第三話 副官と補佐官が参りました!
「そういえば、作戦開始! とかそういう掛け声かけなかったな……。まあそんな場合じゃねえか」
男たちが退散し、静かになった会議室テントで、俺は一人呟いた。陣地を敵にほぼ完全に包囲されているような状況では確かに無理もないだろう。しかし、せっかく少将だか師団長だかいう、要するに軍の偉い人になったのだから、映画とかでよく見るカッコ良さげなセリフを言ってみたかったのである。未だに実感がないが、結局何なんだろうか、これは。
「まあ、考えてもしょうがないのかねえ」
とにかく今は、この危険極まりない戦場から抜け出して、落ち着ける場所に行く方が先決だ。そのためには、このひどい戦闘を終わらせなければならなかった。何しろ、作戦開始から三十分ほど経ったのだが、敵の砲撃が未だに陣地に届いているようで、そこかしこから爆発音や地面のえぐれる音、何かが破壊される音が響いているのである。とても落ち着けるような場所ではなかった。いつこの司令部に砲弾が直撃してもおかしくなかった。
とは言っても、外に出るのも気が引ける。外一歩出れば砲弾の雨が降り注ぎ、身体を貫きかねない。それに、砲撃を浴びて負傷する、肉が削げ落ち骨が剥き出しになって断末魔の叫びを挙げる兵士の姿を見る勇気は、まだ俺にはなかった。
今、俺に出来ることは、この会議室テント――司令部に籠り、資料に目を通しつつ、報告が来るのを待つほかないのである。
すると、外から何者かが入ってくる気配がした。報告のために兵士が戻って来たのかと思ったが、それにしては、何も言ってこない。俺は、もしや人民戦線とやらのスパイか暗殺者ではないかと思い、近くにあった軍刀を持った。重くてとても使いこなせそうにないが、ないよりはマシだろう。俺は、意を決して侵入者に声をかけた。
「……おい! 何者だ! 姿を現せ!」
すると、ドンッという音が聞こえた。何かにぶつかったような音だった。俺はなおも警戒を続け、少しずつテントの入り口に近づきながら、軍刀に手を掛けた。
「おい! 誰だ! 出てこい!」
「っててて……」
頭を手で押さえながら現れたのは、軍服姿の少女……いや女性? だった。俺は若干警戒を緩めつつも、その女性にどちら様か尋ねた。
「えーっと、申し遅れました! 私、本日を以て連合王国陸軍第二王都警護師団司令部付大隊より同西方派遣軍第一機甲師団司令部付副官を仰せつかりました、グローヴィア=クレール少尉であります!」
女性……というかよく見たら幼女に近い気もする少女は、満面の笑みでそう答えた。副官……って何なんだろう? まあ、いいか。
良く分からないが、多分スパイや暗殺者ではない気がしたので、俺はとりあえずテントの中に案内し、近くの椅子に座ってもらった。
「あー、今日はよく来てくれた。これから我が師団の副官として、素晴らしい働きをしてくれることを期待している。頑張ってくれ給え」
微妙に棒読みになった感が否めないが、少女、グロー……レス?
…………。
…………。
……………………。
…………あ。
グローヴィアは、グローヴィア少尉は、にっこりとほほ笑み返してくれた。
「はい! 僭越ながら、頑張らせていただきます!」
「うむ。……ところで、こんな時期にこんな所までよく来たな。というか、よく来られたものだな」
純粋に聞いてみたのだが、よくよく考えてみると凄いカマ掛けてやろう感が溢れ出ている質問になってしまった。だが、確かに気になる点ではある。このホワホワした少女が敵のスパイやら暗殺者であるとは思い難いが、用心に越したことはない。
「お褒めに預かり光栄です! ……しかし、遺憾ながら、敵の妨害に遭い、師団司令部への到着が遅れてしまいましたこと、お許しください」
彼女の到着は予定より遅れていたらしい。しかし、先ほど良く分からないままやって来た俺には別に関係のない話であった。
「気にするな。それより、敵の妨害が激しかったのか? まあ、この陣地全体が的に包囲されているのだから当たり前と言えば当たり前なのだが……」
「はい、それはもう! 私を親の仇か何かのように執拗に、執念深く追跡してきて大変でした! おかげで軍服が血塗れだし、軍刀もボロボロになってしまいました」
少女はとても悲しげな表情で、どこからともなく出てきた抜き身の軍刀を俺の目の前に差し出してきた。未だ血塗れのそれは、刃こぼれを起こして壊れそうになりながらもなお妖しい輝きを放っているように思えた。
「なるほど、了解した。……既に知っているかもしれないが、現在、我が師団は本陣地の前方、即ち西方にある市街地に進攻し、人民戦線の本拠地を攻略しようとしている。また、本陣地の東方及び南北から迫る敵部隊に対しては、戦車連隊を中心とする部隊による迎撃が行われている。我々は、各戦区から報告される状況を的確に分析し、正確かつ有効な命令を各部隊に伝達することとなる」
「……?」
「あー、つまり、何か報告があるまではここでどっしり構えていれば良いってことだ、多分」
「なるほど! あれ、ところで、司令部要員の方は、他にはもういらっしゃらないのでありますか?」
「え? ……確かに、さっきはそれらしい奴らが何人かいたはずなのだかが……」
どこに行ったんだろう。一応、ここが師団であるからして、参謀将校とか、そういう人がいるのが普通である気がするのだが。作戦開始とともに全員出て行ったのだろうか。だとしたらずいぶんと不用心なものだな。それともトイレか何かかな?
「お呼びでしょうか?」
「「うわあああーーー!!」」
柄にもなく叫び声をあげてしまった。無理もないだろう。突然、俺の後ろの物陰から人が出てきたのである。ここで叫び声を上げない奴は……教養がないので良い例えが思い浮かばないが、まあ、そういうことだろう。とにかく、俺の背後には、どこからともなく現れた人が一人、立っている。
「にゃ、にゃにものですにゃあなたは!?」
グローヴィアが噛み噛みで、真っ青な表情で問いかけた。背後の、……暗くてよく見えなかったが、よく見たらとんでもなく美しい女性は、全くの無表情で応えた。
「私は、我が第一機甲師団司令部、師団長補佐のファーナリア=ライデンシャフト中尉である。お前が例の者か。まあ、以後よろしく。……師団長閣下、何をそんなに驚いていらっしゃるのですか?」
「い、いや、突然出てきて吃驚しただけだが……」
「はて、私の記憶が正しければ、閣下がこのようにせよとお命じになったはずですが。……しかし、先ほどの砲撃でのお怪我がなかったようで何よりです。閣下のご命令がなければ、すぐにでも飛び出したいところでしたが。……まあ、何はともあれ良かったです」
「お、おう。ありがとう」
流れるような金髪で長身の美女は、無表情なのは変わらないものの、何となく温かみのある声でそう言った。しかし、前の俺はなんてことを命じたのだ。危うくチビるところだったぞ……。……大丈夫だよね?
何はともあれ、司令部には都合三人がいることとなった。他にもいるのかもしれないが。まあいいだろう。俺は、二人に座るなりなんなりして待機しておくように言った後、再び響き渡る砲撃の音に軽くビビりつつ、再び書類に目を通し始めたのだった。