第三八話 演説会、です!
夏休みの宿題をいつやるか。それは学校に通う全ての生徒にとって、一度は悩む問題である。
選択肢はいくつかありうる。夏休みの初めに全てやり尽くすか。夏休みの間、毎日コツコツと進めるか。夏休み最終日に一夜漬けで終わらせるか。あるいは、やらないか。ざっと考えてみると、まあこんなところだろう。生徒たちは、自らの意思に従ってその選択肢の中から自らが最善だと思うものを選び取るのである。最初に面倒事は全て済ませて、夏休みを思う存分楽しみたい者は初めにやってしまうのだろうし、夏休みの宿題の趣旨を全うしたい者は毎日コツコツとやるのだろうし、面倒事はギリギリまで放置しておきたい者は最終日にやることになる。そしてひたすらマイウェイを貫きたい者、教師に反旗を翻したい者、あるいはどうしようもない怠け者たちは、やらないという勇気ある決断を、若しくは愚かと言うしかない決断を取ることになる。
さて、ここまではまだ子供だった頃の懐かしい話であったが、これは何も、夏休みの宿題に限った話ではない。そもそも、人生とは課題と締め切りの連続だ。俺たちには絶え間なく、波状的に課題が与えられるのであり、そしてこれを期限内に処理することを強いられる。義務付けられる。期限内に処理することが当然であり、期限に遅れれば情け容赦なく無能扱いされる。期限より早く終わったとしても、更なる課題をより短い期限内に処理することを要求される。俺たちには寸分の余裕もない。俺たちは、膨大な課題の前でただ立ちすくみ、絶望に震えるしかないのだ……。
「何を馬鹿なこと言ってるんですか? 先生もそろそろご自分の準備をした方が良いと思いますよ? ほら、もう前の人が締めに入っていますし」
「……ああ、そうだな。……もう一度原稿を確認することにしよう」
俺の夏休みの宿題に関する画期的な見解を、今日から我々の手伝いをしてくれることとなった若者――と言うと、俺が本当におっさんになったようで良い気がしないのだが、まあ便宜上そう呼ぶことにしたい――達のうちの一人に語っていると、ミュリアが心底呆れるようにそう言った。いかにも人の好さそうな、ついこの間まで少年と言っても良かっただろうその青年は、何とも言えない笑顔を浮かべつつ、どこかへ小走りで去って行った。俺は何とも申し訳ない気持ちになりつつ、用意されていた椅子へ戻り、手元の原稿を再び見直し始めた。
俺の周りでは、ミュリアとグローヴィアの他に、その手伝いに来てくれた何人かの若者たちが忙しそうにそこかしこを駆け回っていた。何とかして確保した、小さいけどかなり高価な無線機器を駆使しつつ、他の場所に配置されている他の手伝いの人と連絡を取っている。
「ライトの用意はどう? 線とかちゃんと繋がってる?」
『はい、大丈夫です! 一応付くか確認を……』
「あー、だめだめ、今はだめ。演説中にチカチカさせたら良くないよ。後でテストの時間とってあるから、そこでやって」
『スピーカーの配置終わりました。打ち合わせ通り、人もしっかり配置してあります』
「はーい。じゃ、君は戻ってきて良いよぉ? あ、ついでに水とか買ってきてもらえるとありがたいですぅ」
『了解です!』
こんな調子で、続々と準備ができているようだった。
元々は、今やっている候補者やその前の候補者と同じように、特に何も準備せずそのまま演説に挑もう、ということになっていたのだが、今朝になって突然、ライトやらスピーカーやらといった最新鋭の音響・照明機器がかなりの量、俺たちの事務所に送られてきたのだ。それはもう凄い数で、俺たち三人はしばし呆然とするくらいだった。
差出人は、……まあ当然と言えば当然なのだが、ファーナリアであった。何かの用事で王都に戻った彼女は、何とか暇を見つけてこれらを買い揃えて送ってくれたようであった。俺たちの唯一と言っても良い武器である資金力が遺憾なく発揮されたと言って良いだろう。こんな機器は、この選挙区の候補者の誰も持ってはいないだろうし、それどころかこれらを使っている候補者も俺たちくらいしかいない……のかもしれない。
