ツバメのいこいサーキット
61.ツバメのいこいサーキット
ジローを失ってからあっという間に3年が過ぎた。朝から日差しが降り注ぎ、夏が来ることを予感させるような5月初めの平日。
サーキットの見回りと走行準備を終え、掃除用具を片付けているツバメ。まぶしい日差しに麦わら帽子を被った賀茂田が、埃よけで駐車場にホースで水を撒いている。
事務所受付脇の壁に、ライディングレッスンのポスターが壁に貼ってある。講師には浅野つばめと青戸一博。青戸は、成人し、経済的な独立をしたことで、アマチュアながらまたライダーに復帰していた。本業の合間には、いこいサーキットの仕事も手伝っていた。マイカーは、中古のキャラバンだ。
「今日はめずらしく二人も予約が入っているんだ。でも、青戸君は、これないんだろ」ツバメの母の幸音は、ツバメの産休からいこいサーキットでフルに働くようになっていた。
ジローが亡くなってから、ツバメはまた自分が最愛の人を傷つけ、命まで奪ってしまった、たった4ヶ月の結婚生活で、何も助けることもできなかったと絶望と後悔で、精神のバランスが不安定になった。しかし、なぜか食事はちゃんと取っていた。それはジローとの約束だった。みんなとの約束で、自分の誓いだった。
そして、ツバメの身体の異常に幸音が気づく。ツバメは妊娠していた。ツバメは自分の中にジローの命を感じた。ジローが生きていたことが、ツバメがいたことで未来に繋げることができた。生きる力を感じ、生きる希望と喜びと力が湧いてきた。
「ばあちゃん、バレがネズミ銜えて逃げて、マルが追っかけてった!タカも追っかけてっちゃった。」2歳くらいの女の子が事務所に飛び込んできた。
「あら、そう。タカはアホだね。ヒバリちゃんは、行かなくていいからね。」
「うーうん。」首を横に振る。「ヒバリも行くけど、心配しないでね」そう言って事務所を飛び出していった。
大きなポニーテールを揺らしながら幸音が深くため息をついた。
「まさか、あたしが双子の孫を持つなんて、思ってもいなかったよ。それに、本当にツバメ、未亡人になっちゃって。生活していけるんかね。」
「どうなんかね。ははっ」ツバメがライディングスーツに腕を通した。
「子供らの母親の時は、斉藤つばめでライダーの時は、浅野つばめか。面倒くさいな。まだ、ライダーになれてないだろう。胸がきついんじゃないか。ペチャパイだったのに、授乳で少しだけデカくなって、腰や腹もデカくなったままなのに、走れんのかね。」
「ちゃんとご飯食っているってこと。チェストプロテクターもしているんだから。子育てしながらなのに結構戻ってきてんだよ」パツンパツンのフロントファスナーを無理やり上げた。
「まだやめときゃいいのに」そう言いながら、ヘルメットリムーバーを手渡した。
「カズ君よりアタシのほうが、コーチが上手いって人気が有んだから。じゃあ、母さん、お願いね。」
ヘルメットをつかんでサーキットにでてゆく
あとがき
2016年9月。その事故から7年と数カ月。現在に至る最後の手術から3年半。
その事故で失ったバイクに乗ることの自由。
その事故で得たのは、この小説と身体障害者手帳と毎日のリハビリ。現在では、障害も気にならない程度に回復した。
しかし、身体の機能が徐々に回復してくると、ずっと見てきた夢が、現実味を帯びてくる。
失ったバイクに乗ることの自由を取り戻せるのか。
この小説が、それを叶えるきっかけになって欲しいと思っている。
何か感じるものがあったら、他の人にも紹介してください。
補足 50ccスクーターは、仕事で使用するため、乗れています。