第三九話 楽しい演説、です!
陽はすっかり落ち、月も出ていない闇夜の中で、この場所だけが神々しく光り輝いていた。その光は、まるで誘蛾灯のように、蛾ではなく人をかき集めていた。それほど大きくはない、街の中心部から少し外れたところにある広場は、どこに潜んでいたのかというくらいの無数の人で埋め尽くされていた。その人垣の中心、広場の中心では、一人の男が、一心不乱に手を、顔を、そして口を動かし、演劇のように演説を打っている。
「……今からニ十数年前、我が国はようやく再統一を果たした。諸君や、諸君らの父親は、その血と汗、更には生命までも犠牲にして、幾年にもおよび我が国に打ち込まれた深い軛から、我々を遂に解放したのである。我らの未来は希望に満ち溢れて見えた。
だが、現実に我が国はどうなったのだろうか?
我らは、あの時に感じた希望を今、感じ取ることができているのだろうか?
我らの未来は果たして、希望に満ち溢れた、幸福で、満ち足りた、価値のあるものであろうか?」
一度言葉を切り、周囲を見渡す。二呼吸ほどおいたところで、男は再び話始める。
「その答えは、諸君らが一番よく知っているはずだ。
そう、我らの未来は暗く閉ざされてしまった。我らの生活は、財産は、名誉は、そして国家でさえもが、衰退を、破綻を、退廃を、凋落と没落を強いられることとなったのである! 我が祖国は、一部の者による専横と傲慢によって、我らの国家は崩壊の瀬戸際に立たされることとなったのだ!
一体全体、我が国の破滅の危機に際して政権の連中は何をしていたのだろう? 彼らは我が国をどこに導いたというのだろう?
我が国の十数年にわたる経済成長の甘い汁は全て政権に加担する邪悪な企業家とその取り巻き共に吸い尽くされた。本来彼らが納めるべき税金は、不当な手段によってその支払いを免れ、代わりに罪のない我ら人民に対して不当に高く課されることとなった。そんな我らの貴重な血税は、彼ら自身の贅沢と、その取り巻きのクソどもの懐に入り、我らの生活を向上させる何らの政策にも用いられることがなかった。国家財政は混乱の極致に至り、その結果莫大な額を外国から借り受けて、我が国は借金漬けの借金地獄に突き落とされた。毎年のように、我が国からは不当に高い、……昔ならばいかなる国家であっても罰せられるであろう高い利子も当然となっている。
その結果、富める者はますます富んでぶくぶくと肥え太り、貧しき者は金、土地、建物、名誉、更には生命までも……あらゆる物を奪い去られ、ただ死ぬのを待つばかりとなっている。その差はもはや、言葉で表現することができない程に拡大し、今もなお加速度的に増幅しているのである。
我らが故郷、リモ・トルトの衰退は、これを形容する言葉が見当たらない。かつては五百万もの人口を誇り、ミアバーグ地方の最中心都市であった我が都市は、たった十数年で産業が崩壊し、若者たちはこぞって王都へと向かって帰って来ず、その未来は失われた。三百五十万、三百万、ニ百五十万……、今では二百万人にも満たない。もはや格差は是正不可能な程度にまで拡大しつつあるのである」
一度言葉を切り、再び周囲を見渡す男。全ての聴衆がこちらを向いていることを確認すると、先ほどより少しだけ小さい声で再開する。
「……諸君。諸君の中にはもしかしたら、もしかしたら我が国の惨状を見てこう思っている者があるのかもしれない。諸君らの中のごく少ない者たちは、この目を覆いたくなる屈辱的状況を見て、こう思っているのかもしれない。
即ち、その原因は資本主義にあるのであり、従って社会主義こそが、我が国を窮地から救う特別の策であると。
……私はこのような考え方を頭から否定する気は一切ない。そう思う者がいることを否定し、その考え方を強制的に変えさせようなどとすることは決してない。
しかし、しかし!