せっかくの機械なんだし、しっかりと使えるようしたい! でも、人手がいかんせん足りない! そういうわけで、俺たちは今日、まず人手を揃えることに力を注いだ。幸いにも、今日の公示日に、俺たちの事務所を訪問してくれた若者がいたので、その子の伝手を辿り、どうにか八人ほどの人手を揃えたのであった。
その子たちは、どうやらリモ・トルト郊外にある大学で政治学を学んでいる学生だったらしく、この選挙にも少なからず注目してくれているようだった。みんなは快く俺たちの申し出を快諾してくれ、早速色々な手伝いをしてくれたのだった。ビラ配りに、まだ終わっていなかったポスター貼り、今日の合同演説会の告知に機材のセットと、そこそこ大変な作業もテキパキやってくれた。
……俺はというと、そんな彼らを尻目に、ずっと事務所で原稿作りをしていた。最初はミュリアも手伝ってくれる予定だったのだが、手伝いの人たちのフォローに回るとか何とか言って、結局一人で作ることとなったのだった。
だが、もうお分かりのことだとは思うのだが、俺にそういう才能はからっきしないのである。人の心を動かせる名文など、俺に作れる訳もないのである。したがって、俺はそれっぽいことをそれっぽい感じでまとめた原稿を作り、その後は挨拶回りと称して街歩きグルメを楽しんでいたのであった。
「あ、マイクの方もしっかり確認した方が良いですよぅ? 本番になって使えませーん、なんてことになったら目も当てられませんしぃ」
「……そうだな。そうしよう」
可愛い小学生の姿に癒された昨日が過ぎ去り、美味しい食べ物で満たされた今日も終わりが近づき、とうとう、俺の演説の時間がやってきてしまった。もう十分もしないうちに俺はあの演台に立ち、演説を打たなければならない。俺の、原稿を持つ手は既に薬物中毒者か、アルコール中毒者のようにフルフルと震えていた。
あの尊い時間は終わったんだ。いくら呼んでも帰っては来ないんだ。もうあの時間は終わって、俺も人生と向き合う時なんだ……。
そんな、どこかで聞いたようで、聞いたことのない言葉が俺の頭を巡った。
確かに俺は、この世界に着いて早々に少将あるいは中将という地位と、師団長という要は軍部隊の指揮官としての役職を与えられたのにも関わらず、何やかんやでその職務を全うしてきた気はする。分からないなりに、多くの部下と名乗る者たちに種々の指令を与え、その責任を全うしてきた……はずである。そうした俺の職務の中には、何人かは覚えていないものの多くの部下の前で何かを話した、といった記憶もある。
だがしかし。
俺自身も若干忘れかけてはいたのだが、俺は本質的にコミュ障なのである。いや、コミュ障という言い方は不正確かもしれない。正確に言えば、俺は極度のあがり症なのである。一対一のコミュニケーションならばともかく、俺一人で数も分からない人間相手に何かを話すだなんてことは、俺の有するスペックを大幅に超えた無理難題でしかないのである。
それを、だ。
俺にやらせるだなんていうのは、もう正気とは思えない。何を考えているんだとしか言いようがないのだ。なんで俺が演説を打たねばならないのだ。そもそも、政治家というのは国民の代表として、限りある資源を国家と国民のために権力的に配分するという政治の本質に従い、これを具体的に遂行するための政策を日々真剣に考えだし、議論を通じてこれを磨き上げ、これを法律という形で完成させるのが役割であってだな、それを選ぶというのであれば何も自ら有権者にそれを訴えかけなくてもだな、もっと弁の立つ者にやらせればいいのであって……。
「……せんせ? おーい、聞こえてますかー? そろそろ前の人終わりそうですよ? えと、あの調子だとあと五分といったところですかね。身支度を整えて、原稿はポケットにしまって下さい?」
「……ああ。分かった」
