ジロー、サーキット事務所に出向く
5.ジロー、サーキット事務所に出向く
鉄骨2階建て縦張りサイディングの事務所入り口前に、ワンボックス車のピンクのハイエースがむこう向きで止まっていた。車体横には、いこいサーキットという白抜き文字とホームページアドレスが大きく書かれていた。その車は、レース出走者のバイクを積むトランスポーターだ。
「さっきのピンクのマシンにも、いこいサーキットって書いてあったな」ジローが、スモークガラス越しに中を覗き見る。
「じゃあ、転倒したバイクが乗っかっているんすかね?」
助手席側から事務所入り口に回る。後席に人がいるように見えた。助手席側からジローがのぞくと、細くて小さな女が上半身下着姿で何枚もシップが貼ってある背中を向けている。その光景に慌てて目をそらす。
『あれがライダーか……浅野つばめって言ってたな』
急いで入り口に向かう。すると、男が出てきた。無精髭で体格がでかい。ジローよりも歳が上のようだが、がっちりして精悍だ。首に巻いたピンクのタオルが目についた。ハイエースと同じ色だ。
鉢合わせのようになり、ジローとトシがとっさによける。
「あ、すみません。ありがとうございます」頭を下げながらその男がゆったりと言った。意外と対応が柔らかくて丁寧だ。
「いえ、どうぞ」男が前を抜け、トシが押さえて明けていたドアを受け取った。もう一度頭を下げ、一瞬にっこりして、ドアを閉めた。
『あのライダーの親父か?』その男はさっきのハイエースに乗り込んだ。
下妻サーキット事務所内のカウンター前に立つジロー。トシが少し下がった後ろで事務所内を眺めている。
「じゃあ、領収書です。また、何時でも連絡ください。よろしくお願いします」内側にいる先ほどの事務長、五木田に渡した。
「こちらこそ。頼りにしてますから」
「さっき出て行ったピンクのタオルの人、レースで事故になったチームの人ですよね」
「いこいサーキットの人ね。そうですよ。私は見てなかったんですけど、レース自体はなかなか良かったみたいですね。けど、最後ケガ人が出ちゃったから。いこいサーキットチームのライダーは打撲程度で済んだんですけど、相手は病院に運ばれて、スタッフの話だと骨折がありそうなんで、ちょっと心配ですね」
「やっぱりプロ級のライダーでも転んで大ケガしちゃったりするんですね」
「バイクレースは骨折くらいなら大ケガじゃないですからね。乗らない人にはわかんないですがね」
「ついでと言っちゃなんですけど、サーキットで走るのってライセンスが必要ですよね。それって取るのは難しいんですか?」
「いえ、簡単簡単。午前中から2時間半ほど講習受けてもらって、それだけで取れますよ。でも、4月から年ごとの年会費だから、今だとちょっと半端ですね。バイクとか、装備とかはそろっているんですか?」
「いや、まだ何も」
「まるっきりの初心者なら、ミニサーキットに行ってみたらどうですか?」
「ミニサーキット?」
「この辺で一番近いところだと『いこいサーキット』かな」
「あっ、さっき事務所の前に止まってた車の」
「オタクが走るんですか?」
「えっ、いや、仲間が聞いてきてくれって……」ジローは親指を後ろに向け、トシのせいにした。トシは何も知らずにポスターを眺めている。
「ああー。じゃあもうひとつ、必ず必要なものありますから、言っといて。」五木田は、チラリとトシの様子を見て、真剣な顔つきになった。
「何ですか?」五木田が真剣な表情に変わったので、少し小声でそう聞いた。
「覚悟です」
「?」
「サーキットやってる側がいうのもなんですが、ライダーがどんなに上手くても、バイクがどんなに高性能でも、生身の身体を外にさらして、かなりのスピードでバイクに乗るわけですから、ケガするリスクが高いんですよ。だから、その覚悟は必要ですよ」
「ケガする覚悟ですか?」ジローがそう言うと、少し横に首を振った。
「バイクに乗ることの引き換えに、いろんな大事なものがなくなっちゃうんです」真面目な顔でそう言って、ハハハ、と声にだして笑った。「受け売りですけどね」