第一話 指揮官閣下、ご命令を!
「……。……。…………少将!」
野太い男の声で、俺は目を覚ました。雑草の匂いが鼻を通り抜ける。ゆっくりと上体を起こした。
「おお、少将閣下! ご無事でありますか!? お怪我はありませんか!?」
「……ああ」
「良かった……! あの砲撃のなか、よくぞご無事でした! 本当に良かったです! ……立ち上がれますか? 肩をお貸しいたしましょう」
「うむ……」
野太い男の肩に捕まり、何とか立ち上がる。頭がくらくらするし、全身が痛む。俺はフラフラとした足取りで、大きめのテントの中へと入っていった。テントの中は簡易な会議室のようになっており、持ち運び可能なテーブルと椅子が並べられている。テーブルの真ん中には大きな地図が置いてあった。既にテーブルの周りの椅子には男たちが座り、こちらをじっと見ている。俺はゆっくりと、如何にも一番偉い人が座りそうな、ちょっと高級そうな椅子に座らされた。
間髪入れずに、すらっとした出で立ちの、眼鏡を掛けた青年と壮年の間くらいの男が話し始めた。
「……本来であれば、すぐにでも衛生班のところへ行っていただきたいのですが……。しかし、少将閣下、事態は急を告げております。人民戦線は、我々の追撃をまんまとかわし、市街地へ立て籠もって、強力な野砲で我が陣地に猛砲撃を仕掛けています。市街地に突入した第十三戦車大隊は有効な攻撃を行うことができないまま壊滅的打撃を受け、撤退しました。大隊所属の半数の戦車が行動不能となっております」
「更に、我が陳地の左右及び後方からは、人民戦線の別部隊突然出現し、包囲網を敷きつつあります。補給路は、そして退路はもはや絶たれております」
「物資の不足も芳しくないレベルです。燃料と弾薬はあと二週間、食料等も三週間持てば良い方でしょう」
テーブルを囲む男たちが次々に発言していく。よく働いていない頭ではほとんど理解が追いつかなかったが、どうも悪い知らせばかりのようだった。
「……! たった今本国総司令部から電文が届きました。『人民戦線ノゲリラ攻撃ニヨリ、増援ノ進撃ハ著シク遅滞セリ。貴師団ハ、増援到着マデ当該陣地ヲ死守セヨ』とのことです。……少将閣下、撤退は不可能です。我々は何としてもこの陣地を防衛せねばならないのです。そして、市街地に立て籠もる人民戦線を壊滅させる必要があるのです」
男たちの視線が俺に向けられる。……やばい、何言えばいいのか全く分からない。よし、ここはひとまず退こう、そうしよう。
「……あー、少々考えをまとめてくる。しばらく待っていてくれ」
男たちが拍子の抜けたような顔になった。どうやら、このようなことを言うような男ではなかったようだ。
「はあ。しかし少将閣下、我々に残された時間はもはや残り少ない。そのことだけはご理解ください」
「ああ、そのつもりだ」
俺は痛む体に鞭打ちながら、とりあえずテントを出た。そして人気のないところまで行き、しゃがみ込んだ。
空は分厚い雲がかかり、まだ昼過ぎだと思われるのに薄暗かった。生温かい風が皮膚に突き刺さり、少し寒気がする。ここ以外にも多くのテントがあり、そこかしこで軍服に身を包んだ人達が忙しそうに歩き回って何やら話していたりしていた。
「いやいやいやいや、どうなってんだ、これは……」
なんで俺は、こんな所にいるんだ? というかここは何処だ? そもそも俺は誰なんだ?
ついさっきまで俺は……何やってたんだっけ。……全く思い出せない。しかし、ここにはいなかったことだけは確かだ。俺はこんなに身長が高くないし、こんな良く分からん軍服を着たことも無い。あのむさ苦しい男たちを率いていたこともない。というか誰なんだ、あの人たちは?
