第十八話 ネズミの暗躍、です!
私は、特段資本主義を忌み嫌い、資本主義に憎しみを持っているというわけではない。エガルテは、資本主義を労働者と絡めてまどろっこしく定義しているが、要するに資本主義とは利潤を求めることを至上の目的とする経済活動の様式でしかない。あらゆる経済活動は、慈善活動でない限りは利潤を求めるために行われるのであり、その利潤は資本へと組み込まれ、更なる利潤獲得のための原資となる。その結果、巨大な資本はより多くの利潤をもたらし、加速度的にその規模を拡大させ、そうでない資本は塵芥となって消えていく。そんな単純な世界を、資本主義は提供しているに過ぎないのである。
「我らの敵は、我が陣地に対して二方向からの攻撃を企図している。恐らく、その内の一つは陽動攻撃であり、もう一つが本命の攻撃であるものと考えられる」
だから、私の父親が事業に失敗して自殺し、私と私の母親と妹が路頭に迷ったこともまた、資本主義のルールに従って生じた結果にすぎないのであり、そのルールを恨むのは筋違いというものであろう。単に私の父親が競争に敗北しただけであり、私の父親に商才がなかった、ただそれだけのことである。
そして私は、取り立てて共産主義に心酔し、共産主義を信奉しているわけでもない。私も一応は、世界文明共産化計画、通称黒本を読んではみた。しかしそれは、通常人では到底理解し難い内容であり、その中には屁理屈でしかないと――私にとっては――思われる部分も少なくなかった。
上の連中は、この本を偉大なる著作だの、奇跡の著述だのと言って崇め奉っているが、あのうち何人がこの本を読み、あまつさえ理解していると言うのだろうか。つくづくおめでたい連中である。
『どちらが本命なのか』
「残念ながら、その点につき述べられることがなかった。作戦資料からも、それは読み取り難い」
共産主義が、本当に世界へと広まり文明レベルが高次へと引き上げられるなどと言う世迷言も、私は信じることなど出来ない。確かに、パトリア程度の国であれば、共産主義が体制へと組み込まれ始めた今の政治状況が安定すれば、しばらくの間は上手くいくのかもしれない。そのまま、ひたすら内政にのみ政治家たちが注力すれば、あるいは相当長期間体制は維持されることになるのかもしれない。
しかし、外に目を向け始め、この大陸を支配し、あまつさえ他の大陸にも触手を伸ばそうとすれば、必ず帝国は対立を選択するだろう。世界一の経済力と軍事力を有する帝国による、あらゆる力の行使に対して、パトリアがどんな対抗手段を用いることが出来るというのだろうか。その前途は決して明るいものではないのだろう。
まあ、少なくとも、この内乱は間違いなく破綻することだろう。そもそも、未だ社会秩序が厳然として成立し、巨大な警察力と軍事力を有する国家に対して、何ら外部に頼る当てもないままに蜂起したとしても、その結果は最初から決定づけられているのだ。上層部は、抵抗を続けていればそのうち人民共和国が救援に乗り出すなどとのたまっているが、革命に伴う国内の混乱すら未だ収拾のついていない国家に何を期待すると言うのだろうか。彼らの先見の明のなさには驚嘆を隠し難い。それは、こんな無意味な騒乱に加担するこの国の愚かな国民たちも同じだろう。
「ただ、師団長の言葉からすると、恐らくこの作戦の根幹は第五師団になるだろう。規模や装備からしても、そうだと思われる。一応、第一師団の動きも注意すべきではあるが、間違いはないだろう」
『そうか。……承知した。そう伝えておこう』
そうすると、私がなぜこんな騒乱に参加しているのか、そう思う人間が出てくるのかもしれない。なぜ、こんな望みのない共産主義者たちの騒擾に、軍属がスパイをしてまで手を貸しているのか、と。
しかし、私はそんな人間たちに問いたい。今、自らがしている行為の、その合理的理由を淀みなく、矛盾なく説明できる人間が本当に存在するのか、と。無論、大多数の者たちは何がしかの説明を試みるだろう。しかし、真の意味で説明できる人間など、恐らくいない。どんな人間も、自分が今している行為の説明を完全には説明することが出来ないのである。……私もそうであるように。
こんなことが自己弁護でしかないことは私が一番良く分かっている。しかし、私の行動の理由を説明する方法は、これしか私には思いつかない。どうしてこんなことをしているのか、どうしてこんなことになったのか、私が一番知りたい。