いっけね、原稿全然読めてないぞ? ……まあでも、何かどうにでもなれば良いんじゃないかな。原稿も碌なことを書いてないし。ああ、もう神に祈ることにしよう。そうしよう。
俺は結局、宿題をやらないという勇気ある決断をするよりほかなかった。遺憾ながら、おれのあがり症の克服は、夏休み最終日で解決できるほど簡単なものではなかったらしい。まあ、今やれることをしっかりとやることにしよう。
「ああ、そうでした。このタイミングでなんですが、ファナさんから我々にお手紙が届いていました。まだ先生は見ていませんでしたよね。……多少は緊張が和らぐように思いますよ?」
「そうだったか。ありがとう」
そう言って、俺はミュリアから手紙を受け取った。言われてみれば、手紙も送られたという話は聞いたが、実際に手紙を読んではいなかったのだった。この際、気を紛らわせるくらいにはなるのかもしれない。俺は早速手紙を読み始めた。
……。
…………。
……。
なんだろう。内容は短いのだけれど、複雑な修飾語句が至る所に散りばめられていて、随所で韻を踏んでいて、その他複雑な構文を多様する、良く言えば芸術的、悪く言えば分かりにくい手紙であった。だが、なんだか不思議と元気の出る手紙であった。何だか知らないが、演説をするやる気も出てきた。やる気スイッチみたいな手紙であった。やる気手紙? ……うん、全然うまくない。
……まあまあな拍手が周辺に響き渡った。どうやら前の候補者が演説を終えたらしい。俺は覚悟を決めて椅子から立ち上がった。一回、二回と深呼吸をして、集中力を高める。俺は意を決して、待機用のテントから出て、演説台へと向かった。マイクを持っていないことに気づいたファーナリアが急いで俺に渡してくれた。俺はそれを握りしめ、強い足取りで向かっていく。
台の前で立ち止まり、台に手を付いてマイクを置いた後、俺は周りにいる大勢の人々をゆっくりと見渡した。人々はまだ前の演説での昂奮が冷めやらないのか、ただ集中力が切れたのか、分からないが、ザワザワ、ザワザワと言葉にならない音を発している。
俺は腕組みをし、ただじっと、ひたすら人々が静かにして、俺の話を聞く態勢を整えるまで待った。一番近い所にいる老人が、早くしろと囃し立てたが、俺は意に介せず、ひたすら待ち続けた。
ようやく演説の始まらないことに気づいた群衆が、俺の方を見ようと、俺の演説を聴こうとこちらを向き始めた。それと同時に、話し声も静かになっていく。俺は、そろそろだろうと思い、テントの方に軽く合図をする。すると、既に用意してあったたくさんのライトが、俺を照らし始めた。先ほどまでは、遠くの建物の灯や、数が少なく明るさもない街灯しかなかったこの周辺が、一気に昼間のように明るくなった。それと同時に、人々の軽い歓声が上がる。俺は、まず人々に語り掛けるように、話を始めた。
「……諸君、諸君は我が国の正式の名称をもちろん知っていることだろう。センペルヴィエント連合王国。それが我が国の正式な名称である。如何なる公文書にもそのように記載されているし、諸君らが子供の頃に用いた教科書にも、そのように記載されていたことだろう。
しかし諸君。皆は疑問に思ったことがないだろうか? 即ち、我が国の国名が、なぜセンペルヴィエント、連合王国なのかと。なぜ、王国ではなく、連合王国なのかと。…………」
1631年、五月某日。プロスペラ共和国とパトリア社会主義人民共和国との国境沿い。
まだ新しい軍服に身を包んだ数千から一万数千人の兵士たちが、陽が沈んで真っ暗になった幹線道路を、隊列を組んで進んでいた。軍服には、労働者のシンボルとされている鎌と槌がクロスした意匠――人民共和国の国旗及び軍旗のマークである――が施されており、傍目にもその者たちがどこから来たのか、はっきりと分かった。
