第九話 お勉強兼観光、です!
僕は何処から来たのか。僕は何処にいるのか。僕は何処に行くのか。僕は何をしたいのか。僕は何をすべきか。僕は誰なのか。答えは僕の中にある……。
俺の記憶に残っている前世の記憶、というと、前世の俺が死んだみたいだな……。まあ、前の世界の俺のかすかに残っている記憶を思い出していると、ふとそんな意味の分からない歌詞の歌があったことに思い至った。初めて街中で流れていたのを聴いた時は、作詞家の頭を解剖してみたい衝動に駆られたものである。これがサビだけならばまだ許せる。だが、この歌はそんな調子で最後まで続くのである。何が言いたいのか全く分からないクソのような歌詞と評せざるを得なかった。メロディはいいだけに、本当に残念な歌だった。
まあ、そんな感想はどうでも良いのだ。俺が言いたいのは、そんなクソ極まりない歌詞が、皮肉にも俺の置かれた状況をこれ以上ないくらいに的確に表しているということである。
ここでの生活も、今日でなんだかんだ一か月が経とうとしていた。あの突然放り出された戦場で訳の分からないまま軍隊の指揮をさせられ、戦闘終結後も治安維持とかいう名目で二週間ほど師団長の仕事をさせられた。その後もなんだかんだあって、ようやく我が師団の駐屯地がある、国境に近い街、シュリーセンに着いたのがつい数日前である。
慣れないことを延々とやらされ毎日半死人のように過ごしていた俺だったが、ようやく腰を落ち着けることができた。言ってみれば、期末テストを終えて夏休みを迎えた大学生のような気分だった。もう、うっきうきである。わおわおしているのである。もちろん、この中年過ぎのおっさんが小躍りしたりすることはないが。
この街、シュリーセンは、まるでヨーロッパの旧市街のような、木と石で出来た美しい建物が連なる綺麗な街である。今は葉を落としてはいるが、街路樹が整然と通りを飾り、石畳の道路が、落ち着いた雰囲気を調えている。街の中心部には大きな広場に噴水が設けられており、大聖堂らしき大きな建物に、如何にも伝統がありそうな大学、少し離れたところには何某かの像が、悠然と街を見つめている。
何もなければ、この街を観光気分で何処ということもなく散策したいところである。何しろ、俺は外国どころか、本州からも出たことがない。テレビかネットでしか見たことのない木組みの家と石畳の街を是非とも楽しみたいのである。ぴょんぴょんしたいのである。しかし残念ながら。そんなことをしている暇はない。
とにかく俺は、この世界のことを改めてしっかりと学ばねばならない。俺はこの世界どころか、この国でさえも知らないのだ。幸運にも、今までの職務の中で、この世界の常識や知識を試されることはなかったが、これからもそうである保証はどこにもない。
そして、恐らく俺の休日も、師団の休日も長くは続かない。最悪今日にでも出撃命令が下されてもおかしくはないのだ。のんびりしている暇は一切ない。
そんなわけで俺は、寝る間も惜しんで、美しい街の光景を尻目に、大学付属の図書館に通って本やら新聞やらを読み漁っているのである。
(…………。……今までの俺の人生で一番勉学に励んでいる気がする……)
俺は、何とか読み終えた、この世界の歴史の概説を述べたそこそこ分厚い本を閉じ、軽く伸びをした。時間は既に午後二時を大きく回っていて、窓から差す陽光も少しずつ傾いてきている。今の季節としては秋のようであるが、直射日光はまだまだ暑い気がする。
本を読んでいるときは気にならなかったが、読み終えて何もしなくなった途端、急な空腹感に襲われた。外に出るのも面倒であったが、この静寂な環境でお腹を鳴らすというのも……ということで、俺は遅めの昼食をとるべく、席を立った。