これ以上の理由はもはや不要であろう。強いて付け加えるとするならば、先の見えない未来に絶望した、のかもしれない。
(これで、この作戦も恐らく失敗に終わるだろう。……だが、これもいつまでもつか)
内乱も、私の活動も、いつまで続くのか。まあいつまで続いても良いし、もう終わってもあまり気にしないのだが。なるようにしかならないのだろう。もう、どうにでもなれば良い。
『……で思い出したが、この辺でネズミを見たりしたか? 私は結局一匹も見つけられなかったのだが。せっかくネズミ捕りをたくさん……』
定例の報告を終え、当てもなく外を歩いていると、第一師団の少将の声が聞こえてきた。有能な指揮官と聞いていたが、その口調や仕草はふらふらとしていて、まるで新兵のそれであった。その口から出てきた作戦も、誰でも思いつきそうな、つまらない、凡庸な作戦でしかなかった。人の噂や評判がどれほど当てにならないのか証明してくれるようである。
にしても、ネズミ……、こんなところで見つかるだなんて話は聞いたことがないのだが、そんなものが湧いていたのだろうか。……ああ、そうか、私の、私たちのことか。祖国を守るべき兵士でありながら祖国を躊躇いもなく裏切り敵に情報を流す薄汚い売国奴、それが私だ。まあ、そんな言葉で形容できるほど立派な身分でもない、単なるドブネズミというのが、私にはお似合いなのだろう。
『……私は何匹かそれらしきものを見ましたよ。捕まえようとしたら、逃げてしまいましたが』
全くバレていない自信はあったのだが、やはりそうはいかないか。だとしたら、私の命運ももはや決まっているのかもしれない。いくら上手く擬態したところで、汚い尻尾までは隠しきれない。もう、潮時なのだろうか。
はっはっはっ……と、笑い声が聞こえた。師団長と部下だろうか。全く暢気なものだ。この作戦が失敗に終われば、彼らもどうなるか分からないのに。こんなにも近くに、敵がいるというのに。
(いっそのこと、ここでやってしまおうか)
今なら、隠し持っている拳銃で奴らを消せるかもしれない。それで、ここから逃れてパトリアに辿り着いたならば、上手くいけば党の上層部に迎え入れられるかも……。
途端に、私は何処からとも言えない凄まじい殺気に包まれた気がした。恐らく、私の十数メートル先にいる師団長の部下の女たちか。しかし私は震えて前を向くことが出来なかった。少しでも目を合わせれば殺られる、そんな気がした。
私は何とか体を動かしてその場を離れた。震えが止まったところで、私はその場でへたり込んだ。
(そんなわけが、ないか)
どうも私は物覚えが悪いらしい。私は薄汚いネズミなのだ。祖国すら平気で裏切るような私を、誰が信じるというのか。たとえ党に迎え入れられたとしても、すぐに事故死か不審死を遂げることになるに違いない。まったく、こんな事すらも思い至らないとは……。
だとしたら、私ができることはもう一つしかない。せめて、ドブネズミとして腐りきった信念を持ちながら、無様に野垂れ死ぬまで這い回ろう。出口のない袋小路を彷徨いながら、と共に朽ち果てよう。それだけが私の誇りだ。
二日後の昼。ようやく航空部隊が、第一師団司令部にほど近い急造の仮設飛行場に到着したとの報告が入ってきた。そこそこ吹雪いている中を司令部の将校たちと共に頑張って歩いていき、ストーブがこれでもかというくらいに焚かれた応接室に入って眠気と戦いながら、部隊長の到着を待った。もうあと一分と経たないうちに夢の世界へと導かれようとしているタイミングで、ようやく男が、二人ほどの兵士を従えながら入って来た。
「到着が遅れ申し訳ない。私が、南部軍第一航空団を指揮するエーリッカー准将であります。以後、少将閣下の指揮下に入らせて頂くことになります。以後、お見知りおきを」
いかにも真面目そうな口調で挨拶をしてきた。それに続くように後ろの兵士も自己紹介をした。
「同じく、第一航空団第一任務群第四飛行隊長のハンベル大佐であります」
「同じく、第七支援大隊隊長のデリカット中佐であります」
「第一機甲師団を指揮するブライフだ。以後よろしく頼むぞ」
俺たちは握手をした。その後、作戦について軽くミーティングをすることにした。死ぬほど眠いが、何度もここに来るよりかは幾分マシだろう。ここは頑張りたい。
「こちらこそ、よろしくお願いします! ……ところで、早速で恐縮ですが、作戦開始はいつになるのでしょうか?」