考えて欲しい。ただ少し考えて欲しい。リモ・トルトから毎回選挙で王国議会に送り込まれた二つの政党の議員たちは、社会主義こそ至上の価値を有すると信じる政党の議員たちは、果たして我が国会で何をしてきたのか、を。
彼らは他の議員に、異なる思想を有する人民に、社会主義の価値を説いてその政策を採るように進言したか? 自ら立法府の一員として、社会主義的精神に従った、国民生活のための政策を一つでも提出したか? 彼らの立法府での活動により、我らの生活は寸分でも向上することがあったのか?
……。
これもまた言うまでもないだろう。彼らは我らによって与えられた使命を何ら果たすことが無かった。彼らのしたことと言えば、政府の隠す真の疑惑でなく彼らに付き従う愚かな新聞屋のでっち上げた下らない疑惑の追及ごっこを行い、政府の提出する法案の真の問題点でなく些細な条文解釈の間隙を鬼の首を取ったように騒ぎ立て、少しでも自らの思い通りにならなければ惰眠とサボタージュに勤しんで遂にその職務すらも放棄したのである!
彼らは、我ら人民より付託された崇高なる使命を最初から放棄し、政権によって仕立て上げたゴミ以下の劇場の中で、幼年学校のお遊戯会にも劣る不愉快極まりない三文芝居をしていただけである! 諸君らが命を削る思いでようやく収めた貴重な血税は、連中のような大便製造機の原材料になり果てたのだ!
……彼らのご立派なお仕事ぶりを見れば、社会主義の価値とやらも容易に評価することはできよう。……彼らに議員、……いや、人間としての最低限の能力すら欠けているのであれば別であるが、そうでないのならば答えは一つだ。社会主義に従ったところで我らの生活が決して向上することはない。これが真実だ」
その後も男は、現政権の腐敗と怠慢を、野党の無能と甘えを延々と非難した。
そんな時。
男の演説している広場の入り口付近に、真っ黒な服を着た多数の男たちがどこからともなく集結し始めた。その数は続々と増え続け、周囲には異様な雰囲気が広がり始めた。演説を聞きに来た風でもなく、たまたま通りがかったわけでもない。人々はその怪しげな男たちを、遠目であるいは近くで、見つめていた。
男たちの数が百人を超えた辺りで、それは始まった。男たちは突然叫び声のような、唸り声のような声を上げて、広場になだれ込んだのである。演説を聞くべくその神経を中心の男に向けていた人々は、突然の男たちの突進になす術もなく押し倒され、なぎ倒された。
悲鳴と怒号が漣のように拡散する。男たちは聴衆を殴りつけ、蹴り飛ばし、聞くに堪えない罵声を浴びせて罵った。聴衆は逃げ惑い、押し合い、混乱が新しい秩序となった。
彼らが何者か、何のためにこのようなことをするのか。それは誰もが知っていた。
社会民主党の赤色青年団と、国家人民連合の社会主義闘士同盟。それが彼ら集団の名前であった。要するに彼らは、それら二党の警備組織、というより準軍事組織であった。彼らの仕事は、対立する政党の活動や集会を妨害し、それら政党の党員や支持者を暴力又は脅迫で追い詰めることであった。
彼らの働きは目覚ましく、そのために保守党をはじめ社会主義政党以外の政党や、無所属の候補者は立候補すらできずにいた。彼らにとって今日は、久しぶりの仕事日であった。
「社会主義万歳! 民主主義万歳! 資本主義に死を! 独裁者に死を!」
大声でそう叫びながら、聴衆を吹き飛ばし、確実に中心の演説者へと向かっていく集団。男は不愉快そうに演説を止めると、両手を大きく掲げて、二度、手拍子を打った。
あと数メートルで男を取り囲む、その間際だった。
どこからともなく現れた茶褐色の制服を着た数十名の男たちが、黒色の男たちを逆に取り囲んだ。包囲を突破すべく体当たりを行った男たちであったが、逆に地面へと叩きつけられた。
黒色の男たちはすぐに事態を察知し、茶褐色を打倒すべく、隠し持っていた刃物や銃器を取り出して抵抗を試みた。しかし、まるで大人が子供をいたぶるかのように、何の苦労もなく茶褐色は黒色を地面に擦り付けた。
茶褐色は、演説者の男の合図を確認すると、黒色のリーダーと思しき男を強引に立ち上がらせて、演説者の方へと引き摺って行き、放り出した。男は苦悶の表情を浮かべ、何の行動もとることができなかった。茶褐色の男たちは、再び何処からともなく、黒服の男たちと共に姿を消した。
「……怪我をした者はすぐに病院へ向かって欲しい。諸君らは国家の宝だ。諸君らが傷つけられるのを見るのは忍びない」
そう言って慰めの言葉をかけると、神妙な顔をしつつ演説を始めた。
「……諸君。民主主義とは果たして何であろうか。民主主義を称揚し、褒め称えることはどういうことなのだろうか。
勘違いしないで欲しいが、私は民主主義を、民主政治を否定するつもりも一切ない。だが私はこの際、諸君らに言いたい。民主主義とは、我々が考えているよりも複雑かつ曖昧で茫洋とした、とらえ処のないものなのである。
少なくとも、少なくとも、決して、……決して民主主義とは何かと問うて、これだと指し示すことはできない! 民主主義とは決して、パンやリンゴではない。民主主義を目の前に指し示すことは、我らには、この世界の何人であってもできることではないのである!
