を磨き続けたサクスレイヤ。
どちらに軍配が上がるかは明白だった。
やがてサクスレイヤがどんどんと押すようになり、魔王は一方的に後退し続けるようになった。
「ハァ!!」
「ぐっ!!」
そして遂に、サクスレイヤの剣が魔王の身体を貫いた。
それと同時に剣に宿る能力の1つが発動し、剣の柄から出現した光の鎖が、魔王の身体をその場に釘付けにした。
サクスレイヤは剣を手放して距離を取ると、一気に神気を解放し、全力で“裁きの奇跡”を行使する。
「ぐぅぅうおおおぉぉぉーーー!!!」
急激に高まる力の気配に、魔王は必死に拘束を解こうとするが、間に合わない。
「消し飛べぇぇ!!“神の瞋恚”ぃぃぃぃーーーーーー!!!!」
「ぐあぁぁああぁぁーーーーーーー!!!!」
天より降り注いだ極大の光の奔流に呑まれ、魔王が断末魔の悲鳴を上げる。
だが、光の中でその輪郭を徐々に崩れさせながらも、魔王は最後に哄笑を放った。
「フ、フハハハハハ!!見事だ!!だが無駄なこと!!この愛がお前に届くまで、我は何度でも蘇るぅ!!!!」
「二度と戻って来るなぁぁぁぁーーーーー!!!!」
光が消え去るのと同時に、2人の絶叫も虚空に消え去った。
「ハァ、ハァ」
無事に魔王を滅ぼしたサクスレイヤだが、その顔に喜びは無い。
手応えからして、魔王を完全に滅ぼせたわけではないと察しているからだ。
回数を追うごとに復活までの間隔は長くなっているが、永遠に復活しないよう完膚なきまでに滅ぼすには、まだ自分の力が足りていない。
「はぁ、とりあえず、あいつが通って来たであろう場所を巡って、瘴気を浄化しないとね」
魔境からここまでやって来たなら、途中でかなりの瘴気をばら撒いて来たはずだ。
本当に余計なことをしてくれたと思いながら、サクスレイヤは光翼を広げると、魔境に向けて飛び立った。
* * * * * * *
「というわけで、魔王は無事討滅。周辺の瘴気の浄化も完了したわ」
「そうですか、ありがとうございます」
サクスレイヤは今、聖都にある教会の総本山、その中の教皇の私室に来ていた。
来客用のソファに向かい合って座るのは、教会のトップである教皇。
しかし、畏まっているのはサクスレイヤではなく、むしろ教皇の方だった。
というのも、実はこの教皇もサクスレイヤの元教え子なのだ。
というか、その下の枢機卿も、半数以上がサクスレイヤの元教え子だったりする。
しかし、これは無理もないことだろう。
奇跡の行使者としても聖騎士としても世界最高の腕を持つサクスレイヤが、直々に手解きをしているのだ。その弟子が教会内でもとりわけ優秀な存在となるのも当然だ。
実際、ティアナとリンドも奇跡の技量は既に司祭レベルだし、ヒューイとベンも剣術だけなら聖騎士にだって引けを取らない。
サクスレイヤは、表向きは一介の司祭ということになっているが、その実力的にも権威的にも、教会内に彼女を御することが出来る者など存在しないというのが現状だ。
「そういうわけだから、私の新しい勤務先を教えてもらえるかしら?」
「そのことなのですが……やはり、例の件を検討して頂けませんか?」
例の件というのは、サクスレイヤの教皇就任の件だ。
黄金の聖騎士の権力無き権威は、教会内だけでなく市民の間でも絶大な影響力を持つ。
その黄金の聖騎士が正体を明らかにし、名実共に教会のトップに立てば、教会の支配体制をより盤石の物に出来ると確信するからこその提案。
それと同時に、単純に彼女を慕う一信者として、稀代の英雄である彼女を表舞台に立たせてやりたいという願いからの提案でもある。
しかし、サクスレイヤがその提案に首を縦に振ることはない。
「何度も言っているでしょう?私は表舞台に立つ気は無いわ。どこかの小さな町で、可愛い子供達と共に平穏な生活を送れればそれで十分。それ以上望むことなど無いわ」
「…そうですか、残念です」
見るからに不満そうな顔をする教皇を見て、サクスレイヤはくすりと笑みを零す。
「まったく、いくつになっても不満なことがあると口を尖らせる癖は抜けないのね?」
「なっ、ゴホン、ええと、新しい勤務地のことでしたね?それではこちらはいかがでしょう?」
わざとらしく咳払いをして誤魔化すと、教皇はテーブルの上の地図の一点を指差した。
「近い内、この町の教会を管理する司祭を、中央に引き抜く予定がありまして、ちょうどいいかと」
「良さそうね。それにしても引き抜きということは出世?優秀なのね」
「ふふ、先生の元教え子ですよ。コーネルです。覚えておられませんか?」
「あぁあの子。そう、あの子の管理していた場所なら安心ね。それで進めてちょうだい」
「畏まりました」
* * * * * * *
それから1カ月後、サクスレイヤは新たな勤務地に落ち着いていた。
最初は、司祭というにはあまりにも年若いサクスレイヤに戸惑う子供達も多かったが、サクスレイヤの持ち前の包容力と優しさで、今ではすっかり受け入れられていた。
もっとも、外見年齢のせいで母というより姉という位置付けだったが。
それでも、サクスレイヤは新しい町での生活に満足していた。
…一点を除いては。
「それで?何であなた達がここにいるのかしら?」
視線の先には、当然のような顔で子供達と一緒に昼食を食べているヒューイとベン。
そして当然のような顔で給仕をしているティアナと、これまた当然のような顔で隣に控えているリンド。
どうやったのか、4人はサクスレイヤの新しい勤務地を突き止めて押しかけて来たのだ。
今までは、魔王が復活したらこっそり若返って魔境に向かい、そのまま姿を晦ましていたので、こんなことは一度もなかった。
サクスレイヤとしても、教会関係者のティアナとリンドはともかく、ヒューイとベンとは今生の別れになると思っていたのだ。
「何でって、俺らは冒険者なんだ。拠点を変えることはおかしいことじゃないだろ?」
「ええそうね。でもどうしてここにいるのかしら?」
「お金が無いからです。ここに来るまでに路銀が尽きちゃって」
何食わぬ顔でそう言い放つベンとヒューイ。
「私は、先生から学ばなければならないことがまだたくさんありますので」
「私もです!あと、野獣共から先生を守るためです!」
しれっとそう言うリンドに、そう言って男3人を睨むティアナ。目を逸らす男達。
4人のその行動の意味が、サクスレイヤにはよく分からない。
しかし、もう来てしまった以上、サクスレイヤには可愛い4人の子供達を追い出すことなど、出来るはずがなかった。
「はぁ、まあいいわ。その代わり、ここにいる以上、今まで通りきっちり働いてもらいますからね?」
「了解です」
「おう!」
「はい!」
「承知しました」
そうして、今まで通りの、それでいて少し今までと違う、サクスレイヤの新しい生活が始まった。