隊列の中には、軍制改革により急速に人民解放軍に普及し始めたP-20-65戦車がおり、車長がハッチから顔を出して周囲を警戒している。また、つい先日ようやく人民共和国が配備を開始した最新鋭の重戦車P-30も、数が少ないながらその重厚感溢れるフォルムで存在感を放っていた。
その赤い軍隊は、人民解放軍第七軍第九〇二歩兵師団は、隣国であるものの、ほとんど交流のない異国の土地を、黙々と、ただひたすらに行進している。書記局長の命令一つで動くその師団の目的地は、プロスペラ共和国首都、レブザフト近郊のプロスペラ共和国陸軍基地であった。彼らの目的は、プロスペラ共和国に進駐し、来るべき連合王国との大陸をかけた大戦争に備えることだった。
その進駐は、プロス=ティクム連合共和国にとっても重大な意義を持っていた。否、持たざるを得ない状況となっていた。即ち、連合共和国の東半分、ルスティクム共和国に進駐していた連合王国軍が撤退を始めるのと同時に、連合共和国の西半分、プロスペラ共和国に人民解放軍が進駐することによって、連合共和国は、連合王国ではなく人民共和国の側に付く、との意思表示を、図らずも世界に示すこととなったのである。この状況が固定化・既成事実化すれば、大陸の支配権が西に移ることは明らかであるように見えた。
夏が近づいてきているとはいえ、まだまだ夜は肌寒い。解放軍兵士は、時折吹く突風に身を縮めながら、しかしなおも同じペースで行進をし続けていた。
ふと、ある兵士が囁くように、隣の兵士に話しかけた。
「連合王国の連中は、どうして撤退したんだろうな。俺たちが来るのを予期していたんだろうか?」
隣の兵士は、迷惑そうな顔で、しかし邪険にすることもなく応えた。
「さあ、どうだろうな。まあ、予期はしていたのかもしれない。だが、俺たちが来たから引き揚げる訳ではないだろうな。あっちにもあっちの事情があるんだろうよ」
どこか冷めたように、冷静な口調でそう言った兵士に、囁いた兵士は納得したように頷いた。
「まあ、そんなもんか。……なあ、これはまだ秘密らしいんだが、聞いたことあるか?」
「……なんだ? 言ってみろ」
二人の兵士は、辺りを警戒してふらふらと首を振った。幸いにも、みな眠たい頭で足を動かすのに必死で、彼らの話を聞く者はいなかった。上官も、政治将校も近くにはいない。今がチャンスとばかりに話を始めた。
「ああ、まだ確定ではないそうだが、今後我々は、ルスティクム共和国に進駐することもありうるらしい。連合王国とは、河を挟んで隣国だ」
「……それは、……偉いことだな……」
一般兵士よりも少しだけ国際事情に精通する兵士は、すぐにその影響を推測した。興味津々な顔で次の言葉を待つ兵士に、少し得意げに話し始めた。
「我らが書記局長同志は、ことによると本当に連合王国との戦争を望んでいるらしい。大陸の覇権をかけた、共産主義と資本主義の一大決戦が始まるのかもしれないな」
「そう、……なのか?」
「ああ。ルスティクム共和国は、つい先日まで連合王国軍が進駐し、我が同志たちを追い回していた場所だ。そんなところにまで我が人民解放軍が進駐すれば、連合王国も黙ってはいないだろうな。そうなれば、プロス=ティクム共和国を舞台とした大戦争の始まりだ」
生唾を飲んだ兵士は、恐る恐る言う。
「なるほどな……。そうなったら、俺たちは最前線か」
「なんだ。怖いのか?」
「まあ、怖くないと言ったら嘘になるだろうよ。お前だってそうだろう? まあ、我らが書記局長の命令なら、仕方ないけどな」
「まったくだ……」
ははは、と小さく笑ったところで、不意に二人は背後に視線を感じた。どうやら、怖い怖い政治将校様が彼らの挙動に不審を抱いたらしい。二人は何事もなかったかのように、他の兵士と同じように無表情かつ無言の、物言わぬ兵士に戻った。
どうにかして締め切りを守ろうとすると、やっぱり場面が進みませんね。どうにかしたいものです。次は、次こそはがっつり進めていきたい……。
どうにか食材の回収が終わりました。対潜15って半端ないですね。重宝しそうです。