我々こそが民主主義だと叫ぶ者は、決して民主主義者などではない! そのような連中は大嘘吐きでしかなく、自らの価値を履き違えた傲慢極まりない愚か者である! 彼らのような者らこそが民主主義を破壊し、我が国を、更には我らの尊く偉大な世界を汚損し腐敗させる元凶と言うしかない! ましてや、民主主義万歳などと叫びながら、自らの思想に合わない人民を片端から殴りつけ、独裁者に死をと叫びながら自由選挙の候補者への殺害を企図する、斯様な連中を、そして斯様な連中を動かして悦に浸っているゴミ虫どもに、民主主義を語る資格はない! 口にする権利もない!
……我々は決して、我々こそ民主主義的だなどと称することはない。我々はひたすらに人民に仕え、人民諸君のための政治を行うだけである。また我々は少なくとも、他の候補者の選挙活動を妨害したり、他の候補者の支持者を殴りつけることはしない」
一瞬の間をおき、凄まじい拍手が巻き起こった。悲鳴と怒号は、歓声と狂喜に取って代わった。黒服の存在は数瞬で人々から消え去り、演説者の言葉のみで満たされた。
「諸君! 諸君には今から一か月と半月後、選択肢が与えられる。諸君らはその選択肢から一つを選ばなければならない。
もし諸君が、我が国の現況を良しとし、もう間もなく迎える我が国の終焉を心待ちにしたいというのであれば、私はこれを尊重しよう。諸君らは今まで通り、無能でありながら暴力的な者たちを支持すれば良いし、その仲間を国会へ送り、血税が糞に変わるさまを鑑賞するが良い。
しかし。しかし! もし諸君が、我が国の破滅的な状況に異議を唱え、我が国の富を支配者気取りのゴキブリ共から奪い返し、我が国の栄光を取り戻し、あるべき希望に満ちた生活を送りたいと望むのであれば、我々は断固としてこれを達成すべく、いかなる犠牲をも厭わず、あらゆる時間と労力をかけるだろう! 立法府は本来のあるべき姿をようやく現し、諸君らの血税が本来あるべき使途に用いられるように、我々は最大の行動を取るだろう!
諸君の目の前には二つの道が用意されている! 即ち、赤く染まったクソどもを支持し、我が国の退廃的終焉を望むのか、それとも我々を支持し、我が国の栄光ある未来を望むのか! すべては諸君らの選択のみにかかっているのである!」
そう言い終わると、男はさっと演説台から立ち去った。それを追うように、これまでにない拍手が、歓声が広場を覆い尽くした。それらはいつまでも、いつまでも続き、終わることが無かった。
こうして、公示日の夜が更けていった。
今日、というか昨日は夏至だったんですね。そういえば結構遅くまで明るかったです。湿っぽさもえぐかったですが。
普通は何日かに分けて書くんですが、今回はほとんど一日しか書けませんでした。誤字脱字とかあったら(この回に限らずとも)是非教えてくださいね!(謎テンション)