「そちらに差し支えなければ、明日の明け方から開始する予定だが、いかがか? ああ、航空部隊の出撃は日の出とともに、ということになると思う」
「日の出、ですか。……まあ、問題は無いでしょう。了解いたしました。そのように準備いたします」
「ああ、よろしく。……そういえば第一任務群の隊長というのはいないのか? いるのならば、隊長なのだし、会っておきたいのだが」
眠い眼をこすりながら、俺はふと疑問を口にした。第一任務群というのがあるのならば、団長の直属の部下なわけだし、いても不思議はないはずだろう。それなのに、ここにいるのは第一任務群第四飛行隊隊長という、言ってしまえば中間管理職的な兵士であるのは何となく違和感があった。やはり、気になったことはしっかり聞かないとな。眠いけど。
すると、エーリッカー准将が応えた。
「へ? ああ、私がその第一任務群隊長であります。航空団長と兼務をしております。加えて、第一飛行隊隊長も務めております。なにぶん、我が航空団は、というより、我が国の空軍は新しく組織されたばかりでして、人手不足なのです。作戦機の方も、何とか一個任務群分は用立てることが出来たのですが、かなりギリギリでして……。しかし、練度の方は十分であると考えております。全てのパイロットがいかなる作戦行動であっても遂行できるように訓練を積んでおりますから、ご安心ください」
それはそれは、何ともご苦労なことであった。組織全体のトップと実戦部隊のトップを兼務するだなんて、その業務量はさぞ凄いのだろう。何ともブラックな職場である。俺もこんな職場には就職しないように気を付けないとな。
…………?
まあ、いいか。
その後、俺は詳しい作戦内容を書いた紙を渡して、幾つか確認事項を尋ねた後、同じく眠そうだった、……というか寝ていたバカ野郎な将校どもを叩き起こした後、共に帰ることにした。まだ昼間だというのに猛吹雪となっており、明日が少し不安であったのだが、夕方には晴れるという観測班の情報を信じることにした。それに、一日くらい遅れても大きな支障はないだろうしな。
司令部に帰ると、兵士たちは見た目の上ではいつもと同じように忙しなく動き回っていたが、それ以上の忙しさは無いようだった。準備があらかた済んだのか、それとも誰かが作戦開始を悟られないように色々と気を回してくれたのかもしれない。有難いことである。優秀な部下を持ったものだ。
そして優秀な部下のうちの一人、いや二人である中尉達が、俺の業務をあらかた済ませてくれたおかげで、俺の仕事はどうやら無くなったようだった。これから特にすべきことも無いわけだし、明日はかなり忙しい気がしたので、俺は眠ることにしたのだった。
『親愛なる同志諸君!
今日は諸君らに伝えなければならないことがある。資本主義に汚染された愚かなる連合王国軍隊は、近日中に我らへの攻撃を予定していることが分かった。彼の人民の敵らは、大規模な増援を呼び出して我らの反攻を姑息にも中止せしめ、あまつさえ我が陣地への攻撃をも企図しているのである。極めて卑劣な攻撃行動であり、遺憾に堪えない。
しかし、我らが敵を恐れる必要など、微塵もありはしない! 敵は、今まで幾度となく失敗した作戦を、今回も採用した。即ち、我が堅牢な野戦陣地への無謀な突撃である。私は、優秀な同志諸君による迅速な防御行動が行われる限りにおいて、今回も、敵の攻撃を完膚なきまでに粉砕し、敵の攻撃意思を打ち砕くことが出来るものと信じる! 兵士諸君、奮起せよ! ……』
いつ聞いても、喧しく不快な金切り声だ。僕は吐き気を感じて、戦意高揚を微塵も感じさせない演説を垂れ流すヘッドフォンを外した。塹壕に籠って敵を警戒している周りの兵士達は、皆熱心にあれを聴いているのだが、そんなに面白いのだろうか。まあ、そのおかげで僕がこれを外してもバレずに済んでいるのだが。
それにしても、敵さんもご苦労なことだ。こんな寒い時期に遊びに来て、機関銃の的にならなくたっていいのに。まあ、僕もこの吹雪の中、凍えつくような塹壕で震えているのだけど。
この戦いがいつまで続くか、だなんて僕には分からない。来年には、終わっているのだろうか。それとも、再来年だろうか。まあ、いつまでだって良い。何度攻勢があったって良いんだ。僕は、いつまでだって生き残る。いつまででも生き残り、そしていつか、この国が理想郷となる、その日を目に焼き付ける。それまでは、死ねない。




