ツバメ、典行に会いに行く
41.ツバメ、典行に会いに行く
ツバメは、いこいサーキットに戻った。鉄扉が半分開いていて、事務所の明かりが見えた。
「どうだった、ジローちゃん」賀茂田が残っていた。パソコンで、レースの動画を見ていた。
「左鎖骨やっちゃってた」そう言いながらツバメは、事務ロッカーの棚の書類を調べた。
「しばらくは、走れないな」
「でも、気持ちは大丈夫だよ」
「じゃあ、ツバメと逆だな」
「……そうだね」ツバメは、賀茂田が見ていた動画が、去年ツバメがクラッシュしたレースなのに気付いた。
ジローがライセンス登録時の書類を見た。その中の免許証の写しが今の住所と違うことに気づいた。それが多分、移転前の住所。ジローの離婚した妻と息子の住んでいるところだと推測した。
『個人情報保護の法律違反になるのかな。でも、ここならそんなに遠くない』
「カモジー。また出かける。そのまま帰るから、戸締りお願いします」カーナビに住所を登録した。
「ツバメ、ちゃんと飯食えよ」賀茂田がいつものセリフで送り出した。
『ブルーウッドッと、ここだ』ショーは、原付スクーターを道路に止めてヘルメットを脱いだ。101号室。表札に斉藤と三村の名前が二つ書いてあった。夜8時をまわっている。部屋に明かりが点いていた。
『何やってんだろアタシ。こんなところに来たってどうにもなんない…けど……』
部屋の中からテレビの音がしている。躊躇する気持ちを抑え、チャイムを押した。
部屋の中から足音が聞こえた。ドアの鍵が開く音がしてドアノブが廻り中から人が顔を出した。背が高くほっそりした若い男だ。ツバメは、ちょっとの間、その顔をじっと見た、体格は全然違うが、そう思ってみるとジローに似ているように見える。
「突然すいません。斉藤典行さんですか。私、お父さんの斉藤次郎さんのバイクレース仲間で、浅野つばめといいます。」
「え、父さんがバイクレース?レース仲間って、なんですか?」
「ジローさん、まだ初めて半年くらいなんです。」
「スクーターに乗っていたのは聞いてたけど」
「そのスクーターを売って、100ccの小さなレース用のミニバイクに買い替えたんです。それでレースに参加してます。で、でも、練習中に鎖骨を骨折するケガしちゃって」
「ちょっと、待っててくんない」そう言って、一旦ドアを閉めた。そして、すぐにもう一度ドアを開けて部屋から出てきた。そして、ツバメのスクーターの前まで移動した。
「骨折ってどの程度のケガ?入院とか?」
「切りキズとかは無くて、血が出るようなことはなかったんですが、左の鎖骨の真ん中くらいが折れて重なったようになっちゃっています。」ツバメは、両手の人差し指を左鎖骨の前で重ねて見せて、上体を説明した。「でも、入院とかはしていません。肩はサポーターみたいなので固定していて、今は多分アパートで、寝ていると思います」
「一人で安静にしてればいいってことか。まあ、痛みはあるんだろうけど、骨折だからそのうち治るんでしょ」
「それで、肩と腕を固定して時間をかけて治すこともできるんだけど、手術だともっと早く治るんです。そうすると、レースに出られるんです。でも、手術には家族の付き添いや同意が必要で」
「エー!でも、普通に治るんなら無理しないほうがいいんじゃない?だって、ボクの父親だよ。若くないんだから。ケガしたのだって、そこが原因なんじゃない?」
「確かにそうかもしれません。でも、ジローさん、すごく練習してどんどん上手くなっていったんです。すごく速く走れるようになって。前のレース、優勝したんです」
「へぇー」
「次のレースでポイント取れると、年間順位が上位になる可能性があって、大事なレースで。練習もすごく楽しそうにやっていたんです。レース、楽しみにしていたから、このままシーズン終わらせちゃうの残念で。なんか、アタシのほうが諦められなくて。ジローさんには内緒で来たんです。」
「なんかあんまり信じらんないけど、その話に金とか絡んでないよね」
「無いです」
「金とか払えないよ。借りたりも無理だから」
「全然そういう話じゃなくて。スイマセン。突然こんな話されて不審に思われて当然ですよね」
「でも、そんなことをわざわざ僕に報告に来たわけじゃないでしょ。だから何って感じなんだけど」
「スイマセン。その手術するための家族の同意と承諾書のサインをお願いしたくて」
「ああ、さっき言ってたね。でも、なんであなたが?」
「私、ジローさんのバイクのコーチなんです。私がもっと気を付けていれば、ケガすることもなかったのに。それが悔しくて。明日、10時の予約で、筑波第3病院の診察受けて今後の治療、手術するかしないか決めなきゃなんないんです。だから、何とかしたくて、すみません、急に無理なこと言って」
「よくわかんないや。本人は、父さんはなんて言ってるの」
「あ……家族に面倒掛けないって。諦めるみたいな言い方してました」
「…そう」そう言って典行は何か考えているようだった。
「ちょっと待ってて」そう言って一旦部屋に戻って行った。
一人待つツバメ。中から話し声がしている。
「もう、関係ないでしょ」女性の大きな声がした。ジローの元妻か。そして、勢いよく音を立ててドアが開く。怒りに震えた形相で睨み付けてくる女性。それがジローの元妻の三村礼子だ。
「仕事でもなんでもないただの遊びでしょ。それでケガしたってただのバカじゃない!そんなこと、知りたくもない!あんた、どういうつもり!もう、あんな人とは関係ないんだから。一体なんであんたがそんな余計なことを言いに来てんのよ!」矢継ぎ早に怒鳴られながら、ジロジロとツバメを観察するように見た。「あんた、あいつの女なの?だったらあんたがあいつと結婚でもして夫婦になればいいじゃないか。自分でやればいいでしょ!」
「ちょっと待てよ、みっともない。この人はレース仲間なんだって」
「分かるもんか。どうしても必要なら、自分でやれっ!」
「スイマセン。やっぱり今日は帰ってください」そう言ってドアが閉められた。