……文句ばかり垂れていてもしょうがないか。とりあえず今を乗り切ることにしよう。
俺はゆっくりと立ち上がり、背筋を伸ばした。やはり今までの自分よりかなり身長が高い。大体180センチ、いや、それ以上にあるのかもしれない。背の高い奴の世界というのはこんな感じなのか。
改めて、自分のものとなったらしい体を眺めてみる。筋肉が程よくついた均整の取れた肉体のようだ。髪もふさふさである。……いや、元の自分が禿げていたわけでもないが。つい先ほどまで全身が痛かったが、今ではそうでもない。手足もしっかりと動いている。
俺が今着ているのはやはり軍服のようだ。今まで着たことがないから何とも言えないが、見た目以上に動きやすい気がする。あと、胸には勲章みたいなのが幾つか付いていた。何か凄い戦果を挙げていたのだろうか。肩にも、身分を示すのであろう階級章が付いている。階級章に造詣が深くない俺だが、先ほど少将と呼ばれていたのだし、俺は少将なのだろう。……少将って結構偉い人なんじゃないか……? つまり俺は、どこかの国の軍の少将になったってわけだな。年齢は恐らく三十から四十くらいな気がするし、だとすると、この男はなかなか、いやかなり優秀なのかもしれない。いやしれなかった。
どうもありえない状況過ぎて、むしろすんなり飲み込んでしまった感が否めないのだが、まあ良しとしよう。さて、問題は、俺がこれから何をすべきかということだ。怪我をしていることもあるし、もうしばらくあそこに戻らなくても文句は言われないだろうが、あまりのんびりもしていられない。何しろ、人民戦線? とかいうのが包囲しているらしいしな。とりあえず、周りをぐるっと回ってみよう。
俺は、少し小走りで、会議室テントから離れ、周囲を巡った。本当に軍隊の駐屯地というか、陣地らしく、各種兵器が置いてあって、怖そうな兵士が疲れた顔を晒しながら歩哨に当たっていた。兵器を見るに、現代兵器と言うことも無いが、そこまで昔の兵器と言うことも無いようだ。俺のいた世界からみれば、きっと戦間期から第二次世界大戦あたりの兵器だと思われた。
「はぁーあ、俺たち一体どうなんだろうなぁ」
「んなこと知るわけねえだろ。はあ、家帰りたいわ」
「帰れるわけないだろ。もうここ包囲されてるらしいし」
「は? そんなん聞いてないんだけど?」
「さっきの会議で大尉殿が言ってただろ……」
唐突に会話が聞こえた。どこの世界でも会話が同じようなもののようだ。……そういえば、彼らの話している言葉は明らかに日本語ではないのだが、俺には日本語と同じように、完全に理解することができている。そして日本語同じように話すこともできる。まだやってはいないが、おそらく書くこともできるだろう。そういえば。さっきの報告も一応内容は聞き取ることができていたのだった。不思議な感覚だが、まあ慣れればどうと言うことも無いだろう。
ここは彼らに話しかけて、こう、うまい具合に情報を得るのが得策だろう。しかし、ここで一つの問題が俺の前に立ちはだかっていた。
そう。
俺は。
コミュ障なのだ!
しかも!
超が! 付くかどうかは分からないが、まあ苦手であることには変わりがないのである。
「どうしたものだろうか……」
とは言っても、このままコミュ障を貫いていてはどうにもならないことは確かだ。これが夢であることも未だ否定しがたいわけだし、夢であるならば恥などかきようがない。夢でなく何らかの超自然的現象に巻き込まれてしまったのだとしても、今の俺は今までの俺ではない。別の俺であって、俺とは関係ない。……だとすれば、俺はコミュ障なんかではない。……そうだ!
馬鹿なことを考え終わった俺は、彼らに話しかけた。
「よう、景気はどうだい?」
「景気? は! 景気が良かったらこんなところでむさい野郎どもと愚痴を言い合ったりしてねえって師団長閣下!?」
たむろしていた男たちの視線が一斉に俺を向いた。
「し、失礼いたしました師団長閣下……! 閣下とは知らず、軽口を叩いてしまいました……」
先ほどまで腹立つ顔で愚痴をグチグチ言い連ねていた男が、処刑間近の死刑囚の如くに青ざめた表情でこちらを見ている。……俺は、いや俺じゃなかった俺はどれだけおっかねえ奴だったんだ?
「いや、こちらこそ、休んでいるときに急に済まないことをした。……ところで、先ほどの話なのだが、この陣地は人民戦線によって包囲されているようだな。しかも、目の前の市街地には奴らが立て籠もっている」
「は! その通りであります!」
「連中の正確な情報は掴んでいるのか? 例えば、人数や配置、武装等は判明しているか?」
別の男が、冷や汗をかきつつ前に出て応えた。
「はあ、その、大隊長殿の指示が未だありませんので、大まかにしか判明しておりません」
「ほう。……では、その大隊長殿はどこにいるか知っているか?」
「は! えーっと、た、ただ今呼んでまいります! し、しばらくお待ちください!」
気弱そうな男は、すごい速さでこの場を去っていった。他の男たちは、気まずそうな顔で俺から目をそらし、あらぬところを見つめている。俺は何とかこの場を和ませようと、考えを巡らせていたが、何も思いつかなかったので、黙って男の帰還を待つことにした。
一分ほどで、大隊長殿、もとい偵察大隊の指揮官が戻って来た。小柄のひょろっとした男で、部下と同じくおどおどとしていたが、俺の前に立つと、背筋を伸ばして敬礼してきた。
「お待たせいたしました、師団長閣下!」
「おお、来たか。早速だが」
「はい、敵部隊の情報でありますね。直ちに部隊を派遣し、周囲に状況を探らせて参ります!」
「お、おう。頼む」
大隊長はすぐに駆け足でその場を去って行った。そのほかの男たちも、大隊長に率いられるように、去っていった。どのぐらいかかるのか聞きそびれたが、まあそれほど時間はかからないだろう。そう信じたい。
「あ、そろそろ戻らないとな。……戻りたくねえな……」
俺は今、少将であって師団長であるそうだが、師団と言えば、五、六千人から二万人の集団である。この世界でどうなっているのかは分からないが、仮に俺のいた世界と同じであるなら、それだけの人数が、俺の指揮下にあることとなる。俺のいた世界で、二万人を指揮下に治めている人間がどれほどいるのだろうか。俺には、結構な規模の企業トップか、官公庁のトップくらいしか、今のところ思いつかない。俺にそんなことができるのか、いやできない。
と、反語表現を用いてみてもどうしようもない。これが恐らく現実の出来事である以上は、生き抜くために、死なないために、与えられた役割を果たさねばならないのだ。
俺は、覚悟を決めたような、決まらないような足取りで、例の会議室テントへと戻っていった。