大学図書館というのは何処でも、どの国でも、どの世界でも共通なのか、とにかく本がやたら多い。この大学もご多分に漏れず、政治学から哲学、法律学から軍事まで、多くの種類の本が揃っている。流石に全部読むだなんて超人的なことは出来そうにもなかったので、政治学やら法律やら軍事やらの入門書的なものをこれまで読んできたのだが、細かい部分の違いはあれど、知識の点で全く俺のいた世界と異なるといったことはないようだった。
……いや、本当に良かった。これで少なくとも、知識の点で俺がこの世界に合わせる必要はなくなったのである。ずいぶん俺は安心できたように思う。
外に出ると、日差しが直に俺の体に刺さってきた。この時期になっても直射日光を浴びると少し暑さを感じる。まあ、今日は夏服のままで外に来てしまったから結果オーライなのだが。
何度見ても、この街並みは心が惹かれるものがあった。見るもの全てが物珍しく、一つ一つ楽しみたいような、そんな感じであった。まるで、とてもリアルなRPGの世界に迷い込んでしまったような、そんな感じである。体験したことがないから想像でしかないが。
いや、この世界が本当にRPG世界である可能性も、全く捨象すべきではないのかもしれない。俺があの世界で突然拉致され、そういった類の機械にぶち込まれ、仮想世界を体験させられている可能性を、今の俺に否定することは出来ないのである。まあ、こんなことを仮定したら、そもそも元いた世界ですら仮想世界でなかったという保障をすることは出来ないのであるが。どちらにせよ、今はこの世界で何とか生きていくよりほかに仕方がないのだ。
ふと、視線を横に移すと、オープンカフェで初老の紳士が新聞を広げて小難しい顔を浮かべている。その横を、カフェの店員が忙しそうにお盆を持って歩き回っている。
(そういえば、本を読むのに夢中になって、新聞を読むのを忘れていたな)
俺はふと、そんなことを思った。
この世界にも、そしてこの国にも新聞は当然に存在していた。文明の成立と発展段階に思考を向ければ、それは当たり前のことなのかもしれないが、しかし俺はそんな当たり前のことにも安心感を覚えていた。同じものが一つある、というだけで、心強いものがあるのである。
(いくらかお金を持っているわけだし、そこらへんで買ってみるか)
俺は、たまたま目についた小さな売店で、主要紙と思われる新聞を三部ほど購入した。歩きながら読むほどの器用さは無かったので、昼食をとりつつ読むこととする。まだ行っていない店は何処だっただろうか。
「…………? あ! 少将閣下!」
「っ!?」
突然、どこからともなく声を掛けられた。慌てて声のする方向を向くと、そこには中尉が、…………、あー。あ、そうだ、ファーナリア中尉が、やっと見つけたという感じでこちらを見つめていた。……別に名前を忘れていたわけでは断じてない。
「こんなところで何をなさっているのです?」
中尉は、不思議そうな表情でそう訊いてきた。
「いや、ちょっと散歩をしていただけだ。中尉こそ、こんなところで何をしているのだ?」
「はあ、私も特に用事があったわけではないのですが……。強いて言うなら、観光でしょうか。この街をじっくり見たことがなかったもので。少将もお忙しくないようでしたら、如何ですか?」
「あー、いや、私は色々調べ物があるから……」
そう言うと、中尉が透き通るような眼でこちらを見つめてきた。……散歩だなんて言わなければ良かった。しかし、今日一日くらいなら観光しても罰は当たらないだろう。本なんていつでも読めるし。そういうことにしよう。
「そう、だな。お供させてもらおうか」
「ありがとうございます! では、早速……」
「ああ、その前に昼食をとっても良いか? まだ食べていないんだ」
「そういうことでしたら、私おすすめの店があります。案内いたしましょう」
そう言うと、中尉は小走り気味で歩いて行った。あれについて行くのは若干厳しいが、まあしょうがない。頑張ってついて行こう。俺もまた、急ぎ気味で歩き出した。